藤井誠二★僕たちはなぜ取材するのか…………☆ノンフィクション“冬の時代”の書き手たち

20171016

20171016僕たちはなぜ取材するか


安田 いまの日本社会では、事件や事象の原因や背景が見えにくくなっています。〔…〕
いずれにしても、いまどきは事件ものの取材や執筆は苦労をするよね。そこにはかならずのっぴきならない事情も、情念も、愛憎もあるはずなんだけど、簡単には姿を見せてくれない。

藤井 そう思うな、僕も。〔…〕

 検察官の起訴状も判決も、明確な「動機」というものが書けていないことが多い。わからないから、書けないんだよね。
 
〔…〕たとえば「キモイと言われて激しい殺意を覚えたのである」なんて整合性の乏しい事件のストーリーは、検事も判事も書きにくい。

 もともとは、まともな人間がなんらかのひどい環境に置かれて犯罪を犯す。そんな性善説的な見立てが刑事事件ではなされてきたと思う。

 けれど、この十数年は脳の気質からくる障害や、精神病質、反社会性人格障害といったことが原因で社会になじめず、コミュニケーションが取れず、問題が生じる場合もあるという見方が、とくに刑事弁護の主張では主流になってきている。

――安田浩一・藤井誠二 「なぜ人がやりたからない取材対象を選ぶのか」


★僕たちはなぜ取材するのか |藤井誠二:編著 |皓星社|2017年8月|ISBN: 9784774406374|〇

 ――あらゆる表現行為は、「取材」を欠かすことができない。図書館やインターネットで書物や資料(史料) にあたったり、くわしい人に話を聞いたり、実地を踏んだり……。人それぞれの取材スタイルがある。(本書)

 そこで同業者が新作を出すタイミングで藤井がインタビューを重ねてきたのが本書。中原一歩、上原善広、安田浩一、尹雄大、土方宏史、森達也、という顔ぶれ。

 当方がとくに興味をもったのは、安田浩一。『ネットと愛国──在特会の「闇」を追いかけて』の著者である。

 佐野眞一ファンである藤井と、人間的にも佐野を尊敬している安田(佐野のデータマンとしていたことがある)とが、「週刊朝日」の「ハシシタ 奴の本性」連載中止騒動について語る。被害者や加害者が在日コリアン、被差別部落の人間だった場合、そこに大きな「物語」があるに違いないという強烈な思い込みが、ライター全般にあり、佐野にもある。そのうえで佐野は結果的に被差別部落への偏見をあおってしまった、と。

 上掲の発言の前段で安田はこういう。

 ――犯罪報道も事件ものも、団塊世代のライターが手掛けてきた作品の多くには、貧困と差別が欠かせない要素として存在した。それは当然だったとも言えるでしょう。時代が、社会が、まさにわかりやすい形で犯罪を作り出してきた。そして、それを描いた作品はおもしろかった。
殺す理由や殺される理由のなかに「時代の悲鳴」が響いていた。事件を紐解いていけば、社会の断層が見えてくる。そこからさまざまな物語が生まれていく。


 ノンフィクション“冬の時代”の安田の発言も記憶にとどめておきたい。

  ――廃業する同業者があとを絶たないのも当然です。僕も金の面ではつねに不安を抱えている。それに、僕は本当に人間が怖いし、話をするのも苦手です。臆病で卑屈な人間です。
それでもやはり、取材は楽しい。知ること、発見することの楽しさがあるからこそ、どんなに割の合わない商売であっても、ライターを続けている。取材現場で感じる不安や葛藤も記録として残しておきたい。
(本書)

 森達也は「取材とはつねに残酷で私的なものである」のなかで、いつものようにぶれない次の発言がある。

 ――ドキユンタリーの一般的な定義は、事実をありのままに脚色や演出もないまま撮った映像、ということになるようです。『広辞苑』(岩波書店) でもそのように書かれています。でも、それは違う。
だってこの定義は、極端に言えば監視カメラの映像です。取材や撮影する側の意思が反映されていないのなら、少なくともそれは作品でもないし表現でもない。〔…〕
そんなつまらないジャンルを仕事に選んだつもりはありません。僕は記録する人ではなくて、状況を演出して撮ったり善いたりする人です。
(本書)

 中原一歩は、「ノンフィクションで『食』を記述する方法」のなかで、料理について「うまい」「まずい」と勝手に感想を書いたネットのレビューが影響力を持つことについて、「そんな情報の前に、その一皿の料理ができるまでの物語だとか作り手の人生など、そういったものが全部なかったことにされてしまう」と嘆く。

 その中原は、銀座「てんぷら近藤」の近藤文夫を取材した『最後の職人』(2013)での裏話を詳細に語る。その取材に費やした膨大な時間と金を知ると、ほんとうに驚く。

 で、思うのは、“書評”についてである。当方は、読んだ本の中から“気になるフレーズ”を探し出すのを趣味としている。書籍は商品であり、購入したものを消費者として評価するのは当然のこと、と思っていた。

 しかし一冊の本ができるまでの中原一歩の取材方法を知り、かつて嵐山光三郎が『ぼくの交遊録的読書術』で「新刊書評にとりあげるならば、ほめろ。けなすのならば取りあげるな」と書いていた(新刊とあるのがミソだが)。それがやっと理解でき、少し反省した。

 なお各人の「私が影響を受けた10作品」というリストが掲載されている。

藤井誠二・普久原朝充・仲村清司■ 沖縄 オトナの社会見学R18
中原一歩★私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝
上原善広●日本の路地を旅する
安田浩一▼ネットと愛国──在特会の「闇」を追いかけて
東海テレビ取材班★ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか
森達也◎A3

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堂場瞬一★社長室の冬v.s本城雅人★紙の城…………☆IT企業による新聞社買収騒動の2作品

20171009

20171009社長室の冬・紙の城


 もちろんアーカイブ、データベースとしては残るにしても、デジタルの文章には「質感」がない。単なるデータの羅列だ。

刷り上がったばかりの新聞のインクの香りと紙の温もりは、「仕事をした」という充実感を与えてくれる


ーー自分は古いタイプの記者なのだろうか、と南は訝った。

★社長室の冬 |堂場瞬一


一番大事なのは紙とかネットというフォーマットの問題ではないと思っています。

これだけネットで情報が氾濫しても、一次情報を発信しているのは現場に出ている記者です。その記者を未来に存続させるためにも、新聞社はどんな形であれ生き残っていかないといけない、

