発掘本・再会本100選◆殺人者はいかに誕生したか|長谷川博一…………☆重きを置いたのは、彼らがまだ犯罪者ではなかった「子ども」のときのことです。……宅間守という“凶獣”

20180212

2018.02.12殺人者はいかに誕生したか


 妻は、遺体を引き取るときの状況も話してくれました。普通は拘置所内で火葬され、お骨のみ受け取ります。しかし妻は、遺体を引き取ることを強く要望したのでした。

 拘置所の裏門で、棺が載せられた車に乗ろうとする際、拘置所の若い職員が駆け寄ってきて、囁き、すぐに帰っていったそうです。 〔…〕

 彼、宅間守の最後の言葉を伝えるためでした。それは、
「○○さん(妻) に、ありがとうって伝えてほしいねん」


そこには、モンスターが40年間かけてはじめて知った、家族の絆があったのかもしれません。

 死刑判決から執行までの1年1カ月、連日のように面会し続けた妻でした。

――第1章 大阪教育大学附属池田小学校事件 宅間守


◆殺人者はいかに誕生したか――「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く|長谷川博一 |2010年11月|新潮社|ISBNコード:9784103287612/新潮文庫版:2015年3月|◎おすすめ

 著者長谷川博一(1959~)は臨床心理士。裁判所や弁護人や検察官から鑑定の依頼を受け、また臨床心理学的対話をしたいとの自らの意志で、被告人、死刑囚に面談してきた。本書では以下のような世間を騒がせた事件の人物を扱っている。ジャーナリストでも法曹関係者でもこれだけ多くの“著名人”に会った者はいないだろう。

1・大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件 宅間守
2・東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤
3・大阪自殺サイト連続殺人事件 前上博
4・光市母子殺害事件 元少年
5・同居女性殺人死体遺棄事件 匿名
6・秋田連続児童殺害事件 畠山鈴香
7・土浦無差別殺傷事件 金川真大
8・秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大
9・奈良小一女児殺害事件 小林薫
10・母親による男児せっかん死事件 匿名

 当方はノンフィクションを10篇読んだ気分だが、ここでは宅間守死刑囚のみを扱う。著者は本書の意図をこう記している。

 ――犯罪やその取り扱われ方(裁判)も示しますが、重きを置いたのはタイトルの「いかに」の部分に込めたとおり、彼らがまだ犯罪者ではなかった「子ども」のときのことです。犯罪への伏線となった「子どもの事情」です。

 つまり本書は、犯罪学の本ではないということです。個々の犯罪事例を通して、子育てや家族・親子関係について深く考え直してみることを提案する、教育本なのかもしれません。
 あるいは、刑事司法が犯罪抑止に積極的に向き合うように問いかける、司法改革への提案なのかもしれません。
(本書)

2018.02.12凶獣

 じつは本書を手にしたのは、池田小学校児童殺傷事件の宅間守について書かれた石原慎太郎『凶獣』(2017)のなかに、長谷川博一臨床心理士へのインタビューが含まれていて、知ったからである。

 池田小学校児童殺傷事件とは、2001年大阪教育大学附属池田小学校の教室で出刃包丁を持った宅間守によって児童8名を殺害され、児童13名・教諭2名が重傷を負った事件である。
 石原慎太郎『凶獣』は、臨床心理士のほか弁護士、精神科医、ジャーナリストに取材し、「人間の世の中を支配する不条理」に迫ったもの。事実関係を補うため一部作者の想像を組みこんだノンフィクションである。

 ――宅間の犯した出来事について知れば知るほど私は人間なるものの生き様の芯の芯にある大きな虚構のようなものに突き当たり困惑させられ、物書きの想像力をはるかに超えたものに突き当たり立ちすくんでしまったのだった。 (『凶獣』)

 こういう事件を起こす人間は、生来的に危険因子として持っているDNA、そして生まれた後の生活環境が大きく関係しているという。
 宅間の場合、機嫌に任せて荒れ狂い暴力を振う父親、情けない哀れな母親、しかし母親は精神病院を退院させないようにしたり、生まれてほしくなかったと言ったり、宅間自身には虐げられた子ども、憎むべき敵としての両親だったようだ。

 ――幼児期の愛着形成の重大な欠陥。これが彼をモンスターに仕立て上げた主因であるのは間違いないでしょう。被虐待児やドメスティック・バイオレンスの環境下で育った子どもたちには、程度の差こそあれ、愛着形成の失敗という問題がつきまといます。その後遺症として対人関係の障害が発露するのです。 (本書)

 当方にとって、もっとも戦慄した犯罪者は、宅間守である。
 車を運転しているときに女性をはねて動かないようにして強姦する、など事件化されていない多くの犯罪もあるようだ。
 宅間は何番目かの妻となる“加古川の女”が不同意堕胎したことが、事件の引き金になった。父親の暴力の中で育った彼は、自分の男の子をまともに育てることに憧れを抱いていたという。
当方が“加古川の女”の父親(その職場に当方は縁がないわけではなかった)の立場だったらどうするだろう。当方はおそらく逆に殺されるのを覚悟で凶器で差し違えただろう。

