09/旅ゆけば***奥の細道出羽篇│T版 2015年4月~6月

20150701


09/旅ゆけば***奥の細道出羽篇│T版 2015年4月~6月

09旅ゆけば


気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月17日
★萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道

仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。〔…〕あやめ草足に結(むすば)ん草鞋(わらぢ)の緒」★萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』
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仙台3句
◎参着のみちのく欅の涼しくて
◎行く人も欅もすくと昼目覚
◎同行の芭蕉句集やあやめ草



気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月17日
★萩原恭男・杉田美登『おくのほそ道の旅』

八日の朝、〔…〕芭蕉は宿を出発し、仙台の交通の起点である「芭蕉の辻」に出て、東西に走る大町の街路を東に向かい、塩釜街道の出発点である原町宿に入ります。★萩原恭男・杉田美登『おくのほそ道の旅』
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泊まったホテルの近くに「芭蕉の辻」がある。その由来は、芭蕉樹があったとか、政宗が用いた芭蕉という虚無僧が居住していたとか、諸説あるが芭蕉にはまったく関係がないと石碑にある。芭蕉に縁があるといえば、上掲のようにここを通ったというだけ。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月17日
★光田和伸監修『芭蕉と旅する「奥の細道」』

古典という形で蓄えられてきた日本文化の富を、当時の庶民が理解できることば、感覚で全面的に書き直したのが芭蕉という作家。芭蕉は『おくのほそ道』が絶えず時代の新しい感覚で読まれることを願っていた。★光田和伸監修『芭蕉と旅する「奥の細道」』
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芭蕉と曽良が仙台に入ったのは、元禄2(1689)年5月4日(新暦6月20日)。国分町の大崎庄左衛門の旅籠に泊まり、4泊。国分町は仙台藩の城下町が成立する以前からの町で、300年を経て今は東北一の繁華街。当方は、その近くのホテルに1泊。
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今日は仙台市博物館「国宝吉祥天女が舞い降りた!奈良薬師寺未来への祈り展」、宮城美術館「杉戸洋展 天上の下地」、仙台メディアテーク「ガウディ×井上雄彦─シンクロする創造の源泉─仙台展」とアート三昧。が当方は佐藤忠良記念館が一番だった。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★金森敦子『「曾良旅日記」を読む』

芭蕉が立石寺で作ったのは「山寺や石にしみつく蝉の声」。だがその後「淋しさの岩にしみ込むせみの声」「さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ」「閑さや岩に染み付く蝉の声」となり、結局は「閑さや岩にしみ入蝉の声」★金森敦子『「曾良旅日記」を読む』
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立石寺で1015段をゆっくり登る。写真を撮るふりをして(実際に撮ったが)小休止を重ねる。上に赤いポストがあり、孫に自慢の絵はがきを書くつもりで切手も用意していたが、嶮しくて、厳かな雰囲気の絵はがきがなく断念する。芭蕉記念館、池大雅筆あり。
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◎空蝉の岩に縋りし媚態かな
◎蝉の声老いの階(きざはし)もう一段
◎立石寺立谷川には立葵
◎玉こんのうんちく出羽の夏座敷




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★イザベラ・バード『日本奥地紀行』

米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。★イザベラ・バード『日本奥地紀行』2000
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山形駅に到着。山形新幹線で米沢か山形自動車道で鶴岡か。大いに迷う。昨年は秋田で、角館か象潟かで悩んだ。米沢は、①イザベラ・バードの激賞の地、②景勝、兼続、鷹山など歴史小説の主人公の地、③信長から謙信に贈られた「洛中洛外図屏風」の上杉博物館。だが、芭蕉の旅ゆえ、鶴岡へ。
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少ししか時間がないので、山形県立美術館へ。隣りの最上義光歴史館も霞城公園もパス。常設展は印象派など有名画家の作品が並んでいるが、この種のコレクションは、ちょっとなぁ…。ここからバスで2時間、雲で見えない月山、湯殿山を惜しみつつ鶴岡へ。



