水谷竹秀★だから、居場所が欲しかった。――バンコク、コールセンターで働く日本人…………☆蔑みの視線にも、“これでいいのだ”と思うに至ったわけ

20171114

だから居場所が欲しかった


その奥底に沈殿しているのはやはり、日本社会における生きづらさである。彼らを見ていて同時にこうも感じる。

 そもそも日本社会に順応する必要があるのか。
日本で生きていくことが苦しいのであれば、無理に留まる必要はない。
もっと言えば無理する時代ではなくなった。〔…〕

 在留邦人社会から時には冷ややかな視線を浴びせられるとはいえ、日常に一喜一憂しながら今をそれなりに生きていた。

 タイという国の持つ包容力というべきか、
〔…〕そこには豊かさを享受した日本にはない、忘れられた何かがある。

 それが何かと問われれば、私はこう答えることにしている。
「これでもいいんだ」と思える心の余裕である。


★だから、居場所が欲しかった。――バンコク、コールセンターで働く日本人|水谷竹秀|集英社|2017年9月|ISBN: 9784087816334|〇

 タイにある日系企業約4,500社、タイの在留邦人約67,000人。このうち“ゲンサイ”と呼ばれる現地採用で日本人が働くいくつかのコールセンターがある。

 そこでオペレーターとして働く日本人に対する在留邦人たちの視線は、蔑みに近く、冷たい。商社、製造業、フリーペーパーなどで働く“ゲンサイ”の給与は、タイの労働省が定める日本人の最低賃金月額5万バーツに対し、コールセンターの場合は3万バーツにとどまっている。それはタイ語、英語は不要で、日本語ができれば誰でも務まる、と考えられているためだ。

 著者が訪れた某コールセンターでは、日本人オペレーターが約80人。服装は自由。業務は日本時間に合わせ午前7時から始まる。電話を取る件数は1時間に平均5件で、1件につき約10分。8時間勤務だとすると、一日平均40件取ることになる。 

 ――「お電話ありがとうございます。○○社の△△でございます。ご注文ですか?」
 応答用のボタンをマウスでクリックすると同時にオペレーターはそう答える。客が伝える会員番号をキーボードで打ち込むと、氏名や住所などの顧客情報がモニター画面に瞬時に表示される仕組みだ。業務内容の中心は通信販売の受注で商品は健康食品、家電、衣料品、雑貨などと多岐にわたっており、クレーム処理への対応もある。
(本書)

 仕事にやりがいはないが、責任を感じなくても済むし、ノルマも残業もない。月収3万バーツは、タイの物価を考慮すると、日本での15~20万円に相当。

 本書はバンコクのコールセンターで働いている、また働いていた約40人の“生き方”を取材したもの。「心の優しい人間はうつ病になって当たり前」と語る一家で夜逃げ同然に来た人、「どこにいても私は私。環境や場所は関係ないんです」と言うゴーゴーボーイにはまり買春する女、ゲイやレズビアンのLGBTの人、ホームレス寸前の男など……。その生活の細部が描かれるが、それが本書の“読みどころ”なので、ここでは紹介しない。

 著者がコールセンターで働くオペレーターたちに親近感を覚えたのには理由がある。
 その一つは、大学生のとき旅行資金を稼ぐために東京でコールセンターでアルバイトをしたことがあり、朝から晩まで毎日12時間、ひたすら電話をかけ続ける日々を送った。
 もう一つは、バブル崩壊直後の就職氷河期で、「自分探し」という当時の流行語に踊らされ前向きな就活を行わず、ニートを経験したこと。

 ――30代に差しかかった頃にはもう、社会のメインストリームから外れていることを自覚していた。自分には日本的な正社員という道が残されていないことがほぼ確定的となったのだ。それはつまり、不安定と隣り合わせで生きていかなくてはならない人生である。(本書)

 著者自らいつ「転落するともしれぬ不安定な日々」を送った経験から、こう言う。

 ――海外行きを選ぶことが自らの選択だとするならば、就職活動をせずに非正規労働者になってしまったこともまた自己責任でなければならない。
 海外で困窮することは己の選択で責任もあるだろうが、日本で非正規労働者になってしまうのは社会の責任だとなぜ言えるのか。もちろん、日本社会にもその責任の一端があることは否定しない。〔…〕だが、私は全面的に同意しない。
(本書)

 当方は著者のこの非正規労働者に対する考えに同調しない。しかし著者は、自らフィリピンに住むに至った経緯から、バンコクで働くオペレーターたちには「隣人のような存在」であり、上掲のように「日本で生きていくことが苦しいのであれば、無理に留まる必要はない」と書く。著者のいう居場所とは、自分のことを認めてくれる環境であり、自分の存在意義を実感することができ、承認欲求を満たせる空間のことである。

 著者水谷竹秀は、1975年生まれのノンフィクションライター。現在フィリピンを拠点に活動。著者に『日本を捨てた男たち――フィリピンに生きる「困窮邦人」 』(2011)、『脱出老人――フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(2015)



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吉村喜彦★バー・リバーサイド/二子玉川物語 …………☆連作短編で、おいしい洋酒とつまみのマリアージュ。

