レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳★プレイバック――――☆村上春樹vs.清水俊二、翻訳対決

20170614

2017.06.14プレイバック


 僕がレイモンド・チャンドラーの『プレイバック』を翻訳しているというと、大抵の人は同じ質問をした。「それであの部分はどう訳すんですか?」と。まるでそれ以外に、この小説に関する話題は存在しないかのように……。

「あの部分」というのは、もちろんあの決めの文句のことだ。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」〔…〕

 どなたの訳もそれぞれの思いがあるわけで、さあ、僕はどう訳せばいいんだろうと腕組みしてしまうことになる。なにしろ絵に描いたような仮定法の文章で、そのへんを英文和訳的にごく正確にストレートに翻訳すれば、

「冷徹な心なくしては生きてこられなかっただろう。(しかし時に応じて)優しくなれないようなら、生きるには値しない」

 となるわけだが、これではちょっと長すぎて、「決めの台詞」(アメリカ風に言えば「パンチライン」)、あるいはキャッチコピーにはなりにくい。
〔…〕

さて、僕がどう訳したか……これはどうか本文を読んでみてください。

――訳者あとがき


★プレイバック |レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳|早川書房|2016年12月|ISBN:9784152096562|○

訳者村上春樹は、同じあとがきで、チャンドラーに関する英米の書籍を調べても、この台詞への言及は見当たらず、「どうやら日本人の読者がこの『優しくなければ……』に夢中になっているほどには、英米人の一般読者や研究者はこの一言にとくに注目しているわけではないようだ」と書いている。

 日本で最初に言及したのは丸谷才一だ。

 ――ここには、タフな行動人と瀟洒なサロンの社交人とを一身に兼ね備えた男がいる。事実、マーロウは、「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなに優しくなれるの?」と女に訊ねられたとき、こう答えるのである。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない」
 この箴言には、ラ・ロシュフーコーのような苦さはないだろう。またニ―チェのような厳しさもないだろう。しかし、独特の、甘美で爽やかな味わいがある。
(「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本版」・「EQMM」1962年8月号)

 この「フィリップ・マーロウという男」という一文を収めた『深夜の散歩』(福永武彦・中村真一郎・丸谷才一、1963年8月、早川書房)は、当方にミステリの読み方と面白さを教示してくれた“バイブル本”で、いまも手元にある。

 さてその『プレイバック』、当方が最初に読んだのは、清水俊二訳のハヤカワ・ポケミス版(1959)である。村上春樹は、チャンドラーが昼間から酒を飲みながら書いたもので、酒を飲むシーンがやたら出てくる、と書いている。が、当方の印象は、たばこを吸う場面が頻出すること。チャンドラーの長編で唯一映画化されなかったようだが、映画になっていれば、たばこで画面が煙っていただろう。

 ここで『プレイバック』の名フレーズを比べてみよう。sは清水俊二の1959年訳、mは村上春樹の2016年訳である。
  

s=問題の人物はタキシードを着たカンガルーを探すようにすぐわかった。

m=目当ての女はディナー・ジャケットを着たカンガルーみたいに容易(たやす)く見つかった。


s=「銃では何も解決できない」と、私はいった。「くだらない第二幕を急いで幕にするぐらいのものだ」

m=「銃ではなにごとも解決しない」と私は言った。「銃というのは、出来の悪い第二幕を早く切り上げるためのカーテンのようなものだ」


s=「でも、自殺じゃないわ。あんな自惚れのつよい男が自殺するはずはないわ」
「人間はいちばん愛しているものを殺すことがある。あの男の場合には彼自身ではないだろうか」

m=「でも自殺であるわけはない。あのにやにや笑いの、自己満足の男に限ってはね」
「ときとして人は自分がもっとも愛するものを殺すものだ。そう言われている。それが自分自身であるということはないだろうか?」


s=彼女はエーゲ海からあらわれてきたばかりのアフロディトのように、一糸もまとわずベッドのそばに立っていた。
「おもしろくないね」と、私はいった。「ぼくが若いころには、女の子の服をゆっくり脱がせる楽しみがあった。

m=私が振り返ると、彼女はエーゲ海からあがってきたばかりのアフロディーテのように、素っ裸でベッドの横に立っていた。
「まったくもう」と私は言った。「私が若かった頃は、ゆっくりと女の子の服を脱がせることができたものだ。今じゃこちらが苦労して襟のボタンをはずそうとしているうちに、彼女はもうベッドの中に潜り込んでいる」


s=「どこかで、探偵はだれにも気がつかれないような地味な色のありふれた車を持つべきだと書いてあったのを読んだ。ロサンゼルスへ来たことのない人間が書いたんだ。ロサンゼルスで車をめだたないようにするには、ピンク色のメルセデス・ベンツの屋根にサン・ポーチをつくり、きれいな女の子を三人乗せて日光浴をさせとかなければならない」

m=私立探偵というのは誰の目にもつかない、暗い色の地味な車に乗っているという話をどこかで読んだことがある。でもそれを書いたのはロサンジェルスに来たことのないやつだね。ロサンジェルスで目立とうと思ったら、人肌みたいなピンク色のメルセデス・ベンツに乗らなくちゃならない。それも屋根にポーチがついていて、そこで三人の可愛い娘が日光浴しているようなやつにね」


s=はつかねずみがひげをいじっている音が聞こえるほどしずかだった。

m=あまりにも静かで、ハツカネズミが自分の髭に櫛を当てる音だって聞こえそうだった。


s=「あなたのようにしつかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
「しつかりしていなかつたら、生きていられない。やさしくなれなかつたら、生きている資格がない」

m=「これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」、彼女は感心したように尋ねた。
「If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」
(ここは伏せます。村上訳本の279~280ページに)