今はそう思っています。

★紙の城|本城雅人


★社長室の冬 |堂場瞬一 |集英社 | 2016年12月|ISBN:9784087754339 |〇★紙の城 |本城雅人 |講談社|2016年10月|ISBN:9784062203302|〇

 IT企業による新聞社買収騒動を描いた2作である。

 堂場瞬一『社長室の冬』は、日本新報(300万部)の社長室の記者・南康祐が主人公。外資系IT企業との売却交渉を社長のもとで務める。同期は見切りをつけてやめていく。交渉相手は、AMCジャパン社長青井聡太。かつて日本新報にいた男。メディア・コングロマットAMCのアリッサ・デリードCEO。同社から派遣されたマネージャー高島亜都子。買収に反対するは、個人筆頭株主・長澤英昭、党政調会長・三池高志。

 本城雅人『紙の城』は、東洋新聞(200万部)の社会部デスク・安芸稔彦が主人公。パソコン音痴で、飲み会の店も足で探す昔ながらの新聞記者。後輩の尾崎毅、霧嶋ひかりを従え買収阻止に動く。交渉相手はIT企業インアクティヴの戦略室長・権藤正隆。かつて東洋新聞記者だった男。ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送との買収事件をヒントにしたような部分もあり、アーバンテレビの吉良会長、IT企業インアクティヴの轟木太一、そして黒幕にITカリスマ経営者ニューマーケットインク会長・米津訓臣。

 この2作には、共通点が多い。①大手新聞社対IT企業の買収交渉。②主人公は新聞記者。③その新聞社の元記者がIT企業に。④結末が同じ。⑤しかも作者は元新聞記者。

堂場瞬一・1963年生まれ・2001年デビュー・元読売新聞記者
本城雅人・1965年生まれ・2009年デビュー・元産経新聞サンケイスポーツ記者

 ――「誤報を書けば、すぐにネットで叩かれる。内容を検証しょうという人間も出てくるだろう。私が記者をやっていた頃は、そういうことはなかった。せいぜい社内で問題になるぐらいで、訂正記事なりお詫びなりを書いて終わりだった。その程度で済んでいたのは、今と違って、新聞を批判するメディアがなかったからだろうな。雑誌はよく新聞の悪口を書いていたけど、そんなものはコップの中の嵐だ。とにかく、ネットの出現がメディアの構造を変えた……私は、こんな風になる前の時代が懐かしいよ」(社長室の冬)

 ――「私にとっての新聞は、読者にとって興味がなかったものも、知らず知らずのうちに目に入って、読んでもらうことができる知識を広めるための道具です。
 ネットはそうではありません。記事も広告も、自分が好きなものだけを機械が選び、勝手に画面に出てくるわけですから」
(紙の城)

 さて、買収は成立せず新聞社は大きなダメージと改革の嵐が待っているという“予定調和”的結末。買収成立では、その後がリアルに予測を描くことが困難ゆえか、課題を羅列して終わらざるを得ない。

 テレビで記者会見の映像が流れると、若い記者がICレコーダーを置き、モバイル・パソコンをパチパチ打っている。またウェブ版があるため24時間記事を送らねばならず、かつてのように朝刊・夕刊の締め切りに間に合わせればいい時代ではなくなった。新聞にウェブ版がある以上、新聞本体も変わらざるを得ない。

 新聞記者が主人公の小説も間もなく書かれなくなるだろう。


今村欣史★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話…………☆柳田國男『故郷七十年』はいかに生まれたか。

20171005

20171005触媒のうた

 
 柳田に嫌われたという宮崎翁。

「自伝の口述筆記というものは、ご本人が一方的にしゃべるものじゃないと思ってました。

聞き手にも質問が許され、双方の協力で進めるものだと思ってました。けど、柳田[國男]さんはそれが気に入らなかったんですね」

 宮崎翁のおっしゃるのが当然だと思うのだが、気位の高い柳翁はそれを許されなかった。〔…〕

「ご自分のプライドが少しでも傷つくようなことには敏感に反応して拒否なさいました。まあぼくも当時は生意気でしたし、未熟なそれが顔に出ていたとも思いますがね」


★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話 |今村欣史 |神戸新聞総合出版センター|2017年5月|ISBN: 978-4343009500 |〇

 本書は宮崎修二朗に私淑する詩人の著者が、兵庫県の文学史関連の著書数十をもつ宮崎の「自分では書きにくいこともある貴重な証言など」の秘話を聞き取り、記録しようとしたもの。

 宮崎修二朗、1922年生まれ、95歳。神戸新聞社元出版部長・編集委員。「のじぎく文庫」を企画創設、初代編集長。宮崎の師・富田砕花、著者の師・足立巻一の話もさることながら、当方は詩人・内海信之(高校のときお会いしたことがある)、詩人・多田智満子(当方20代のとき随筆を依頼したことがある)、山本周五郎の“須磨寺夫人”、啄木の妹など、その挿話に興味が尽きない。

 さて、上掲の柳田國男(1875~1962)に嫌われたというのは、柳田の『故郷七十年』をめぐる話。神戸新聞創立60周年記念として顧問の嘉治隆一(元朝日新聞論説委員)が、兵庫県出身の柳田に回顧談の掲載を依頼したもの。

 『故郷七十年』は、神戸新聞に連載後、1959年11月のじぎく文庫から刊行され、以来、2010年同新装版、1974年朝日選書版、2016 年講談社学術文庫版など、いまも柳田研究に欠かせぬ自伝の名著として読まれている。当方が読んだのは、『柳田国男の故郷七十年』というPHP研究所版で、若い読者向けに半分程度の抄録。同書には1958年神戸新聞に連載された嘉治隆一を聞き手とした談話による自伝と紹介されている。

 柳田は起筆に際し、こう書いた。
「幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。〔…〕
幸いに時が熟したので、神戸新聞の要請をいれ、ここに『故郷七十年』を連載することにした。それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」