20171103

20171103リバーサイド二子玉川物語


 バー・リバーサイドの大きな横長の窓からは、茜色に染まった多摩川が、ゆったり湾曲しているのが見える。川面にはうっすらと夕闇が漂いはじめていた。

マスターは水のほうを見つめ、

「かつて多摩川は暴れ川と呼ばれ、右に左にくねっていたそうです。

川も道も人も、曲がるところに物語が生まれますよ」

 
 とつぶやいた。〔…〕
「少しくらい蛇行したっていいじゃないですか」

――「海からの風(シー・ウインド)」


★バー・リバーサイド / 二子玉川物語 |吉村喜彦 |ハルキ文庫|2016年11月/2017年10月|ISBN: 9784758440523/ ISBN:9784758441261 |〇

 吉村喜彦(のぶひこ、1954~)のNHK-FM「音楽遊覧飛行」のファンだった。2017年3月で5年間の「食と音楽でめぐる地球の旅」が終わってしまった。他のパーソナリティと比べ、抜群にオリジナリティに富み、食べ物も音楽も、当方の知らないことをいっぱい教えてくれ、楽しませてくれた。

 この人なら本を書いているに違いないと調べ、『ウイスキー・ボーイ』を見つけた。こんなフレーズがあった。「仲の良い友人でも、どこかで分かれ道は来るもんです。相性の賞味期限てあるんでしょうかねえ。若い頃は、ちょっとした生き方の違いもある程度許せたのですが、この歳になると、どんどん懐が浅くなってくるようで…」。

 今回の「ダーティー・マティーニ」にもマスターのこんなセリフがある。
「つきあいが過ぎると二日酔いになります。でも二日酔いになっても、その酒をまた飲みたくなるのなら、それは相性が良いってことでしょう」〔…〕「ひとにしても酒にしても、そのネガティブな部分を知ったときから、ほんとの関係が始まるのかもしれませんね」
 そしてこの一言。
「この歳になってわかったんですが、信じられる人なんて、ほんのわずかですよ」

 舞台は、東京・二子玉川。川沿いの小さなバー「バー・リバーサイド」。L字型のカウンターは7席。マスター川原草太(60歳)は、元京都の大学で原子核工学の万年助手。もう一人のバーテンダーは、沖縄生まれの新垣琉平(30歳)。常連客は手打ちうどん屋の主人、オカマの春ちゃん、台湾出身の美人整体師、フリーライターなど中高年のかつて挫折したり、いま怒りや焦りをかかえたり、屈折している人たち。

しかし本書の魅力は、「このマリアージユ(飲みものと食べものの組み合わせ)、めっちゃええ感じ」という客の言葉にあるように、洋酒とつまみの紹介だ。たとえば……。

 ノブ・クリーク・ライ(ライ・ウイスキー)にウィルキンソンの炭酸割り、と、胡桃入りライ麦パンをスライスし、カマンベールチーズを塗ったもの。

ブラックブッシュというアイリッシュ・ウイスキー、と、オレンジビールをチョコレートで包んだオランジェット。

デラマン・コニャックXOのストレート、と、枝つきの干し葡萄。

ラム酒のストレートやホット・ラム、と、バターを敷いたフライパンにラム酒を振りかけ、黒糖、シナモンをまぶした焼きバナナ。

カンティヨン・クリークというベルギー・ビール、と、サワークリームのかかったブロッコリーに薄いバゲット数切れ。

 当方が飲みたくなったのは、こんなシーン……。

「今夜は冷えるから、ヴアン・ショー、お願いします」
「ホットワインですね。かしこまりました」
琉平はこたえて、きっそく小鍋にチリの赤ワイン、ロス・パスコスを奮発して注ぎ、軽く煮立つくらいに温める。
 そうして、そこにオレンジの輪切り、レモンビール、シナモン、クローブそして蜂蜜を加え、特別にマーテル・コニャックを少々注ぎ、再び中火で加熱。取っ手のついた厚手のグラスに入れて、……。
(「行雲流水」)

 こんなうんちくも……。

 ――「リカールは『パスティス』とも言うんです。『まがいもの』って意味のフランス語『パスティーシユ』から来ています」〔…〕
「アブサンという70度の強い酒がありましてね。詩人のヴェルレーヌやランボー、画家のロートレックやゴッホが中毒になるほどのめり込んで、やがて販売禁止。その代替品としてパスティスが作られたんです。アブサンの『まがいもの』から付いた名前です」  〔…〕

「『まがいもの』を超えた『まがいもの』は、もう『まがいもの』じゃないんです」(「海からの風」)
 
 二子玉川に土地勘はないが、当方は“川”にかかわる物語が大好きである。


★遺すことば――作家たちのがん闘病記 …………☆死ぬことは怖くないけれど、ただ訳もなく寂しい。(宇江佐真理)

20170816

2017.08.16遺すことば


 村上華岳の初期の作品に、「夜桜之図」と題する、とろりとして、男女のことごとく狐に化かされたか、それとも尻尾でもありそうな、妖しい感じの一枚がある。

 その感じだった。私は花に疲れ、花に憑かれて、正気をうしなった。以来、病気が確定した時も、入院と手術のときも、外来治療に移って3年になる今日ただいまも、狐に化かされつづけているのだと思うことがある。