 2003年8月28日、死刑判決。判決前に「最後に俺にも言わせろ」と叫び、退廷させられ、本人は判決文を聞いていない。9月26日、死刑確定。刑の早期執行を訴え、翌年2004年9月14日に異例の早さで死刑執行。死刑判決が出されてから死刑執行までの間に、著者は15回の面会を重ねる。
 上掲の遺体を引き取った妻は、死刑囚と面会の権利のため「獄中結婚」した死刑廃止運動の女性。

 著者は、裁判員制度にふれてこう書いている。

 ――制度は、犯罪を解読する機会を失う方向に進んでいるようです。
 凶悪事件は頻発しています。判決によって量刑は決まっても、「真相は闇に葬られた」と締めくくられてしまう事態が続いています。司法は、あってはならない不幸を教訓とし、犯罪者を誕生させない社会づくりに資する機能を備えてはいません。
(本書)


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清武英利★石つぶて――警視庁二課刑事の残したもの …………☆ノンキャリアという石つぶてが放つ哀感にじむノンフィクション

20171127

20171127石つぶて


 生きて償ってもらうと中才が言うように、古手の刑事になると、独特の哲学を持つようになる。鈴木も「償い」について、中才に似た思想を持っていた。

 ――松尾が上申書にあるような罪を犯しているのならば、同情の余地はない。しかし、それは償える。生まれつきの犯罪者はいない。環境が人間を変えていくのだ。

 不正を許す環境に身を任せたときに、人間が犯してしまった部分が犯罪であって、その部分だけは責任を取ってもらわなければいけない。

 俺たち捜査二課の刑事というものは、取り調べて、落とし、刑務所に送ることが最後の目的ではない。


人間がその罪を償った後、対等の関係になって、できれば付き合うということが本当の役目なのだ。捕まえることだけが目的ではない。


★石つぶて――警視庁二課刑事の残したもの |清武英利 |講談社|2017年7月|ISBN: 9784062206877|◎=おすすめ

2001年に発覚した外務省機密費流用事件は、外務省のノンキャリア松尾克俊が官房機密費を搾取した事件。1993年10月から1999年8月まで外務省要人外国訪問支援室長だった松尾は46回の首相外遊を担当し、搾取した官房機密費から競走馬14頭、高級マンション、愛人等に費消していた。

 松尾は、たとえば1997年のサウジアラビアでは首相一行が無料の迎賓館に滞在したし、1999年のヨルダンではホテルで休憩しただけなのに、宿泊費をだまし取っていた。といった手口で官邸機密費10億円を自らの口座に入れていた。

事件を追う警視庁刑事部捜査二課は、他の部署の応援を得て総勢162人という捜査陣、情報入手の1999年11月から追起訴を追える2001年6月まで、実に598日を要した大事件だった。

  これは個人の犯罪ではない。たとえば現事務次官杉山晋輔は、斉藤邦彦事務次官の秘書官時代に2億円の機密費を飲食等に使ったことは、『外務省犯罪黒書』等の佐藤優の著作でおなじみであり、歴代事務次官をはじめとした“金と女”にだらしない外務省を弾劾するものだった。

 だが本書は大上段に振りかぶらず二人のノンキャリア刑事と一人のノンキャリア官僚に絞り込んで見事なノンフィクションに仕上げ、その“氷山の一角”から国家のタブーを推し量ることを読者に促すのだ。

 ――警視庁捜査二課には明確な棲み分けがある。
 情報係は汚職情報を収集し一定の裏付けを終えると、それ以降の逮捕、起訴までの捜査を、「ナンバー」と呼ばれる知能犯捜査グループ任せることになっている。つまり、不正の情報を掘り起こす班があり、一方にその事件をまとめあげて逮捕する班がある。捜査も分業なのだ。
(本書)

 その情報収集と裏付け捜査を担当するのが、中才宗義・捜査二課第1知能犯情報係主任。富山県出身。国士舘大学夜間学部中退。
 逮捕、起訴までの捜査を担当するのが、鈴木敏・捜査二課第4知能犯第3係主任。福島県出身。専修大学夜間学部卒。
 二人は農家の末っ子。警視庁に年間1500人採用の高卒組である。

 他方、外務省は、サミット準備に関し、Ⅰ種のキャリアやⅡ種の中級職である専門職は、首脳会談の議題や発言要領作成など「サブスタンス(substance)」、あるいは「サブ」と呼ばれる本筋の仕事を担当し、Ⅲ種職員と呼ばれるノンキャリア職員は、「ロジスティクス(logistics)、あるいは「ロジ」と呼ばれる、要人一行の出入国手続きから会場準備、車両やホテルの手配、諸物品の調達に至る後方支援を仕切る。

 そのノンキャリアの“星”、かつ外務省の“三悪人”が、浅川明男、松尾克俊、小林祐武である。
当事件の主役松尾克俊は、神奈川県出身の高卒組、明治大学法学部夜間部中退である。