 36歳の宮崎は、編集局長から口述筆記の役割を指名され、嘉治隆一とともに上京する。そして上掲にあるように宮崎は柳田から「キミ勉強が足りませんね!」と叱責され、担当を拒否される。その理由は三つほど挙げられているが、それは“柳田を知りすぎたゆえの秘話”である。その場に同席した柳田の秘書の鎌田久子(のち成城大学名誉教授)は、その著者『民俗的世界の探求』のなかに書いている。

 ――この仕事の中で、唯一心にかかったのは、宮崎修二朗氏のことであった。神戸新聞編集部から選ばれ、柳田先生に関することを大変よく研究して来られた氏は、その豊かな才故に柳田先生に受け入れられず、この聞き書きの相手は、企画者嘉治隆一氏自身がつとめることになってしまったのである。〔…〕宮崎氏の文学青年としての素質が、柳田先生と一脈通じるのか、それが、かえって先生を刺激なさるのか。(本書から孫引き)

 さて、のじぎく文庫は、1958年から2017年のいまも続いている地方出版の先駆け、既刊約260冊。宮崎の企画によって創設された。

 ――世の中には、まじめにこつこつといいものを書いていながら本に出来ない人が多く、これを出版するためのシステムが「のじぎく文庫」のはず。知事ほどの人なら本を出すぐらいその気になればわけないこと。わたしは素朴な疑問を翁にぶつけてみた。
「なんで最初の本を阪本知事にされたのですか?」と。
「そりゃあ、理由がありますよ。まずは県庁の多くの人たちに会員になってもらうためでした。そしてね、給料から年間1000円の会費を天引き出来るようにしたのです」
(本書)

 そののじぎく文庫の1冊が手元にある。宮崎修二朗『ひょうご四季のうた』(1992)。当方は、宮崎は“文学散歩”というイメージがある。野田宇太郎とともに、名作の故郷を訪ねるという手法の嚆矢ではないか。本書は兵庫にまつわる詩歌約200篇を紹介したもの。

  とびらに幸田露伴の「審美の霊眼を真に具へたる人にあらざるよりは、大抵自己の影を壁上の詩に推すのみ」云々と長々引いたり、あとがきに「つづまるところ、ふるさとの歌をめぐる閑談・パッチワーク。あえて雑学風な記述法を執りましたのは、ジレッタントのコンプレックス、自嘲風照れ隠し――ご明察の通りです」と書いたり、文庫創始者ゆえ自由奔放である。久しぶりに再読して、あらためてその博覧強記に圧倒された。幾多のアンソロジーなど類書の及ぶところではない。

 それにしても、2008年に「のじぎく文庫」創刊50周年を記念する催しが神戸・元町の海文堂書店で開かれたが、文庫生みの親の宮崎に案内がなかった。「すでに点鬼簿中の人間と思われたのでしょう」と本人は語った。どこが主催したか知らないが、いかにも神戸新聞らしい話である。

武田徹★日本ノンフィクション史――ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで…………☆これはノンフィクション“論”の“史”である。

20170901

2017.09.01日本ノンフィクション史 (2)


 物語分析はノンフィクションの条件を考えるうえで、ひとつの視点を提供することができる。というのも

ノンフィクションの成立とはジャーナリズムが単独で成立するひとつの作品としての骨格を備えたこと、

その骨格を形成するものとして出来事の発生から帰結までを示す物語の文体を持ったことだ


と考えられる。

 だからこそ物語論の分析方法がノンフィクションに関する議論に応用できるのではないか。

 それならば、ジャーナリズムはいつ、どのようなかたちで物語の文体を持つようになったのか。それを検討するために、本書は「ノンフィクション」という言葉が今のように使われるようになった1970年よりも以前に、そうした物語化の源流を遡ってみたい。

――まえがき


★日本ノンフィクション史――ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで |武田徹 |中公新書|2017年3月| ISBN:9784121024275 |△

  ノンフィクションは低迷している。このあたりで一度振り返るしかないのか。たしかに著者が書いているように「ノンフィクション史」としてまとめられた本はない。ノンフィクションを概観できるものとしては、作品中心では佐藤優責任編集『現代プレミア――ノンフィクションと教養』(2009・講談社)、また年表が貴重な石井光太責任編集『ノンフィクション新世紀』(2012・河出書房新社)というムックがあるが……。

 それだけに期待が大きかったが、本書は「ノンフィクション“論”の“史”」に終始し、残念ながら「ノンフィクション史」ではない。なぜか巻末に『世界ノンフィクション全集』(1960~64・全50巻・筑摩書房)全作品リストがあり、その重要性は本書で理解したが、しかしそれが「年表」や「索引」に代わる意味があるのか、はなはだ疑問だ。

 ――ノンフィクションの歴史を書いていて、常に意識させられ続けていたのは大宅壮一の存在だった。最初は全くそのつもりはなかったのだが、本書は大宅の評伝的な性格も半ば持ってしまった。(あとがき)

 とあるように本書は大宅壮一とその一門の作家たちの活動が“史”として大きな部分を占めている。初期のノンフィクション・クラブ、東京マスコミ塾が出版社系週刊誌の興隆ともに語られ、大宅壮一ノンフィクション賞や当方もある漫画家を調べるために利用したことがある大宅壮一文庫が語られる。

 賞にしても、開高健、小学館、新潮などはスルーされ、講談社ノンフィクション賞は、例の石井光太作品にクレームをつけた野村進の問題がイントロでとりあがられているだけ。「石井光太論争」と呼ばれる論争があった、と本書では記述しているが、「論争」として広がりはなかったように思う。

 それはともかく、当方がいちばん気になったのは、『世界ノンフィクション全集』第24巻の解説での丸谷才一の発言が引用されていること。

 ――たとえば、松本清張の『日本の黒い霧』などという、小説でもなければノンフィクションでもない、調査者としての怠慢と記録者としての無責任さを小説家(?)としての想像力によって補っている本が好評を博している現状は、日本におけるノンフィクション概念の末成立と密接に結びついていることだとぼくは考えるのである。(丸谷才一)