 そして誰かが、肩に手を置いて、「君は無病だよ、息災だよ」と言ってくれる日を待つ気になる。

 それが、ほかならぬ、息の止む日だと、知っていながら。


 ――〔上田三四二『病院通い』の後半部分〕

 とても胸を打つ文章ではないだろうか。文章全体に漂っている諦観が、どうしてこれほど美しさを引き出すのだろうか。25年前に、すでに私は癌患者の心の声に少しは耳を傾けていたのだ。それも予感、もしくは予兆だったのだろうか。

 今の私の気持ちも上田さんと、ほぼ同じである。諦めて、覚悟していながら、心の底は寂しくてならないのだ。死ぬことは怖くないけれど、ただ訳もなく寂しい。この寂しさを埋める術を私は知らない。じっと耐えるしかないようだ。

――宇江佐真理「私の乳癌リポート」


★遺すことば――作家たちのがん闘病記 |文春ムック|文藝春秋|2017年6月|ISBN: 9784160086500|○

 がん体験記、闘病記を収録したアンソロジー。
 病を克服した青山文平・瀬戸内寂聴・井上荒野・村田喜代子・東海林さだお・保阪正康・柴門ふみ・徳岡孝夫。
命を落とした杉本章子・宇江佐真理・筑紫哲也・米原万里・藤原伊織・北重人・井上ひさし・河野裕子・山本兼一。

とりわけ気になったのは、上掲の髪結い伊佐次捕物余話」シリーズで人気の宇江佐真理。宇江佐は1949年生まれ。2013年に乳がんが見つかるが、骨、リンパ節に転移し、手術不可。

 小説家になる前、いい文章に出会うとノートに書き写していた。その一つが上掲の歌人上田三四二(1923年生まれ)の「病院通い」というエッセイ。やはり全文を引いた方がいいようなので、前後になるがその前半分。

 夜桜見物は覚悟の花見という気持ちがあった。夜桜の下で、ぼんぼりの光に浮いて、弁当を開く。いちど、そういうことがしてみたかった。妻と二人、にぎやかな車座と車座のあいだに小さく場所をとって、しずかに酒を呑んだ。
 桜の山は人の山がいい。あたりは騒々しければ騒々しいほどいい。そしてこころはしんしんと寂しかった。花が散り、隣りの連中が酔にまざれて枝を揺さぶると、満枝の花はたまらずふぶきと降りかかって、歓声が沸き、花は膝の上の折詰にも散った。
――〔上田三四二『病院通い』の後半部分〕


「群像」1989年1月号に発表されたものとあるが、調べてみると上田はその後すぐ1989年1月8日に亡くなっている。

 宇江佐真理は、こう続ける。

 ――残された時間は1年なのか、5年なのか、10年なのかはわからない。身体が動く内は、もちろん執筆を続けるつもりだし、家事もする。寛解はしないと告げられても、どこかで奇跡を待ち望んでいるところもある。〔…〕
 大丈夫、あなたはまだ生きている、すぐには死なない、と。
(本書)

 『文藝春秋』2015年2月号に発表されたものだが、同年11月66歳で死去。切なく胸を打つ一文。

*
 もう一人気になるのは、腎臓がんを克服したノンフィクション作家保阪正康(1939年生まれ)の「『昭和史の証言」を伝えずに死ねない」という一文。

 2006年1月に手術を受ける前に遺言を書く。それはある先輩に倣って、「私が亡くなってから、私自身のあいさつ文を書いておくのでそれを初七日にでも友人、知人あてに投函してほしい」というもの。だが、……。

 ――昭和という時代を生きた人たちの証言は百年、二百年といった時間からみれば、いつか重要な重みをもつと決意して、それこそ延べにすれば4千人近くの人たちに会ってきた。そういう人たちの口から語られた死者たち(何も日本人だけではなく) は、それこそ万に及ぶのではないか。
 私がこのような一文を死後に投函することは、彼らに対して非礼にならないか、いやそういうことさえできずに亡くなっていった戦場での死者たちに、私は傲慢すぎるのではないかと思い至ったのだ。
(本書)

 この一文を2011年に発表し、その5年後の77歳になった保阪正康は「機械が摩滅するように少しずつ機能不全に陥っていく」としながらも、その間、妻をくも膜下出血で突然喪った心境を「追記」し、こう締めくくる。

 ――私の胸中で何かが崩れる予感がしている。いつ人生を終えてもいいとの覚悟もできたのに、それでも医師のもとに通い、定期検診をくり返しているのは、私の中に生きている妻をまだ生かしておいてほしいとの思いがあるからだ。妻がそう望んでいると考えているからである。今は妻に生かされているとの思いである。(本書)

 2人に1人が罹患し、年間35万人が死亡するがん。当方の身近にも斃れた人、克服した人がいる。わたくしごとを綴るつもりだったが、ここは書かぬほうがいいようだ。


天野礼子★川を歩いて、森へ

20170415

2017.04.15川を歩いて、森へ


 平成元(1989)年の夏のある日。私は開高さんの病室を探しあてた。
 もう何か月も見ていない師の顔は、すっかり小さくなっていた。突然ドアをあげた私の顔を見た時、驚いた顔のまま開高さんは、それでもいつもと変わらず、両手を広げて、私を抱きしめた。〔…〕