参考人として取り調べを受けたキャリアは、松尾の仲人でもある“ミスター外務省”国際協力事業団総裁・斉藤邦彦。松尾がかけマージャンの世話をしていた事務次官、川島裕、野上義二、谷内正太郎。大蔵省国際金融局長・黒田東彦(現・日銀総裁)、大蔵省財務官・榊原英資、内閣官房首席内閣参事官・羽毛田信吾(元宮内庁長官)、外務省総合外交政策局総務課長・河相周夫(現・侍従長)などの名前が登場する。そして、機密費問題を封じ込めたい総理官邸に被害届を、事件をもみ消そうとした外務省には刑事告発状を出させなければならない。

 ――鈴木は一枚の写真を取り出して、松尾に見せた。そこに松尾の両親の墓が写っていた。捜査員が撮ってきたのだ。
「嘘をついて、ご両親に恥ずかしくないか。墓の下で泣いているんじゃないか」
鈴木がそう言った瞬間、「わーっ」という慟哭が調べ室に響き渡った。張りつめるだけ張りつめた胸の奥が破裂したのだ。机に突っ伏した松尾の両目から涙が噴き出した。

 誰もが心の奥底に秘事や痛みを住まわせている。逃げ場のないところに人間を追い込み、その闇や弱点を突いて声掛けをすると、緊張の糸が切れ、抑えていた感情が悶え始める。そして本音が現れる。
(本書)

 こうした中才や鈴木たちの地を這う捜査によって事件は終結するが、二人に待っていたのは左遷である。サラリーマンに悲哀が切々と迫ってくる。松尾は懲役7年6カ月の刑を終えて社会復帰しているが、定年退職した鈴木は取材に応じない。鈴木は松尾の相談相手になっているかもしれない、と元上司はいう。 

 ――私は、巨大な組織の「餌付け」を拒んで生きる人々を、社会の片隅から見つけ出すことを仕事にしているが、無欲の元刑事たちに出会って「廉吏」という古い言葉を思い浮かべた。(あとがき)

 ひるがえって“姑息”な安倍首相と“隠蔽”菅長官率いる官邸、“忖度”づくしのキャリア官僚、……いまも“卑しい面々”が跋扈している。


畑中章宏 ★21世紀の民俗学 …………☆太鼓も唄もない「無音盆踊り」は霊とのひそかな交わり

20171023

20171023-21世紀の民俗学


 世界に満ち溢れる音のなかには、美しくて意味があるものと、清掃すべき不快で無意味なものがある――。「無音盆踊り」を眺めながらわたしは、美音と雑音・騒音の線引きの基準について考えていたのである。

 肝心の踊りのほうはなかなかの「見物(みもの)」だった。

 砂をこする草履の音、時間差で打たれる手拍子。お囃子が響かないことで、所作が露わになり、踊るからだが生み出す音だけが聞こえるのだ。

 惜しむらくは、「無音盆踊り」が20分ほどで終わってしまうところだろう。

 
 無音のまま夜を徹して踊れば、印象も変わるにちがいない

――『無音盆踊りの「風流」』


★21世紀の民俗学 |畑中章宏 |KADOKAWA|2017年7月|ISBN:9784044002053

 現在進行形の出来事、流行や風俗に関し、民俗学を切り口にして考察したもの。

 「ザシキワラシと自撮り棒」「景観認知症」「すべての場所は事故物件である」「河童に選挙権を!」など魅力的なタイトルが並んでいるが、当方は上掲の「無音盆踊りの『風流』」が“今日に起こった眼の前の事象”としていちばん興味深かった。

 愛知県東海市の太田川駅近くの盆踊りは、踊り手がFMラジオのイヤホンをつけ、発信される曲を聴きながら踊るという 「イヤホン盆踊り」「サイレント盆踊り」。盆踊り会場に音声が流れず、まわりの人は音のない踊りを見物する。

 読んだとたん、“サイコ集団”をイメージした。不気味というほかはない。全員が狐の面をつけたいたら、さらに怖い。

 盆踊りといえば、櫓の上での太鼓となんとか音頭、なんとか節の唄、手拍子と決まっている。当方の田舎でも地元の播州音頭よりも炭坑節が定番だったが、青年団の解散とともに盆踊りは消滅した。いまはそばの新興住宅地でおこなわれているが、音響迷惑のため夜9時で終わる。

 さてこの東海市の無音盆踊りは、「天然資源の節約や廃棄物の発生抑制など環境に配慮したまつり」とちょっと意味不明の趣旨で、2009年に始まったという(同時に“有音”盆踊りも開催されている)。

 著者は、昔から静かな盆踊りもあった、と柳田国男を引く。

 ――1920年(大正9年)に岩手県九戸郡の小子内浜で柳田がみた小さな盆踊りも、

  一つの楽器もなくとも踊りは眼の音楽である。四周が閑静なだけにすぐに揃って、そうしてしゅんで来る。(柳田国男「浜の月夜」)
 