 この丸谷説を引いて、ノンフィクションの歴史のなかで松本清張を位置づけしている文脈なのだが、果たしてそうか。これについては、先に当方のブログ(篠田一士『ノンフィクションの言語』)で詳しくふれた。

 本書の武田徹は、「ノンフィクションの方法について検討した貴重な著作である篠田一士の『ノンフィクションの言語』を道案内役としたい」として、篠田が引いた歴史書「春秋」の「經・傳」を長々と引用しながらも、篠田の『日本の黒い霧』の肯定的評価はスルーしている。“史”である以上、『日本の黒い霧』について篠田説も引用してほしかった。

 ――『日本の黒い霧』が小説への未練気をきっぱり捨て、ノンフィクション言語こそ、唯一無二の武器だと覚悟して書かれたことを意味する。
 すなわち、名実ともに、小説離れした、ノンフィクション作品が、ここに生まれたのである。〔…〕
『日本の黒い霧』が、日本のノンフィクション文学の発展のために果した意味合いの大きさ、深さを思いやるとともに、ひいては、広い視野において、日本の現代文学そのものにも、なにがしか決定的な効力をおよぼすような結果を確認することができる。
(篠田一士)
 
 以下、本書への不満を列挙する。

“生涯編集長”元木昌彦がこんなことを書いている。

 ――私の周りには私と同年代の高齢ノンフィクション・ライターがいっぱいいます。若い時は原稿料は安いけど働く雑誌はたくさんありました。〔…〕特にノンフィクションは取材費や資料代がかかります。しかも、ノンフィクションを載せる雑誌も次々に潰れ、出版社も売れないから単行本も出したがらない。〔…〕大宅壮一ノンフィクション賞をとったノンフィクション・ライターでも苦しい生活をしている人が多くて、(以下略)。(『現代の“見えざる手”――19の闇』・2017)

  こういう時代だからこそ、過去に優れた作品を書いたノンフィクション作家たちを“史”のなかで顕彰してほしかった。本書を読んでいちばんがっかりしているのは現役のノンフィクション作家たちだろう。

 せめて「選集」が出版された作家とその代表作に言及してほしかった。梶山季之、柳田邦男、沢木耕太郎の記述はあるが、大森実、開高健、内橋克人、本田靖春、本多勝一、斎藤茂男、後藤正治など。「選集」はないが、立花隆、佐野眞一など。

 さて、本書のオビに「興隆から衰退、そして新しい活路」とある。
 アカデミック・ジャーナリズムとして宮台真司、古市憲寿、開沼博をあげている。宮台は読んだことがないが、古市は『絶望の国の幸福な若者たち』『誰も戦争を教えてくれなかった』で期待し、「コメンテーターにならずに活字の世界で活躍してほしいものだ」と以前書いたが、テレビのほうへ行ってしまった。開沼博は『「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか』で刮目したが、以後ノンフィクションとしては見るべきものがない。

 「第5章 テレビの参入」では、テレビのドキュメンタリ―番組など活字ではなく映像でのノンフィクションを記述している。それはいいのだが、“史”としては、調査取材費用が賄えない出版社に代わってNHKのディレクターなどが映像作品制作とセットで紙書籍版のすぐれたノンフィクションを多く上梓した時代があったことに触れる必要がある。

  もう一つ、ノンフィクション史として取り上げなければならないのは、児童ものノンフィクションである。学校図書館に備わった宇宙、乗り物、動物、植物、スポーツ、偉人など子どもたちへ夢をいざなったノンフィクション作品群が長い間出版され続けている。最近ではISILに殺害された後藤健二の『ノンフィクションシリーズ』がある。

 柳田邦男責任編集『同時代ノンフィクション選集』では、「ノンフィクションと呼ばれる表現分野は、事件や社会問題や国際問題のドキュメント、ルポルタージュ、体験記、冒険記・探検記、紀行、伝記・自伝など範囲は広く」云々とあるが、このうち現在は伝記・自伝など「評伝」が中心になりつつある。

  これは取材費、取材時間の問題もある。が、澤康臣『グローバル・ジャーナリズム』にも提起されているが、個人情報の過剰な保護、また冤罪を訴えたり刑事手続きや裁判を検証したりすることが犯罪となってしまう刑事訴訟法「目的外使用の禁止」条項などによって、事件や社会問題のノンフィクションを書くことできなくなっていきつつある現状を指摘しなければならない。

 篠田一士は『ノンフィクションの言語』冒頭に本田靖春の「語られる言葉は私たちのものであっても、体験は私たちのものではない」というフレーズを引いている。たしかに自らの体験ではないが、自らの言葉で書くのがノンフィクションなのだろう。上掲の武田徹の「物語の文体を持ったジャーナリズム」も同じ意味だろう。

 ノンフィクションについてストイックな考えをもつ角幡唯介という大型新人の登場が2010年。アカデミック・ジャーナリズムも悪くはないが、本筋のノンフィクションの新たな書き手の登場を促すようなノンフィクション“史”を著者には期待したい。

篠田一士★ノンフィクションの言語

元木昌彦 ★現代の“見えざる手”――19の闇…………☆メディアが今しなければならないことは。

20170728

2017.07.28現代の見えざる手


  国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)が発表した昨年の「報道の自由度ランキング」では、日本は対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位だった。
 NGOは「日本の多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘している。

私は以前から、日本には「いいっ放し」の自由はあるが、真の意味での「言論の自由」はないといってきた。

なぜなら、言論の自由も、民主主義も、自分たちで勝ち取った権利ではないから、言論の自由のようなもの、民主主義のようなものがあれば国民は満足してしまうからである。
〔…〕

 ジャーナリストとして守るべきことは「権力側、攻める側にカメラを据えるな」という姿勢を崩さないことであるはずだが、そうしたイロハのイもわからないメディア人間ばかりになってきたと思わざるを得ない。