 「どうやって来れたんや。誰も来れへんのに。よう来てくれた。君だけやでここまでたどりつけたんは」〔…〕

 「おいで。ここに座りなさい。俺にはヘミングウェイのような勇気はない。だから君が今心配してくれたようなことはしない。そやけどな、なんで俺はこんなところに閉じ込められて、友達にも会えんのや。なんでガンやとみんなに言うて、大酒飲んで死んでゆけんのや」〔…〕

 「このままお別れや。俺が後ろを向いている間に出ていってくれ。先に向こうへ行って竿出してるで。井伏鱒二や、わかるか」

最後の最後まで師はユーモアを忘れなかった。「サヨナラダケガ、ジンセイダ」と言いたいのだという謎掛けだった


この4か月後、1989年12月9日に、開高健さんは帰らぬ人となった。



★川を歩いて、森へ|天野礼子|中央公論新社|2017年02月|ISBN: 9784120049422 |○

 このところずっと古書店で「川の本」を探し、読んでいた。著者の天野礼子については、開高健のエッセイに書かれていたかもしれないが、記憶になかった。

 著者紹介によると天野礼子という人は……。

 1953年、京都市生まれ。同志社大学在学中の19歳より釣りを始め、国内外の川、湖、海辺を、年に百日釣り歩いた。1988年より文学の師・開高健を会長にし、長良川河口堰建設反対を国会に持ち込み、“川とダム”を問う一大国民運動に育て上げた。

 その後、「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と、森から材を出す「社会システム」をつくり直す提案を各地でする一方、2004年からは、京都大学の提唱する「森里海連環学」を広めるための活動を展開。2008年には、養老孟司を委員長に「日本に健全な森をつくり直す委員会」を立ち上げた。また、これからの日本人が暮らし方、生き方を地域から実践するためのモデルづくりを、藻谷浩介らと島根県高津川流域で続けている。

  本書は、その著者の半生を綴った自伝的エッセイである。今西錦司、養老孟司など学者、作家、政治家、釣り師など、その交遊の多彩さに驚く。左脳内に脳動静脈奇形という持病を持ち、疲労が重なると意識がなくなる。その発作を何度も起こすほどの行動力の凄さに驚く。

 ここでは開高健にしぼって、紹介。ルアーフィッシングの師、常見忠を通じ1979年に開高と知り合う。文学の弟子と自称するが、著者の『萬サと長良川――「最後の川」に生きた男』(1990)『日本の名河川を歩く』(2003)を読んだが、文章は自己流過ぎてお世辞にも上手とはいえない。

 開高とはその後 『オーパ、オーパ!!』の取材で池原ダムでのブラックバス釣りのコーディネートをしたり、京都美山川でのヤマメ釣りに案内したり、“のんきなあまごちゃん”と呼ばれてかわいがられる。

 そして上掲は、食道がんで入院中の開高を見舞う場面。たしか牧羊子夫人は親友たちにも面会謝絶にし誰にも会わせなかったはずだが、著者はまんまと侵入したらしい。以下の会話がかわされている。

――「長良川はな、俺は最後まで君と一緒に歩いてやれると思て引き受けた。君が『高度成長期に日本中の川が次々と死んでいった時、先生は自分一本のペンでは守れないと、ニッポンの川から逃げられたでしょう、しかし、長良川が最後の川とお教えしても、まだニッポンの川から逃げ続けられるのでしょうか』と去年、電話の向こうで言うた時、俺は目が醒めた。〔…〕

 済まん、本当に済まない。しかし、この運動はな、必ず建設省を倒す。そやけど、その途中で君が、開高がいてたらと思う場面が必ず来る。悔しいこともいっぱいあるやろ、人はつまらんことしか言わんもんや。だが済まないと思う反面、俺は、これでええんやと思いたい。君が一人で大きうなるんを、上から見てて守ったるがな、な」
(本書)

 森・里・川・海、生命の連環を唱える環境保護活動家の活躍ぶりはは本書で……。


野川 |長野まゆみ★発掘本・再会本100選 

20161202

20161202野川



 二学期最後の国語の授業のとき、河井は生徒たちにせがまれて、教科書を閉じて話をはじめた。

「誤解のないように去っておくが、私が話をするのは、きみたちに楽をさせようとするのでもないし、時間つぶしでもない。

人の話に耳をかたむけるのは、実際の風景や音や匂いや手ざわりを知るのとひとしく、心を養うものだと私が信じているからだよ。それは、書物を読むことでも培われる。〔…〕

 私が云いたいのは、たがいに関係がなさそうに思えたものがつながることの幸福なんだよ。そこから、あらたな要素も生まれる。

それが、難解な本を読んだり、年長者の話を聞いたり、日常生活には関係なさそうな数学を学んだりすることの意味だよ
。」


■野川 |長野まゆみ|河出書房新社|2010年7月|ISBN:9784309019956|◎=おすすめ

 相変わらずタイトルに「川・河」のある本を読んでいる。そのことによって初めての著者に出会う喜びがある。

 中学2年の2学期、少年は1級河川しかし川幅の狭い野川の近く、武蔵野台地の中学に転校する。両親の離婚、父の失業によって古いアパートで父と生活する。

 少年井上音和は、ここで国語の教師河井、そして何よりも野川の美しい自然に出会う。

 ――雨はこの土にしみこんで濾過され、長い月日のはてに、にごりのない水となって地面から湧きだしてくるんだ。〔…〕そこでは春も夏も秋も、なにかしらの実生(みしょう)が芽ぶく。踏みつけられ、じゃまにされ、ときには生徒たちの気まぐれで引きぬかれる。

