神保哲生★P C遠隔操作事件…………☆事件の展開から動機の解明、司法制度の課題まで、すべてを網羅した“完全版”ノンフィクション。

20170829

2017.08.29PC遠隔操作事件


件名:【遠隔操作事件】私が真犯人です

■私の目的
「犯行予告で世間を騒がすこと」
「無実の人を陥れて陰でほくそ笑むこと」
などではなく、
「警察・検察を掠めてやりたかった、醜態を晒させたかった」という動機が100%です。
なので、ある程度のタイミングで誰かにこの告白を送って、捕まった人たちを助けるつもりでした。〔…〕

■警察・検察の方へ  あそんでくれてありがとう。
今回はこのぐらいにしておくけれど、またいつかあそびましょうねーーー

いずれの件でも、本当に凶行に及ぶつもりはありませんでしたのでご安心ください。


――日付:2012年10月9日


★P C遠隔操作事件 |神保哲生 |光文社|2017年5月|ISBN:9784334979058|◎=おすすめ

パソコン遠隔操作事件は、2012年の6月から9月にかけて、インターネットの電子掲示板を介して、他者のパソコン(PC)を遠隔操作し、襲撃や殺人などの犯罪予告を行ったサイバー犯罪事件。逮捕者は次の通り。

① 6月29日の横浜市A小学校襲撃予告事件。杉並区未成年男性を7月1日威力業務妨害で逮捕。自供。

② 7月29日の大阪オタロード無差別殺人予告事件、および8月1日JAL006便爆破予告事件。吹田市男性を8月26日偽計業務妨害、航空機運行阻害で逮捕。

③ 8月27日の女優Z殺害予告事件、および同日皇族の子弟を標的とした私立幼稚園襲撃予告事件。福岡男性を7月1日脅迫、威力業務妨害で逮捕。自供。

④ 9月10日の伊勢神宮爆破予告事件。津市男性を9月14日威力業務妨害で逮捕。

ところが、10月9日、上掲のように「私が真犯人です」と犯人がメールで名乗り出た。この犯行声明により公表されていない事件も含めて8つの事件は同一犯による犯行であるとして、警視庁、大阪府警、神奈川県警、三重県警の合同捜査本部が設置される。

犯人はその後も警察やメディアへの挑発を続け、2013年1月「江の島にいる猫の首に記憶媒体を取り付けた」と告げ、メールに添付された写真など多くのヒントを残した。そして2013年2月10日、警察は江東区に住むコンピュータ・プログラマー片山祐輔を逮捕する。

だがここからさらなる展開をみせる。被告片山とその弁護団が録音・録画なしの取り調べには応じないという方針を最後まで貫き、逮捕後、3日間の形式的な取り調べ以外は一切の取り調べが行われないまま、公判に突入していく。

この最強の弁護団がユニーク。弁護団は公判前整理手続の期間中から公判に入っても会見を開き、その日の概略を説明した上で、自分たちの主張を発表した。他方、検察側は情報をリークし、メディアを巻き込んだ“場外乱闘”となった。

被告片山は13か月拘留されたのち保釈される。カメラのフラッシュを浴び「自由はまぶしいものだ」と語った。記者から真犯人をどう思うかと訊かれ、「この文面を見る限り、相当サイコパスみたいな人なんじゃないか。人の権利とか、どうも思っていないようなひどいやつだと思う」と語る。

5月16日の第8回の公判の最中に、裁判の流れを決定的に変える重大な事件が発生。すなわち“真犯人”を名乗る人物からのメールが、弁護士やメディア関係者に届いたのだ。……ここまでで本書の約半分。

本書は、500ページを越える大冊で、PCや司法制度の説明をわかりやすく説明し、さらにこの事件がどのような課題を投げかけているかを丁寧に検証した「PC遠隔操作事件」“完全版”である。