 当方の好みはだんぜん清水俊二である。半世紀以上も前だが、古くない。映画字幕翻訳家らしく、短く歯切れがよい。宮田昇の証言。

 ――彼の翻訳の仕方は、原文をパラグラフごとにしばらくの間、喰い入るように読み、それから原文を見ずに凄まじい勢いで原稿の升目を埋めていく。それを繰り返して進めていくことである。もちろん、その前に映画の字幕翻訳と同じく何回も原書を読んでいる。彼のチャンドラー名翻訳の秘密は、その原文を自家薬籠中のものにして、一気に訳すところにあったのではないか。(宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』「達人清水俊二」2000)

 チャンドラーを読んで、比喩や箴言、警句の類だけでなく、村上春樹のいう“カラフルな脇役が次々に登場”してくるのも、楽しみの一つだ。本書では、ステッキを握り、耳の補聴器のボタン、そして読唇術を心得たヘンリー・クラレドン4世という老人が魅力的。
 それからパリのリッツから電話してくるリンダ・ローリング(未完に終わった次作の『プードル・スプリングス物語』ではマーロウと結婚)。彼女は言うのだ。

 ――「あなたは父のことを恐れてはいない。誰のことも恐れてはいない。あなたはただ結婚を恐れているだけよ」(本書)

2016年村上春樹訳から1959年清水俊二訳へ、文字通り“プレイバック”であった。


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発掘本・再会本100選★ノンフィクションの言語|篠田一士

20170503

2017.05.03ノンフィクションの言語




 松本氏の連作、『日本の黒い霧』が書かれる。

 これは、名実ともにノンフィクション言語で書かれ、内容のうえでも、従来、個人の足と目だけを使った、報道記録、すなわち、ルポルタージュとも戴然、境を分った、まさにノンフィクション文学に新紀元を画す問題作というべきもので、

今日のノンフィクション文学の源泉のひとつとして、その重要性は、もっともっと認識されるべきだし、同時に、もっともっと論議されて然るべきだろうと、自分の無能を棚上げして、ぼくなどは、ひそかに口惜しい思いをしている。

 いま、名実ともにノンフィクション言語で書かれていると言ったが、それは、とりもなおさず、『日本の黒い霧』が小説への未練気をきっぱり捨て、ノンフィクション言語こそ、唯一無二の武器だと覚悟して書かれたことを意味する。

 すなわち、名実ともに、小説離れした、ノンフィクション作品が、ここに生まれたのである



★ノンフィクションの言語 |篠田一士|集英社|1985年5月|ISBN: 9784087725223|◎=おすすめ

本書はノンフィクションについて書かれた先駆的名著である。

 1982~85年に雑誌に連載されたもので、「ノンフィクション物と小説作品が重なり合う地点にたたずんで、その境界線を見定め、ノンフィクションのものはノンフィクションへ、小説のものは小説へと、仕分ける」という困難な作業から、卓抜したノンフィクション論を展開するに至る。

 なぜ名著かといえば、そこに扱われている作品群を見れば、その“選球眼”の確かさに驚かされるからである。

 1960年代
松本清張『日本の黒い霧』、上野英信『追われゆく坑夫たち』、石牟礼道子『苦海浄土』、吉村昭『戦艦武蔵」
 1970年代
大岡昇平『レイテ戦記』、鎌田慧『自動車絶望工場』、本田靖春『誘拐』、沢木耕太郎『テロルの決算』など。

 篠田一士は冒頭に本田靖春の「語られる言葉は私たちのものであっても、体験は私たちのものではない」というフレーズを引いているが、たしかに自らの体験ではないが、自らの言葉で書くのがノンフィクションなのだろう。

 ところで、最近読んだ武田徹『日本ノンフィクション史』(2017)で気になるところがいくつかあり(別稿で紹介するつもり)、そのうちここでは「世界ノンフィクション全集」第24巻の丸谷才一の解説を引用した部分について触れる。

 ――丸谷才一は「(自分が)『ノンフィクションの形式』という本を欲している」と書き出す。それはノンフィクションが隆盛を示しているが、その内実の規定が伴わず、玉石混交状態になっているという認識からだ。

「たとえば、松本清張の『日本の黒い霧』などという、小説でもなければノンフィクションでもない、調査者としての怠慢と記録者としての無責任さを小説家(?)としての想像力によって補っている本が好評を博している現状は、日本におけるノンフィクション概念の末成立と密接に結びついていることだとぼくは考えるのである」
(武田徹『日本ノンフィクション史』)