 それでも、したたかに生きのびて、コナラやクヌギのそれぞれの固有の名前があきらかになるころには、もう素手で引きぬくことなどできない。もはや確実に、緑陰をなす大木の後継者なんだ。……この比喩がわかるか? 私はきみたちの話をしているんだよ。(
本書)

 少年は新聞部に入り鳩を飼育する。そういえばかつて新聞社が大量の伝書鳩を飼い、鳩が記事を届けていたことなど、読者の中学生は知らないだろう。

 父、教師、友人、鳩、川、木、自然、……。あとで課題図書だったと知るが、なるほど中学生に絶対のおすすめ本である。




発掘本・再会本100選★スローカーブを、もう一球|山際淳司

20160420

2016.04.20スローカーブをもう一球


 石渡のバットが空を切った。

 それは9回裏に江夏が投げた21球目のボールである。
 正確にいえば26分49秒――その間、江夏はマウンドの一番高いあたりから降りようとはしなかった。

 マウンドは江夏のためにあった。


 石渡が気圧されるように三振に倒れると、江夏はマウンドをかけ降りた。大きくとびあがり、その周囲に選手が集まり胴上げシーンが展開された。〔…〕

 その《26》が、大阪球場の今にも泣き出しそうな空の下で舞った。
 その直後、注夏はベンチに戻り、うずくまって涙を流したという。

――「江夏の21球」



■スローカーブを、もう一球|山際淳司|角川書店│ISBM:9784048723152|1981年8月/文庫版:1985年2月|評価=◎おすすめ

 1979年11月4日。この日は土曜日だったと思う。当方は午前中に仕事を終え帰宅し、テレビをつけた。
今はない大阪球場で小雨の降る中、近鉄バファロー対広島カープの日本シリーズ第7戦の中継。西本近鉄、古葉広島、ともに3勝で迎えた決戦である。

 江夏が登場したのは、7回裏、1アウトランナー1塁で福士をリリーフ。後続を断ち、8回も三者凡退に打ち取った。試合は広島4対3で1点のリード。残す9回を0点に抑えれば、広島は日本一を征することになる。

9回近鉄、打者羽田。1球目をセンター前ヒット。代走、藤瀬。
打者アーノルド。藤瀬、盗塁。捕手水沼の暴投で藤瀬、3塁へ。アーノルド、フォアボール。代走、吹石。
打者平野。吹石、二盗。平野、敬遠のフォアボール。
ノーアウト満塁。
代打、佐々木。三振。1アウト。
打者石渡。三塁藤瀬、スクイズ失敗。2アウト。
石渡三振。ゲームセット。

 当方は、実況中継を見、本書を読むまで、「なんだこの試合は、要するに江夏のマッチポンプじゃないか、バッテリーの失策でノーアウト満塁になり、その後バッテリーの力で0点に抑えた試合に過ぎないと。本書を読んで、当方がいかに野球というゲームが理解できない短絡的な人物であると思い知った。

 本書の圧巻(試合の圧巻でもあるのだが)。ノーアウト、ランナー1,3塁というときに、池谷が、北別府がピッチング練習を始めるのを、江夏は見てしまう場面。そして満塁策。

「《なにしとんかい!》
と、江夏がつぶやくとき、その内側にはプライドを逆なでされた投手の戸惑いと、不安、そして怒りにも似た感情がないまぜになって、在る。」(本書)

 やがてカープの一塁手衣笠が江夏に近づき語りかける。

 山際淳司「江夏の21球」は、「Sports Graphic Number」1980年4月、創刊号に掲載された。その後山際は売れっ子作家として、数々のスポーツノンフィクションを手掛けたが、1995年46歳で病気のため急逝した。

江夏伝説の一つ「江夏の21球」は、本書に由来する。

 今回30数年ぶりに再読したが、少しも古くなっていない。本書は高校野球やボクシングの選手を扱った8編を収録。スポーツといえば“汗と涙”が不可欠という作品が多い中で、淡々と事実を綴る山際の作品は貴重である。

後藤正治★牙――江夏豊とその時代

村瀬秀信◎プロ野球最期の言葉






14シンプルライフ・イズ・ベスト│T版 2015年11月~12月

20151231

14シンプルライフイズベスト
★石田千『夜明けのラジオ』

父の盃にまんまんお酒が満ちているのを見た。ちょっと、ひとなめ。くちをつけると、喉からみぞおちまで、ひとなめぶんの炎が転がり落ちていく。背と肩が、かあっと軽くなった。あまーい、あったかーい。

