早瀬圭一◆老いぼれ記者魂――青山学院春木教授事件45年目の結末  …………☆興味を引くほどの魅力ある加害者・被害者ではないのに、なぜ追うのか。

20180607

2018.06.07老いぼれ記者魂


事件は最高裁まで争われ、石川〔達三〕さんの連載が始まる前年、昭和53年(1978) 7月12日に春木元教授の懲役3年の実刑が確定し、一応、決着していた。

 入手した資料を前に、現役記者のころから心の片隅に引っかかっていた春木教授事件に対する思いが、私のなかで膨らんでいった。 

 だが、都心の有名大学を舞台にしたこの事件の裏には、被害者とされる女子学生の不可解な言動や教授間の派閥争い、のちに「地上げの帝王」と呼ばれた不動産業者などが蠢いており、

複雑怪奇そのものであった。


 入手した資料を前に、現役記者のころから心の片隅に引っかかっていた春木教授事件に対する思いが、私のなかで膨らんでいった。


◆老いぼれ記者魂――青山学院春木教授事件45年目の結末 |早瀬圭一 |2018年3月|幻戯書房|ISBN:9784864881418|○

  1973年3月20日の朝日新聞を要約すれば、こういう事件である。
 青山学院大学法学部教授春木猛(63)が、教え子の同学部4年生T子さん(24)を研究室などに連れこんで2度も暴行していたことが被害者の訴えで明らかになり、逮捕された。教授は「女性の方からさそわれた」などと供述している。

後追いをした毎日新聞記者の早瀬は、不自然なものを感じる。著者をはじめ3人の「サンデー毎日」記者が登場する。

 早瀬圭一(1937~)。1961年毎日新聞入社、編集委員など。なんと懐かしいお名前である。当方が読むのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の『長い命のために』(1981)以来である。
 事件の2年後、早瀬は「サンデー毎日」に移り、石川達三に春木事件の執筆を依頼、1979年に『七人の敵がいた』の連載が始まる。

 鳥井守幸(1932~)。1954年毎日新聞社入社。論説委員など。1980年、「サンデー毎日」編集長として特別取材班を結成し、連続7週で組んだ特集「事件1年目の暗部摘出! 春木青山学院大教授事件女子大生暴行7つの疑惑」を掲載。
 1981年、満期出所の春木の独占インタビュー2週連続掲載。「青学大事件春木元教授71歳慟哭の叫び」「あと20年は生きて無罪を証明する。私はこうして女子大生に暴行犯にされた」。
 その後も再審請求弁護団結成に関与する。 
 
 野村明大(1949~)1974年毎日新聞社入社。「サンデー毎日」編集部、情報調査部編集委員など。
 1990年4月「サンデー毎日」に「『青学・春木教授事件』で驚愕の新事実‼!」の記事を執筆。
 2015年、体調を崩し、自ら著作予定だった事件関係の「最高裁上告棄却全文」「検察告訴文に対する春木反論」「青学法学部側面史」などおびただしい数の資料を、早瀬に提供。

 2015年、早瀬は事件の洗い直しを始める。42年前の事件であり、早瀬77歳である。

 実は当方の興味は、春木教授や教え子T子にはない。どちらが加害者か被害者か分からないが、興味を引くほどの魅力ある人物ではない。
 3人の「サンデー毎日」記者が、春木事件になぜこれほど興味を示すのか。ジャーナリストが追うべき事件は多発していたのに。

 事件のあった1973年は、為替変動相場制に移行、アメリカ軍南ベトナムから撤退、日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件、金大中事件、第4次中東戦争でオイルショックと国際的な事件が多発した。翌1974年は、小野田寛郎陸少尉ルバング島から帰還、ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任、ソウルで朴大統領狙撃事件、丸の内三菱重工爆破事件、金脈問題で田中角栄首相辞任と続く。

 いやいや春木事件と似たような男女関係、女子大生の事件もあった。
 タイ・チェンマイで地元の若い娘7人の人身売買で玉本敏夫逮捕。全国で43件のコインロッカー乳幼児遺棄事件が発生。女子大生ホステスが小遣いせびる同棲男に殺され女子大生亡国論が再燃。そして立教大学助教授大場啓仁が不倫関係にあった教え子を殺害後一家心中という事件もあった。

 著者を含め3人のジャーナリストなぜ春木事件になぜ憑かれたように取材するのか。

第1に、判決への疑問であったと思われる。
 強制猥褻、強姦致傷として懲役3年、執行猶予なし。重すぎるのではないか。もしかして冤罪ではないのか。

 例えば、T子は春木に“暴行”されて数日後に「親愛なる」と書き添えたバレンタインのチョコレートを届けている。また春木が逮捕されたとき、刑事の手元には、告訴状、上申書、医師の診断書2通、破かれた女性の下着類が揃えられていた。なぜこんなに早く、誰が準備したのか。疑問が山積している。

 第2に、多彩な顔ぶれの人物たちがかかわっていたからだと思われる。のちに「地上げの帝王」と呼ばれた不動産業の早坂大吉。その内縁の妻、銀座の安達洋子ママ。後藤田正晴官房副長官。中尾栄一代議士。取材側では、作家石川達三、国際ジャーナリスト大森実。伝説のレストラン「キャンティ」や多数の有名人が登場する。事件を取り巻く話題の切り口が多数ある。

 第3に、「暴行事件」の裏に別の大きな事件が隠れているのではという“ジャーナリスト魂”ではないかと思われる。
 青学の学長、院長、理事長で絶大な権力をもち大木金次郎のもとで、新設する国際部のキャンパス用地取得の問題があったこと。法学部では反春木派のK教授たちが大木体制打破を画策していたこと。不動産業早坂太吉の娘の家庭教師がT子であり、二人は特別な関係にあったこと。その早坂経営のクラブをK教授たちがしばしば利用していたこと。

 謎は深まるばかりだが、著者は「春木事件45年目の答」を記述するに至る。春木猛(1909~1994)は失意のうちに亡くなっているが、早瀬はついにT子(1948~)69歳を発見し、電話で取材する。

 ――「私はもう七十代の後半です。あなたの一回り近く上です。そろそろ死んでもおかしくない歳です。その晩節に、私なりに春木事件の決着をつけたいのです」
「それがあなたの記者魂ですか」
(本書)

 早瀬は2016年、一気に16万字(400字詰め400枚)の第1稿を書き上げる。すさまじいジャーナリスト魂にただただ脱帽する。



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橘 玲◆80’s ――ある80年代の物語 …………☆本は作れば売れる時代の編集者による上司、同僚の“イタい”回想

20180521

2018.05.21-80S


 ぼくたちがつくっていたムックは、最初は流行に敏感な一部の若者が知っているだけだったが、その頃には全国の書店にコーナーができるまでになっていた。

 80年代は出版業がいちばん勢いがあった時代で、大手出版社の新雑誌創刊はひとつの「事件」だった――いまは誰も気にもとめないだろうけど。任天堂の「スーパーマリオ」が爆発的にヒットして社会現象になったのは1985年で、そこから続々とゲーム雑誌と攻略本がつくられた。

