高橋順子★夫・車谷長吉 …………☆人一人殺せしあとの新茶かな

20170814

2017.08.14夫・車谷長吉


 長吉の句をふと思い出してみる。

「鈍重な男の恋や……」。下五は何だったか、「牛のごと」ではなかったよね、と思い、句集を見てみると、「鈍重な女の恋や黴のごと」だった。

女としているが、自画像っぽい。


長吉には狂気にまごう冴えがあったが、強情といったらなかった。それは鈍重に通ずるところがあったような気がする。黴はいつまでもそこに、心に居つづける。

 私の恋句を一つ掲げる。「わが恋はどの紫の花菖蒲」


★夫・車谷長吉 |高橋順子 |文藝春秋|2017年5月|ISBN:9784163906478|○
 
 車谷嘉彦という当時無名の小説家から、1988年に、「詩集3冊読んだ」云々という独り言のような絵手紙が高橋順子に届く。以来、ほぼ月一度、11通の絵手紙が届く。のち1993年にふたりは“この世のみちづれとなって”、2015年の長吉の死まで夫妻の生活が続く。

 本書は高橋順子によって書かれた小説家車谷長吉(1945~ 2015)・詩人高橋順子(1944~)という“夫妻の年譜”である。

 1990年にふたりは初めて会うのだが、「曙橋の近くで初めて高橋順子さんにお目に掛かった時、私はこの人は弥勒菩薩のような微笑を浮べた人だと思いました」という1993年の手紙が残っている。その末尾に「どうかこの世のみちづれにして下され」とある。長吉にとって順子は一途な“純愛物語”の相方である。

 詩人仲間の新藤凉子がいう。「よくあなたなんかをもらってくれる男がいたもんだ。あなた怖いもん」。ただの弥勒菩薩ではなかった。美しい顔が一瞬にして鬼女になる文楽のガブというからくりの頭(かしら)をもっていたかもしれない。

 ――結婚して2年と4カ月だった。この結婚は呪われたものになった。〔…〕
「このままではあなたを殺すか、自殺するかだ」とたびたび言うので、怖くなり、3本とも包丁を隠す。〔…〕
それでも、治るかもしれない、という希望は私はもっていた。いま書いている長編小説を完成させてほしかった。書かせてあげたかった。
「大学病院の精神科に行きましょう、治るから」と私が言っても、「小説を完成させるまで行かない」と言う。そしてついに「順子ちゃん、ぼく狂ってしまった」と自分でも異常をきたしたことを認める。
(本書)

 強迫神経症であった。

 車谷長吉は『鹽壺(しおつぼ)の匙』(1992)で三島由紀夫賞、『赤目四十八瀧心中未遂』(1998)で直木賞を受賞。当方は、長吉の出身地姫路の近くにいるので、興味を持って読んだが、この作品が既にピークではなかったか。作品によって家族、親族、友人、編集者、作家を“誹謗”し、孤立無援。それを“編集者”として、妻として高橋順子に伴走したもらった69年の生涯。

 『世界一周恐怖航海記』(2006)、『四国八十八ヶ所感情巡礼』(2008)を読んでも、旅の楽しさも生きるヒントも得られなかったし、地元姫路を描いた『灘の男』(2007)も単なるインタビューに思えた。生前に『車谷長吉全集』全3巻(2010)を企画したころから、小説家とし題材に枯渇し、書き残すべきものをもたなかったようにみえる。

 もう一つの肩書「俳人」としての俳句で記憶に残る句。
  人一人殺せしあとの新茶かな
  遠き火事今年最後の大あくび
  名月や石を蹴り蹴りあの世まで


 だが、書きたい作品を残し、よき伴侶に恵まれ、思い残すことのない生涯だったように思われる。これからも少数ながら熱心な読者によって作品は読まれ続けるだろう。

 2016年、車谷の故郷姫路で高橋順子の「車谷長吉という人」という講演をきいた。その日の当方のメモに「陰湿・独善→稚気、哀切というイメージ」と記している。


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山本淳子★枕草子のたくらみ――「春はあけぼの」に秘められた思い…………☆中宮定子の世は、すべて、折々につけて、一年中素敵