……ねえねえ、お母さん。あのさ、おとなになったら、ぜったいお酒のむひとになるよ。


★石田千『夜明けのラジオ』△2014


 民謡を訪ねて歌い飲んだ紀行エッセイ『唄めぐり』で、著者石田千(1968年生まれ)は大の酒好きだと知った。
 上掲は子どもの頃の思い出。「父より母のほうが強いと知ったのは、はたちを過ぎてからだった」。『夜明けのラジオ』は、仕事と食事と酒と本と旅という日常を綴ったエッセイ集。嵐山光三郎事務所の電話番の頃の話も。




★松本創『日本人のひたむきな生き方』

「やっと米が作れるようになったといっても、今はみんな国が買い上げて備蓄米になる。それじゃ意味がねえんだ。

俺たち百姓は、ちゃんと一般の人に食べてもらって、おいしいって言ってもらわねえとだめなんだ。そのために米を作ってんだ」
 福島県川内村・秋元美誉

★松本創『日本人のひたむきな生き方』△2015


 松本創『日本人のひたむきな生き方』は、歌舞伎町前の24時間保育の園長、長浜市まちづくりコーディネーター、イルカとの会話を目指す海洋学部教授など、この人しかできない仕事をした7人の“ふつうの人”の“ふつうではない”人生を訪ねる。
 福島第一原発から30キロ圏内の専業農家。「仕事と土地と先祖」を取り戻すために風評被害とともに役所とも闘わなけらばならない。




★いしいしんじ『且坐喫茶』

お茶は、花、書、着物、香り、建築、味、ことば、近世日本の美意識が、すべて映り込んだ総合文化だとよくいわれる。

ならばそこに、死生観がはいりこまないわけがないだろう。


★いしいしんじ『且坐喫茶』〇2015


 「且坐(しゃざ)嘆茶」とは、禅語で「且(しば)らく坐して茶を喫せよ」の意。
 禅僧・茶人・和菓子作家・陶芸家などを亭主とする一期一会、一亭一客の茶の空間を綴りつつ、師、親代わり、友人など親しい人たちの「死」を思い、不意に散文詩に変化する。
 「僕も彼女も彼もあなたも、生き物のほとんどが水でできているのだ」。



◎14シンプルライフ・イズ・ベスト│T版 2015年8月~10月

20151113

14シンプルライフイズベスト

★王貞治△『もっと遠くへ――私の履歴書』


私は評論家という仕事を潔しとしない。解説はしょせん、他人のやっていること、自分では責任を負えないことに理屈をつける仕事だ。
講演をするといってもそれは 過ぎ去った昔の話だ。私の性分にそれは合わない。

野球の現場に身を置くということは「今」を生きるということ、どうなるかわからない未来にチャレンジするということだ。

★王貞治『もっと遠くへ――私の履歴書』△2015

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「18・44メ-トルという距離を隔てて、私は投手と命のやりとりをしてきた」と語る王。868本を打っても年俸は1億円には達しなかった。
「王のニュースは全部発表。各社平等のスクープなし」を最後まで通し、父の教え「万時控えめに」を守った。
よき家族、よき師、よきライバルに恵まれた半生を、その人柄のまま謙虚に綴る。
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★近藤崇『僕の声は届かない。でも僕は君と話がしたい。』


ある日母が怪訝な顔で覗き込む。そして紙に何かを書き始めた。それを掲げる。
「あんたまさか耳が聞こえないの?」
嬉しかった!これまでで一番嬉しかった!外の世界に自分は耳が聞こえていないことが伝わった!!これでもう突然怖いことはされない!

★近藤崇『僕の声は届かない。でも僕は君と話がしたい。』2015



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家族や友人がベッドの傍でしきりに話しかけてくれるが、聴覚喪失を伝える手段がない。
『僕の声は届かない。……』は、国立がんセンター病院の元内科医が著者。28歳の2011年、脳梗塞に倒れ、4か月後に意識回復、が聴覚と声と身体の自由を失っていた。左半身全麻痺、右半身右脳失調、廃用症候群など病名あまた。リハビリで右指が回復し、LINE やFacebookが命綱となる。
絶望からの脱出記録。
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★玄侑宗久『風流ここに至れり』


風流とは、本来「ゆらぎ」という意味で、目の前の現実に合わせてゆらぎながら重心を取り直すことである。
今回、震災から二年を経て読み直してみると、やはりこの〔鴨〕長明さんの態度こそ理想ではないかと思える。

★玄侑宗久『風流ここに至れり』2014



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「現場を見て、状況の変化を見なから、間違っていたと思えば計画も変えていいのだ。ゆらぎながら、新たな重心を常に捜し、そのときに一番いいやり方を、模索すべきではないか」(同書)。
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地震が当時は「なゐ」と表され、『日本書記』には「那為」と表記されるが、これも「那(あの方)が為(なさ)ること」の意味ではないだろうか。「那(あの方)」とはむろん「天」で、それなら諦めるしかない。すべて天のしわざと思えない現代は、むしろ不幸の度合いが増しているのかもしれない。(玄侑宗久)
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玄侑宗久『風流ここに至れり』は、福島三春の僧侶でもある作家14年間のエッセイ集。震災後「方丈記」を知り、風流を知り、ゆらぎを知る。そして人びとが安らぎを得るために、「傾聴」こそ僧侶の仕事だと。