 通勤電車のなかではみんなマンガや週刊誌、ビジネス書や文庫本を読んでいたし、「アイドルブーム」や「サブカルブーム」も雑誌が牽引していた。

 インターネットでみんながやっているようなことが、ぜんぶ「出版」の領域だったのだ。


 そんな恵まれた環境のなかで、「本はつくれば売れるもの」という感覚で仕事をしていた。


◆80’s ――ある80年代の物語 |橘 玲|2018年1月|太田出版|ISBN:9784778316143|△

 橘玲(たちばなあきら)は1959年生まれ、本名非公開の作家。以前、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(2015)を手にしたが、“ブックガイド本”でなかったのにはがっかり。が、今回もタイトルに魅かれ『80’s ――ある80年代の物語』を手にした。

「80’s」とは、大学を卒業した1982年からオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた1995年まで、「この『長い80年代』がぼくの青春だった」と書いている。

 その時代の回想録だが、執筆の意図がよく分からない。出版業界で過ごした自らの青春時代をやや感傷的に記録したものだが、「あとがき」に、

 ――本文に登場する人名は、実名、仮名、イニシャルをとくに断りなく使っている。ぼくのなかではそのようにする必然性がある〔…〕

 云々とあり、人名だけでなく、出版社名、出版物名も同様の扱いをしている。「知る人ぞ知る」かもしれないが、その区別の理由が当方には分からず、“伏字”でなければ80年代のサブカル雑誌など出版界の貴重な証言となったのにと、やや不満。

 上掲に「80年代は出版業がいちばん勢いがあった時代」、「大手出版社の新雑誌創刊はひとつの『事件』だった」とある。
 ゲーム雑誌のブームは知らないが、80年代は写真週刊誌の時代だった。

 新潮社『FOCUS』(1981~2001)、講談社『FRIDAY』(1984~)、文藝春秋 『Emma』(1985~1987)、小学館『TOUCH』(1986~1989)、光文社『FLASH』(1986~)。1986年ビートたけしや軍団ら12名が『FRIDAY』編集部を襲撃した事件があり、これを契機に写真週刊誌の売れ行きが下降する。

 当方の記憶によれば、70年代は雑誌の時代、とりわけサブカル・ミニコミ誌の時代だった。

 矢崎泰久・和田誠の『話の特集』(1965~1995)、梶山季之の『噂』(1971~1974)、佐藤嘉尚の『面白半分』(1971~1980)、萩原朔美・高橋章子の『ビックリハウス』(1975~1985)、天野祐吉の『広告批評』(1979~2009)、岡留安則の『噂の真相』(1979~2004)。
 ついでながら本書には「知らないひともいるかもしれないが、『噂の真相』というのは有名な反権力のスキャンダル雑誌だった」という記述がある。もはや注釈が必要なほど忘れられたのか。

 そして現在も続いているのは篠田博之の『創』(1971~)、椎名誠・目黒孝二らが創刊した『本の雑誌』(1976~)のみである。

 ところで、同じ時期の植草甚一責任編集の大型グラフ誌『ワンダーランド』(1973)は、世界文化社に誌名登録されており、第3号から『宝島』と名を変えた。この後にJICC出版局=宝島社に譲渡され、判型やコンセプトを幾度か変える。

 この宝島社で、著者はフリーランスなのに正規社員の部下を何人ももって『別冊宝島』(上掲の「ぼくたちがつくっていたムック」)や『宝島30』編集長を務めていたようだ。

 当方は“1テーマ・1ブック”で岩波新書をよく買ったが、『別冊宝島』も重宝した。『宝島30』創刊号(1993)はいま手元にあるが、「ビートたけし、差別・暴力・家族を語る(聞き手・吉田司)」がトップ記事、総合雑誌のおもむきで中堅・新鋭の論客たちが執筆し、まじめな誌面構成だが、おそらく売れなかっただろうと思われる。

 当方が興味を持ったのは、元平凡社の嵐山光三郎らが創刊した『DoLive』という月刊誌の発行元の青人社を、海外宝くじ事業で成功した著者の元上司が買収する話。嵐山『昭和出版残侠伝』(2006)に創刊事情は詳しいが、ここでは倒産、廃刊事情をもっと知りたかった。

 この元上司をふくめ最初の出版社の社長と二人の上司は、それぞれ“事件”を起こし逮捕される。また同僚のエピソードが多く語られている。著者が「ぼくの記憶のなかの物語」であって「ぼくが出会ったひとには異なる物語があるだろう」と言い訳めいた言葉を記している。それは上司、同僚たちの思い出がマイナス・イメージで書かれているためだろう。

 たとえばW・P・マッギヴァーンの『緊急深夜版』を読めと勧めてくれた同期入社の友人のことをオチをつけるように“金儲けの話”ばかりするようになったと揶揄する。また、家族ぐるみの付き合いだった元同僚に会ったら、別れた彼女の悪口やタクシーの乗り逃げ話を得意そうに話したとか。
記憶に残るのはマイナス・イメージの多いから仮名、イニシャルにせざるを得なかった80年代だったようだ。

 ――ぼくが社会人になってはじめて出会った三人に共通するのは、メインストリームでは生きられないことと、成功への執着ではないだろうか。それを、夢という言葉に置き換えでもいい。夢をもつことはたしかに素晴らしいが、それは人生を蝕んでもいく。

 ――振り返ってみれば、バカな頃がいちばん面白かった。だけど、ひとはいつまでもバカではいられない。そういうことなのだろう。
(本書)

望月衣塑子◆新聞記者 ……☆菅義偉“隠蔽”長官は実に“姑息な男”だと露呈させた

20180517

2018.05.17新聞記者


 さらに、事前に質問を渡すことも本格化しているように思える。この手法は以前からあり、官房長官会見に限らないが、最近は菅長官が手元のペーパーを見ながら答えることがほとんどになってきた。これをシャンシャン会見といわずになんというのか。

 以前私は、前川前事務次官に対する「教育者としてあるまじき行為……」という非難の言葉までも菅氏が下を向いて発していたので、思わずこう聞いてしまった。

「事前に準備されたペーパーを読み上げているのですか」

 すると菅氏が怒りをあらわにこういった。
「あなたにそんなことを答える必要はない!」


 このごろは最初から手を上げてもぜんぜん指名してもらえない。挙手しているのが私しかいなくなると、やっと当てられるという状況だ。


◆新聞記者 |望月衣塑子|2017年10月|KADOKAWA|ISBN:9784040821917|○

 著者望月衣塑子(いそこ)は、1975年生まれの東京新聞社会部記者。

 望月記者は、2017年4月から森友・加計問題の取材チームの一員として活動。首相官邸のHPで、菅義偉官房長官の定例会見の映像をチェックしてみるが、「なぜかだれも突っ込まない」ので、「これはもう、自分が出たほうがいいんじゃないか」と出席し始める。

 菅官房長官の定例会見は原則として月曜日から金曜日までの午前11時から、午後4時から の1日2回、首相官邸1階の記者会見室で行われる。内閣記者会は官邸番や長官番など常駐する政治部記者が中心で、約10分程度の型どおりの会見(その後、長官番による囲み取材=オフコンが約3分、ここで番記者は情報のニュアンスや真意を嗅ぎとる)。
 