 『日本の黒い霧』を「小説でもなければノンフィクションでもない」と丸谷を引いて、ノンフィクションの歴史のなかで松本清張を位置づけしている文脈なのだが、果たしてそうか。

 文藝春秋社編集者であった半藤一利『文士の遺言』(2017)は、こう書いている。

 ――「文藝春秋」に日本のノンフィクションの先駆的な作品『日本の黒い霧』が連載されることとなり、読者にアッといわせ、これが爆発的な人気をよびこんだ。
 それまでのノンフィクションといえば、インサイド・ストーリーというか、暴露物という印象のみが強かった。たいして、清張さんのノンフィクションは、複雑に入り組んだ現代史を語るにふさわしい条件を、十二分に備えたものとして読者に迎えられた。
 その条件とは、新事実を徹底的に追求し、執拗に取材して関係者の肉声を集め確かめ、どうしても不可解なところには理知的な推理を加え、それを平易に語る真面目な営みということなのである。
(「ノンフィクションの先駆」2008)

 半藤一利は「いまのノンフィクション文学の鼻祖は、まさしく松本清張その人である、といっていいのである」と続けている。

 また本書『ノンフィクションの言語』で篠田は、「『日本の黒い霧』が、日本のノンフィクション文学の発展のために果した意味合いの大きさ、深さを思いやるとともに、ひいては、広い視野において、日本の現代文学そのものにも、なにがしか決定的な効力をおよぼすような結果を確認することができる」とまで書いている。

 武田徹『日本ノンフィクション史』は、「ノンフィクションの方法について検討した貴重な著作である篠田一士の『ノンフィクションの言語』を道案内役としたい」として、本書を長々と引用しながらも、篠田の『日本の黒い霧』の肯定的評価はスルーしている。“史”である以上、『日本の黒い霧』について本書からも引用してほしかった。

 ともあれ本書『ノンフィクションの言語』は、ノンフィクションが文学作品とどのようなかかわりをもち、相互に作用し、混在と共存をしている現状を探ったノンフィクション論の傑作である。

松本清張★日本の黒い霧



   


2016年■おすすめ傑作ノンフィクション★ベスト10

20161212

 当方、今年は体調を崩し、ブログを半年休んだ。またツイッターも140字という呪縛に勝てず断念した。が、なんとか今年も傑作ノンフィクション★ベスト10を選んだ。2015年12月から2016年11月までに刊行されたもので、順不同。

2016.01.17五色の虹

三浦英之■五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後

 戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府よりも知り抜いている。
 記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる――。

三浦英之■五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後
20161129北方領土問題の内幕

若宮敬文■ドキュメント 北方領土問題の内幕

 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。
 ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。(日ソ共同宣言1956年10月19日)

若宮敬文■ドキュメント 北方領土問題の内幕

2016.02.08花の忠臣蔵
野口武彦■花の忠臣蔵

 覚悟したほどには濡れぬ時雨かな〔…〕
 この「おかしさに」という感想はたんに拍子抜けがしたというだけのことだろうか。そうではあるまい。
 ただ予想と違ったというばかりでなく、内蔵助は上杉勢が吉良邸に駆けつけなかったことにいたく失望している気配なのである

野口武彦■花の忠臣蔵

20161115宮本常一と土佐源氏の真実

井出幸男■宮本常一と土佐源氏の真実

 宮本が偉大な民俗学者であったことは疑いを容れないが、むしろその本来の素質は、作家的あるいは詩人的とも言えるところにあったのではないか。
 採集ノートを焼失したという学問としてはマイナスの物理的条件が、宮本においてはこの場合、逆に完璧な詩的文学作品の完成をもたらした。

井出幸男■宮本常一と土佐源氏の真実

20161126漂流怪人
嵐山光三郎■漂流怪人・きだみのる

 停滞と沈澱を嫌うきだみのるは流浪生活を完結させるために定住せず、 家から去り、妻から去り、文壇から去り、空漠の彼方へむかって歩みつづけていた。
 そこにミミくんがいた。

嵐山光三郎■漂流怪人・きだみのる 

20161130テレビは男子一生の仕事
鈴木嘉一■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一

「視聴者はこのテレビ中継で何を見たいのだろう。それは花嫁の顔ではないか」
「我々は美しく古式豊かなパレードの全容をとらえようとして、パレードの本当の中心である『花嫁さん』という単純な対象を見落としているのではないか」

鈴木嘉一■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一

20161116圏外編集者
都築 響一 ■圏外編集者

 ほとんどの出版社にとってはまだ、紙の本を作って、それを電子書籍化することが「新しい挑戦」という程度だろうが、もう一歩先の段階がきっとやってくる。それもまもなく。すでに音楽がそうなってきているように、最終的には本も「クラウド化」する時代がかならず来る。1冊ずつ本を買わなくても、たとえばウェブ図書館のように、月額使用料を支払えば読み放題のような。

都築 響一 ■圏外編集者

20161117沖縄オトナの社会見学

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充■沖縄 オトナの社会見学R18

 僕が嘉数高台に上ったのは、小中学生時に授業の一環で訪れて以来です。当時は普天間基地返還の話題はなかったので、基地の見渡せるスポットというよりは、沖縄戦で多くの死傷者を出した激戦地として教わりました。