と記されている。
 賑やかな音楽がなくても、盆踊りはじゆうぶんに成り立つし、この列島で古くから続いてきた盆踊りは、決して賑やかなものばかりではなかった。
 こうした霊との濃密でひそかな交じわりを、柳田は「しゅんでくる」と表現したのである。
(本書)

  「しゅんでくる」は柳田の故郷の播州弁「シュム=染むの訛音。墨や色がついてそまる。水が内部に沁み通る」のことだと思われる。

  「しゅんでくるまで踊り続けたとき、無音盆踊りも伝統になるだろう」と著者は書く。はたしてこの“不寛容”な現代に、夜を徹して遊ぶことが“霊と向き合う行為”として地域で許され、継続されるだろうか。

 とりあえず、民俗学が時代に切り込むとはどういうことか。巻末の「ありえなかったはずの未来-――『感情史』としての民俗学」を読んでみることにしよう。



神保哲生★P C遠隔操作事件…………☆事件の展開から動機の解明、司法制度の課題まで、すべてを網羅した“完全版”ノンフィクション。

20170829

2017.08.29PC遠隔操作事件


件名:【遠隔操作事件】私が真犯人です

■私の目的
「犯行予告で世間を騒がすこと」
「無実の人を陥れて陰でほくそ笑むこと」
などではなく、
「警察・検察を掠めてやりたかった、醜態を晒させたかった」という動機が100%です。
なので、ある程度のタイミングで誰かにこの告白を送って、捕まった人たちを助けるつもりでした。〔…〕

■警察・検察の方へ  あそんでくれてありがとう。
今回はこのぐらいにしておくけれど、またいつかあそびましょうねーーー

いずれの件でも、本当に凶行に及ぶつもりはありませんでしたのでご安心ください。


――日付:2012年10月9日


★P C遠隔操作事件 |神保哲生 |光文社|2017年5月|ISBN:9784334979058|◎=おすすめ

パソコン遠隔操作事件は、2012年の6月から9月にかけて、インターネットの電子掲示板を介して、他者のパソコン(PC)を遠隔操作し、襲撃や殺人などの犯罪予告を行ったサイバー犯罪事件。逮捕者は次の通り。

① 6月29日の横浜市A小学校襲撃予告事件。杉並区未成年男性を7月1日威力業務妨害で逮捕。自供。

② 7月29日の大阪オタロード無差別殺人予告事件、および8月1日JAL006便爆破予告事件。吹田市男性を8月26日偽計業務妨害、航空機運行阻害で逮捕。

③ 8月27日の女優Z殺害予告事件、および同日皇族の子弟を標的とした私立幼稚園襲撃予告事件。福岡男性を7月1日脅迫、威力業務妨害で逮捕。自供。

④ 9月10日の伊勢神宮爆破予告事件。津市男性を9月14日威力業務妨害で逮捕。

ところが、10月9日、上掲のように「私が真犯人です」と犯人がメールで名乗り出た。この犯行声明により公表されていない事件も含めて8つの事件は同一犯による犯行であるとして、警視庁、大阪府警、神奈川県警、三重県警の合同捜査本部が設置される。

犯人はその後も警察やメディアへの挑発を続け、2013年1月「江の島にいる猫の首に記憶媒体を取り付けた」と告げ、メールに添付された写真など多くのヒントを残した。そして2013年2月10日、警察は江東区に住むコンピュータ・プログラマー片山祐輔を逮捕する。

だがここからさらなる展開をみせる。被告片山とその弁護団が録音・録画なしの取り調べには応じないという方針を最後まで貫き、逮捕後、3日間の形式的な取り調べ以外は一切の取り調べが行われないまま、公判に突入していく。

この最強の弁護団がユニーク。弁護団は公判前整理手続の期間中から公判に入っても会見を開き、その日の概略を説明した上で、自分たちの主張を発表した。他方、検察側は情報をリークし、メディアを巻き込んだ“場外乱闘”となった。

被告片山は13か月拘留されたのち保釈される。カメラのフラッシュを浴び「自由はまぶしいものだ」と語った。記者から真犯人をどう思うかと訊かれ、「この文面を見る限り、相当サイコパスみたいな人なんじゃないか。人の権利とか、どうも思っていないようなひどいやつだと思う」と語る。

5月16日の第8回の公判の最中に、裁判の流れを決定的に変える重大な事件が発生。すなわち“真犯人”を名乗る人物からのメールが、弁護士やメディア関係者に届いたのだ。……ここまでで本書の約半分。

本書は、500ページを越える大冊で、PCや司法制度の説明をわかりやすく説明し、さらにこの事件がどのような課題を投げかけているかを丁寧に検証した「PC遠隔操作事件」“完全版”である。

「主文、被告人を懲役8年に処する。
2015年2月4日午前10時過ぎ、東京地裁818号法廷に裁判長の声が響いた。これをもって、航空会社や自治体などに相次いで爆破予告や殺害予告が送りつけられたことに端を発する「パソコン遠隔操作事件」は、2年半の紆余曲折の末、一応の決着を見たことになる。
しかし、この事件は本当に決着したのだろうか。
(本書「あとがき」)