「主文、被告人を懲役8年に処する。
2015年2月4日午前10時過ぎ、東京地裁818号法廷に裁判長の声が響いた。これをもって、航空会社や自治体などに相次いで爆破予告や殺害予告が送りつけられたことに端を発する「パソコン遠隔操作事件」は、2年半の紆余曲折の末、一応の決着を見たことになる。
しかし、この事件は本当に決着したのだろうか。
(本書「あとがき」)

 当方が気になるのは……。

 ネット上でやり取りはIPアドレスが記録され、通信者は特定されると思っていたが、遠隔操作のウイルスやTorという匿名通信システムがあることを知った。現に上掲の逮捕された4人は、あろうことか自らのパソコンに事件予告メールが存在し、犯人とされた。

 そしてこの事件の恐ろしさは、4人の誤認逮捕のうち2人が“自白”していたという推定有罪を前提とする警察の取り調べである。

 ――犯人が犯行の唯一の物的証拠と言ってもいいパソコンを廃棄してしまったり、パソコン上のデータを完全に消去してしまった場合、犯行の裏付けとなる「決定的な証拠」などというものが果たして存在し得るのかという疑問は、今後のサイバー犯罪への対応を考える上では重要な論点になってくる。(本書)

 また、「自己顕示欲があるから捕らえれれる」という。単に事件を起こすだけでなく、つぎつぎエスカレートしていき、「自分を止められなくなる」心理がある。動機を解明する著者は、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗や秋葉原連続殺傷事件の加藤智大死刑囚も、この事件の犯人も同じ1982年生まれだったと指摘する。
「どんな事件にも必ず、その原因の一端を担う社会的背景がある」として、著者はその遠因を探る。さらに……。

 ――弁護士らが、検察からの懲戒請求の威嚇にも怯むことなく公判の進捗状況を広く世に公開したために、われわれの多くが推定有罪捜査と推定有罪報道の実態を目の当たりにすることになった。その意味では、実はこの事件は非常に希少価値の高い重要な事件だったのだ。(あとがき)

  著者の関心は、事件の動機の解明や司法制度の問題点を真摯に洗い出すことが狙いだったようだ。当方は事件そのもののスリリングな展開だけで終わってもノンフィクションとして十分だと考える。しかし刑事訴訟法や個人情報保護法によって、調査報道が阻まれている。著者は書く。。

 ――筆者のような報道を生業とする者が、裁判の終了後に捜査や裁判の問題点を洗い出し、そこからさまざまな問題点や教訓を引き出すためには、裁判記録の情報公開が必須である。日本の司法が抱える諸問題が一向に解決されない理由の一つに、情報公開の欠如があることは明らかだ。それも今回の事件が残した課題のリストにぜひ加えてほしいと願うところである。(あとがき)


 
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北村薫★遠い唇

20170510

2017.05.10遠い唇


 父がいう。
「この間、ある雑誌、見てたら、エッセー欄に書評書いてる人がいた」
「うん?」

「《さすが》と感嘆した本について、ネットで悪評が並んでいたんだって。

それも、根拠のない非難。全く読めてない連中が、とんちんかんな悪口いってる。


 自分に、その本に立ち向かう体力がないのに、気づいてない。歯が立たなかったんだな。――それなのに、叩かれない蚊が調子に乗って刺しまくるように、気安く傷つけてた」
「怖いねえ」
「読む――のは難しい。そんな評だけ読んだら、駄目な本だと思う。手に取らなくなる。
――《これではいかん》と怒って、《今回は、その本がどうして傑作なのか、どこがいいのか。よく分かるように書く》っていうんだ」

「でも、ネット見た人が皆、その雑誌読むわけじゃないからねえ」

――「解釈」


★遠い唇|北村薫|KADOKAWA|2016年9月| ISBN: 9784041047620|△

 “謎と解明の物語”中心の「遠い唇」「しりとり」「パトラッシュ」「解釈」「続・二銭銅貨」「ゴースト」「ビスケット」という7つの短篇を収める。当方、北村薫の熱心な読者ではないが、詩歌にかかわるものは読んでいる。