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充■ 沖縄 オトナの社会見学R18

20161201プライベイトバンカー
清武英利■プライベートバンカー――カネ守りと新富裕層

そういう方に私は『我慢できませんよ』と言います。『オフショアブームに乗るのはいいが、税金ゼロのために人生後半の貴重な5年間を何もしないで毎日ぼーっとしていられるんですか』と。

清武英利■プライベートバンカー――カネ守りと新富裕層

20161127後妻白書
工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち

大事なのは夫が自分と巡り合う前に、すでに人生のワンラウンドを通過しているという事実だ。どうしても共有が不可能な過去の時間の清算は、しかし、後妻も参加しなければならないのだ。特に子供がいた場合はそうなる。

工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち



2016年■傑作ノンフィクション★ベスト10――補遺             

 今年は、6月のイギリスEU離脱国民投票、11月アメリカ大統領予備選挙の結果、ポピュリズムの台頭が話題になった。しかしこの二つは、なによりも大手メディアの主義主張と民意との乖離、世論調査手法の劣化を表すもので、ジャーナリズムの没落を如実に示すこととなった。

 ところでノンフィクションの世界は、大震災、フクシマ原発などが格好のテーマが一段落したため、低調であった。出版業界の低落傾向、なかでも売れないノンフィクション分野は、講談社の『G2』19号終刊号で「1月に新たな形で再出発する予定です」と告知していたものの何も現れなかった(まさかリニューアルしたネットの『現代ビジネス』がそれではないでしょうね)。講談社にぜひやってほしいのは「現代新書」にG2の書き手たちをどんどん取り込んで、「現代新書ノンフィクション」として書店店頭の“滞留時間”を長くし、読者の目に留まるようにしてほしいものだ。

 昨年はノンフィクションの作品そのものが荒廃しだしたと書いた。今後「評伝」が主流になるのではとも。そして角幡唯介以降大型新人が現れない。
 
 今年の特色は、内澤旬子『漂うままに島に着き』、稲垣えみ子『魂の退社――会社を辞めるということ。』など、“私ドキュメント”の増加。加藤達也『なぜ私は韓国に勝てたか―朴槿恵政権との500日戦争』、植村隆『真実――私は「捏造記者」ではない』、小保方晴子『あの日』など、“自己弁明本”の増加ではないか。

 ところで、通常雑誌に連載されたものは書籍化に際し加除訂正が行われるが、大宅壮一ノンフィクション賞に2014年から雑誌部門ができて、拙速の作品が賞の質の低下を招かないか、気になっていた。当方は、週刊誌を読まないが、週刊誌に連載後書籍化された作品を読み、杞憂だったことが分かった(今回ベスト10に2点選定)。

ただ昨年の大宅壮一ノンフィクション賞への違和感については、別のブログに書いた。小保方晴子■あの日


 当方、今年は体調を崩し、ブログを半年休んだためブログでは紹介せず、また2016年ベスト10には選ばなかったものの、十分に楽しませてくれたノンフィクションは、以下の通り(いずれも2016年刊)。

★加藤達也『なぜ私は韓国に勝てたか―朴槿恵政権との500日戦争』2月・産経新聞出版
★福田ますみ『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』2月・新潮社
★植村隆『真実―私は「捏造記者」ではない』2月・岩波書店
★ふるまいよしこ『中国メディア戦争―ネット・中産階級・巨大企業』5月・NHK出版
★森健『小倉昌男祈りと経営―ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』1月・小学館
★前川仁之『韓国「反日街道」をゆく―自転車紀行1500キロ』4月・小学館
★戸田学『上方漫才黄金時代』6月・岩波書店
★稲垣えみ子『魂の退社―会社を辞めるということ。』6月・東洋経済新報社
★山川三千子『女官―明治宮中出仕の記』7月・講談社学術文庫(原本は1960年)
★国末憲人『ポピュリズム化する世界』9月・プレジデント社

(以上)

12そこに本があるから│T版 2015年11月~12月

20151231

12そこに本があるから
津野海太郎『百歳までの読書術』

1.1冊の本に「まごまご」こだわるのをやめる。2.大量の本、ときには映画や音楽まで、やたらに手をひろげる。3.それらがお互いに引き合う。4.そして時いたると一瞬にしてそれらがひとつにつながる。つまりは凍る。

5.それこそが「知識」というものなのである。

★津野海太郎『百歳までの読書術』〇2015


 『百歳までの読書術』は1938年生まれの著者の70歳からの読書術。
 上掲のお祭り式読書法、勉強法は、幸田露伴の「氷が張るときは手が八方に広がるようにパッと膜が凍る。その埋まった空間が知識」という説とおなじ系譜だと自賛。
 「読書」というより「老い」を綴るが、年齢にこだわりすぎ。



平野義昌★海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録

20151006

2015.09.27海の本屋のはなし


 神戸の“海の本屋”海文堂書店は2013(平成25)年9月30日閉店廃業いたしました。〔…〕

 閉店に際しましては多くの方々にありがたいお言葉をいただきました。敗北者、消えゆく者には身に余る光栄でございました。感謝を申し上げます。
 あのとき、なぜ皆さんから暖かく見送っていただけたのか、私は今もよくわかっておりません。

 新聞が一面で取り上げて、さらに特集コラムの連載までしてくれました。なぜそんなにニュースになったのでしょうか。〔…〕

そんなにエエ本屋やった?