★森博嗣『本質を見通す100の講義』


そもそもエッセィの面白さというのは、この「おやじくささ」にあるのかもしれない、と思えてきた。
説教くさいことを言い、ときどきおどけてみたり、昔はこうだったと話し、ずけずけとものを言う、頑固だが、屁理屈は持っている、そういうおやじなのだ。「またその話かよ」というのもおやじくさいところだ。

★森博嗣『本質を見通す100の講義』〇2015



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『本質を見通す100の講義』はシリーズ4冊目。
理研の論文捏造。「この問題の焦点は、単なる仮説であり論文を投稿した段階のものを、『大発見』だと騒ぎ立てたマスコミにある」。
1講義1分として100分楽しめる。
上掲のエッセイおやじ論は本書そのもの。
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★井上荒野『荒野の胃袋』


「山で遭難して三日三晩飲まず食わずだったあとに、これを食ったらうまいんだろうなあ」
と父がある料理を指して言うようなときは、彼はそれがあまり気に入っていない、ということなのです。

★井上荒野『荒野の胃袋』△2014



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レシピらしきものも載っているが、イラストを含め、これほど食欲をそそらない短文集『荒野の胃袋』も珍しい。
最後の晩餐は筍か羊を選ぶとか。これが晩餐? ただ父・井上光晴の妻である母上のレシピ集ならぜひ知りたい。
上掲の続き。「そんなときには母が溜息とともに立ち上がり、玉子をふわふわに炒めたものとか、醤油と葱だけの焼きそばとか、さっとできるものをもう一品作ってきて」云々。
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★緒方高司『君がここにいるということ――小児科医と子どもたちの18の物語』


「先生、この前真由にご飯を食べさせていたとき、真由が『ありがとう』と言ったんですよ。この子、まだおしゃべりできないはずなのに、私にはそう聞こえたんです。
そのときだけですけど、神様が一瞬だけみせてくれた奇跡かなと思うんです」

★緒方高司『君がここにいるということ――小児科医と子どもたちの18の物語』〇2015


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『君がここにいるということ――小児科医と子どもたちの18の物語』の著者は、工学部卒業後あらためて医科大学に、重症心身轄害児施設附属病院勤務後、開業医に。
上掲は重度の脳性まひの幼女を育てる母親の言葉。「真由ちゃんが抱っこされてうれしいのはお母さんだけなんですよ」という言葉に、母親は苦悩の日々から立ち直る。本書によって励まされた人も多いだろう。

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14/シンプルライフ・イズ・ベスト│T版 2015年1月~7月

20150825

14シンプルライフイズベスト

14/シンプルライフ・イズ・ベスト│T版 2015年1月~7月

■気になるフレーズ @koberandom 1月18日
★伊藤比呂美『女の一生』

「おっぱいがふくらみ、おしりが広がり、もったりしてくる。女の服を着て、女の靴を履き、化粧をして、男に媚びる。〔…〕必死で生きてるうちに、気がついたら、もう育つの大きくなるの成熟するのと言わないで、老いる、というのだということに気がつきました」★伊藤比呂美『女の一生』2014
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伊藤比呂美『女の一生』。1955年生まれ。女の苦労はたいてい経験し、女の一生がテーマの人生だったと述懐し、自らの過去の著作から感動と好奇心の場面をコピペして、ここに女の一生ダイジェスト版にとして上梓。




■気になるフレーズ @koberandom 1月28日
★田中森一『遺言』

「“もう一回、あなたに人生を与える”と、神様に言われたら」私は記者を見て少し口元をほころばせた。そして口を開く。「懲役を背負ってもいいから、もう一回同じ田中森一の人生を歩みたい、そう神様にお願いするわ」★田中森一『遺言』2014
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田中森一。特捜部のエースとして疑獄事件を担当。バブル絶頂期に弁護士転身。裏社会の大物たちの顧問弁護士に。詐欺事件で逮捕され服役5年。塀の中では論語の勉強と啓発本読破で昂揚感を維持。本書発刊後の2014年11月死去。最初のベストセラー『反転』(2007)に塀の中以降を加えたもの。



■気になるフレーズ @koberandom 2月24日
★高山文彦『宿命の子』

戦後最大の被差別者はだれだと思いますか?……私にとって、それは笹川良一をおいてほかにありません。40歳からの私の人生は、彼がうけたいわれなき途方もない差別、その汚名を晴らすためにあったんです。(笹川陽平)★高山文彦『宿命の子』2014
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高山文彦は広報係にならないぞとの意地で日本財団笹川陽平の取材を始めて5年。陽平の無私の旅に同行しつつ、ここに“紙の記念碑”として笹川陽平伝『宿命の子――笹川一族の神話』を上梓。父の悪名をはらす子の物語、ハンセン病制圧の闘い、戦後日本の裏面史として興味津々のエピソードが……。