 今回は「解釈」という奇妙な短篇について……。

 夫婦と高1の娘が、日曜の夜、食事を終えてぶらりと書店に立ち寄る。3人が手にした本は、太宰治『走れメロス』、夏目漱石『吾輩は猫である』、川上弘美『蛇を踏む』の3冊。ところが「光るマーマレードを全体にまとったような、人間ぐらいの大きさのものが、その場に現れ」て、3冊の本が宙に浮き、吸い取られてしまう。

 場面が変わって……。
 新星探査隊艇長のガルブレン・ガルプレレレン・ガルブレーンたちは、その《本》を翻訳機にかける。《吾輩は猫である。名前はまだない》――ところが著者に「夏目漱石」とちゃんと名前がある。矛盾だ!と艇長はいう。

 ――「過去を回想し、《わたしは当時まだ無名であった》と、謙遜しているのではないでしょうか。――察するところ、この記録完成後、何らかの勲功により、《夏目漱石》という名を得たのかと――」(「解釈」)

 「俳句をやってほとゝぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、」の部分を翻訳機にかけると、こう出て来る。

 「ことに当たり浮かんだ心の動きを、言葉にまとめた短いものを、ホトトギスという鳥に書いて投げたり、ことに当たり浮かんだ心の動きを、言葉にまとめたものを、太陽系二番目の惑星に向かって提出したり、」

 こんな風に『走れメロス』も『蛇を踏む』も描かれる。そこで、上掲のエッセー欄に書評書いている人の話に戻る。なぜ上掲の落語のマクラのような文章が挿入されているのか。しかもサゲつきで。「解釈」は「ダ・ヴィンチ」に掲載されたものだ。作者は日ごろ自著についてカスタマーレビューで批評され、「そんな評だけ読んだら、駄目な本だと思う。手に取らなくなる」と慨嘆することが多いのではないだろうか。そして“異星の自動翻訳機”のような解釈の書評を嗤っているのではないか。

 というのが当方の謎の解明の“解釈”であります。が、正直に言えば、歯形立たない。なにしろ一筋縄ではいかない作家である。“とんちんかんな悪口”にならぬよう自戒したい。

北村薫■書かずにはいられない――北村薫のエッセイ

北村薫●自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室




ゴッドファーザー|マリオ・プーヅォ★発掘本・再会本100選

20170117

2017.01.17ゴッドファーザー


 本当を言えば、ドンは庭の手入れをするのが大好きなのだった。早朝の庭の光景が大好きだったのだ。それは彼に、60年前のシシリーにおける彼の子ども時代――父親の死の恐怖も悲しみもない子ども時代を思い起こさせた。〔…〕

 少年は父親を呼びに、全速力で走り去った。マイケル・コルレオーネと、散歩道の門の所にいた何人かの男たちが庭へ駆けつけ、一握りの土をつかんでうつぶせに倒れているドンを見つけた。〔…〕

 もう一度息子を見ようと、ドンは非常な努力で目を開いた。

 強い心臓発作が、血色のよいその顔をほとんど白く変えていた。彼は死のきわにあった。光の黄色い幕のために目がかすみ、ドンは庭のにおいを吸いこんで、そしてささやいた。

「人生はこんなにも美しい」


 ドンは、女たちの涙を見ることなしに、彼女らが教会から帰る前に、救急車や医者も着かないうちに死におもむいた。男たちに囲まれ、彼がいちばん愛した息子の手を握りしめながら息を引き取った。


★ゴッドファーザー|マリオ・プーヅォ|一ノ瀬直二:訳|早川書房|1972年1月|評価=◎おすすめ

 2017年の正月三が日、BSで録画していた映画『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ監督。第1部1972年・第2部1974年・第3部1990年)を観た。とくに第1部は、当方にとってオールタイムベスト10上位に位置づける傑作である。