――まえがき 元木昌彦


★現代の“見えざる手”――19の闇|元木昌彦 |人間の科学新社|2017年05月 |ISBN:9784822603281 |○

 元木昌彦(1945~)といえばウエブ・マガジン「日刊サイゾー」の「元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』」を毎週読んでいる。難点をいえばだらだら長文であること(ネット上では紙の新聞・雑誌と違い字数が厳格でないので、この連載に限らないが)、また編集部の要請だろうが「巻末付録」があって若い女性や熟女のグラビア、袋とじの紹介までしていること(そういえば“ヘアヌード”という言葉を創った人だった)。

 年を取ればこうなるのかと、ちょっと残念な気がしていた。が、本書を手にとって、ビジネス情報誌「エルネオス」で「メディアを考える旅」1996年から始め20年以上にわたり230人以上の人にインタビューをしていたことを知った。さすが“生涯編集長”である。本書はそのうち19人を登場させたもの。

 以下、本書から「メディアの劣化に歯止めをかけ、今メディアがしなければいけない大切なことは何かを考えてきた」ゲストの発言を抜粋する。ゲストは生年月順に並べ替えた。

◆「共生経済」で作る新しい社会――内橋克人(1932~)
 例えば、ネットで情報を見るというのも、そういうものに振り回されないためでなければなりません。過去に書かれたものはもちろん勉強します。それは同じことを言わないために学ぶわけです。そして、自分でなければ言えないことを言う。私の場合は、戦争で私の身代わりになって死んでいった人から預かった魂のためにも、きちんと書いていこうと。だから、ウォーニングを発することをやめるわけにはいかないのです。

◆“規制の虜”が起こした人災――福島原発事故――黒川清(1936~)
 ジャーナリストは自分で精査し、個人としてどう考えるのかを発表して問題提起するべきなのに、あなたの意見はどうですかと私に聞いてくるだけ。委員長が参考人の答弁をこのように批判したと書けば、自分の責任にならないからなのです。上が皆そうだったから真似しているだけですよ。日本のジャーナリストは基本的な姿勢を教育、訓練されていない。だから問題を自分のこととして考えたり、どう行動したらいいのかが分からない。

◆アメリカがすがるワラ――安倍首相 ――内田樹(1950~)
 別に今起きていることについて「だから、こうしろ」と対案や運動方針を出せと言っているわけじゃない。「現実はこうですよ」と客観的に提示してほしいだけなんです。それが本来のメディアの仕事でしょう。でも、今の日本のメディアは現実を隠蔽して、政府広報的な「ファンタジー」を広めることを仕事だと思っている。〔…〕
 メディア凋落の最大の原因は、マスメディアに関わっている人たちの質が落ちたことです。〔…〕メディアの未来より自分の出世を考えて、権力に尻尾を振るような人間ばかりがキャリアの階梯を上り、メディアの上層を占めるようになったというだけのことです。別にジャーナリズムが政府に強権的に支配されているわけじゃない。

◆ニッポンの「貧困大国」化を止められるか――堤未果(1972?~)
 活字メディアがまだ映像メディアに上書きされていない。活字というのは映像と違って、一方的な受け身の情報ではないし、出版の世界にはまだ多様性が生きている。〔…〕ネット世代は大手メディアを鵜呑みにしなくなってきていますし、憲法というのは日常とは遠いかもしれないけれど、確実に崩れてきていることを意識している人も多い。おそらく思っている以上に危機感があると思います。メディアが一番危機感がないのではないでしょうか。

◆鳩山辞任劇と原発事故――“永続敗戦”レジーム――白井聡(1977~)
 メディアを劣化させる要素は大きく言って二つあって、一つは内部の人間の劣化。〔…〕テレビも含めた大手メディアの社長が、料亭で総理と一緒に飯を食っているなんて、あれはもう論外中の論外ですよ。そういう行動様式をとる人間が出世するような組織にすぎないのですよ。もう一つは兵糧攻めです。メディアに対する一番有効な胴喝は、空気を読んだ財界が、政権が気に入らないと思っているであろうメディアから広告を引き揚げることです。だからメディアの腐敗と言う時には、同時に財界の腐敗も言わなければいけないのです。

◆安倍首相の“駄々っ子議論”を読み解く――木村草太(1980~)
 国会議員が何か言ってきた時には、まず「放送法三条に基づくところでは権限がないと介入できないはずですが、これはいったい何法何条に基づく手続きなんですか」とメディア側は言えなければいけません。〔…〕メディアに権力が介入してくることがいかに許されてはいけないことかについては、マスメディア側の意識が低いため、そこに付け入られています。

◆高齢化と生活費で下流老人になる‼!――救貧から防貧へ――藤田孝典(1982~)
 メディア自体、市民レベルの目線から離れつつあるように思います。〔…〕地道にじっくり時間をかけて、貧困の実態を追うというのはメディアの取材体制からみても構造的にも無理になっているように思います。〔…〕若い世代の記者さんは、子供の時から努力してきて大学へ入り、さらに就職試験の難関を突破して新聞社に入ってきた方が多いですから、努力したら報われる、そういう努力至上主義の人が多い。

なお、ノンフィクションに関して引用する機会があるかもしれないので、藤田孝典へのインタビュー(2015.10)の中での元木昌彦の以下の発言を記録にとどめておきたい。

 ――私の周りには私と同年代の高齢ノンフィクション・ライターがいっぱいいます。若い時は原稿料は安いけど働く雑誌はたくさんありました。〔…〕特にノンフィクションは取材費や資料代がかかります。しかも、ノンフィクションを載せる雑誌も次々に潰れ、出版社も売れないから単行本も出したがらない。

そういうライターでも、奥さんが働いているうちは何とかなるけど、年を取って働けなくなるとあっという間に下流老人になってしまう。大きな賞である大宅壮一ノンフィクション賞をとったノンフィクション・ライターでも苦しい生活をしている人が多くて、地方にいて東京に出てくる電車賃がないという人もいます。病気をして奥さんが救急車を呼んだけど「カネがないから入院しない」と救急車を返してしまった先輩ライターもいる。
 皆でカンパをしたりしてはいますが、プライドだけは高くて(苦笑)。