エエ本屋やったら潰れませんがな。漬しませんて。


そう思いながらも、“海の本屋”はどんな本屋だったのか、本屋の歴史を振り返ってみます。



★海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録│平野義昌│苦楽堂│ISBN:9784908087011│2015年07月│評価=○│最後の店員が綴る99年の歴史と一緒に働いた仲間たちの声。

 神戸の海文堂書店は、2年前の2013年9月末に廃業した。若いころ週末の書店めぐりは、三宮から元町へ、コーベブックス、流泉書房、漢口堂書店、日東館書林、丸善神戸元町店、海文堂書店、宝文館書店の順だった。最後の砦が消えた。

 平野義昌『海の本屋のはなし』は、サブタイトルに「海文堂書店の記憶と記録」とあるが、廃業前の10年務めた元書店員による社史ふう備忘録である。巻末の年表はよくぞまとめたと思う貴重なもの。

 「そんなにエエ本屋やった?エエ本屋やったら潰れませんがな。漬しませんて」と著者は自虐的に描くが、エエ本屋だって潰れる、なぜ潰れたかを書いてほしかった。人々が本、から情報を得る時代ではなくなった、が唯一の理由だろう。

 以下は、当方の私的な思い出、当方の備忘録である。

 海文堂といえば、1960年代、当時まだ木造の継ぎ足し建物だった気がするが、2階の奥にガラス張りの出版部の部屋があり、5、6人の社員がいた。さらに奥に事務所があった。

 職場へ雑誌など配達してくれるのだが、ときどき清水さんという経理の女性が請求書をもって職場へきて、ついでに広辞苑新版の予約をとったりしていた。当方、出版部に友人がいたこともあり、書店事務所の清水さんを何度か訪ねた。そういえば神戸の書店数社の共同出資によって、地下街さんちかタウンにコーベブックスという書店ができたとき、海文堂は姉妹店だと宣伝しひんしゅくをかったことがある。

 それはともかく海文堂が廃業すると決まってから、地元神戸新聞は大騒ぎした。最初の記事は「インターネット書店の台頭や周辺に大型店、新古書店の出店も相次ぎ、経営不振が深刻化していた」と書いているが、インターネット書店の台頭はともかく、海文堂の「周辺に大型店、新古書店の出店も相次ぎ」という事実はない。また「長く神戸の活字文化の発信拠点だった」と褒めすぎたのはいいとして、かつてここに出版部があり海事図書の発行を続けたことが触れられていないし、神戸発の書籍の名もない。

 神戸新聞文化部は、おそらく記者は2名か3名だろうが、読書欄(ほとんどは共同通信の配信)で独自記事といえば高名な俳人の孫娘の初句集を大きく取り上げたり、OB記者に書評を書かせたり、女性部長はまことに傍若無人。廃業から半年後には「海文堂書店“復活”を神戸市が検討。基金創設や財政支援」というトバシ記事で、久元喜造市長が「行政が関わる形で書店を復活できないか」云々と書き、あわてた市長は自らのブログでこれを否定した。ちなみに店舗はドラッグストアになった。

 海文堂の廃業は、単に書店経営という面からではなく、街の立地からの問題がある。元町商店街の1、2丁目は大丸、南京町とともに賑わいを見せているが、4、5、6丁目はハーバーランドに客足をとられ、海文堂のある3丁目は中突堤への観光客の通路となっているものの人出は微妙である。夜も早く、通勤客も少ない。神戸新聞の記事はそういう視点がない。

 いまの神戸の書店は、ジュンク堂のひとり勝ち状態。だがこの書店、地域密着といいながら零細書店をつぶし、自らも客足が落ちればたちまち撤退する。大企業の傘下に入ったものの一時のパワーはない。いくら大型路線を貫いても、読書人口はとめどもなく減少している。

 海文堂といえば、出入り口が2か所あり、海事本は別として児童書と地元本が多いのが特色。ときどき「2階ギャラリーで〇〇展を開催中です」のアナウンスが流れ、上がってみれば古本屋があったり、売り場を広げるという発想より“文化”にこだわった。ニュータウンへの進出を打診され、当時の社長は乗り気だったが、取次がイエスと言わなかった。照明を節約した薄暗い店内なので、新刊書がピカピカに立ち上がってこない。中央カウンターはいつも閉じられ店員はほかの作業中。店員がいくら矜持をもっていても、時間がゆっくり流れるレトロな空間であった。