 マイケル・コルレオーネ役のアル・パチーノ、若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネ役のロバート・デ・ニーロの若々しいことよ。ともに30代前半である(第3部のアル・パチーノは50歳)。当方、両者のファンで、同世代の名優二人へのオマージュとしてこんな俳句をつくったことがある。

 デ・ニーロへアル・パチーノのサングラス 
 
 マリオ・プーヅォの小説は、その訳によるのだろうが、映画の色調ほど格調は高くないが、細部もきちんと書かれ、おもしろく読める。上掲はドン・ヴィトー・コルレオーネが庭の手入れをしていて倒れる場面である。それにしてもマーロン・ブランドの心身の衰えを見せながらの存在感を屹立させる演技の見事さよ。

 おなじみのベッドに馬の生首がころがっている場面……。

 ――胴体から切断された、名馬カートゥムの黒い絹のような頭が、どろどろした血の海の中に突っ立っていた。白い葦のような腱(けん)が見える。鼻口部はあぶくにまみれ、かつては金色の光を放っていたりんごほどもある両の目は、擬固した血で腐った果物の表皮のようにまだらになっている。(本書)

 たとえば、コルレオーネ一家に麻薬ビジネスへの協力を持ちかけるバージル・ソロッツォと、“きれいな賄賂”しか受け取らないマール・マクルスキー警部を、イタリア人地区にあるレストランで、マイケル・コルレオーネが射殺する場面……。

 ――だがマイケルは、相手が言っていることを一言も理解できなかった。文字通り、わけがわからなかった。頭の中いっぱいに血液がどきどきと波打ち、相手の言葉が少しも意味をなさないのだった。テーブルの下で、彼の手はベルトに差しこんだ拳銃のほうへ動き、それを引き抜いた。ちょうどその時、給仕が注文を取りに来て、ソッロッツォは給仕のほうに顔を向けた。その瞬間、マイケルは左手でテーブルを払いのけ、拳銃を握った右手をまっすぐにソッロッツォの頭に突きつけていた。(本書)

 この場面の前に、マイケルがトイレで琺瑯引きの貯水槽の背後に手を伸ばし、テープでとめた銃身の短い拳銃を手に入れるのだが、これは当方の好きなフランス映画『ニキータ』(1990年・リュック・ベッソン監督)のニキータが逃亡するトイレの窓が壁で塞がれている場面を思いださせてくれた。

 さて、映画を見終わって、古い本を整理していたら本書(1976年第31版)が出てきた。奥付の横に、友人のサインと1978年5月という日付が記されている。その友人から借りて、そのままになっていたものである。返そうにも、友人はいない。亡くなってもう5年になる。以前、こう書いた。

 ――たしかロバート・R. マキャモン『少年時代』だったと思うが、“老人が一人死ぬということは、図書館が一つ消失することだ”というフレーズがあった。先日50年を超える交遊をもつ友人の突然の訃報が届いた。私は彼の記憶を多くもつが、彼のもつ私の記憶は永遠に失われてしまった。それが図書館を一つ消失することなのだと気づいた。

 その友人が亡くなったとき、こんな弔句をつくったが、当方、いまだに生きながらえている。

 汝ひとり新酒酌む世へ我も途上



青山文平■白樫の樹の下で

20161210

20161210白樫の樹の下で



 5年前、佐和山道場の門弟は登たち3人だけだった。
 正しくは、かなりの人数が押しかけて結局3人だけが残った。

 3人が並外れて剣術を好んだことは確かだが、3人には剣術の他に止まるべき枝がなかったと言ったほうがより事実に近い。

 木剣の重みを感じていないことには、己がどこに落ちて行ってしまうか分からない危うさを常に抱えていた。
〔…〕

 あの頃は、薪1本でも手にすれば、直ぐに怖さを忘れてしまえるほどに身の置き所がなかった。
その危うさが尋常ではなかったからこそ、漂泊の剣客、佐和山正則も敢えて3人を遠ざけなかったのかもしれない。