20170726

2017.07.26枕草子のたくらみ


 これが、清少納言のたくらみだった。

 悲劇の皇后から理想の皇后へと、世が内心で欲しているように、定子の記憶を塗り替える。

定子は不幸などではなく、もちろん誰からも迫害されてなどおらず、いつも雅びを忘れず幸福に笑っていたと。


 その目的は、清少納言自身にとっては、もちろん定子の鎮魂である。〔…〕
 
 ただ、この書は真実ではない、この虚像には騙されない、そう呟く紫式部を別にして。
「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人」

「清少納言こそは、得意顔でとんでもなかったとかいう人」(『紫式部日記』消息体)


★枕草子のたくらみ――「春はあけぼの」に秘められた思い |山本淳子 |朝日新聞出版|2017年4月|ISBN: 9784022630575|○

 平安時代中期の第66代天皇一条帝は、986年に7歳で即位し、1011年に崩御。その時代は、以下のように2行に言い換えてもいいだろう。

関白・藤原道隆・兄 -その娘 中宮・定子 - その女官・清少納言
関白・藤原道長・弟 -その娘 中宮・彰子 - その女官・紫式部 

 清少納言が綴る「枕草子」に描かれる定子は、清少納言より10歳ほど年下で、若く、美しく、理知的で、機知に富み、一条帝とは仲睦まじく、周りに気配りをする女人である。

 だが、父・藤原道隆の死、事件を起こした兄・伊周の大宰府、同・隆家の出雲への左遷、実家・二条宮の焼失、一時出家、実母の死、藤原道長の娘・彰子の中宮に伴い皇后、第三子出産時に崩御、と一条帝に寵愛されつつも多難の生涯だった。

 ――この人生を、なんと形容すべきだろう。浮かぶのはおそらく、波瀾や苦悩という言葉ではないか。にもかかわらず、定子を描く『枕草子』は幸福感に満ちている。紫式部が違和感を唱えるのも、決して筋違いとは言えないのではないだろうか。(本書)

 紫式部「源氏物語」の桐壺帝の寵愛を一身に受けた光源氏の母・桐壺更衣は、定子がモデルではないかと著者は書く。それゆえ、「枕草子」の定子礼讃は「そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。=その空言を言い切った人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう」(『紫式部日記』)との清少納言批判になった、という。

 だがそれこそ清少納言のたくらみであった、と。

 ――「春は、あけぼの」に見て取れるように、『枕草子』のものの見方は、花鳥風月から生活文化に至るまで、知性と革新性、明朗快活と当意即妙を旨とした定子の文化から生まれたものである。はじけたバブルとなったその文化を、『枕草子』はバブル崩壊後も、まるで何事もなかったかのように旗印にし続けた。

つまり、『枕草子』が記しているのは、定子のための、ひたすらの〈文学的真実〉なのだ。清少納言はこの優しい〈嘘〉によっで、定子が生きている間は定子を慰め、定子の死後はその魂を鎮めようとした。
(本書)

 当方は山本淳子の大ファンである。
『源氏物語の時代-一条天皇と后たちのものがたり』(2007)
『私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り』(2011)
『平安人の心で「源氏物語」を読む』(2014)
そして、本書『枕草子のたくらみ――「春はあけぼの」に秘められた思い』(2017) 

 山本淳子は平安朝研究者ではあるが、それ以前に天性の教師である。これほど分かりやすい古典の啓蒙書はほかにない。時代、人物、生活が目に見えるように展開され、わかりやすい現代語訳、そしてときにユニークな解釈。読者として褒め言葉をいくら連ねても余りある。

 本書『枕草子のたくらみ」を読んで、池田亀鑑校訂『枕草子』解説を想いだした。
 樋口一葉の「さをのしづく」の次の一節が引用され「総てが語り尽されているといってもよい程の深い含蓄がある」と書かれている。
「かりそめの筆すさびなりける枕草子をひもときはべるに、うはべは花もみぢのうるはしげなることも、ふたたび三たび見もてゆくに、あはれにさびしきけぞ、この中にもこもりはべる。」

 ――すべて折につけつつ、一年ながらをかし。
すべて、折々につけて、一年中素敵
 (『枕草子』第二段「ころは」)


藤井青銅★幸せな裏方  …………☆誰の人生にも、ヒントとコントが詰まっている。

20170701

2017.07.01幸せな裏方


「教科書には、載せられたくないですなあ」
 目の前の紳士は、にこやかにグラスを傾けた。見事な銀髪。端正な顔立ち。年齢のわりに背が高く、背筋がしゃんとしている。
 ショートショートの神様・星新一さんだ。〔…〕