**2015.04.15
★養老孟司・隅研吾『日本人はどう住まうべきか?』

だって70代のおばあさんが3人で段々畑を作ってさ、それでイモを収穫して子供に送ってやるとか言っているんだよ。限界集落とか言って問題視する前に、どうしてそういう生き方こそ奨励しないのかね。★養老孟司・隅研吾『日本人はどう住まうべきか?』
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養老孟司は、岡山には限界集落が720あることに触れ、みんな貧乏で同じように平らに暮らすのは、そこがいかに住みやすい良い場所だと。また隅研吾は、米国では超高層ビルの1階に花屋やコーヒー店を安い家賃で誘致し、町に楽しい雰囲気をつくる。日本はサラリーマン的発想で、同一家賃に固執する街づくりだと。



**2015.04.22
★神足裕司・祐太郎『父と息子の大闘病日記』

私は、父が倒れて以来、何度かtotoBIGを買った。大丈夫。儲かる可能性が限りなく低いことはわかっている。〔…〕一家の大黒柱が倒れれば、当然収入は激減。特に父の場合はただちに収入ゼロになり、そのうえ、医療費がのしかかってくる。★神足裕司・祐太郎『父と息子の大闘病日記』△2014
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くも膜下出血で倒れたコラムニスト神足裕司。突然ケアの当事者となった24歳の息子。奇跡の生還へ父と息子がそれぞれの立場から綴ったもの。手術、リハビリなど医療もさることながら、家族はカネの問題に直面する。高校生の妹の学資、差額ベッド代1日15000円。けなげな若者の奮戦記。



真並恭介★牛と土――福島、3.11その後。

20150813


牛と土

「おれは最後まで牛飼いとして生きていきたい。経済的価値は消えちまったけど、牛を見棄てたり、見殺しにしたりはしない。〔…〕

 牛も被曝したし、おれも被曝した。しかし、牛飼いの心は折れていない。

 第一原発の排気筒が見えるこの牧場は、被曝のメモリアルポイント、歴史遺産のような場所ですよ。

 ここで牛を飼いながら、自分が体験したこと、浪江町で実際に起きたことを、生の声で伝えていくことが、おれの残り20年の人生だと思っている


吉沢は国の殺処分に抗して牛が生きる意味、牛を生かす理由をはっきりと見いだした。それは自らが牛と共に被曝の生き証人となること、語り部となることだ。



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 3.11の2か月後、警戒区域内の家畜は、所有者の同意を得て苦痛を与えない方法で処分すること、という指示が出た。4年後の現在、牛約3500頭のうち安楽死処分1747頭、処分に不同意の所有者による飼育継続が550頭。餓死・事故死、原発事故後の誕生もあり、詳細な数字は不明。

 上掲の吉沢正巳は、希望の牧場・ふくしま代表で、被ばく牛の保護・飼育や農家の支援などを行っている。

 警戒区域に生存する牛は、家畜でなく、野生動物でなく、ペットでなく、実験動物でなく、展示動物でなく、どれにも属さず前途も断たれている。家畜で産業動物は経済的価値がなくなれば存在理由はないとされる。

 同じ浪江町の渡部典一は研究プロジェクトのメンバーとして、被爆地に牛が生きる意味を見出そうとする。農地の荒れ地化を防ぐ除草と保全の役割を牛が雑草を食べつくすことで担う。農地保全は害虫の発生を防ぎ生態系を乱さないという役目も。そして放射性物質が土→草→牛→糞という循環を経て、土から次第に除かれるという仕組みで、土地を除染する可能性を追う。

 その渡部は、立ち入りが禁止された時点で「生きられるなら自分で生きていってほしい」と牛舎の牛20頭を放牧場に放った。そのなかに2010年7月生まれの双子の兄弟「安糸丸」と「安糸丸二号」がいた。3年弱で肉牛として一生を全うするところが、汚染された大地で生きつづけている。2頭は野生に還るのか、兄弟で同一行動をとるのか、元の飼い主を憶えているのか。牛との愛情物語が展開されるが、兄弟牛の前途は見えない。

 ――原発事故は、土とその上に生きるものたちの運命を変えた。動植物を育み、生態系の基盤であった土は、汚染された邪魔物となってしまった。廃棄されざる廃棄物となったのだ。(本書)

 著者が少し感傷的になっているときの記述もいい。例えば……。

 ――荒れ果てた田畑や家々が夕闇につつまれても、ノウゼシカズラの花は電飾のように華やかに、合歓の花は燭光のようにかそけく、しばし光をとどめている。牛が死んだ日などは、花々は死を悼むかのように暮れ残り、避難区域を出ようと車を走らせている私を引き留めるように揺れるのだった。(終章 牛と大地の時間)

 汚染された大地と牛たちを蘇らせる牛飼いと研究者たちの矜持を著者は鮮やかに描き、3.11によって失われたものの大切さを問う。

★牛と土――福島、3.11その後。│真並恭介│集英社│ISBN:9784087815672│2015年03月│評価=◎おすすめ│福島で“廃棄物”となった「牛と土」を蘇らせようとする牛飼いや研究者たちを追う傑作ノンフィクション。


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