■白樫の樹の下で|青山文平|文藝春秋|2011年6月|ISBN:9784163807201 |○

 上掲の佐和山道場の3人とは、村上登、青木昇平、仁志兵輔である。タイトルの「白樫の樹」とは、道場のある深堀河内守の屋敷にそびえる樹齢100年を超えるえる大木、3人の友情のシンボルであろうか。

 竹刀と防具の掛かり稽古の錬尚館に道場破りが現れると、より厳しい木刀の形稽古で鍛えた3人はその相手をしている。
 
 連続無差別殺人事件が起こる。武士4人、町人1人、夜鷹1人が辻斬りにあう。凄惨を極めた殺人であった。ミステリ仕立てなのでストーリーは紹介できない。しかしこんな文体である。

 ――この天明の世ならば誰が下手人になってもおかしくはない。
 天明3年以来、飢えぬための営みはあまりに長く続き、一方で中洲辺りはいよいよ不夜城のごとく江戸湊に浮かび上がって、そこでは狂歌などという倦んだ言葉遊びがけっして飢えぬ者たちの間で垂れ流される。

 どう足掻いてもそこに加われぬ者がいよいよ路傍の土筆などに手を延ばす羽目に陥れば、誰もが従容と骸になるのを待つとは限らない。
 剣の腕を頼む者ならばなおさら、飢えへの不安を知らない顔を乗せた胴体を斬り刻んで、誰にも了解されることのないそれまでの苦闘との帳尻を合わせようとするかもしれない。
(本書)

 田沼意次から松平定信へ治世が移る時代の江戸の様子を描きながら、天明の閉塞感のなかで貧しい暮らしをする3人の生き方を追う。

 読後気づくのだが、事件の伏線は随所に張ってある。だが、狂言回しをつとめる役者のような蝋燭屋の次男坊巳乃介という不可思議な人物が途中で消えてしまうのがなんとも惜しい。


15ミステリアスにつき│T版 2015年12月

20151231

15ミステリアスにつき
★藤原章生『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』

年長の教授が目の前で広島出身の教え子(水田さん)に「親を疎開させろ」と助言するのを目にしなから、湯川博士はなぜ、広島出身の教え子(森さん)にはそうしなかったのか。

この疑問が、半世紀のときを経て森さんを苛んだ。


★藤原章生『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――“最後の弟子、森一久の被爆と原子力人生』△2015


 『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』。森一久は、湯川秀樹に師事し理論物理を専攻、本名で筆名で匿名で原子力問題を論じるジャーナリストに、やがて業界団体JAIFの副会長、“原子力村のドン”と呼ばれる。
 著者は、取材相手に「もし森さんが福島の原発事故のときまで生きていたら何を言い、何をしたか」と問う。




★菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』

「僕は他のことはいざ知らず、事ユダヤ人に関する限りはナチス・ドイツ政府のなすことは絶対に協調出来ない。

そこで純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人の国外脱出を援助すべきことを決意したのであった」。
近衛秀麿『風雪夜話(新装版)』(1967年)

「僕が職務上国外旅行の比較的自由であった立場を利用して、1940年以後スイス、オランダ等の越境の危険を犯しながら出国に成功したユダヤ人の数は十家族を超えた」。
それらを事実として裏付ける調査を行い、活字や映像に残して後世に伝えなければならない。

★菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』〇2015


 菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』。ナチス政権下のドイツなどヨーロッパ各地で活躍した指揮者・近衛秀麿。実はひそかにユダヤ人の保護救出を行っていた。
 事実を発掘するため著者たちの不屈の調査のプロセスを詳細に記すノンフィクション。調査の“果実”だけを「評伝」として再構成すれば、スリリングな物語になるかも。