 載せられたくない理由は、二つあった。その一つは、
「安いですからな」〔…〕

 掲載されたくないもう一つの理由を、星さんは語った。
「教科書に載っているものって、嫌いになるでしょう?」


 もちろん、教科書で出会って、その作家を好きになる……というパターンはある。一方で、教科書や試験問題で散々苦労させられたから、プライベートでは読みたくもない……というパターンもある、と言っているのだ。

 自分の作品がそんな風になってしまうのが嫌だ。人は、強制されると拒みたくなる。偉そうにされると反発したくなる。試験に出るからなんて理由ではなく、純粋に面白いと思って読んで欲しい、という意味だ。

――「載せられたくない」


★幸せな裏方 |藤井青銅 |新潮社|2017年3月|ISBN:9784103508816 |△

 上掲の「載せられたくない」は、落語も書く著者らしく、じつは“オチ”がある。それを紹介するのはルール違反の気もするが、ゴシップ・コレクションのために、あえて書く。

 著者の『誰もいそがない町』というショート・ショート集の一編がある高校の入試問題になったという。「作者が言いたいことは何か?」の4択を作者自ら答えられない。そこで……。

 ――そう言えば星さんの場合も、教科書での設問に、
「正解できません」
 とおっしゃってたなあ。……あ、ひょっとして、それが本当の理由?
 (本書)

 著者は放送作家。星新一ショートショート・コンテストに入賞したことから、活字デビュー。ラジオドラマの脚本、バラエティの台本、小説など、多彩な仕事ぶり。本書は、大瀧詠一、手塚治虫など仕事でかかわった著名人の「ぼくが実際に現場で見たこと」を綴ったもの。

 ――あの人のなにげない一言に、実は深い教えがあったり、なかったり……。誰の人生にも、ヒントとコントが詰まっている。(本書)

*
2017.07.01誰もいそがない町

 ところで『誰もいそがない町』(2005)は、ニッポン放送『イルカのミュージックハーモニー』用に書き下ろされた作品を集めたもの。同名の作品に、こんな一節が……。

 ――ところがこの町では、そんなふうにいそぐ人は誰もいないときている。欲しいものはゆっくり時間をかけて手に入れようとする。いや、ひょっとしたら、手に入らなくてもいいと思っているのかもしれない。
 なぜならば、何かを手に入れる時は、その途中の時間こそが一番楽しいということを、みんなが知っているのだから。
(「誰もいそがない町」)

 また、あとがきに「空や海や風の中、都会の公園やゴミゴミした雑踏の中に、ひっそりと潜んでいる小さな物語」とある。


村上春樹★村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事  ☆チャンドラー『プレイバック』を読んでみなくては……。

20170612

2017.06.12村上春樹翻訳ほとんど全仕事


 そういえば、かなり昔のことですが、雑誌に書評を頼まれたとき、存在しない本の書評を書いたことがあります。

 まず本を読まなくちゃいけないじゃないですか、書評って。

 時間がなくてあまり本が読めないときとか、てきとうな本が見つからないときとか、しょうがないから自分で勝手に本をつくってしまって、その書評を書いたりしました。出鱈目なあらすじを書いて。


★村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事 |村上春樹|中央公論新社|2017年3月|ISBN: 9784120049675|○

 本書の目玉は二つ。一つは、村上春樹の翻訳書70点余りの表紙と原本の表紙をカラー写真で紹介したもの。もう一つは翻訳家柴田元幸との翻訳についての長い長い対談。

 上掲の書評の話は、その対談の中で語られたもの。当方は翻訳物を読まないから、いつものように卓抜な警句と、意表を突く比喩を探し、そしてゴシップを集める。そういえば、上掲にフレーズの前にこんなセリフも……。

 ――アンソロジーに収録するてきとうな作品が見つからないときなんか、翻訳しているふりをして、自分でオリジナルをでっちあげちゃおうかと思うこともありますね(笑)。名前を勝手にこしらえで、あまり知られていないアイスランドの作家ですとか言って。(本書)

これでファンは新しい翻訳アンソロジーが出たら、探す楽しみができましたね。
 
 なぜこんなに多くの翻訳をするのか、の疑問にも答えている。
 朝4時に起き、小説を書き、あと時間が余って、ジムに行ったり走ったりするが、これも1、2時間。まだ暇があるので、じゃあ翻訳でも。通常の「作家の副業」である対談、講演、連載エッセイとかは、疲れるので……。