国谷裕子★キャスターという仕事 …………☆日本社会で何が一番変化したかと問われると、それは「雇用」だ、と。

20170722

2017.07.22キャスターという仕事


番組を担当した四半世紀近くの間に、何が一番変化したのか。

 それは経済が最優先になり、人がコストを減らす対象とされるようになったこと。

 そして、一人ひとりが社会の動きに翻弄されやすく、自分が望む人生を歩めないかもしれないという不安を早くから抱き、自らの存在を弱く小さな存在と捉えるようになってしまったのではないかと思っていた。


 組織、社会に抗って生きることは厳しい。コンプライアンス(法令順守)、リスク管理の強化。番組でも、企業の不祥事が起きると、それらの重要さを強調してきただけに、ここで書くことにいささかの後ろめたさも感じるが、一人ひとりの個性が大切だと言いながら、組織の管理強化によって、社会全体に「不寛容な空気」が浸透していったのではないだろうか。

<クローズアップ現代>がスタートしたころと比べて、テレビ報道に対しても不寛容な空気がじわじわと浸透するのをはっきりと感じていた。


★キャスターという仕事 |国谷裕子|岩波新書|2017年1月|ISBN:9784004316367 |評価=◎おすすめ

 <クローズアップ現代> は、1993年4月から2016年3月まで23年続いたNHKの看板番組。政治、事件、国際、文化、スポーツと「テーマに聖域は設けない」番組だ。渋谷の放送センターのみならず、地域局や海外支局も含めNHKのどの部署からでも企画を提案でき、組織の力を結集した制作側にも視聴者にも魅力ある番組だった。そのクールにして熱きキャスターが国谷裕子。

――<クローズアップ現代>のキャスターを23年間続けてきて、私はテレビの報道番組で伝えることの難しさを日々実感してきた。その難しさを語るには、これまで私が様々な局面で感じてきた、テレビ報道の持つ危うさというものを語る必要がある。

 その「危うさ」を整理してみると、次の三つになる。
①「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ
②「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ
③「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ
 キャスターとして視聴者にいかに伝えるかば、この三つの危うさからどう逃れうるかにかかっている。
(本書)

 2015年暮れに、国谷は、放送時間の変更に伴い番組をリニューアルするため、キャスター契約を更新しない旨を告げられる。とっさに、ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地番組、「出家詐欺」報道など、“降板”の理由が浮かんだという。

  このうち菅官房長官へのインタビューは、2014年7月の「集団的自衛権 菅官房長官に問う」。「それはまったくない」「そこは当たらない」と木で鼻をくくったような再質問させない不遜な口調が絶好調だった時期(現在もそのスガ語は続いているが、加計学園問題で馬脚を現わし個人攻撃など下卑た“隠蔽”長官のイメージをまとうようになった)。しかし国谷は「憲法の解釈を変えることは、国のあり方を変える」と残り30秒を切っても問いつめた。これが様々なメディアで、首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされたという。
 今も昔もNHKを“国営放送”と思っている安倍官邸をNHKトップがが忖度したことは容易に想像できる。

 本書で引用しておきたいのは、「報道番組のなかでの公平公正とは何か」という部分。「個々のニュースや番組のなかで異なる見解を常に並列的に提示するのではなく、NHKの放送全体で多角的な意見を視聴者に伝えていく、というスタンスだった」。たとえば「基地問題をめぐつては、定時のニュースなどで政府の方針をたびたび伝えていれば、逆に<クローズアップ現代>で沖縄の人々の声を重点的に取り上げたとしても、公平公正を逸脱しているという指摘はNHK内からは聞こえてこなかった。NHKが取るべき公平公正な姿勢とはそういうものだと、長い間、私は理解し、仕事をしてきていた」。

 しかし公平公正のあり方に対し風向きが変わり、<クローズアップ現代>で特定秘密保護法案を一度も扱われず、安全保障関連法は参院通過後に一度取り上げられただけだったという。

 こうして国谷は2016年3月に降板する。リニューアルした<クローズアップ現代+>はNHK女子アナのきれいどころを日替わりで登場させたが、低迷し、わずか1年でさらなるリニューアルを余儀なくされた。

 さて、当方が、本書でもっとも興味を持ったのは……。
――<クローズアップ現代>のキャスターを担当してきて、日本社会で何が一番変化したと感じているのかと問われると、「雇用」が一番変化している、と答えることが多かった。(本書)

 2016年2月放送さの「広がる労働崩壊~公共サービスの担い手に何が」は、前日まで「広がる正社員ゼロ職場」という番組タイトルだったという。しかし現場の実態は、公共サービスを担う労働者は経済的に追い詰められ、労働そのものが崩壊しているのでは、という認識がスタッフに共有されていった。

さらに、国谷は、書く。
 ――非正規社員化の問題のそもそもの発端は、メディアも住民も含めた強い風、すなわち「自治体の無駄をなくせ」「非効率な業務を改革すべき」という強い風のなかで起きてきたことだ。そういう実態をきちんと踏まえた番組にすべきだと考えた。

 ――キャスターを継続し担当してきたことで生まれてきた「時間軸」からの視点によって、視点の力点、前説の力点が変化してくる。<クローズアップ現代>の歴史のなかでは、自治体の非効率性を指摘したり、経費の無駄遣いをたびたび指摘してきたことを踏まえれば、「その指摘が結果として生み出したものは何か?」という思いを忘れるわけにはいかなかった。
(本書)

 かつてNHKディレクター、プロデューサーだった川良浩和が『我々はどこへ行くのか――あるドキュメンタリストからのメッセージ』(2006)『闘うドキュメンタリー ――テレビが再び輝くために』(2009)の2冊で「NHK特集」「NHKスペシャル」1986年以降の150本のうち100本を記録している。

 これらの番組から<クローズアップ現代>は、ほぼ10年遅れでスタートし、ずっと重なっている。国谷の23年を小さな新書に閉じ込めるのはなんとももったいない。国谷裕子のクローズアップ“現代史”として刊行できないか。

 とりわけ、<クローズアップ現代>は、バブル崩壊後から竹中平蔵、内橋克人という二人のゲストが多く登場したことに本書は触れている。竹中の構造改革の悲惨な結果と内橋のthink small firstという主張。小泉内閣から安倍内閣まで、何度も取り上げられてきた日本経済、とりわけ雇用問題について、せめて1冊の本にならないかと思う。