気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★赤坂憲雄『イザベラ・バードの東北紀行』

1878(明治11)年、異邦からの旅人によって、晴れやかにして豊餞なる大地、またアジアのアルカディアと称えられたものが、まさに、この地方に生きてあった人々がはるかな歳月を費やして、種を播き、水をやり、枝打ちをしながら育ててきた風景であったこと。★赤坂憲雄『イザベラ・バードの東北紀行』2014
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山形市3句
◎トンネル出づ緑まばゆい出羽の国
◎庄内置賜実を振り分けよさくらんぼ
◎さくらんぼさっちゃん頬をすぼめぷぅ




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★藤沢周平『蝉しぐれ』

さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。★藤沢周平『蝉しぐれ』
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藤沢周平で好きなのは、『蝉しぐれ』『海鳴り』。米沢藩主上杉鷹山を描いた『漆の実のみのる国』はかつての瑞々しさが消えた文体と思ったら、絶筆となった。藤沢周平記念館は、書斎の再現以外は見るべきものがない。
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鶴岡3句
◎ようやくに海坂藩や蝉しぐれ
◎夏夕日少年剣士スニーカー
◎羅や清左衛門の振り向かず




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★『藤沢周平 心の風景』

藤沢が故郷に則して創造するなら、海坂藩のモデルは鶴岡でしかありえず、もとより酒田でなく、南北あわせた庄内全体でもない。(佐藤賢一「海坂とミクロコスモス論」)★『藤沢周平 心の風景』
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武家の町鶴岡15万人、商家の町酒田12万人、庄内の二つの町は今もライバル関係にあるらしい。庄内藩は14万石だが、藤沢の海坂藩は7万石。酒田は新しく鶴岡は古い。だから藤沢は海坂藩を鶴岡に限定したのだと、同じ鶴岡生れの作家佐藤賢一は言う。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月18日
★『藤沢周平句集』

郷里はつらい土地でもある。私はその夜、めずらしく途中で目ざめ、また海の音を聞いた。その折り出来た駄句を、はずかしなから記しておこう。
冬潮の哭(な)けととどろく夜の宿
野をわれを霙うつなり打たれゆく
――「初冬の鶴岡」★『藤沢周平句集』
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「初冬の鶴岡」は77年に発表されたエッセイで、上記の句集や『乳のごとき故郷』に収録。「いつもそうだが、郷里では私はふだんより心が傷みやすくなっている。人にやさしくし、喜びをあたえた記憶はなく、若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような悔恨をともなって廻るからであろう」。
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鶴岡は駅前のルートインに宿泊。以前青森でもこのホテル。風呂があるのが何よりいい。夜は庄や。チェーン店と侮ってはいけない。庄内名物丸い冷奴南禅寺。冷酒は福井の梵。その他いろいろ。サラリーマンが気炎を上げていた。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月22日
★嵐山光三郎『奥の細道温泉紀行』

出羽三山は自然崇拝、山岳信仰の山である。ここでは草も木も小石も川の水も、目に触れるいっさいのものが神である。羽黒山で身を清め、月山で死に、湯殿山の御神体の温泉で身を清めて生きかえるのである。★嵐山光三郎『奥の細道温泉紀行』
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一人旅のうち一日はツアーに参加し、心身を委ねる。今回は「庄内おばこ号」羽黒山・最上川舟下りコース。といっても客は当方ともう御一方、このためハイヤー。 饒舌すぎず寡黙すぎずまことに適切なママさんドライバーによる案内。
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出羽3句
◎三山の現世は羽黒大暑かな
◎夏霧の果てに月山走り過ぐ
◎水奈月の湯殿のことは無きことに




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月22日
★嵐山光三郎『芭蕉紀行』

いまなお芭蕉の『細道』記述のままの最上川があり、『細道』があるために天然無垢の最上川が昔のまま残っているとも思え、言霊が自然に永遠の生命を吹きこんでいる。★嵐山光三郎『芭蕉紀行』
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最上川芭蕉ラインは強風のため、古口港から上り下りの巡回コース。流れは「速し」である。水に勢いがあり、水底はさらに流れが速いとのこと。それにしても“山背風”は昨年三陸で経験したが、ここでも……。

最上川3句
◎水無月の水の漲る最上川
◎舟唄は英語バージョンやや暑し
◎山背風川下り舟上りけり




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月22日
★赤坂憲雄『司馬遼太郎東北をゆく』

司馬は庄内へゆくことを考えていた。しかし、「自分の不勉強におびえて、いまだに果たせずにいる」と無念そうに書いた。藤沢周平のいる庄内には、なかなか気楽には踏み入れないといった事情があったのではないかと。★赤坂憲雄『司馬遼太郎東北をゆく』