 当方が気になるのは……。

 ネット上でやり取りはIPアドレスが記録され、通信者は特定されると思っていたが、遠隔操作のウイルスやTorという匿名通信システムがあることを知った。現に上掲の逮捕された4人は、あろうことか自らのパソコンに事件予告メールが存在し、犯人とされた。

 そしてこの事件の恐ろしさは、4人の誤認逮捕のうち2人が“自白”していたという推定有罪を前提とする警察の取り調べである。

 ――犯人が犯行の唯一の物的証拠と言ってもいいパソコンを廃棄してしまったり、パソコン上のデータを完全に消去してしまった場合、犯行の裏付けとなる「決定的な証拠」などというものが果たして存在し得るのかという疑問は、今後のサイバー犯罪への対応を考える上では重要な論点になってくる。(本書)

 また、「自己顕示欲があるから捕らえれれる」という。単に事件を起こすだけでなく、つぎつぎエスカレートしていき、「自分を止められなくなる」心理がある。動機を解明する著者は、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗や秋葉原連続殺傷事件の加藤智大死刑囚も、この事件の犯人も同じ1982年生まれだったと指摘する。
「どんな事件にも必ず、その原因の一端を担う社会的背景がある」として、著者はその遠因を探る。さらに……。

 ――弁護士らが、検察からの懲戒請求の威嚇にも怯むことなく公判の進捗状況を広く世に公開したために、われわれの多くが推定有罪捜査と推定有罪報道の実態を目の当たりにすることになった。その意味では、実はこの事件は非常に希少価値の高い重要な事件だったのだ。(あとがき)

  著者の関心は、事件の動機の解明や司法制度の問題点を真摯に洗い出すことが狙いだったようだ。当方は事件そのもののスリリングな展開だけで終わってもノンフィクションとして十分だと考える。しかし刑事訴訟法や個人情報保護法によって、調査報道が阻まれている。著者は書く。。

 ――筆者のような報道を生業とする者が、裁判の終了後に捜査や裁判の問題点を洗い出し、そこからさまざまな問題点や教訓を引き出すためには、裁判記録の情報公開が必須である。日本の司法が抱える諸問題が一向に解決されない理由の一つに、情報公開の欠如があることは明らかだ。それも今回の事件が残した課題のリストにぜひ加えてほしいと願うところである。(あとがき)


 

北村薫★遠い唇

20170510

2017.05.10遠い唇


 父がいう。
「この間、ある雑誌、見てたら、エッセー欄に書評書いてる人がいた」
「うん?」

「《さすが》と感嘆した本について、ネットで悪評が並んでいたんだって。

それも、根拠のない非難。全く読めてない連中が、とんちんかんな悪口いってる。


 自分に、その本に立ち向かう体力がないのに、気づいてない。歯が立たなかったんだな。――それなのに、叩かれない蚊が調子に乗って刺しまくるように、気安く傷つけてた」
「怖いねえ」
「読む――のは難しい。そんな評だけ読んだら、駄目な本だと思う。手に取らなくなる。
――《これではいかん》と怒って、《今回は、その本がどうして傑作なのか、どこがいいのか。よく分かるように書く》っていうんだ」

「でも、ネット見た人が皆、その雑誌読むわけじゃないからねえ」

――「解釈」


★遠い唇|北村薫|KADOKAWA|2016年9月| ISBN: 9784041047620|△

 “謎と解明の物語”中心の「遠い唇」「しりとり」「パトラッシュ」「解釈」「続・二銭銅貨」「ゴースト」「ビスケット」という7つの短篇を収める。当方、北村薫の熱心な読者ではないが、詩歌にかかわるものは読んでいる。

 今回は「解釈」という奇妙な短篇について……。

 夫婦と高1の娘が、日曜の夜、食事を終えてぶらりと書店に立ち寄る。3人が手にした本は、太宰治『走れメロス』、夏目漱石『吾輩は猫である』、川上弘美『蛇を踏む』の3冊。ところが「光るマーマレードを全体にまとったような、人間ぐらいの大きさのものが、その場に現れ」て、3冊の本が宙に浮き、吸い取られてしまう。

 場面が変わって……。
 新星探査隊艇長のガルブレン・ガルプレレレン・ガルブレーンたちは、その《本》を翻訳機にかける。《吾輩は猫である。名前はまだない》――ところが著者に「夏目漱石」とちゃんと名前がある。矛盾だ!と艇長はいう。

 ――「過去を回想し、《わたしは当時まだ無名であった》と、謙遜しているのではないでしょうか。――察するところ、この記録完成後、何らかの勲功により、《夏目漱石》という名を得たのかと――」(「解釈」)

 「俳句をやってほとゝぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、」の部分を翻訳機にかけると、こう出て来る。

 「ことに当たり浮かんだ心の動きを、言葉にまとめた短いものを、ホトトギスという鳥に書いて投げたり、ことに当たり浮かんだ心の動きを、言葉にまとめたものを、太陽系二番目の惑星に向かって提出したり、」