 レイモンド・チャンドラーの翻訳裏話も興味がある。

 ――この『ロング・グッドバイ』を翻訳する作業は、思わずにこにこしてしまうくらい本当に楽しかった。僕は作家として、チャンドラーの文章からたくさんのことを学んできたから、彼の文章を訳していると、なつかしい場所に帰ってきたみたいで、でそれがすごく嬉しかった。(本書)

 「チャンドラーの文体は僕の原点でもある」と村上はいう。村上の作品の卓抜な比喩や気の利いた警句、洒脱な会話、そして個性的な登場人物は、こうしてチャンドラーを翻訳しながら、習得し、文体の訓練をしているのかもしれないと、ちょっと秘密を知った気になった。

 『プレイバック』の名セリフは、当方、何十年も前に早川ポケ・ミスの清水俊二訳で親しんだ。
「しつかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかつたら、生きている資格がない」

 村上春樹は「典型的な仮定法の構文。仮定法のニュアンスって日本語になおすとけっこうむずかしいんだ。どう訳したか? 読んでみてください」とこの本では、以下の原文を記すのみ。

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.




吉田悦志★阿久悠 詞と人生   ☆気になるフレーズ=平成引用句辞典☆

20170519

2017.05.19阿久悠詞と人生



 なかにし礼は『歌謡曲から「昭和」を読む』にこう書いた。「歌謡曲の詩は日本文学の一ジャンルであるということを十分に意識しながら歌づくりに取り組んでいた作家は、おそらく世代的にも私や阿久悠あたりが最後だろう」と。

 なかにし礼は作詞作品を文学作品だといっている。しかし、一方の阿久悠は、作詞作品を商品だと考えていた。
 阿久悠自身は、『作詞入門 阿久式ヒット・ソングの技法』で、こう書いている。

 詞は文学ではない
 歌は、レコードという音を通して相手に伝えるものだということを忘れている人が多いのではないか。


詞は、文字で伝える詩とは決定的に違うのである。〔…〕

 阿久悠にとって「詩」と「詞」は明確に区別すべきものであり、本質的に異なる表現事象なのである。この引用部分の直前に「詞」は「商品」なのだといい、商品である以上何か相手の興味を引くものでなくてはならないとも書いている。


★阿久悠 詞と人生|吉田悦志|明治大学出版会|2017年3月|ISBN:9784906811205 |△

 阿久悠(1937~2007)は、明治大学出身。死後、遺族から、自筆原稿をはじめ約1万点の資料が同大学に寄贈され、2011年10月、阿久悠記念館が開設された。そのなかに27冊、のべ1万ページにおよぶ日記があり、その日記を読み解く研究会が1年半かけて開催されたという。

 本書の著者・吉田悦志国際日本学部教授をはじめ、井上一夫(元岩波書店)、冨澤成實(政治経済学部教授)、深田太郎(阿久悠氏子息)、三田完(作家)、村松玄太(明治大学史資料センター)の5人。その一部は三田完『不機嫌な作詞家――阿久悠日記を読む』にまとめられている。

 本書は、日記からの直接引用はなく、 阿久悠の著書『生きっぱなしの記』『愛すべき名歌たち――私的歌謡曲史』『無冠の父』などを元に 阿久悠論を展開する。とりわけ「小説『無冠の父』論」が秀逸。 

 『無冠の父』は死後の2011年に刊行されたもので、巻末に「本書刊行の経緯」が掲載されており、
「完成稿が編集者に渡されたが、改稿を求めた編集者に対して阿久悠は原稿を戻させ、以後、2007年8月に没するまでこの作品についていっさい語ることはなかった」とある。

 「父は24時間巡査で、風呂へ入っている時も制帽をかぶっているのではないか、と思えるほどであった」(『愛すべき名歌たち』)という父をモデルにした“自伝的小説”である。当方も一読、この傑作がなぜ埋もれていたのかといぶかった。

 1993年に執筆されたが、出版社の担当者から手直しを命ぜられ、原稿を手元に戻した。本書で深田太郎氏が語る。「僕の予想ですけど、おそらく出版社が原稿を手元に戻した時点で、自分の没後に開けられるというシナリオを自分でつくったのだろうな」と。そして著者は書く。

