小山鉄郎★白川静入門――真・狂・遊

20170227

2017.02.27★白川静入門



 村上の小説の中に、そのままでは意味が受け取りがたい部分が出てくるのだが、白川静が解明した漢字の世界を知っていると、その部分の意味が明瞭に伝わってくるように感じられるのである。
たとえば、『アフターダーク』に、こんな会話がある。

「今でも耳は切るのかい?」
男は唇を微かにゆがめる。「命はひとつしかない。耳は二つある」
「そうかもしれないけどさ、ひとつなくなると眼鏡がかけられなくなる」
「不便だ」と男は言う。
〔…〕

「今でも耳は切るのかい?」は、少し意味を受け取りがたい部分ではないだろうか?〔…〕

 このカオルと中国人組織の男の会話は「馘耳」をめぐるやりとりであることは間違いないだろう。

 つまり「今でも耳は切るのかい?」というカオルの言葉は「今でも戦争をするのかい?」「でも命は一つしかないよ!」という意味に、私には受け取れるのだ。


―― 第1章 白川静と文学者たち


★白川静入門――真・狂・遊|小山鉄郎|平凡社新書|2016年12月|ISBN:9784582858280 |○

 元共同通信社記者の小山鉄郎は、漢字の大家・白川静の門下生として多くの“白川漢字入門書”を著しているが、本書もその一つ。

 第1章では、宮城谷昌光『天空の舟」、栗田勇『一休』、高橋睦郎『遊ぶ日本』、石牟礼道子『不知火』とともに、村上春樹『アフターダーク』『スプートニクの恋人』『1Q84』など、白川静の文字学研究の反映がある作家と作品を取りあげている。

 上掲の村上春樹『アフターダーク』の「今でも耳は切るのかい?」は、「馘耳」をめぐるやりとりえあるとして、こう解く。

 ――この会話は「取」という漢字をめぐる話である。「取」は「馘耳」と呼ばれる行為を反映した文字だ。「取」は「耳」と「又」を合わせた文字。「又」は古代文字を見てみればわかるが、「手」のことである。「耳」に、その「手」を加えた「取」は白川静の漢字学によれは「死者の耳を、手で切り取っている」文字なのである。

 戦争の際、討ち取った敵の遺体をひとつひとつ運ぶのはたいへんな労力なので、ひとつの決め事、約束事として、敵の遺体の左耳を切り取り、その数で戦功を数えたのだ。
(本書)

 つまり、「今でも耳は切るのかい?」は「今でも戦争をするのかい?」という意味だ、と。

 第4章では、ひとつの文字の意味が理解できると、それに関連した字が芋蔓式にいっぺんにわかる漢字の体系的な成り立ちを具体的に説明している。
 
 たとえば、「非」……。もともとは髪をすくための櫛の形である。「非」を含む字には櫛のように「左右に並ぶ」という意味がある。

 ――「非」に「イ」を加えた「俳」は二人の人が並んで戯れ演じている姿のことだ。そこから「たわむれる」「おどける」などの意味がある。つまり滑稽な動作をする役者のことを「俳」と言う。今の言葉で言うと「喜劇俳優」のことである。日本の「俳句」「俳諧」にも、その滑稽な意味の味は残っている。

「排」の「非」は二人が相並んでいる姿のことで、「扌」(手)は「おす」こと。つまり相並んだ二人の片方が相手を手で「おす」ことが「排」である。「排斥」とは相並んで争う者の片方が、他方を押しのけることを言う。
「扉」の「戸」はドアのことで、「非」と合わせて左右に開く「とびら」のことを言うし、……。
(本書)

 なお著者は、白川静や村上春樹に直接取材し、「奥深い報道により、日本の文芸ジャーナリズムの可能性を広げた」として日本記者クラブ賞受賞している。

白川静■ 回思九十年



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1冊の本の中から気になるフレーズを紹介する。2004年から開始し、2015年1月からツイッター版も。全索引あり。

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