 こんな風に『走れメロス』も『蛇を踏む』も描かれる。そこで、上掲のエッセー欄に書評書いている人の話に戻る。なぜ上掲の落語のマクラのような文章が挿入されているのか。しかもサゲつきで。「解釈」は「ダ・ヴィンチ」に掲載されたものだ。作者は日ごろ自著についてカスタマーレビューで批評され、「そんな評だけ読んだら、駄目な本だと思う。手に取らなくなる」と慨嘆することが多いのではないだろうか。そして“異星の自動翻訳機”のような解釈の書評を嗤っているのではないか。

 というのが当方の謎の解明の“解釈”であります。が、正直に言えば、歯形立たない。なにしろ一筋縄ではいかない作家である。“とんちんかんな悪口”にならぬよう自戒したい。

北村薫■書かずにはいられない――北村薫のエッセイ

北村薫●自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室




ゴッドファーザー|マリオ・プーヅォ★発掘本・再会本100選

20170117

2017.01.17ゴッドファーザー


 本当を言えば、ドンは庭の手入れをするのが大好きなのだった。早朝の庭の光景が大好きだったのだ。それは彼に、60年前のシシリーにおける彼の子ども時代――父親の死の恐怖も悲しみもない子ども時代を思い起こさせた。〔…〕

 少年は父親を呼びに、全速力で走り去った。マイケル・コルレオーネと、散歩道の門の所にいた何人かの男たちが庭へ駆けつけ、一握りの土をつかんでうつぶせに倒れているドンを見つけた。〔…〕

 もう一度息子を見ようと、ドンは非常な努力で目を開いた。

 強い心臓発作が、血色のよいその顔をほとんど白く変えていた。彼は死のきわにあった。光の黄色い幕のために目がかすみ、ドンは庭のにおいを吸いこんで、そしてささやいた。

「人生はこんなにも美しい」


 ドンは、女たちの涙を見ることなしに、彼女らが教会から帰る前に、救急車や医者も着かないうちに死におもむいた。男たちに囲まれ、彼がいちばん愛した息子の手を握りしめながら息を引き取った。


★ゴッドファーザー|マリオ・プーヅォ|一ノ瀬直二:訳|早川書房|1972年1月|評価=◎おすすめ

 2017年の正月三が日、BSで録画していた映画『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ監督。第1部1972年・第2部1974年・第3部1990年)を観た。とくに第1部は、当方にとってオールタイムベスト10上位に位置づける傑作である。

 マイケル・コルレオーネ役のアル・パチーノ、若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネ役のロバート・デ・ニーロの若々しいことよ。ともに30代前半である(第3部のアル・パチーノは50歳)。当方、両者のファンで、同世代の名優二人へのオマージュとしてこんな俳句をつくったことがある。

 デ・ニーロへアル・パチーノのサングラス 
 
 マリオ・プーヅォの小説は、その訳によるのだろうが、映画の色調ほど格調は高くないが、細部もきちんと書かれ、おもしろく読める。上掲はドン・ヴィトー・コルレオーネが庭の手入れをしていて倒れる場面である。それにしてもマーロン・ブランドの心身の衰えを見せながらの存在感を屹立させる演技の見事さよ。

 おなじみのベッドに馬の生首がころがっている場面……。

 ――胴体から切断された、名馬カートゥムの黒い絹のような頭が、どろどろした血の海の中に突っ立っていた。白い葦のような腱(けん)が見える。鼻口部はあぶくにまみれ、かつては金色の光を放っていたりんごほどもある両の目は、擬固した血で腐った果物の表皮のようにまだらになっている。(本書)

 たとえば、コルレオーネ一家に麻薬ビジネスへの協力を持ちかけるバージル・ソロッツォと、“きれいな賄賂”しか受け取らないマール・マクルスキー警部を、イタリア人地区にあるレストランで、マイケル・コルレオーネが射殺する場面……。

 ――だがマイケルは、相手が言っていることを一言も理解できなかった。文字通り、わけがわからなかった。頭の中いっぱいに血液がどきどきと波打ち、相手の言葉が少しも意味をなさないのだった。テーブルの下で、彼の手はベルトに差しこんだ拳銃のほうへ動き、それを引き抜いた。ちょうどその時、給仕が注文を取りに来て、ソッロッツォは給仕のほうに顔を向けた。その瞬間、マイケルは左手でテーブルを払いのけ、拳銃を握った右手をまっすぐにソッロッツォの頭に突きつけていた。(本書)

 この場面の前に、マイケルがトイレで琺瑯引きの貯水槽の背後に手を伸ばし、テープでとめた銃身の短い拳銃を手に入れるのだが、これは当方の好きなフランス映画『ニキータ』(1990年・リュック・ベッソン監督)のニキータが逃亡するトイレの窓が壁で塞がれている場面を思いださせてくれた。