滝鼻卓雄★記者と権力   …………☆気配りの読売元社長、ナベツネを褒めまくり。

20170720

2017.07.20記者と権力


 私にとって忘れえぬ“事件”がある。それは私が社会部長、渡邊は社長兼主筆という関係の時に起きた。湾岸戦争が本格化し、多国籍軍の侵攻が厳しさを増していたころだった。当時の社会面が「街の声」とうたって、戦禍を心配する市民の意見を集めた。

 それを読んだ渡邊は社長でありながら、何階級下か分からないが、社会部長である私に直接電話をかけてきて、「街の声」を止めろ、と怒鳴りつけてきた。理由は簡単である。

酔った人たちが集まる新橋駅前の機関車がある広場、怪しげな服装をした若者たちが渡っている渋谷スクランブル交差点、

そんな場所で集めた「街の声」は市民の意見ではない、
というのが渡邊の考え方だった。


 新聞が民意を正確にキャッチすることは、本当に難しい。「戦争か平和か」という択一的な質問をぶつける記者はいないと思うが、時代が大きく変わろうとしている時、新聞記者が民意を可能なかぎり正確に把握することは、職業上の使命であろう。

「街の声を止めろ」と怒鳴った渡邊であっても、やはり「街の声」に耳を傾けて、ニュースの価値の方向性を探っているはずである。

―― 覚書9 朝日と読売


★記者と権力|滝鼻卓雄|早川書房|2017年4月|ISBN: 9784152096807|△

 本書でもっとも面白かった一節が上掲。

 著者が社会部長、渡邊は社長兼主筆時に湾岸戦争が本格化とあるから、1991年のことと思われる。社長になりたてのナベツネは紙面をすみずみまで目を通していて、気に入らぬことがあれば怒鳴りつけていたことが分かる。このころのナベツネは、まだ鋭いジャーナリストだったのだ。新橋や渋谷が“街の声”というのはせいぜいワイドショーの仕事で、渡邊がワンパターンの記事を叱るのは当然である。

 著者の滝鼻卓雄は、社会部出身で司法記者を長く、やがて社長・会長を10年務める。上掲を読めばわかるが、この程度の“感想”を書くところから、記者としてよりもサラリーマンとして優秀だったように思われる。

 「私も含めて近年のジャーナリストは、プライバシーなどの基本的人権の尊重や個人情報の保護といった“建前”だけにこだわりすぎて、“建前”を理由にして、真実への接近を怠っているのではないか。あるいは“建前”を口実にして、書かなければならないことを書いていないのではないか」

 と、わざわざ30年来の知り合いの著名弁護士に訊くのである。弁護士の答えは省略するが、自分の考えを書かずに他人の主張を引き出すのは「自分の責任にはならない」という記者根性である。あなたはジャーナリストで、専門だろう。単なるインタビュアーかと言いたくなる。(「覚書5 書くことと書かないこと」)。

 「覚書9 朝日と読売」では、読売の好きな“朝・読”比較である。朝日には“おれこそは”と言い張るスター記者が多いとしたうえで、東電吉田調書報道取り消し事件での朝日の記者体質を批判する。また尊敬する記者として疋田桂一郎と深代惇郎をあげる。そこまではいいのだが、さて、読売にも一人だけ“スター記者”がいる、として30年以上上司・部下の関係だった渡邊恒雄をあげる。以下、朝日の疋田と深代をまくらに使ったかのようにナベツネ褒めまくりである。

 『記者と権力』というタイトルはすごいが、凄腕記者のイメージはなく、全編気配りの人という印象だった。

 そういえば、安倍首相が「憲法改正に関する私の考えは読売のインタビュー記事(2017.5.3)を読んでほしい」と、国会で発言し物議をかもした。この記事で政治部長は「社長賞」(副賞100万円)をもらったそうである。

 また前文部科学事務次官が、安倍首相のお友だちである加計孝太郎の加計学園獣医学部新設問題で、官邸に楯突いたら、読売は社会面で大々的に前川次官は“出会い系バー”に出入りしていたと報じて、官邸の印象操作に加担した。政治部が官邸にべったりは、朝日でも菅直人時代にあったが、社会部が従順というのは読売ならではである。

 かつて読売社会部で活躍した本田靖春(1933~2004)は、朝日の深代惇郎とは同じ時期に警察担当だった。「組織が大きくなればなるほど、個が強くならなければならない。〔略〕かつて、社会部では噛みつくことがよしとされた。噛みつくというのは、弱者である若手が、自分よりも強い上位者に向かって、非を鳴らすことである。社会部で最も忌み嫌われたのは、ごますりであった」と書き残している。

 首相の指南役を自称するナベツネの読売らしく、政治部長も社会部長もナベツネに従順である。いずれ本書の著者のように社長になるのかも知れない。


高橋輝次★編集者の生きた空間――東京・神戸の文芸史探検 …………☆小寺正三の女弟子

20170618

編集者の生きた空間


「この文章を筐底に蔵して、私はあと幾許を生きることか。とても畏れがあり、他人には見せられない。ご遺族にも一入に恐懼で、今なお心が揺れ止まないのである」と。

 最後に、それでも「さすがに文字の老化は醜く、やはり活字にしておきたい。心を許せる友の二人か三人かには、密かに贈りたい。

今の私の齢にちなみ、八十五部の限定を、依頼しょうか。

その殆んどは残冊となり、いつの日か、市役所の燃えるごみ収集の車に積まれて、灰となるであろう
」と結んでいる。

 これを読んで、私は奥付表示がない理由が何となく分ったように思った。それでも加藤さんは師との交流を通して御自分が懸命に生きた証を活字に刻みつけて遺したかったのであろう。いわばこれも文学者の業のようなものではなかろうか。

――第2 1章 ある女性文学者の、師への類まれなる献身――小寺正三氏と加藤とみ子さんの深い交流


★編集者の生きた空間――東京・神戸の文芸史探検 |高橋輝次 |論創社 |2017年5月 |ISBN: 9784846015961 |〇

 古本との出逢いを通して、東京・神戸の編集者たちや無名に近い作家たちを甦らせる。
 著者高橋輝次は、1946年生まれの元編集者。『ぼくの古本探検記』など古書に関する多くの著作がある。