 この長官会見で望月記者は一躍脚光を浴びる。
 それは何度も質問し「同趣旨の質問はお控え下さい」と事務方に注意され、「きちんとした回答をいただけていると思わないので、繰り返し聞いています」というやり取りが、これまでの会見では前例がなかったことによる。望月記者の質問が23回、会見時問は37分を超えたこともあるという。

 上掲は、前川喜平文科省前次官が、「加計問題」に関し、「公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」など一連の発言に、危機を感じた菅長官による前川個人攻撃発言の一つ。前川次官が出会い系バーに出入りしていたという安倍官邸からのリークを、読売新聞文科省担当の女性記者が大々的に報じた記事に関するもの。菅長官に個人的な見解まで文書にしたためそれを読んでいるのか問うた“爆笑”質問。

 菅長官は、文科省の天下り問題についても「前川次官は責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついていた」と下品な個人攻撃。

 さらには「加計問題」について「総理のご意向」との記載のある文科省の記録文書について、「全く、怪文書みたいな文書じゃないか。出どころも明確になっていない」と言い切った(のちに文書の存在が確認されたと釈明)。

 安倍官邸主導の政策意思決定と内閣人事局の官僚幹部人事の実行、と聞こえはいいが、“隠蔽”と“姑息”で権力を行使してきたのが菅長官である。

 しかし「官房長官の記者会見が荒れている! 東京新聞社会部の記者が繰り出す野党議員のような質問で」などと、タブロイドの夕刊紙のような構成でニュースよりもコラムの方が多い大げさな見出しの「産経ニュース」というウェブ版に記事を書く産経新聞の官邸番記者もいる。

 それはともかく、菅長官会見で望月記者が質問に入ると、進行役の事務方から「質問は簡潔にお願いします」「あと1問でお願いします」「あと1人でお願いします」を連発する。そして長官は相変わらず「承知しておりません」「そのような指摘は当たりません」「まったく問題ありません」と定型句を淡々と繰り返している。しかし……。

 ――表情をほとんど変えることなく、鉄壁ともいえるガードを見せてきた。
 しかし約3ヶ月にわたるやり取りのなかで、「安定の菅」と称賛されてきたときとは異なる、見ている人々に大きな違和感を与える別の顔を少しは導きだせたと思っているからだ。〔…〕
 その積み重ねが大きな声となり、政権を揺り動かすほどのパワーの源になる-――そう信じながら、首相官邸へ日参している。(
(本書)

 愛称なのか蔑称なのか“ガースー(菅)”と呼ばれる男。
 史上最強の官房長官との呼び声の高かった菅義偉官房長官のイメージが壊れ、その姑息な本性を露出しつつある。望月記者の貢献がまことに大である。

 ところで本書が映画化されるという話がある。それならテレビ記者にセクハラを繰り返し辞任した福田淳一“触っていい?”財務省次官、上から目線の暴言が止まらない“昭和のアナクロ爺”麻生太郎財務大臣、安倍首相の“お友だち”で準強姦罪容疑の山口敬之元TBS記者も登場させて、政治家、官僚、記者の三つ巴の戦いを戯画化してほしいものだ。当方なら、こんな場面……。

 安倍と麻生が横並びで会話している姿に「おぬしもワルだのう」と互いに言い合っているセリフを入れるし、安倍と菅とがミーティングしている姿では、「あんたは姑息な男だな」と互いに腹の中で言い合っている吹き出しを入れる。
 3人に共通するのは「品位がない」ということである。だが“隠蔽”官邸によって、映画化は阻止されるだろう。

 望月記者は読売新聞へ移籍を、若くして亡くなられた父の「(政権寄りの)読売だけは嫌なんだよ」の言葉でとどまったという。「新聞記者として、権力側が隠そうとしていることが何かを常に探り、それらを明るみに出すことをテーマにしてきた」という望月記者の応援団は増え続けるだろう。

樋田 毅◆記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実 …………☆書き残すべきことをすべて書いた、このジャーナリズム魂

20180405

2018.04.05記者襲撃


 私が度々取材した、戦前派右翼の畑時夫氏(故人)。

 中央公論社の嶋中事件でも右翼と中央公論社の仲介役として動いた老右翼が生前、にこやかに微笑みながら、達観したようにこう話していた。

「私は朝日新聞を信頼しているんですよ。戦前、平時は左翼を装っていたが、いざ国家の危急時には本来の姿を取り戻して愛国派の新聞になってくれた。

今は平和の時代。仮の姿なんだから、好きにやっていただいて構いませんよ」


 「歴史は繰り返される」という畑氏の朝日新聞に対する「予言」が当たらないことを、私は心から願っている。


◆記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実|樋田 毅|2018年2月|岩波書店|著者 9784000612487|◎=おすすめ

 ――1987年5月3日に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った目出し帽の男に襲われた。当時29歳の小尻知博記者が射殺され、当時42歳の犬飼兵衛記者が重傷を負った。この事件を含め、約3年4か月の問に計8件起きた「赤報隊」による襲撃・脅迫事件は、2003年3月にすべて公訴時効となった。(本書まえがき)

 「日本民族独立義勇軍 別働 赤報隊 一同」による「告 われわれは日本人である」から始まる最初の犯行声明文の一部。

 ――われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。
一月二四日の朝日新聞社への行動はその一歩である。
これまで反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。
特に、朝日は悪質である。
彼らを助ける者も同罪である。
 〔…〕

 著者樋田毅(ひだつよし)は、1952年生まれ、元朝日新聞記者。当該事件の起こった阪神支局にも勤務していたことがあり、当初から取材チームの一員として“見えない赤報隊”を、記者人生を賭けた使命だと実に30年にわたり追い続ける。

 その取材は、「一般的な取材ではなく、犯人を追い求める取材」であった。
 警察庁が「赤報隊事件の犯人の可能性がある」とした全国各地の右翼活動家9人をはじめ、朝日襲撃グループと同様に「赤報隊」と名乗ってい右翼団体、銃の所持者、犯行で使用されたものと同型のワープロの所持者、爆発物製造の経験者らも含まれていた。
 さらに、当時、霊感商法や国家秘密法などの報道を巡って朝日と緊張関係にあり、大規模な合同結婚式などで世間を騒がせた教団キリスト教系の新興宗教団体及び関連政治団体についても取材を進めた。

 30年間にわたる取材経過をたどり、事件の意味を改めて問い直した渾身の一書である。

 この事件の取材の悩ましさは、朝日が被害の当事者であり、取材者であったこと。兵庫県警捜査本部への情報提供は、報道機関として「取材源の秘匿」を守らなければならない。しかし捜査の第一線を離れた警察庁では、ずさんな情報管理で、朝日の提供した取材報告書が他社の記者、雑誌記者にまで出回ってしまう。
 とくに、『週刊文春』が、「戦慄スクープ朝日銃撃「赤報隊事件」絞り込まれた9人の容疑者警察庁秘密報告書」は、その多くは朝日が作成した取材報告書からの引用だったという。

 朝日としては情報を提供し、捜査の結果を待つ、という手順を踏まざるを得ない。同時に専従取材チームでは担当デスクから「お前たちは記事は書くな。刑事のように動いて、犯人を見つけろ」と指示され、「書かざる記者、書くは報告書ばかりなり」のストレスにも悩まされる。記者としての最大の苦悩であろう。

