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小堀鴎一郎◆死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者   ……☆42の事例、それぞれの生き方、死の迎え方

20180924

2018.09.24死を生きた人びと


  たまたま書きかけで終わった原稿を目にした若い同僚から、私の事例の描写がその人物一人一人を蘇らせるようで、平凡な市井の人々の死が意味あるものに思えてくると言われた。

  このとき、私の心を動かしたのは、
そのような個々の患者の死の語録を残すことは、

誰からも顧みられることなく、無名のままこの世を去った人々への挽歌として意味があるのではないか、


と同時に、医師という職業の最終場面に差しかかっている自分自身にもふさわしいのではなかろうかという思いであった。


◆死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者 |小堀鴎一郎|2018年5月| みすず書房|ISBN:9784622086901|◎おすすめ

たまたま「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」(2018年6月・BS1スペシャル)という番組を見た。埼玉県新座市の堀ノ内病院小堀鴎一郎医師(1938~)と在宅医療チームの日々を追ったドキュメント。その小堀医師の考え方を知りたくなって、本書を手にした。

小堀医師が在宅医療13年で355名の臨終に係わり、うち自宅で亡くなったのは271名、病院では84名。訪問期間は最短ゼロ日、最長11年3か月、平均4年6か月だった。

その経験から、患者や患者家族の意向に全面的に従うことが、必ずしも患者本人の最期の希望を代弁することにはならないし、そして「介護する側の苦悩」と同様の苦悩が「介護される側」にも存在することを強調する。

小堀医師の考えは、
  ――1. 患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。 (本書)
これは本書に引用されている、
  ――そうなったときの医学(医療)の無力さを知っているが故に何も行わない。
という「ヒポクラテスの戒め」に通ずるものである。

  そして、小堀医師の考えは続く。

2. このような状態で病院に入院させて胃瘻を造設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになる。

3. 家族にとって患者が飲まず食わずの状態で日々衰弱していく状態を目にするのがつらいのならば、患者の身体に負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。

4. 看取るのは私ではなく家族である。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることにどのくらい意味があるだろうか。本当に意味があるのは、家族が静かに患者の手を握ってあげることではないか。


小堀医師の日常は、たとえば家族と旅行して野天風呂に入っているときも、ポリ袋に入った携帯電話(以前はポケットベル)をそばに置いていたという話や、往診に行って帰るとき、患者の手の甲を握る(通常の握手では手を放してもらえない)という話で、その人柄が分かる。

本書は、「事例と引用文で成り立つ、すなわち事実のみで成立する書物」(あとがき)である。ここに簡潔に記された42の事例には、それぞれの患者や家族の生き方、死の迎え方に、人生が凝縮されている。多くの仏像の中に自分に似た像を探すように、42の事例の中に自分を探していた。

――「死を怖れず、死にあこがれずに」だれにもとどめることができない流れに流されてゆく患者と、その一人一人に心を寄せつつ最後の日々をともにすごす医師、そのような患者と医師の関係があってもよいのではないか。それは私の見果てぬ夢でもある。 (本書)

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