 廃業で大騒ぎしたのはメディアと客の郷愁に過ぎなかったと思う。帆船のペン画の二つのブックカバーがなつかしく、いとおしいと思うように。


12/そこに本があるから│T版 2015年1月~7月

20150819

12/そこに本があるから│T版 2015年1月~7月

12そこに本があるから
■気になるフレーズ @koberandom 1月27日
★池内紀『戦争よりも本がいい』

ふつう本は目で読むが、ときには感情で読んでいるし、またときには中身を鼻で嗅ぎながら読んでいる。そんなときは読みはじめる先に、すでにおおよそ読み終わっている。本はそのようなフシギな性質をもっている。★池内紀『戦争よりも本がいい』2014
**
『戦争よりも本がいい』冒頭の「田部君子歌集」。歌誌が戦争讃歌で埋められてきた23歳の頃投稿をやめ、27歳で不幸な生涯を終える。半世紀後、君子の妹の娘たちが歌集を編む。君とわれゆけば巷の風景となるもうれしや春立ちにけり。池内紀は“珍品堂目録”として幻の名著・奇書・傑作を紹介する。



■気になるフレーズ @koberandom 2月15日
★重松清『この人たちについての14万字ちょっと』

書店で強烈に目立つだけじゃなくで、自分の手元にずっと置いておきたいと思わせる、家具のようなところも必要なんです。その矛盾を両立させるのか苦しいんだけど、まあそこをやらないとね(鈴木成一)★重松清『この人たちについての14万字ちょっと』20141
**
重松清による第一線で活躍する9名のインタビューをメインにした人物論。鈴木成一装丁本、年500冊という。鈴木はゲラを読み、新しい価値観、ノリ、キャラクター、情報など「見たことのないもの」を探す。つまり、書店で“気合の入った”鈴木装幀本があれば、鈴木の厳しい審査をパスした本!?



■気になるフレーズ @koberandom 3月23日
★宮本輝『いのちの姿』

電子書籍で読めばそれでいいという種類の本が書店から減っていくことで、これまで不当な扱いを受けていた古今の名作が、新しい商品となり、そのための新しいマーケットが生まれはしないかと期待したくなる。★宮本輝『いのちの姿』2014
**
宮本輝『いのちの姿』は、京都の料亭「高台寺和久傳」が発行する『桑兪』に連載されたエッセイ。若い時代からパニック障害に悩まされた著者が、人生の危うい時期に舞い込んできた3冊の本の思い出、シルクロードの旅の回想など。「蛍川」「優駿」の作家が綴る“忘れ得ぬ人々”。



■気になるフレーズ @koberandom 3月25日
★和田文夫『たのしい編集』

本を読むのは、脳の引き出しに情報を格納することではなく、全身で、その物語を自分の人生として生きることではないか。〔…〕その本の世界を生きてしまうことで、現実にあったこととおなじく、本の世界が身体にとりこまれてしまう。情報の記憶ではなく、体験の刻印なのだ。★和田文夫『たのしい編集――本づくりの基礎技術:編集、DTP、校正、装幀』2014
**
『たのしい編集』は、若い編集者の必読書。活版から電算写植、DTP、そして電子書籍へと推移した編集者生活35年。編集、DTP、校正、装幀の具体的な技術を公開し、編集の未来にまで言及し、いたれりつくせりだが、自己陶酔の感も。



■気になるフレーズ @koberandom 3月28日
★岡崎武志『蔵書の苦しみ』

わかったことは、「本が増え過ぎて困る」というぼやきは、しょせん色事における「惚気(のろけ)」のようなもの、ということだ。★岡崎武志『蔵書の苦しみ』2013
**
岡崎武志『蔵書の苦しみ』は、タイトルの「苦」が「楽」の誤植ではないかと思わせる。蔵書術、蔵書の整理術だと著者はいうのだが、要は蔵書家、愛書家、収集家の蔵書自慢、書斎自慢、書庫自慢の本である。【教訓その2】自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放すべし。(本書)




**2015.04.05
★高山なおみ『高山なおみのはなべろ読書記』

夕方の図書館は、一日分のホコリがぼんやり漂っていて好きだ。生あたたかいような何かをひとつあきらめたような、空気。さて、何の本を借りようか。★高山なおみ『高山なおみのはなべろ読書記』
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高山なおみ「グラニュー糖トースト」の一節は、小さな図書館のイメージを見事にとらえた詩のようだ。とりあげた本は堀江敏幸『なずな』。著者は料理家で、レシピがついていて、トーストはコンビニやスーパーで売っている6枚切りの食パンを使って、と註。子育て中の女性に受けそうなまったりした本。



**2015.04.06
★酒井順子『本が多すぎる』

こんなことを言ったら紫式部に激怒されそうではあるが、平安時代の女性達も、そして飛田の女性達も、小さな部屋でひたすら男性を待っているところは同じ。★酒井順子『本が多すぎる』
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週刊文春に連載された本のコラム集『本が多すぎる』。山本淳子『私が源氏物語を書いたわけ』と井上理津子『さいごの色街 飛田』を芋づる式に結ぶ。清少納言派の酒井順子だとしても、源氏物語と大阪の遊郭とを並べる技には、呆気にとられた。著者を“現代の清少納言”という惹句も呆れるが。



**2015.04.12
★苦楽堂編『次の本へ』

一冊の本、ひとつの考え方だけで「あなた」が立ち止まってしまうことは、もったいない(もしかすると「危ない」)と思うのです。自分自身で「次の本」に出合い、あなた自身の喜びや、考える力を手に入れるために、この本をお使いください。★苦楽堂編『次の本へ』
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苦楽堂編『次の本へ』は、「一冊は読んだが、次に読む本は?」、84人による次の本への出合い方案内。例えば、一冊目の本に引用されている小説、ひとつの事件を別々の人が書いているもの、母が薦めてくれて、とほぼ84通りのきっかけ別索引が巻末に。だが大部分の人は気になる著者の別の本ではないか?