 ところで本書では、「事件経過」のみフィクション仕立てとなって、分かりやすい記述となっている。が、著者はここに“推論”を潜ませている。それは通常右翼の世界では、事件を起こした後、その身を司直に委ねるか、その場で自決するのが「美学」とされている。しかしこの犯人たちは「捕まらない方針」を貫いている。それは何故かという謎である。“推論”は、確証がないゆえの“示唆”である。

 ――秘密裏に「上部団体」と連絡を取りながら、犯行を続けていたため、事件現場などで捕まる事態になれば、その上部団体の存在が明るみに出てしまう可能性がある。そうした事態を避けなければならなかったのではないか。〔…〕一連の事件の背後の「闇」は想像以上に深く、ある種、謀略めいた臭いまで立ち込めてくる。 (本書)

 それにしても、休日の人通りの少ない町の、人の出入りの少ない建物の、常駐する記者の少ない時間帯、を選んだとしても、それがなぜ阪神支局なのかの謎は解明されない。

 本書は、政治的テロによって殺された若き記者への鎮魂の書であり、時効で逃げ切った赤報隊へ真相を語れとの呼びかけの書であり、書き残すべきことをすべて書いたジャーナリズム魂の権化の書である。そして右翼の畑時夫の上掲の発言を、ジャーナリストたちは深刻に受け止めなければならない。

涸沢純平★遅れ時計の詩人――編集工房ノア著者追悼記…………☆本は著者のものだが、制作過程で編集者の私の身体の内に入ってきて、自分のもののような錯覚に陥る。

20171120

20171120遅れ時計の詩人


清水さんと私のつき合いは、編集工房ノアで1979(昭和54)年10月に出した、『清水正一詩集』の時からだから、長い年月とはいえない。。〔…〕そんな清水さんを、私がなぜ父のように思ったか、自分でもよくわからない。〔…〕

 詩集の製作にあたって、作品の選択から配列、校正を二度、三度としていくと、本はあくまで著者のものでありながら、

親しみの湧くものほど身体の内に入ってきて、最後は他人のものとは思えない、自分のもののような錯覚に陥ったりする。


 出版というのは事業には違いないが、自分の編集しない、名のみの発行者であってみれば、喜びはなにほどのものであろうか、と思う。

 とりあえずの仕上がりの、出来たばかりの『清水正一詩集』を持って、夜、清水宅に行った。

――「遅れ時計の詩人」


★遅れ時計の詩人――編集工房ノア著者追悼記 |涸沢純平|編集工房ノア|2017年9月|
ISBN: 9784892712814 |〇

 涸沢(からさわ)純平(1946~)は、大阪の出版社編集工房ノアの社主。
 自ら編集出版に携わった港野喜代子、天野忠、富士正晴、東秀三、足立巻一、杉山平一、桑島玄二など、関西の詩人たちを追悼したエッセイをまとめたもの。2006年の還暦のとき校正刷までできていたが、出版に踏み切れずにいたものを、このほど刊行。

 編集工房ノアといえば、当方は、山田稔の数々のエッセイ集、天野忠の詩集でずいぶん至福の時間を味わった。その出版社のある大阪中津へは、一度だけ若い同僚に誘われて飲みに行ったことがある。梅田から一駅なのに、なんとも昭和の匂いを残した下町であった。そういえば本書そのものがほのぼのと昭和を感じさせる。

 上掲の清水正一という詩人は本書で初めて知った。その詩集を手に入れたいが、とりあえずネットで詩を探したら、4篇見つかった。短い詩を二つ……。

◆徒歌(はうた)
         詩をかくも残るも死ぬも縁かいな

好きなひとというものは
はやくしぬものだ と
この頃しみじみ思う
少年時代からそうだった
好きな女(ひと)の目に
とまらぬゆえ
ひょっとすると
僕は今日まで
いきられたのか


◆左岸ノ町ヘ

久シブリニふたりデ左岸ノ町(海老江)へ行ッテミタ
三十九年マエ初メテ所帯ヲモッタ
中一丁目八十番地ノ家ノ前ヲトオッタ
二階ノ窓カラ燈ガモレテイタ
――消シワスレタノハ僕トイウ気ガシタ      


 海老江や中津と淀川をはさんだ西の十三で、清水正一は蒲鉾屋を営みながら詩作をしていたという。『清水正一詩集』は67歳のときの初めての詩集である(71歳で死去後、『続・清水正一詩集』。いずれもノア刊)。

 詩人の家の掛け時計は、いつも大幅に遅れ、その遅れのままに過ごしていたという。

 ――この大幅遅れの時計が清水さんの詩であったのかも知れないと、今は思う。蒲鉾屋の時間を、詩人の時間にする時計であったのかも知れない。(本書)
 
 1985(昭和60)年に亡くなり、通夜の席で「清潔な一生だったと思います」と長男があいさつした。こんな幸せがあるだろうかと、著者は書く。

 伊賀上野で生まれ、大阪で長く暮らした清水正一の墓は、長男が住む播磨にある。その寺の墓地は、当方がいつも散歩し、ベンチで本を読む公園と隣り合わせにある。当方の納骨スペースもこの寺に確保している。なにかの縁と思い、本書に登場する多くの詩人のなかから、清水正一を紹介した。

 それにしても社主涸沢純平夫婦と編集工房ノアの世界は、暴走する維新政治やテレビ局を席巻する吉本興業がつくりだす大阪と比べ、なんとあたたかくしみじみとした大阪であることか。
 

藤井誠二★僕たちはなぜ取材するのか…………☆ノンフィクション“冬の時代”の書き手たち

20171016

20171016僕たちはなぜ取材するか


安田 いまの日本社会では、事件や事象の原因や背景が見えにくくなっています。〔…〕
いずれにしても、いまどきは事件ものの取材や執筆は苦労をするよね。そこにはかならずのっぴきならない事情も、情念も、愛憎もあるはずなんだけど、簡単には姿を見せてくれない。

藤井 そう思うな、僕も。〔…〕

 検察官の起訴状も判決も、明確な「動機」というものが書けていないことが多い。わからないから、書けないんだよね。
 
〔…〕たとえば「キモイと言われて激しい殺意を覚えたのである」なんて整合性の乏しい事件のストーリーは、検事も判事も書きにくい。

 もともとは、まともな人間がなんらかのひどい環境に置かれて犯罪を犯す。そんな性善説的な見立てが刑事事件ではなされてきたと思う。

 けれど、この十数年は脳の気質からくる障害や、精神病質、反社会性人格障害といったことが原因で社会になじめず、コミュニケーションが取れず、問題が生じる場合もあるという見方が、とくに刑事弁護の主張では主流になってきている。

――安田浩一・藤井誠二 「なぜ人がやりたからない取材対象を選ぶのか」


★僕たちはなぜ取材するのか |藤井誠二:編著 |皓星社|2017年8月|ISBN: 9784774406374|〇

 ――あらゆる表現行為は、「取材」を欠かすことができない。図書館やインターネットで書物や資料(史料) にあたったり、くわしい人に話を聞いたり、実地を踏んだり……。人それぞれの取材スタイルがある。(本書)

