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2019. 08. 18  
2019.08.18経済学者たちの日米開戦



 現実には「2、3年後に確実に石油が無くなる」という「事実」(エビデンス)だけに関心が集中し、国際情勢が大きく変化して日本を取り巻く環境が好転するという「ヴィジョン」を持つことは誰もできなかった。〔…〕

ただ実際問題として、「世の中がまた変わってくるだろう」というだけでは説得力はない。

 昭和天皇は『昭和天皇独白録』において「戦争に反対する者の意見は抽象的であるが、

内閣の方は数字を挙げて戦争を主張するのだから、遺憾乍ら戦争論を抑える力がなかった」と述懐している。


 したがって、「戦争論を抑える」ためには、「3年後でもアメリカと勝負ができる国力と戦力を日本が保持できるプラン」を数字によって説得力を持たせて明示し時間を稼ぎ、その間に国際環境が変化するのを待つことが必要であった。

 恐らく日本の経済学者が「日英米開戦」の回避に貢献できたとすれば、日本とアメリカとの経済格差という「ネガティブな現実」を指摘することではなく、こうした「ポジティブなプラン」を経済学を用いて効果的に説明することだっただろう。

――第6章「正しい戦略」とは何だったのか


◎経済学者たちの日米開戦 ――秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く|牧野邦昭|2018年5月|新潮社|ISBN:9784106038280|◎おすすめ

 猛暑が続く中、終戦日なのであえて堅めの本を手に取った。今回は要約の練習である。気鋭の経済学者牧野邦昭(1977~)による評判の著作。読んだのは、第5章なぜ開戦の決定が行われたのか、第6章「正しい戦略」とは何だったのか、の2章のみ。このうち行動経済学におけるプロスペクト理論というものに興味をもった。

 昭和16(1941)年、日本はなぜ勝ち目のないアメリカとの戦争を始めたのだろうか。
日本陸軍は、開戦前に有沢広巳など多くの一流の経済学者を「秋丸機関」に動員して、日本のほかアメリカ、イギリス、ドイツなどの主要国の経済抗戦力の調査を行っていた。
 著者は数多くの未発見の秋丸機関関係資料を発掘し、秋丸機関の実像を描き直したのが本書である。

 通称「秋丸機関」とは、正式名称は陸軍省戦争経済研究班。対外的名称は陸軍省主計課別班。陸軍中野学校や陸軍登戸研究所、「石井“細菌”部隊」(関東軍第731部隊)、総力戦研究所などと並んで、秋丸機関は“経済謀略機関”である。陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐を中心に設立された研究班で、秋丸次朗中佐が率いたので秋丸機関と呼ばれた。

 まず結論、……。 

 ――正確な研究を目指していた秋丸機関では、「全く日本の勝利の可能性は無い」という主張はせず、わずかではあっても敗北を回避できる可能性があることを指摘することになった。
それは合理的な判断が行われるという前提の下では「開戦回避」という結論になる筈であるが、より実際の人間が行なう判断に近いプロスペクト理論を用いると「開戦」という結論を下す選択肢を提供することになってしまったと考えられる。


 なぜリスクの高い選択が行われたのか①――行動経済学による説明では、プロスペクト理論が紹介されている。

a  確実に3000円支払わなければならない。
b  8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。

 この場合、プロスペクト理論を踏まえると、人間は低い確率であっても損失が0円になる可能性のあるbの非合理的行動、つまり宝くじを買う心理に魅かれがちである。
 当時、以下のA、Bというシミュレーションがあったという。

A 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、2、3年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈服する。

B 国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。
しかし非常に低い確率ではあるが、もし独ソ戦が短期間でドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放され、ドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、さらに日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化し、イギリスが屈服すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず交戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。
日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得できれば少なくとも開戦前の国力は維持できる。

 著者は言う。

 ――逆説的ではあるが「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が逆に「だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない」という意思決定の材料となってしまったのだろう。 (本書)

 Bの中の「成功する」客観的な確率がどれだけ低くても、主観的には過大に評価されてしまいがちなため、結局Bでいくら悲観的な予測をしても「開戦回避」という結果にはなりにくい。
したがって、「開戦回避」という選択をするためには、BよりもAの方を変える必要がある。

 もしAが「3年後にジリ貧になって屈服する」というネガティブなものではなく、ポジティブな「今戦わず、3年後でもアメリカと勝負ができる国力と戦力を日本が保持できるプラン」であったならば、仮にBで「成功する」場合に「日本が大東亜共栄圏の盟主になる」といった結果になるとしても、日本が致命的な敗北を喫するリスクを避けて「開戦回避」という選択肢が選ばれた可能性がある。

 なぜリスクの高い選択が行われたのか②――社会心理学による説明では、意思決定するに、強力なリーダーシップを取れる人物は誰もいなかったことが、日本の命運を左右したという。

 危険を厭わない人たちが集団決定すればますます危険な方向の選択が行われる。この集団極化、リスキーシフトにより、極めてリスクの高い選択をしてしまった。
 
 一般国民は軍部の宣伝によって自国の強大を盲信した点もあるが、内閣の弱腰を非難する新聞雑誌等メディアにあおられ、国民世論は米英戦争も敢て辞せずという冒険的気分に浸され、軍を動かす。
 昭和天皇はのちに、「若しあの時、私が主戦論を抑えたらば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍ら、ムザムザ米国に屈伏すると云うので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起ったであろう」と述べる。

 しかし「戦争をせず而も屈伏せず打開の道」があれば、それを日本も採択したはずである。

 ――恐らく日本の経済学者が「日英米開戦」の回避に貢献できたとすれば、日本とアメリカとの経済格差という「ネガティブな現実」を指摘することではなく、こうした「ポジティブなプラン」を経済学を用いて効果的に説明することだっただろう。

 この「ポジティブなプラン」はあくまでも開戦論を抑えて時間を稼ぐためのレトリックなので、必ずしもエビデンスに基く必要はなく、極端な場合、事実や数字を捏造しても良かっただろう(「清洲国で発見された油田は極めて有望である」等々)。

 その上で「ドイツの国力は現在が限界なので数年でソ連と英米に挟撃されて敗北する、その後は英米とソ連との対立が起きるのでそれを利用すべきだ」とエビデンスを踏まえてヴィジョンを示せれば、「臥薪嘗胆論」に説得力が増し、「日英米開戦」は回避された可能性がある(もちろん硬化している国民世論をどう説得するか、という問題は残る)。
 (本書)

 秋丸機関はこうしたレトリックとヴィジョンを示すことが可能だったかもしれない組織だったと著者は言う。

 さて、もう一つ。気になるフレーズがある。「負けることは分かっていても戦わなければならなかった」という考えはありうる。開戦時の武藤章陸軍省事務局長(敗戦後A級戦犯として処刑)のサムライのようなことば。

 ――然しそれではこのシャッポを脱いでアメリカに降参するか。凡そ民族の勃興するのと滅びるのとは、仮令噛みついて戦に敗けても、こういう境地に追い込まれて戦う民族は、再び伸びる時期が必ずある。こういう境地に追い込まれてシャッポを脱ぐ民族は、永久にシャッポを脱ぐ民族だ。

 敗戦から74年……。

われ思ふ故に八月十五日




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