*2015.04.28
★角幡唯介『探検家の日々本本』

読書は読み手に取り返しのつかない衝撃を与えることがあり、その衝撃が生き方という船の舳先をわずかにずらし、人生に想定もしていなかった新しい展開と方向性をもたらすのだ。★角幡唯介『探検家の日々本本』△2015
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13ページ分のエッセイで10ページ目にやっと本の名前が出てくるといった本をダシにしたエッセイ集。角幡唯介はストイックな探検家と思っていたら、まことに饒舌に自らを語る読書家だった。「人生をつつがなく平凡に暮らしたいのなら本など読まないほうがいい。しかし、本を読んだほうが人生は格段に面白くなる」。


**2015.04.24
★嵐山光三郎『ぼくの交遊録的読書術』

新刊紹介もされず、話題にものぼらず、書店へ行ってもどこにおかれているのかわからない新刊は、漂流していく晩年のわが身を見せられるようでわびしい。★嵐山光三郎『ぼくの交遊録的読書術』2015
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「新刊書評にとりあげるならば、ほめろ。けなすのならば取りあげるな」と著者。最近の嵐山本は雑誌連載の本文より、まえがきとあとがきが俺の本だと力が入る。本書も「序章 ラブレターとしての書評」「あとがきにかえて――」が読ませる。新・芭蕉本、待っています。



**2015.05.04
★後藤正治『言葉を旅する』

読書とは詰まるところ、〈言葉〉を求める生理的な希求なのであって、それが読み物を生み、また読者を生んでいく仕組みなのだろ。★後藤正治『言葉を旅する』△2015
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『言葉を旅する』は、「わが人生最高の10冊」「最後の読書」など“言葉と本”に係わる短文を集めたもの。やさしい視線のフレーズが散りばめられている。「出版業は本来、次々と本が量産されていくビジネスではないはずだ。ひっそりと書籍が世に出て、たまたま長く生き残る本がある。そういう世界なのだと思う」。

岡崎武志★蔵書の苦しみ

20150329

2015.03.29蔵書の苦しみ

 いろんな人に「蔵書の苦しみ」について語り、また、相手からも困った話を聞いてきた。
 その結果、

 わかったことは、「本が増え過ぎて困る」というぼやきは、

しょせん色事における「惚気(のろけ)」のようなもの、ということだ。


 「悪いオンナに引っかかっちゃってねえ」「いやあ、ぜいたくなオンナで金がかかって困るのよ」、あるいは「つまらないオトコでさ、早く別れたいの。どう思う?」など、これらを本気で悩みとして聞く者はいない。〔…〕

 その点、「色事の苦しみ」も「蔵書の苦しみ」も、まったく同じではないか。

 苦しんだり、悩んだりするのは勝手だが、他人を巻き込まないでほしい。それが本音だろう。



*

 蔵書術、蔵書の整理術だと著者はいうのだが……。

 なかに愛読書を“自炊”して携帯端末に入れてしまう人や著者も真似て“一人古本市”を行った人もでてくるが、要は著名な蔵書家、愛書家、収集家の蔵書自慢、書斎自慢、書庫自慢の本である。

 当方は、年間365㎝、1日1㎝の本を買っていた時期がある。やがてネット・オークションで販売したり、1.17大震災で崩れ散乱した本を新古書店に売ったりしたが、結局のところ段ボールに詰めてゴミの日に捨てることが正解だと判明した。

【教訓その2】
 自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放すべし。
【教訓その4】
 本棚は書斎を堕落させる。必要な本がすぐ手の届くところにあるのが理想。
【教訓その5】
 段ボールに溜めておくと、本は死蔵する。背表紙は可視化させておくべし。 
【教訓その10】
 三度、四度と読み返せる本を一冊でも多く持っている人が真の読書家。
 
 本書の“教訓”のうち、納得できるのは上記4点。必要になればまた買えばいい、を実践している。

★蔵書の苦しみ │岡崎武志│光文社│新書│ ISBN:9784334037550│2013年07月│評価=△│タイトルの「苦」は「楽」の誤植?

岡崎武志▼あなたより貧乏な人


岡崎武志●雑談王―― 岡崎武志バラエティ・ブック



宮本輝★いのちの姿

20150324

2015.303.24いのちの姿

 私は、かつて自分が読んだ小説を箇条書きにしてみた。思い出せないものもあるが、思い出せるものは全部書きだしてみた。

 そのなかの、自分の書棚にあるもの以外について調べてみると、95パーセントは絶版で、出版社に在庫はなく、あらたに刷る予定もないという。

 若い人たちから、ときおり、どんな本を読んだらいいかと訊かれることがあり、私はそのつど、自分が感動した小説や、勉強になった書物を勧めるが、

そのほとんどが、書店どころか出版社にもないのだ。


 いまネット配信による電子書籍の動向が注目されている。

 もし、これが日本でも予想を超えるマーケットを占めれば、逆に書店の棚には、値段は少し高くて刷り部数は多くはないが、布裳や革装の、子や孫にも継承できる立派な頑丈な造りの書物が、人類の知的財産としての古今の名作が、装いを新たにして復活してくるのではないかと私は期待している。