 そこで同業者が新作を出すタイミングで藤井がインタビューを重ねてきたのが本書。中原一歩、上原善広、安田浩一、尹雄大、土方宏史、森達也、という顔ぶれ。

 当方がとくに興味をもったのは、安田浩一。『ネットと愛国──在特会の「闇」を追いかけて』の著者である。

 佐野眞一ファンである藤井と、人間的にも佐野を尊敬している安田(佐野のデータマンとしていたことがある)とが、「週刊朝日」の「ハシシタ 奴の本性」連載中止騒動について語る。被害者や加害者が在日コリアン、被差別部落の人間だった場合、そこに大きな「物語」があるに違いないという強烈な思い込みが、ライター全般にあり、佐野にもある。そのうえで佐野は結果的に被差別部落への偏見をあおってしまった、と。

 上掲の発言の前段で安田はこういう。

 ――犯罪報道も事件ものも、団塊世代のライターが手掛けてきた作品の多くには、貧困と差別が欠かせない要素として存在した。それは当然だったとも言えるでしょう。時代が、社会が、まさにわかりやすい形で犯罪を作り出してきた。そして、それを描いた作品はおもしろかった。
殺す理由や殺される理由のなかに「時代の悲鳴」が響いていた。事件を紐解いていけば、社会の断層が見えてくる。そこからさまざまな物語が生まれていく。


 ノンフィクション“冬の時代”の安田の発言も記憶にとどめておきたい。

  ――廃業する同業者があとを絶たないのも当然です。僕も金の面ではつねに不安を抱えている。それに、僕は本当に人間が怖いし、話をするのも苦手です。臆病で卑屈な人間です。
それでもやはり、取材は楽しい。知ること、発見することの楽しさがあるからこそ、どんなに割の合わない商売であっても、ライターを続けている。取材現場で感じる不安や葛藤も記録として残しておきたい。
(本書)

 森達也は「取材とはつねに残酷で私的なものである」のなかで、いつものようにぶれない次の発言がある。

 ――ドキユンタリーの一般的な定義は、事実をありのままに脚色や演出もないまま撮った映像、ということになるようです。『広辞苑』(岩波書店) でもそのように書かれています。でも、それは違う。
だってこの定義は、極端に言えば監視カメラの映像です。取材や撮影する側の意思が反映されていないのなら、少なくともそれは作品でもないし表現でもない。〔…〕
そんなつまらないジャンルを仕事に選んだつもりはありません。僕は記録する人ではなくて、状況を演出して撮ったり善いたりする人です。
(本書)

 中原一歩は、「ノンフィクションで『食』を記述する方法」のなかで、料理について「うまい」「まずい」と勝手に感想を書いたネットのレビューが影響力を持つことについて、「そんな情報の前に、その一皿の料理ができるまでの物語だとか作り手の人生など、そういったものが全部なかったことにされてしまう」と嘆く。

 その中原は、銀座「てんぷら近藤」の近藤文夫を取材した『最後の職人』(2013)での裏話を詳細に語る。その取材に費やした膨大な時間と金を知ると、ほんとうに驚く。

 で、思うのは、“書評”についてである。当方は、読んだ本の中から“気になるフレーズ”を探し出すのを趣味としている。書籍は商品であり、購入したものを消費者として評価するのは当然のこと、と思っていた。

 しかし一冊の本ができるまでの中原一歩の取材方法を知り、かつて嵐山光三郎が『ぼくの交遊録的読書術』で「新刊書評にとりあげるならば、ほめろ。けなすのならば取りあげるな」と書いていた(新刊とあるのがミソだが)。それがやっと理解でき、少し反省した。

 なお各人の「私が影響を受けた10作品」というリストが掲載されている。

藤井誠二・普久原朝充・仲村清司■ 沖縄 オトナの社会見学R18
中原一歩★私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝
上原善広●日本の路地を旅する
安田浩一▼ネットと愛国──在特会の「闇」を追いかけて
東海テレビ取材班★ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか
森達也◎A3

堂場瞬一★社長室の冬v.s本城雅人★紙の城…………☆IT企業による新聞社買収騒動の2作品

20171009

20171009社長室の冬・紙の城


 もちろんアーカイブ、データベースとしては残るにしても、デジタルの文章には「質感」がない。単なるデータの羅列だ。

刷り上がったばかりの新聞のインクの香りと紙の温もりは、「仕事をした」という充実感を与えてくれる


ーー自分は古いタイプの記者なのだろうか、と南は訝った。

★社長室の冬 |堂場瞬一


一番大事なのは紙とかネットというフォーマットの問題ではないと思っています。

これだけネットで情報が氾濫しても、一次情報を発信しているのは現場に出ている記者です。その記者を未来に存続させるためにも、新聞社はどんな形であれ生き残っていかないといけない、

今はそう思っています。

★紙の城|本城雅人


★社長室の冬 |堂場瞬一 |集英社 | 2016年12月|ISBN:9784087754339 |〇★紙の城 |本城雅人 |講談社|2016年10月|ISBN:9784062203302|〇

 IT企業による新聞社買収騒動を描いた2作である。

 堂場瞬一『社長室の冬』は、日本新報(300万部)の社長室の記者・南康祐が主人公。外資系IT企業との売却交渉を社長のもとで務める。同期は見切りをつけてやめていく。交渉相手は、AMCジャパン社長青井聡太。かつて日本新報にいた男。メディア・コングロマットAMCのアリッサ・デリードCEO。同社から派遣されたマネージャー高島亜都子。買収に反対するは、個人筆頭株主・長澤英昭、党政調会長・三池高志。

 本城雅人『紙の城』は、東洋新聞(200万部)の社会部デスク・安芸稔彦が主人公。パソコン音痴で、飲み会の店も足で探す昔ながらの新聞記者。後輩の尾崎毅、霧嶋ひかりを従え買収阻止に動く。交渉相手はIT企業インアクティヴの戦略室長・権藤正隆。かつて東洋新聞記者だった男。ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送との買収事件をヒントにしたような部分もあり、アーバンテレビの吉良会長、IT企業インアクティヴの轟木太一、そして黒幕にITカリスマ経営者ニューマーケットインク会長・米津訓臣。

 この2作には、共通点が多い。①大手新聞社対IT企業の買収交渉。②主人公は新聞記者。③その新聞社の元記者がIT企業に。④結末が同じ。⑤しかも作者は元新聞記者。

堂場瞬一・1963年生まれ・2001年デビュー・元読売新聞記者
本城雅人・1965年生まれ・2009年デビュー・元産経新聞サンケイスポーツ記者

 ――「誤報を書けば、すぐにネットで叩かれる。内容を検証しょうという人間も出てくるだろう。私が記者をやっていた頃は、そういうことはなかった。せいぜい社内で問題になるぐらいで、訂正記事なりお詫びなりを書いて終わりだった。その程度で済んでいたのは、今と違って、新聞を批判するメディアがなかったからだろうな。雑誌はよく新聞の悪口を書いていたけど、そんなものはコップの中の嵐だ。とにかく、ネットの出現がメディアの構造を変えた……私は、こんな風になる前の時代が懐かしいよ」(社長室の冬)