 さて、映画を見終わって、古い本を整理していたら本書(1976年第31版)が出てきた。奥付の横に、友人のサインと1978年5月という日付が記されている。その友人から借りて、そのままになっていたものである。返そうにも、友人はいない。亡くなってもう5年になる。以前、こう書いた。

 ――たしかロバート・R. マキャモン『少年時代』だったと思うが、“老人が一人死ぬということは、図書館が一つ消失することだ”というフレーズがあった。先日50年を超える交遊をもつ友人の突然の訃報が届いた。私は彼の記憶を多くもつが、彼のもつ私の記憶は永遠に失われてしまった。それが図書館を一つ消失することなのだと気づいた。

 その友人が亡くなったとき、こんな弔句をつくったが、当方、いまだに生きながらえている。

 汝ひとり新酒酌む世へ我も途上



青山文平■白樫の樹の下で

20161210

20161210白樫の樹の下で



 5年前、佐和山道場の門弟は登たち3人だけだった。
 正しくは、かなりの人数が押しかけて結局3人だけが残った。

 3人が並外れて剣術を好んだことは確かだが、3人には剣術の他に止まるべき枝がなかったと言ったほうがより事実に近い。

 木剣の重みを感じていないことには、己がどこに落ちて行ってしまうか分からない危うさを常に抱えていた。
〔…〕

 あの頃は、薪1本でも手にすれば、直ぐに怖さを忘れてしまえるほどに身の置き所がなかった。
その危うさが尋常ではなかったからこそ、漂泊の剣客、佐和山正則も敢えて3人を遠ざけなかったのかもしれない。


■白樫の樹の下で|青山文平|文藝春秋|2011年6月|ISBN:9784163807201 |○

 上掲の佐和山道場の3人とは、村上登、青木昇平、仁志兵輔である。タイトルの「白樫の樹」とは、道場のある深堀河内守の屋敷にそびえる樹齢100年を超えるえる大木、3人の友情のシンボルであろうか。

 竹刀と防具の掛かり稽古の錬尚館に道場破りが現れると、より厳しい木刀の形稽古で鍛えた3人はその相手をしている。
 
 連続無差別殺人事件が起こる。武士4人、町人1人、夜鷹1人が辻斬りにあう。凄惨を極めた殺人であった。ミステリ仕立てなのでストーリーは紹介できない。しかしこんな文体である。

 ――この天明の世ならば誰が下手人になってもおかしくはない。
 天明3年以来、飢えぬための営みはあまりに長く続き、一方で中洲辺りはいよいよ不夜城のごとく江戸湊に浮かび上がって、そこでは狂歌などという倦んだ言葉遊びがけっして飢えぬ者たちの間で垂れ流される。

 どう足掻いてもそこに加われぬ者がいよいよ路傍の土筆などに手を延ばす羽目に陥れば、誰もが従容と骸になるのを待つとは限らない。
 剣の腕を頼む者ならばなおさら、飢えへの不安を知らない顔を乗せた胴体を斬り刻んで、誰にも了解されることのないそれまでの苦闘との帳尻を合わせようとするかもしれない。
(本書)

 田沼意次から松平定信へ治世が移る時代の江戸の様子を描きながら、天明の閉塞感のなかで貧しい暮らしをする3人の生き方を追う。

 読後気づくのだが、事件の伏線は随所に張ってある。だが、狂言回しをつとめる役者のような蝋燭屋の次男坊巳乃介という不可思議な人物が途中で消えてしまうのがなんとも惜しい。


15ミステリアスにつき│T版 2015年12月

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15ミステリアスにつき
★藤原章生『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』

年長の教授が目の前で広島出身の教え子(水田さん)に「親を疎開させろ」と助言するのを目にしなから、湯川博士はなぜ、広島出身の教え子(森さん)にはそうしなかったのか。

この疑問が、半世紀のときを経て森さんを苛んだ。


★藤原章生『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――“最後の弟子、森一久の被爆と原子力人生』△2015


 『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』。森一久は、湯川秀樹に師事し理論物理を専攻、本名で筆名で匿名で原子力問題を論じるジャーナリストに、やがて業界団体JAIFの副会長、“原子力村のドン”と呼ばれる。
 著者は、取材相手に「もし森さんが福島の原発事故のときまで生きていたら何を言い、何をしたか」と問う。




★菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』

「僕は他のことはいざ知らず、事ユダヤ人に関する限りはナチス・ドイツ政府のなすことは絶対に協調出来ない。

そこで純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人の国外脱出を援助すべきことを決意したのであった」。
近衛秀麿『風雪夜話(新装版)』(1967年)

「僕が職務上国外旅行の比較的自由であった立場を利用して、1940年以後スイス、オランダ等の越境の危険を犯しながら出国に成功したユダヤ人の数は十家族を超えた」。
それらを事実として裏付ける調査を行い、活字や映像に残して後世に伝えなければならない。

★菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』〇2015


 菅野冬樹『戦火のマエストロ近衛秀麿』。ナチス政権下のドイツなどヨーロッパ各地で活躍した指揮者・近衛秀麿。実はひそかにユダヤ人の保護救出を行っていた。
 事実を発掘するため著者たちの不屈の調査のプロセスを詳細に記すノンフィクション。調査の“果実”だけを「評伝」として再構成すれば、スリリングな物語になるかも。



◎15ミステリアスにつき│T版 2015年8月~10月

20151103

15ミステリアスにつき
★栗林佐知『はるかにてらせ』


「夕暮れ時に一人ぼっちで歩いてるとね、向こうから大人になった自分がやってくるんだよ」
「なんで?」〔…〕
「だってそうなんだもん。自分ていうのは何人もいるんだよ」
(「恩人」)
★栗林佐知『はるかにてらせ』〇2014



**
秋という季節のためか、加齢によって「怒り」が「切なさ」に変化するためか、切ない日々。
『中央公論』2015年10月号「友達のいない男たちへの処方箋」という特集も切ない(読んでいないが)。
駅近くの立食いそば屋で小学生の姉弟と父親の会話も切なかった(中身は書かないが)。
『はるかにてらせ』の6つの奇妙な味の短編も切なかった。
**
「七台並んでいる自動券売機のうち、左から三番目の台には、人があまり並ばないのだ」という「券売機の恩返し」を始め、『はるかにてらせ』は生身の人間の代わりに幽霊や不動尊や機械が活躍する短編集。
主人公は〈みんなが軽々と飛び越える水たまりであっぷあっぷする人たち〉である。笑いもあるのに、切ない。それ以上にそのあとがきがリアルで切なかった。
作家はどこか謎めいていてほしいので、こんなあとがきはいりません。





★佐々淳行『私を通り過ぎたマドンナたち』

いうまでもないことだが、結婚53年目をすぎた妻・佐々幸子(1940~)は、私が頭の上らない唯一人の「マドンナ」である。

★佐々淳行『私を通り過ぎたマドンナたち』△2015

**
2014年の『私を通りすぎた政治家たち』が最後の著書と言っていたはずが、大病を克服し、85歳にして本書。
公私で交流のあった淑女・美女・猛女・女傑約40人が登場する。毛沢東の「婦女能頂半辺天(女性が天の半分を支えている)」か「雌鳥歌えば家滅ぶ」の江青かは、ケースバイケースと著者。
上掲の妻への言及は、当方も事前に予想したが、まことに予定調和的あとがき。
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★工藤美代子『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』

ひどく輪郭のくっきりとした幽霊の話なんて、あまり耳にしない。

逆に、地下鉄やスーパーの中で、静かに横に立っている人の顔がはっきりしなかったら、それはあの世から来たか、あの世へ行きかけている人なのかもしれない。

★工藤美代子『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』〇2015
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『ノンフィクション作家だってお化けは怖い』は、あの世の人たちとときどき遭遇してしまう作家の怪談実話エッセイ。生霊が取りついたら気分が悪くなったり、頭が痛くなる。92歳女性の向井さんの話。雑踏の中でわざと他の客にぶつかる。「生霊を振り払うつもりでぶつかるのよ。生霊はつまり『厄』でもあるの。それを落とすのよ、誰かの肩に」。
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★東山彰良『流』


「きみのおじいさんはいつも不機嫌でした」岳さんが言った。「胸のなかにまだ希望があったんでしょうね」
「希望?」
「苛立ちや焦燥感は、希望の裏の顔ですから」

★東山彰良『流』〇2015

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「人というものはおなじものを見て、おなじものを聞いていても、まったくちがう理由で笑ったり、泣いたり、怒ったりするものだが」と、宇文叔父さんは深い溜息をついた。「悲しみだけは霧のなかでチカナカともる灯台の光みたいに、いつもそこにあっておれたちが座礁しないように導いてくれるんだ」(東山彰良『流』)
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『流』はミステリ仕立てだが、歴史的背景とは遊離し、スリリングな展開もない凡庸な愚連隊もの。直木賞といえば「前作のほうが良かった」という選評で候補者を泣かせ、逆に北村薫、佐々木譲、黒川博行など下り坂の先輩作家を選んだり。ここへきてなぜ選考委員全員一致なのか不可解。人気の本屋大賞より先に権威の直木賞をという事務局の深謀遠慮か。





15/ミステリアスにつき│T版 2015年4月~7月

20150825

15/ミステリアスにつき│T版 2015年4月~7月
15ミステリアスにつき
**2015.04.14
★真山仁『売国』

日本の飛翔体(ミサイルをそう呼びます)の精度は、世界随一だそうです。懇意にしている研究者は、「日本で発射してもブラジルで飛んでいるチョウチョウのど真ん中を打ち抜ける」と豪語しています。★真山仁『売国』
**
真山仁『売国』は、特捜部の検察官、宇宙開発の女性研究者、それぞれの物語が同時進行するが、やがて国益、売国というテーマに結びつく。しかし前者は寄り道が多く、後者は短調すぎる。日本の宇宙開発が米国によって蝕まれていく実態をストレートに書いて欲しかった。



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