 第1部・編集部の豊穣なる空間では「第三次『三田文学』編集部の面々――山川方夫と四人の仲間たち」など、第2部・編集者の喜怒哀楽では「弥生書房、女性社長の自伝を読む――津曲篤子『夢よ消えないで』から」など、第3部・神戸文芸史探検では「戦後神戸の詩誌『航海表』の編集者とその同人たち」など、全22章。

 上掲の小寺正三(1914~1995)の名は記憶にある。多田道太郎『新選俳句歳時記』で「俳句と川柳の間の敷居をカルークまたいで渡った小寺さん」と紹介されていた。本書によれば、豊中で古書店閑古堂を営みつつ「大阪作家」、「俳句公論」等を発行し、自らの句集、小説集を持つ俳人である。

 小寺正三は平成7年に81歳で亡くなった。その2年後、小寺を敬愛する晩年の弟子加藤とみ子は、柚木ふみ子名義で『天のシナリオ』という回想記を自費出版する。小寺家を思いばかって人物は仮名に、著者名も別の筆名にしている。そのあとがきの一部が上掲で、読んでみたいが、入手は困難である。著者はブックオフの100円コーナーで手に取り、小寺がモデルだと気づく。

加藤とみ子(1911~2010)は、18歳で結婚、夫の出征、幼い息子の病死、商家の倒産、1978年夫の病死後、それまでの歌集、詩集に加え、同人誌で小説など発表、小寺の知遇を得る。実家の遺産分配で得た金を小寺の「俳句公論」に貢ぎはじめる。10冊近い自費出版の著書をもつ。

 ――子も孫もなく、「文学」の他に何の生きがいもない彼女は、「俳句公論」社をお社とみなし、毎月、そのお神体への貢ぎを始める。〔…〕

「総合文芸誌の経常は、一個人で賄えるしごとでは絶対ないのである。先生を底抜けの愚者とはいわないで戴きたい。それくらい純粋な大犠牲は、地方の私共無名作家をいか程満たし温めたことか。魂の贈りものは万金に換えられない。私にとっても、わが人生にこよなき宝を、いのちを恵んでいただいていた訳である」と。(本書)
 
 先生は「文学」の技の人でなく魂の人である、とするとみ子は小寺の文学碑を建てようと奔走したり、その善意の献身ぶりが、ときに小寺の重荷にもなる。

 「彼女の詩や書簡を読めば、その深層に恋に似た感情(プラトニック・ラヴ)が少しもなかったとは言い切れないだろう、などとつい想像してしまうのは私が俗物だからだろうか」と著者は遠慮がちに書く。

 この加藤とみ子という人は、40代のころ、関西歌壇の長老で「野崎小唄」の作詞者でもある今中楓渓に一目惚されたり……。新村出から18通の封書、127枚のはがきを貰ったり……。

 ――若い頃から中年期にかけて、年上の男性、とくに文学者や知識人を魅きつける容貌と雰囲気を備えた人だったようだ。むろん加えるに、その人間性と、文学や芸術への純粋な熱情や教護の深さが会話の端々にも表れていたからだろう。(本書)

 ついでに小寺正三の本書には掲載されていない句を10句ほど……。 

秋風に首吊りという既製服
上手より下手に俳味が根深汁
年の暮眼鏡はどこだ返事しろ
木の芽和有季定型然として
老い老いて足袋潔白に冴えにけり

野や枯色母枯色に死にゆけり
ひと去るやひとの匂ひは枯草に
ふるさとにただ親しきは茄子の紺
放蕩の夜のむなしさよ落花生
廓町いでゝ旧師に目礼す


01ジャーナリスト魂・編集者萌え│T版 2016年1月~3月★危険地報道を考えるジャーナリストの会:編

20160401

01ジャーナリスト魂・編集者萌え
★危険地報道を考えるジャーナリストの会・編│ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか


情報の空白は、国策を誤らせることにつながる。

情報の入りにくい「危険地」を取材するジャーナリストをもつことは、国民の利益、すなわち真の意味での「国益」につながっていると言えるのではないか。
(高世仁)

★危険地報道を考えるジャーナリストの会・編│ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか│○2015.12



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日本で、そして世界で起こる大事件、大災害、紛争、戦争を、報道機関は取材して伝えなければならない。そのために報道機関は存在するのである。(石丸次郎)『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』
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ジャーナリストという仕事は、本人が生活の糧を得る“生業”の一つ。そこには野次馬根性、好奇心、功名心、自己顕示欲、金銭欲もある。その一方で「戦争などで苦しむ民衆の惨状を伝えることになり、またそれが虐殺など惨劇を止める抑止力になる」ことに少しでも貢献できればうれしい。(土井敏邦)『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』。
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危険地域へ行くべきでないという世論、政府の報道統制、メディアの萎縮。それでも『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』と石丸次郎・川上泰徳・横田徹・玉本英子・及川仁・内藤正彦・前世仁・細井健陽・高橋邦典・上井敏邦の10氏、名前を記して、エール。
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01ジャーナリスト魂・編集者萌え│T版 2015年12月

20151231

01ジャーナリスト魂・編集者萌え
★松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』

世論を喚起する訴求力を備えた“人間メディア”たる橋下は、世の中に鬱積していたマスメディア不信をバックに、鋭い刃を向けてきた。
★松本創『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』◎2015

『誰が「橋下徹」をつくったか』は、メディアを思うまま操る橋下徹と、橋下に操られる大阪の新聞、テレビとを批判する。内田樹をはじめ100人の学者が大阪都構想に反対しても、市民は耳を傾けなかった。当方は、こうなれば特別区と“都”への膨大な経費負担で破産する大阪の姿を見たい気もする。
**
『誰が「橋下徹」をつくったか』。市長の橋下は、朝夕の登退庁時にぶらさがり取材に応ずる形式で記者会見し、これは任意なので気に入らないことがあると、その社の質問は許さないし、固有名詞入りで罵倒したりする。記者クラブの弊害が問われて久しいが、そのデメリットを上回る権力者が取り行う会見の恐ろしさである。



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