 ――「私にとっての新聞は、読者にとって興味がなかったものも、知らず知らずのうちに目に入って、読んでもらうことができる知識を広めるための道具です。
 ネットはそうではありません。記事も広告も、自分が好きなものだけを機械が選び、勝手に画面に出てくるわけですから」
(紙の城)

 さて、買収は成立せず新聞社は大きなダメージと改革の嵐が待っているという“予定調和”的結末。買収成立では、その後がリアルに予測を描くことが困難ゆえか、課題を羅列して終わらざるを得ない。

 テレビで記者会見の映像が流れると、若い記者がICレコーダーを置き、モバイル・パソコンをパチパチ打っている。またウェブ版があるため24時間記事を送らねばならず、かつてのように朝刊・夕刊の締め切りに間に合わせればいい時代ではなくなった。新聞にウェブ版がある以上、新聞本体も変わらざるを得ない。

 新聞記者が主人公の小説も間もなく書かれなくなるだろう。


今村欣史★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話…………☆柳田國男『故郷七十年』はいかに生まれたか。

20171005

20171005触媒のうた

 
 柳田に嫌われたという宮崎翁。

「自伝の口述筆記というものは、ご本人が一方的にしゃべるものじゃないと思ってました。

聞き手にも質問が許され、双方の協力で進めるものだと思ってました。けど、柳田[國男]さんはそれが気に入らなかったんですね」

 宮崎翁のおっしゃるのが当然だと思うのだが、気位の高い柳翁はそれを許されなかった。〔…〕

「ご自分のプライドが少しでも傷つくようなことには敏感に反応して拒否なさいました。まあぼくも当時は生意気でしたし、未熟なそれが顔に出ていたとも思いますがね」


★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話 |今村欣史 |神戸新聞総合出版センター|2017年5月|ISBN: 978-4343009500 |〇

 本書は宮崎修二朗に私淑する詩人の著者が、兵庫県の文学史関連の著書数十をもつ宮崎の「自分では書きにくいこともある貴重な証言など」の秘話を聞き取り、記録しようとしたもの。

 宮崎修二朗、1922年生まれ、95歳。神戸新聞社元出版部長・編集委員。「のじぎく文庫」を企画創設、初代編集長。宮崎の師・富田砕花、著者の師・足立巻一の話もさることながら、当方は詩人・内海信之(高校のときお会いしたことがある)、詩人・多田智満子(当方20代のとき随筆を依頼したことがある)、山本周五郎の“須磨寺夫人”、啄木の妹など、その挿話に興味が尽きない。

 さて、上掲の柳田國男(1875~1962)に嫌われたというのは、柳田の『故郷七十年』をめぐる話。神戸新聞創立60周年記念として顧問の嘉治隆一(元朝日新聞論説委員)が、兵庫県出身の柳田に回顧談の掲載を依頼したもの。

 『故郷七十年』は、神戸新聞に連載後、1959年11月のじぎく文庫から刊行され、以来、2010年同新装版、1974年朝日選書版、2016 年講談社学術文庫版など、いまも柳田研究に欠かせぬ自伝の名著として読まれている。当方が読んだのは、『柳田国男の故郷七十年』というPHP研究所版で、若い読者向けに半分程度の抄録。同書には1958年神戸新聞に連載された嘉治隆一を聞き手とした談話による自伝と紹介されている。

 柳田は起筆に際し、こう書いた。
「幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。〔…〕
幸いに時が熟したので、神戸新聞の要請をいれ、ここに『故郷七十年』を連載することにした。それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」


 36歳の宮崎は、編集局長から口述筆記の役割を指名され、嘉治隆一とともに上京する。そして上掲にあるように宮崎は柳田から「キミ勉強が足りませんね!」と叱責され、担当を拒否される。その理由は三つほど挙げられているが、それは“柳田を知りすぎたゆえの秘話”である。その場に同席した柳田の秘書の鎌田久子(のち成城大学名誉教授)は、その著者『民俗的世界の探求』のなかに書いている。

 ――この仕事の中で、唯一心にかかったのは、宮崎修二朗氏のことであった。神戸新聞編集部から選ばれ、柳田先生に関することを大変よく研究して来られた氏は、その豊かな才故に柳田先生に受け入れられず、この聞き書きの相手は、企画者嘉治隆一氏自身がつとめることになってしまったのである。〔…〕宮崎氏の文学青年としての素質が、柳田先生と一脈通じるのか、それが、かえって先生を刺激なさるのか。(本書から孫引き)

 さて、のじぎく文庫は、1958年から2017年のいまも続いている地方出版の先駆け、既刊約260冊。宮崎の企画によって創設された。

 ――世の中には、まじめにこつこつといいものを書いていながら本に出来ない人が多く、これを出版するためのシステムが「のじぎく文庫」のはず。知事ほどの人なら本を出すぐらいその気になればわけないこと。わたしは素朴な疑問を翁にぶつけてみた。
「なんで最初の本を阪本知事にされたのですか?」と。
「そりゃあ、理由がありますよ。まずは県庁の多くの人たちに会員になってもらうためでした。そしてね、給料から年間1000円の会費を天引き出来るようにしたのです」
(本書)

 そののじぎく文庫の1冊が手元にある。宮崎修二朗『ひょうご四季のうた』(1992)。当方は、宮崎は“文学散歩”というイメージがある。野田宇太郎とともに、名作の故郷を訪ねるという手法の嚆矢ではないか。本書は兵庫にまつわる詩歌約200篇を紹介したもの。

  とびらに幸田露伴の「審美の霊眼を真に具へたる人にあらざるよりは、大抵自己の影を壁上の詩に推すのみ」云々と長々引いたり、あとがきに「つづまるところ、ふるさとの歌をめぐる閑談・パッチワーク。あえて雑学風な記述法を執りましたのは、ジレッタントのコンプレックス、自嘲風照れ隠し――ご明察の通りです」と書いたり、文庫創始者ゆえ自由奔放である。久しぶりに再読して、あらためてその博覧強記に圧倒された。幾多のアンソロジーなど類書の及ぶところではない。

 それにしても、2008年に「のじぎく文庫」創刊50周年を記念する催しが神戸・元町の海文堂書店で開かれたが、文庫生みの親の宮崎に案内がなかった。「すでに点鬼簿中の人間と思われたのでしょう」と本人は語った。どこが主催したか知らないが、いかにも神戸新聞らしい話である。

武田徹★日本ノンフィクション史――ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで…………☆これはノンフィクション“論”の“史”である。

20170901

2017.09.01日本ノンフィクション史 (2)


 物語分析はノンフィクションの条件を考えるうえで、ひとつの視点を提供することができる。というのも

ノンフィクションの成立とはジャーナリズムが単独で成立するひとつの作品としての骨格を備えたこと、

その骨格を形成するものとして出来事の発生から帰結までを示す物語の文体を持ったことだ


と考えられる。

 だからこそ物語論の分析方法がノンフィクションに関する議論に応用できるのではないか。

 それならば、ジャーナリズムはいつ、どのようなかたちで物語の文体を持つようになったのか。それを検討するために、本書は「ノンフィクション」という言葉が今のように使われるようになった1970年よりも以前に、そうした物語化の源流を遡ってみたい。