◎15ミステリアスにつき│T版 2015年8月~10月

20151103

15ミステリアスにつき
★栗林佐知『はるかにてらせ』


「夕暮れ時に一人ぼっちで歩いてるとね、向こうから大人になった自分がやってくるんだよ」
「なんで?」〔…〕
「だってそうなんだもん。自分ていうのは何人もいるんだよ」
(「恩人」)
★栗林佐知『はるかにてらせ』〇2014



**
秋という季節のためか、加齢によって「怒り」が「切なさ」に変化するためか、切ない日々。
『中央公論』2015年10月号「友達のいない男たちへの処方箋」という特集も切ない(読んでいないが)。
駅近くの立食いそば屋で小学生の姉弟と父親の会話も切なかった(中身は書かないが)。
『はるかにてらせ』の6つの奇妙な味の短編も切なかった。
**
「七台並んでいる自動券売機のうち、左から三番目の台には、人があまり並ばないのだ」という「券売機の恩返し」を始め、『はるかにてらせ』は生身の人間の代わりに幽霊や不動尊や機械が活躍する短編集。
主人公は〈みんなが軽々と飛び越える水たまりであっぷあっぷする人たち〉である。笑いもあるのに、切ない。それ以上にそのあとがきがリアルで切なかった。
作家はどこか謎めいていてほしいので、こんなあとがきはいりません。





★佐々淳行『私を通り過ぎたマドンナたち』

いうまでもないことだが、結婚53年目をすぎた妻・佐々幸子(1940~)は、私が頭の上らない唯一人の「マドンナ」である。

★佐々淳行『私を通り過ぎたマドンナたち』△2015

**
2014年の『私を通りすぎた政治家たち』が最後の著書と言っていたはずが、大病を克服し、85歳にして本書。
公私で交流のあった淑女・美女・猛女・女傑約40人が登場する。毛沢東の「婦女能頂半辺天(女性が天の半分を支えている)」か「雌鳥歌えば家滅ぶ」の江青かは、ケースバイケースと著者。
上掲の妻への言及は、当方も事前に予想したが、まことに予定調和的あとがき。
**



★工藤美代子『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』

ひどく輪郭のくっきりとした幽霊の話なんて、あまり耳にしない。

逆に、地下鉄やスーパーの中で、静かに横に立っている人の顔がはっきりしなかったら、それはあの世から来たか、あの世へ行きかけている人なのかもしれない。

★工藤美代子『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』〇2015
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『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』は、あの世の人たちとときどき遭遇してしまう作家の怪談実話エッセイ。生霊が取りついたら気分が悪くなったり、頭が痛くなる。92歳女性の向井さんの話。雑踏の中でわざと他の客にぶつかる。「生霊を振り払うつもりでぶつかるのよ。生霊はつまり『厄』でもあるの。それを落とすのよ、誰かの肩に」。
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★東山彰良『流』


「きみのおじいさんはいつも不機嫌でした」岳さんが言った。「胸のなかにまだ希望があったんでしょうね」
「希望?」
「苛立ちや焦燥感は、希望の裏の顔ですから」

★東山彰良『流』〇2015

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「人というものはおなじものを見て、おなじものを聞いていても、まったくちがう理由で笑ったり、泣いたり、怒ったりするものだが」と、宇文叔父さんは深い溜息をついた。「悲しみだけは霧のなかでチカナカともる灯台の光みたいに、いつもそこにあっておれたちが座礁しないように導いてくれるんだ」(東山彰良『流』)
**
『流』はミステリ仕立てだが、歴史的背景とは遊離し、スリリングな展開もない凡庸な愚連隊もの。直木賞といえば「前作のほうが良かった」という選評で候補者を泣かせ、逆に北村薫、佐々木譲、黒川博行など下り坂の先輩作家を選んだり。ここへきてなぜ選考委員全員一致なのか不可解。人気の本屋大賞より先に権威の直木賞をという事務局の深謀遠慮か。