――「編集者の忠告を入れて改稿するなど、阿久悠のこの小説への矜持が許さなかった。『無冠の父』
は、阿久悠という人間の存在自体を問い訊ね思考した挙げ句に成立した作品である。だから、死後に発見されるという遠大なトリックをしかけたとしても不思議ではない。
(本書)

――丸ごとわが人生を見通した時、阿久悠は己の中にある父・深田友義という原点に思い至らざるを得なかった。その原点をこそ描くというのが、小説『無冠の父』の主題であった。だとすれば、一編集者から、改稿を求められたからといって、おいそれとは応じられるはずがない。それ故に、無傷の『無冠の父』という名作が、初稿のまま私どもの前に遺された。阿久悠にとっては不運ではあっても、私たちにとっては僥倖であった。(本書)

 同時代のなかなし礼と 阿久悠について当方は、先に三田完『不機嫌な作詞家――阿久悠日記を読む』のなかで言及した。付け加えることはない。

三田完★不機嫌な作詞家――阿久悠日記を読む |
阿久悠▼無冠の父
阿久悠■生きっぱなしの記





小谷野敦★芥川賞の偏差値

20170424

芥川賞の偏差値



文学が衰退している、と人はよく言うが、

それはつまり、19世紀に盛んになった「小説」というものが、終わりつつめる、ということであって、たとえばクラシックの作曲家に、いまブラームスやチャイコフスキーがいないからといって、「音楽の衰退」とは言わない、それと同じことであり、ゴッホやルノワールがいないからといって「美術の衰退」とは言わない。

 たとえば『源氏物語』のあと、それに匹敵する作品が書かれない時代が何百年も続いたわけで、

今はそういう時代に該当するのだ。


 ないし、19世紀小説によって開発された技術は、映画やドラマ、漫画などに引き継がれているのだ。


★芥川賞の偏差値 |小谷野敦|二見書房|2017年3月|ISBN:9784576170299 |○

著者肩書に文筆業とあるが、たしかにおびただしい著作がある。そして文筆業者らしくサービス精神がまことに旺盛である。
 
 まず18ページにも及ぶ長い「まえがき」で芥川賞“小史”を記述し、芥川賞には名前の最初に「佐」と「島」がつく者は受賞できないというジンクスある、とまで教えてくれる。佐伯一麦、佐川光晴、佐江衆一、佐藤泰志、佐藤洋二郎、島田雅彦、島本理生、島尾敏雄、島村利正と、佐か島がついて受賞した人はいない、と。
 受賞作全作品を辛辣に寸評し、すべての作家のゴシップ付き。「受賞作なし」の回もかならず言及し、さらに芥川賞ではないが、昭和10年以降の名作も偏差値付きでリストアップする。

 さて、当方が一時期好きだった作家に対して、たとえば……。

開高健「裸の王様」
――初期の「パニック」「裸の王様」「巨人と玩具」などを見ても、下手な作家だなあと思うだけである。

大江健三郎「飼育」
――せいぜいが戦後最大の作家だったが、伊丹十三を描いた『取り替え子』からあと、その達成は谷崎や川端、漱石を超えるにいたった。

丸山健二「夏の流れ」
――取材して書いたものらしい。それが私には気に入らない。作りごとなら、作りごとなりの面白がらせる工夫が要るだろう。それがここにはない。

清岡卓行「アカシャの大連」
――これは散文ではない。散文詩である。

丸谷才一「年の残り」
――長編作家ゆえに芥川賞をとらずじまいになってもおかしくなかったが、意図して短編を書いて受賞した。

吉田修一「パーク・ライフ」
――これなどはスターバックスの宣伝のための小説のようで面白くも何ともない。

 第1回から第156回までの全164作のうち、偏差値最低25は楊逸「時が潜む朝」で「単なる日中友好のための受賞としか思えない」と書かれ、偏差値最高72の村田沙耶香「コンビニ人間」は「あまりに面白いので手あたり次第に村田の本を読んだ」と書かれている。

 ところで小谷野敦自身は二度芥川候補になっている。「母子寮前」(第144回)と「ヌエのいた家」(第152回)である。芥川賞をとる秘訣はまず第一に「退屈であること」だと書いているので、自身の作品は面白すぎたのだろう。