――まえがき


★日本ノンフィクション史――ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで |武田徹 |中公新書|2017年3月| ISBN:9784121024275 |△

  ノンフィクションは低迷している。このあたりで一度振り返るしかないのか。たしかに著者が書いているように「ノンフィクション史」としてまとめられた本はない。ノンフィクションを概観できるものとしては、作品中心では佐藤優責任編集『現代プレミア――ノンフィクションと教養』(2009・講談社)、また年表が貴重な石井光太責任編集『ノンフィクション新世紀』(2012・河出書房新社)というムックがあるが……。

 それだけに期待が大きかったが、本書は「ノンフィクション“論”の“史”」に終始し、残念ながら「ノンフィクション史」ではない。なぜか巻末に『世界ノンフィクション全集』(1960~64・全50巻・筑摩書房)全作品リストがあり、その重要性は本書で理解したが、しかしそれが「年表」や「索引」に代わる意味があるのか、はなはだ疑問だ。

 ――ノンフィクションの歴史を書いていて、常に意識させられ続けていたのは大宅壮一の存在だった。最初は全くそのつもりはなかったのだが、本書は大宅の評伝的な性格も半ば持ってしまった。(あとがき)

 とあるように本書は大宅壮一とその一門の作家たちの活動が“史”として大きな部分を占めている。初期のノンフィクション・クラブ、東京マスコミ塾が出版社系週刊誌の興隆ともに語られ、大宅壮一ノンフィクション賞や当方もある漫画家を調べるために利用したことがある大宅壮一文庫が語られる。

 賞にしても、開高健、小学館、新潮などはスルーされ、講談社ノンフィクション賞は、例の石井光太作品にクレームをつけた野村進の問題がイントロでとりあがられているだけ。「石井光太論争」と呼ばれる論争があった、と本書では記述しているが、「論争」として広がりはなかったように思う。

 それはともかく、当方がいちばん気になったのは、『世界ノンフィクション全集』第24巻の解説での丸谷才一の発言が引用されていること。

 ――たとえば、松本清張の『日本の黒い霧』などという、小説でもなければノンフィクションでもない、調査者としての怠慢と記録者としての無責任さを小説家(?)としての想像力によって補っている本が好評を博している現状は、日本におけるノンフィクション概念の末成立と密接に結びついていることだとぼくは考えるのである。(丸谷才一)

 この丸谷説を引いて、ノンフィクションの歴史のなかで松本清張を位置づけしている文脈なのだが、果たしてそうか。これについては、先に当方のブログ(篠田一士『ノンフィクションの言語』)で詳しくふれた。

 本書の武田徹は、「ノンフィクションの方法について検討した貴重な著作である篠田一士の『ノンフィクションの言語』を道案内役としたい」として、篠田が引いた歴史書「春秋」の「經・傳」を長々と引用しながらも、篠田の『日本の黒い霧』の肯定的評価はスルーしている。“史”である以上、『日本の黒い霧』について篠田説も引用してほしかった。

 ――『日本の黒い霧』が小説への未練気をきっぱり捨て、ノンフィクション言語こそ、唯一無二の武器だと覚悟して書かれたことを意味する。
 すなわち、名実ともに、小説離れした、ノンフィクション作品が、ここに生まれたのである。〔…〕
『日本の黒い霧』が、日本のノンフィクション文学の発展のために果した意味合いの大きさ、深さを思いやるとともに、ひいては、広い視野において、日本の現代文学そのものにも、なにがしか決定的な効力をおよぼすような結果を確認することができる。
(篠田一士)
 
 以下、本書への不満を列挙する。

“生涯編集長”元木昌彦がこんなことを書いている。

 ――私の周りには私と同年代の高齢ノンフィクション・ライターがいっぱいいます。若い時は原稿料は安いけど働く雑誌はたくさんありました。〔…〕特にノンフィクションは取材費や資料代がかかります。しかも、ノンフィクションを載せる雑誌も次々に潰れ、出版社も売れないから単行本も出したがらない。〔…〕大宅壮一ノンフィクション賞をとったノンフィクション・ライターでも苦しい生活をしている人が多くて、(以下略)。(『現代の“見えざる手”――19の闇』・2017)

  こういう時代だからこそ、過去に優れた作品を書いたノンフィクション作家たちを“史”のなかで顕彰してほしかった。本書を読んでいちばんがっかりしているのは現役のノンフィクション作家たちだろう。

 せめて「選集」が出版された作家とその代表作に言及してほしかった。梶山季之、柳田邦男、沢木耕太郎の記述はあるが、大森実、開高健、内橋克人、本田靖春、本多勝一、斎藤茂男、後藤正治など。「選集」はないが、立花隆、佐野眞一など。

 さて、本書のオビに「興隆から衰退、そして新しい活路」とある。
 アカデミック・ジャーナリズムとして宮台真司、古市憲寿、開沼博をあげている。宮台は読んだことがないが、古市は『絶望の国の幸福な若者たち』『誰も戦争を教えてくれなかった』で期待し、「コメンテーターにならずに活字の世界で活躍してほしいものだ」と以前書いたが、テレビのほうへ行ってしまった。開沼博は『「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか』で刮目したが、以後ノンフィクションとしては見るべきものがない。

 「第5章 テレビの参入」では、テレビのドキュメンタリ―番組など活字ではなく映像でのノンフィクションを記述している。それはいいのだが、“史”としては、調査取材費用が賄えない出版社に代わってNHKのディレクターなどが映像作品制作とセットで紙書籍版のすぐれたノンフィクションを多く上梓した時代があったことに触れる必要がある。

  もう一つ、ノンフィクション史として取り上げなければならないのは、児童ものノンフィクションである。学校図書館に備わった宇宙、乗り物、動物、植物、スポーツ、偉人など子どもたちへ夢をいざなったノンフィクション作品群が長い間出版され続けている。最近ではISILに殺害された後藤健二の『ノンフィクションシリーズ』がある。

 柳田邦男責任編集『同時代ノンフィクション選集』では、「ノンフィクションと呼ばれる表現分野は、事件や社会問題や国際問題のドキュメント、ルポルタージュ、体験記、冒険記・探検記、紀行、伝記・自伝など範囲は広く」云々とあるが、このうち現在は伝記・自伝など「評伝」が中心になりつつある。

  これは取材費、取材時間の問題もある。が、澤康臣『グローバル・ジャーナリズム』にも提起されているが、個人情報の過剰な保護、また冤罪を訴えたり刑事手続きや裁判を検証したりすることが犯罪となってしまう刑事訴訟法「目的外使用の禁止」条項などによって、事件や社会問題のノンフィクションを書くことできなくなっていきつつある現状を指摘しなければならない。

 篠田一士は『ノンフィクションの言語』冒頭に本田靖春の「語られる言葉は私たちのものであっても、体験は私たちのものではない」というフレーズを引いている。たしかに自らの体験ではないが、自らの言葉で書くのがノンフィクションなのだろう。上掲の武田徹の「物語の文体を持ったジャーナリズム」も同じ意味だろう。