15/ミステリアスにつき│T版 2015年4月~7月

20150825

15/ミステリアスにつき│T版 2015年4月~7月
15ミステリアスにつき
**2015.04.14
★真山仁『売国』

日本の飛翔体(ミサイルをそう呼びます)の精度は、世界随一だそうです。懇意にしている研究者は、「日本で発射してもブラジルで飛んでいるチョウチョウのど真ん中を打ち抜ける」と豪語しています。★真山仁『売国』
**
真山仁『売国』は、特捜部の検察官、宇宙開発の女性研究者、それぞれの物語が同時進行するが、やがて国益、売国というテーマに結びつく。しかし前者は寄り道が多く、後者は短調すぎる。日本の宇宙開発が米国によって蝕まれていく実態をストレートに書いて欲しかった。



元少年A★絶歌

20150706

絶歌

――なぜ人を殺してはいけないのか?――〔…〕

 大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。

もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
〔…〕

 これが、少年院を出て以来11年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。


*
 1997年に神戸須磨で起きた児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の加害者の男性(当時中学3年生)が、事件にいたる経緯、犯行後の社会復帰にいたる過程を綴った手記が出版された。当方は当時若干のかかわりがあり、すぐさま購入した。

 本書は、第1部は幼少期からの出来事、事件を起し、逮捕、家裁での少年審判終了まで。第2部は2004年、6年余りの少年院生活を終えてからの2012年ごろまでの生活を綴る。第1部と第2部とは著しく文体が異なり、別人が書いたような印象をもつ。書かれた時期が1部と2部とで10年近く差があり、その間に“成長”したのだと思いたい。

 印象に残る記述がいくつかある。少年院に入って2年目、被害者の母、被害者の父が出版した2冊の手記を読むことになる。

 ――その日の夜から、僕はほとんど眠れなくなった。布団に入ると、犯行時の様子が繰り返し繰り返しフラッシュバックした。〔…〕僕は次第に精神に変調をきたし、睡眠薬、向精神薬を投与され、一日中パジャマ姿で、独房から出られない日が続いた。自分が壊れていくのがわかった。

 恐らくこの2冊の手記を読むことによって、「人間が『生きる』ということは、決して無色無臭の『言葉』や『記号』などでは」ないことに気づく契機になったのではないか。
 毎年命日に合わせ、被害者の親に手紙を出す。そして親はメディアにコメントを発表する。手紙の動機は、贖罪だが、もう一つ……。

 ――もうひとつは、「この一年間は、手を抜かずにしっかり生き切ることができただろうか?」と、自分に問いかけ、〔…〕もし被害者の方に気持ちが伝わらなければ、自分はこの1年間、無駄に生きたことになる。何も考えなかったことになる。

 1997年の事件の年から翌年にかけて、被害者の母の『彩花へ』、被害者の父の『淳』、ノンフィクション作家高山文彦の『地獄の季節』、朝日新聞大阪社会部の『暗い森』、加害者の両親の『「少年A」この子を生んで…』などが、2000年以降も少年Aの中学校長、事件を扱った家裁判事の著書などが刊行された。

 今回、元少年Aの本書に関しては、著者及び出版元に対し批判が続出した。遺族の一人は、出版の中止と本の回収を求め、もう一人の遺族は書店での販売自粛や不買の動きに感謝のコメントを発表した。匿名での出版への批判、遺族の事前了解を得るべきだとの批判も。「サムの息子」法を導入すべきとの意見もあった。

 地元の神戸市立図書館は、遺族の心情、人権擁護、「神戸市犯罪被害者等支援条例」の趣旨に基づき所蔵しないと決定した。当方は、出版を制限すべきでなく、販売は書店の裁量、図書館は閲覧制限をしても資料としては当然所蔵すべきだと考える。上掲の関係者の著書をいずれも所蔵しながら、本書のみ“出版されなかった”こととすることに疑問を感じる。事件当時から少年Aに多大の“被害”をうけた地元住民の知る権利を保障するのは、地元図書館の責務であるように思う。