 電子書籍で読めばそれでいいという種類の本が書店から減っていくことで、これまで不当な扱いを受けていた古今の名作が、新しい商品となり、そのための新しいマーケットが生まれはしないかと期待したくなるわけである。

 ――「書物の思い出」



*
 京都の料亭「高台寺和久傳」の大女将・桑村綾が編集する『桑兪』(年2回発行)の2007年創刊号から連載されたエッセイをまとめたもの。

 上掲の「書物の思い出」で、19歳から27歳までわずか3冊の本を読んだだけだという。それは人生の危うい時期に舞い込んできたポール・ニザンの『アデン・アラビア』、スタインベックの『われらが不満の冬』、井上靖の『毘崙の玉』。
 
 著者は25歳のとき、「心臓神経症」「不安神経症」と呼ばれる病気、いまでいう「パニック障害」「パニック症候群」になって以降のこの病気との闘いについて書いている。病気によって得たものを三つあげているが、その一つ。

――悪いことが起こったり、うまくいかない時期がつづいても、それは、思いもかけない「いいこと」が突如として訪れるために必要な前段階だと信じられるようになったのだ。(「パニック障害がもたらしたもの」)

 「兄」という短編小説のような滋味あふれる名品エッセイなどベテラン作家らしい質の高い作品が並ぶ。

★いのちの姿 │宮本輝│集英社│ISBN:9784087715880│2014年12月│評価=○│「蛍川」「優駿」の作家が綴る“忘れ得ぬ人々”。


池内紀★戦争よりも本がいい

20150128

2015.01.28戦争よりも本がいい

ふつう本は目で読むが、ときには感情で読んでいるし、またときには中身を鼻で嗅ぎながら読んでいる。

そんなときは読みはじめる先に、すでにおおよそ読み終わっている。


 本はまたそのようなフシギな性質をもっている。

 いうまでもないことながら、すべての本は読み手との関係から成り立っており、一冊の本が人によって、まるきりちがった評価を受けたとしても驚くにあたらない。〔…〕

 それこそ読み手の自由、また権利であって、人間がつづけてきた永遠の読書風景というものである。



 冒頭の「いちどかぎり」は「田部君子歌集」(1999)。君子は1916年生まれ。17歳から歌誌への投稿を始め、約6年で終止符を打ち、27歳で不幸な生涯を終える。

 半世紀後、君子の妹の娘たちは、伯母にあたる歌人君子を知る。国会図書館に通い、歌誌「潮音」のバックナンバーを調べ、この「田部君子歌集」を編む。「歌誌がいっせいに戦争讃歌で埋められてきたとき、田部君子は投稿をやめ、命にもひとしかったはずの歌を捨てた」と知る。

生れきて十八年のわれのこの清きほこりを
高くかかぐる                       .

君とわれゆけば巷の風景となるもうれしや
春立ちにけり

 本書は、幻の名著・奇書・傑作を紹介する“珍品堂目録”。

 たとえば……。維新農民蜂起譚。一揆 雲助 博徒。江戸の看板。求人広告半世紀。自刃録。図鑑 日本語の近代史。戦争と気象。地球文字探険家。日本タイル博物誌。猫の民俗史。柳田国男未採択聚稿。

 など異能、奇才、名人、達人や偏愛的人間の本、さらに江戸の知恵、旅と民俗といった本が紹介される。

★戦争よりも本がいい│池内紀│講談社│ISBN:9784062192590│2014年11月│こんな世の中だからこそ読んでおきたい本がある。幻の本129冊│評価=○

池内紀■ニッポン周遊記―― 町の見つけ方・歩き方・つくり方




おすすめ! 傑作ノンフィクション・ベスト10

20141211



2016年■傑作ノンフィクション★ベスト10
★2016傑作★



2015年■傑作ノンフィクション★ベスト10

★2015傑作★



2014年傑作ノンフィクション・ベスト10
……ベスト1は、青木理『誘蛾灯』
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2014年■傑作ノンフィクション★ベスト10=補遺・ノンフィクションの話題
ベスト10以外の10冊+ノンフィクション作家によるノンフィクションの紹介+朝日「吉田調書」騒動+やしきたかじん“騒動”




2013年傑作ノンフィクション・ベスト10
……ベスト1は、船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』

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2012年傑作ノンフィクション・ベスト10
……ベスト1は、渡辺 一史『北の無人駅から』

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▼2012年ノンフィクションの話題
①――週刊朝日「ハシシタ」騒動
②――石井光太「遺体」選評騒動
③――鴎外の「恋人探し」ほこたて対決



2011年傑作ノンフィクション・ベスト10


2010年おすすめ本ベスト10



★2009年おすすめ本ベスト10*****2009年出版分

◆2009年おすすめ本ベスト10*****2008年出版分



★2008年おすすめ本ベスト10




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傑作ノンフィクション=オールタイム 100選――1960年~2010年



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