 ノンフィクションについてストイックな考えをもつ角幡唯介という大型新人の登場が2010年。アカデミック・ジャーナリズムも悪くはないが、本筋のノンフィクションの新たな書き手の登場を促すようなノンフィクション“史”を著者には期待したい。

篠田一士★ノンフィクションの言語

元木昌彦 ★現代の“見えざる手”――19の闇…………☆メディアが今しなければならないことは。

20170728

2017.07.28現代の見えざる手


  国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)が発表した昨年の「報道の自由度ランキング」では、日本は対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位だった。
 NGOは「日本の多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘している。

私は以前から、日本には「いいっ放し」の自由はあるが、真の意味での「言論の自由」はないといってきた。

なぜなら、言論の自由も、民主主義も、自分たちで勝ち取った権利ではないから、言論の自由のようなもの、民主主義のようなものがあれば国民は満足してしまうからである。
〔…〕

 ジャーナリストとして守るべきことは「権力側、攻める側にカメラを据えるな」という姿勢を崩さないことであるはずだが、そうしたイロハのイもわからないメディア人間ばかりになってきたと思わざるを得ない。

――まえがき 元木昌彦


★現代の“見えざる手”――19の闇|元木昌彦 |人間の科学新社|2017年05月 |ISBN:9784822603281 |○

 元木昌彦(1945~)といえばウエブ・マガジン「日刊サイゾー」の「元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』」を毎週読んでいる。難点をいえばだらだら長文であること(ネット上では紙の新聞・雑誌と違い字数が厳格でないので、この連載に限らないが)、また編集部の要請だろうが「巻末付録」があって若い女性や熟女のグラビア、袋とじの紹介までしていること(そういえば“ヘアヌード”という言葉を創った人だった)。

 年を取ればこうなるのかと、ちょっと残念な気がしていた。が、本書を手にとって、ビジネス情報誌「エルネオス」で「メディアを考える旅」1996年から始め20年以上にわたり230人以上の人にインタビューをしていたことを知った。さすが“生涯編集長”である。本書はそのうち19人を登場させたもの。

 以下、本書から「メディアの劣化に歯止めをかけ、今メディアがしなければいけない大切なことは何かを考えてきた」ゲストの発言を抜粋する。ゲストは生年月順に並べ替えた。

◆「共生経済」で作る新しい社会――内橋克人(1932~)
 例えば、ネットで情報を見るというのも、そういうものに振り回されないためでなければなりません。過去に書かれたものはもちろん勉強します。それは同じことを言わないために学ぶわけです。そして、自分でなければ言えないことを言う。私の場合は、戦争で私の身代わりになって死んでいった人から預かった魂のためにも、きちんと書いていこうと。だから、ウォーニングを発することをやめるわけにはいかないのです。

◆“規制の虜”が起こした人災――福島原発事故――黒川清(1936~)
 ジャーナリストは自分で精査し、個人としてどう考えるのかを発表して問題提起するべきなのに、あなたの意見はどうですかと私に聞いてくるだけ。委員長が参考人の答弁をこのように批判したと書けば、自分の責任にならないからなのです。上が皆そうだったから真似しているだけですよ。日本のジャーナリストは基本的な姿勢を教育、訓練されていない。だから問題を自分のこととして考えたり、どう行動したらいいのかが分からない。

◆アメリカがすがるワラ――安倍首相 ――内田樹(1950~)
 別に今起きていることについて「だから、こうしろ」と対案や運動方針を出せと言っているわけじゃない。「現実はこうですよ」と客観的に提示してほしいだけなんです。それが本来のメディアの仕事でしょう。でも、今の日本のメディアは現実を隠蔽して、政府広報的な「ファンタジー」を広めることを仕事だと思っている。〔…〕
 メディア凋落の最大の原因は、マスメディアに関わっている人たちの質が落ちたことです。〔…〕メディアの未来より自分の出世を考えて、権力に尻尾を振るような人間ばかりがキャリアの階梯を上り、メディアの上層を占めるようになったというだけのことです。別にジャーナリズムが政府に強権的に支配されているわけじゃない。

◆ニッポンの「貧困大国」化を止められるか――堤未果(1972?~)
 活字メディアがまだ映像メディアに上書きされていない。活字というのは映像と違って、一方的な受け身の情報ではないし、出版の世界にはまだ多様性が生きている。〔…〕ネット世代は大手メディアを鵜呑みにしなくなってきていますし、憲法というのは日常とは遠いかもしれないけれど、確実に崩れてきていることを意識している人も多い。おそらく思っている以上に危機感があると思います。メディアが一番危機感がないのではないでしょうか。

◆鳩山辞任劇と原発事故――“永続敗戦”レジーム――白井聡(1977~)
 メディアを劣化させる要素は大きく言って二つあって、一つは内部の人間の劣化。〔…〕テレビも含めた大手メディアの社長が、料亭で総理と一緒に飯を食っているなんて、あれはもう論外中の論外ですよ。そういう行動様式をとる人間が出世するような組織にすぎないのですよ。もう一つは兵糧攻めです。メディアに対する一番有効な胴喝は、空気を読んだ財界が、政権が気に入らないと思っているであろうメディアから広告を引き揚げることです。だからメディアの腐敗と言う時には、同時に財界の腐敗も言わなければいけないのです。

◆安倍首相の“駄々っ子議論”を読み解く――木村草太(1980~)
 国会議員が何か言ってきた時には、まず「放送法三条に基づくところでは権限がないと介入できないはずですが、これはいったい何法何条に基づく手続きなんですか」とメディア側は言えなければいけません。〔…〕メディアに権力が介入してくることがいかに許されてはいけないことかについては、マスメディア側の意識が低いため、そこに付け入られています。

◆高齢化と生活費で下流老人になる‼!――救貧から防貧へ――藤田孝典(1982~)
 メディア自体、市民レベルの目線から離れつつあるように思います。〔…〕地道にじっくり時間をかけて、貧困の実態を追うというのはメディアの取材体制からみても構造的にも無理になっているように思います。〔…〕若い世代の記者さんは、子供の時から努力してきて大学へ入り、さらに就職試験の難関を突破して新聞社に入ってきた方が多いですから、努力したら報われる、そういう努力至上主義の人が多い。

なお、ノンフィクションに関して引用する機会があるかもしれないので、藤田孝典へのインタビュー(2015.10)の中での元木昌彦の以下の発言を記録にとどめておきたい。

 ――私の周りには私と同年代の高齢ノンフィクション・ライターがいっぱいいます。若い時は原稿料は安いけど働く雑誌はたくさんありました。〔…〕特にノンフィクションは取材費や資料代がかかります。しかも、ノンフィクションを載せる雑誌も次々に潰れ、出版社も売れないから単行本も出したがらない。

そういうライターでも、奥さんが働いているうちは何とかなるけど、年を取って働けなくなるとあっという間に下流老人になってしまう。大きな賞である大宅壮一ノンフィクション賞をとったノンフィクション・ライターでも苦しい生活をしている人が多くて、地方にいて東京に出てくる電車賃がないという人もいます。病気をして奥さんが救急車を呼んだけど「カネがないから入院しない」と救急車を返してしまった先輩ライターもいる。
 皆でカンパをしたりしてはいますが、プライドだけは高くて(苦笑)。


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