 本書では最後の部分にこう書いている。

 ――自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。

★絶歌│元少年A│太田出版│ISBN:9784778314507│2015年06月│評価=○


真山仁★雨に泣いてる

20150310

2015.03.10雨に泣いてる

「既に死者は一万人を超えるといわれている。だが、数字だけではその悲惨さは分からない。何が起きたのか、そのことを余さず書くんだ」

「記事を書いても死んだ人は生き返ってきません」

「それでも、その死を伝えることで悼むことはできるだろう。

何より、記事は生きている人のために書くんだぞ。

生きている読者は、その死をもっと身近に考えたり、生きることの意味を考えたりするかもしれない。


だから具体的な記事がいるんだ」


*

 3.11大震災の石巻市周辺とおぼしき地を舞台に、新聞記者の活動を描いたミステリである。ミステリであるかぎりストーリーの紹介はできない。

 本書は読みながら、先行する名作2編を想起した。
1954年の青函連絡船洞爺丸遭難事故を題材に、9年後の1963年に出た水上勉『飢餓海峡』。
1985年の日航機123便墜落事故を題材に、18年後の2003年に出た横山秀夫『クライマーズ・ハイ』。

 そして2011年東日本大震災を題材に、4年後の2015年に出た本書真山仁『雨に泣いてる』。後半は記者と刑事の違いはあるものの『飢餓海峡』を想起し、終盤は記者個人と社内組織の違いはあるものの『クライマーズ・ハイ』を想起した。

 本書は611枚(400字詰)で、真山仁にしては短い作品である。二転三転する終盤はじっくり書きこんで欲しかったし、役割を果たしそうな市長が途中で消えてしまったり、主人公大嶽圭介の妻の葛藤を描いて欲しかったし、となんだか生煮えの感じがしないではない。

 そういう弱点はあり、書かれたのが震災から近すぎるという批判はあるものの、神戸の大震災にさかのぼったストーリーに奥行きがあり、当方としては『飢餓海峡』『クライマーズ・ハイ』を追う社会派ミステリの傑作だと評したい。

★雨に泣いてる │真山仁│幻冬舎 │ISBN:9784344027039│2015年01月│評価=◎おすすめ│3.11を舞台の社会派ミステリ。


真山仁■そして、星の輝く夜がくる




山田吉彦★国境の人びと――再考・島国日本の肖像

20150122

2015.01.22国境の人びと


 鉄道と船で結ばれ、日常的に利用されている津軽海峡のまん中に、日本の国の法律が及ばない海域が存在していることはあまり知られていない。

 対岸を目と鼻の先に見ることができ、海底にはトンネルが掘られている海峡だが、その中央部は、法律などの国家主権が適用されない公海なのである。  

 領土、領海の境界線を国境というならば、
津軽海峡の中には領海と公海を隔てる国境線が引かれているのだ。



 国際的に領海幅を沿岸から12海里(約22km)。ただし宗谷海峡、津軽海峡、大隅海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道の5海峡だけは「特定海域」と定め、領海幅を3海里(約5.6km)。

 このため中国海軍の情報収集艦、ロシアのLNGタンカーが自由に航行する。なぜ3海里か。同書によれば、仮に領海内をアメリカの核兵器搭載船舶が通過すると、非核三原則による「核兵器持込み禁止」に抵触するためだとされる。

 本書は、北方領土、対馬、竹島、尖閣諸島をはじめ、北は択捉島から南は沖ノ鳥島まで、東は南鳥島から西は与那国まで、離島の人びとの苦悩の声を届ける。

★国境の人びと――再考・島国日本の肖像 │山田吉彦│新潮社│ISBN:9784106037542│2014年08月│評価=○



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