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月22日
★土門拳『筑豊のこどもたち』

ぼくは,この写真集だけは美しいグラビヤ用紙でではなく,ザラ紙で作りたかった。丸めて手にもてる,そんな親しみを,見る人々に伝えたかった。★土門拳『筑豊のこどもたち』
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土門拳は酒田市出身。かつてザラ紙でつくったこの写真集を買ったことがある。土門拳記念館では、「古寺巡礼」(浄瑠璃寺吉祥天など)、「手」(藤田嗣治の手など)、「風貌―昭和の文士」(志賀直哉など)の豪華3本立である。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月22日
★吉野弘『吉野弘詩集』

山が遠くから
人の心をとりこにする。

人がその心を
さがしにゆく。

つまり
身体ごととりこになる。

――「山が」★吉野弘『吉野弘詩集』
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酒田といえば、吉野弘の出身地。だからこの山は、庄内平野の北にある鳥海山だろう。吉野の詩といえば「祝婚歌」「夕焼け」などヒューマンな詩が有名だが、当方は「仕事」「工場」など労働者を扱った初期の作品が好みだった。
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酒田3句
◎駅前は闇一軒の麻のれん
◎暑き日の入るを待つ出羽大橋に
◎最上川なんども渡る夏日和

ホテルイン酒田駅前に泊まる。夜は海鮮厨房「うろこ亭」。地元酒田の純米大吟醸本流辛口「楯野川」、庄内浜産の岩牡蠣1ケ820円也など。朝は地産地消。デザートにさくらんぼ。




気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月23日
★司馬遼太郎『街道をゆく29秋田県散歩』

象潟や雨に西施が合歓の花
象潟はもはや陸地になっているとはいえ、この一句によって不滅になった。西行は象潟を絵画にし、芭蕉は音楽にしたともいえる。★司馬遼太郎『街道をゆく29秋田県散歩』
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蚶満寺。芭蕉の木があるのはご愛嬌としても、芭蕉像の前に西施の像があるのは如何なものか。ところで肝心の合歓の花が見つからない。芭蕉が象潟を訪れたのは旧暦6月16日(新暦8月1日)。能因島の近くの道に合歓の木を見つけた。一本だけ花が三つ。



気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月23日
★萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』

江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢(ちせい)魂をなやますに似たり。★萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』
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芭蕉「おくのほそ道」の象潟は、とりわけ声を出して読みたくなる名文である。
象潟6句
◎青田波翁舟にて渡りしが
◎花合歓を探す旅人となりにけり
◎鳥海の裾野を濡らす合歓の花
◎花合歓の残像憾むがごとくなり
◎雲の峰九十九従え鳥海山
◎青田風頂を隠す鳥海山






気になるフレーズ ‏@koberandom · 6月23日
★近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』

「ただ大きさだけなら、この後もっと大きな絵を描く人が出てくるかもしれません。私は、これを誰にもできないような早さで仕上げて見せましょう。〔…〕それでこそ世界一の絵です」★近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』
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 昨年、岩手・秋田横断の旅。目的の一つは、安藤忠雄設計の新秋田県立美術館においてこの藤田嗣治「秋田の行事」(1937)を見るためだった。

 上掲の絵を描きはじめて15日後に藤田は、キャンバスにこう書き入れた。
「1937 昭和12年 自2月21日 至3月7日 174時間完成」。「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られないでしょう」と、藤田は満ち足りた表情で秋田を後にした。
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秋田県立美術館は「田園にて―秋田の風景・子ども・女たち」展。変貌する農村風景を地元の千葉禎介の写真、髙橋萬年の日本画、勝平得之の版画、そして木村伊兵衛の写真。伊兵衛の「おばこ・大曲」(1953)は、観光ポスター(あきたびじょん)に。
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◎水庭も濠の浮葉もフジタかな
は、昨年秋田県立美術館来館時の作。ことしは、
◎水庭の水紋涼しカプチーノ
◎秋田美し伊兵衛「おばこ」に青田波



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