 そして自身の候補作が選ばれなかったときの受賞作、朝吹真理子「きことわ」、西村賢太「苦役列車」、小野正嗣「九年前の祈り」を著者はどう評価しているか。

 また自身が落選時、その選考委員であった池澤夏樹、石原慎太郎、小川洋子、川上弘美、高樹のぶ子、宮本輝、村上龍、堀江敏幸たちの作品がどう評価されているかは、本書の読者のお楽しみである。

小谷野敦▼文学賞の光と影
小谷野敦●現代文学論争


左右社編集部:編■〆切本

20161223

20161223〆切本



 鳥の視覚、犬の嗅覚は、人間の数倍、十数倍だそうだ。
 で、人間の感覚や機能を動物的極限、物理的極限まで発揮させて相たたかわせたらどうなるだろう、というのが忍法帖シリーズのそもそもの最初のアイデアであった。

 こういう発想はすぐに尽きる。それで次には百科事典か字引きをいいかげんにひらいて、使え
そうなものを拾いあげて、それを核にしてひねり出す。しかし、こういう方法にも限度がある。

 それより、発想の最大原動力は原稿の締め切りである。

 とにかく約束した以上は書かなければならない。その切迫感だけで、ほかにはなんのたねもしかけもなく、アイデアがころがり出してくるのである。


 出てくるアイデアそのものより、このからくりの方が、われながらよっぽど、まかふしぎである。

――私の発想法 山田風太郎


■〆切本|左右社編集部:編|左右社|2016年9月|ISBN: 9784865281538|○

明治から現在まで作家たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などを集めたもの。90人のぐち、言い訳、ぼやき、開き直り集である。

 たとえば夏目漱石の高浜虚子宛の手紙。明治38年12月とあるから、「ホトトギス」に連載中の「吾輩は猫である」の原稿か。

――拝復
 14日にしめ切ると仰せあるが14日には六づかしいですよ。17日が日曜だから17、8日にはなりませう。さう急いでも詩の神が承知しませんからね。(此一句詩人調)とにかく出来ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神処ではない大神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。


 柴田錬三郎の「作者おことわり」は、以前どこかで読んだ記憶があるが、まずはぶっちぎりの“言い訳大賞”である。「週刊プレイボーイ」連載中の「うろつき夜太」という小説、第1章を書きおわったところで、作者の頭脳が“完全にカラッポ”になってしまったと、連載1回分のスペースをまるまる「おことわり」記述で埋めているのだ。

 ――第一、こういうみじめな弁解を書くこと自体が、不快で、ひどい自己嫌悪をともないます。
世間一般では『柴錬』は強気と受けとられ、テレビなどでは云いたいことを、ずけずけ口にする作家と受けとられているようですが、まことの正体は、書けなくなって、頭をかかえ、
「生きているのが、面倒くさい!」
 と、ノイローゼにかかっているのが、現状の姿なのです。


 他方、吉村昭は「早くてすみませんが…… 」。新聞小説でも全編書き上げてから連載を始めるという“奇癖”をもつが、こうぼやく……。

 ――酒が入ると、編集者は、
「締切り過ぎてやっと小説をとった時の醍醐味は、なににも換えられないな」
 と、私が傍らにいるのも忘れて感きわまったように言う。その言葉のひびきには、締切りが過ぎてようやく小説を渡す作家に対するる深い畏敬の念がこめられている。


 日ごろ作家に平身低頭して原稿を確保する編集者が、この“言い訳コレクション”を編んで、悦に入っているような本である。それにしても、上掲の山田風太郎の見事なことよ。


02作家という病気│T版 2016年1月~3月★野坂昭如★高橋三千綱

20160403

02作家という病気
★野坂昭如│絶筆


(2004年)〇月〇日
目覚めてすぐ、死にたいと思う。目覚めること自体、不思議な感じ。気がつくと死んでいたという事態にいつかなるだろう。たださよならだ。
 しかし、死ぬ前にこれだけはせねば。
一、遺言代わりの自信作あるいは代表作を書く。
二、あれが野坂の最後の女といわれる恋人をつくる。
 つまりは死にたくないのだ。

 
★野坂昭如│絶筆│○2016.01



**
 野坂昭如(1930~2015)は2003年脳梗塞で倒れ、その後85歳で没するまで口述筆記で活動を続けた。
『絶筆』は2004~2015のリハビリの一環としての連載日記。季節の推移、地震、時事問題、リハビリ活動など、とりわけ過去の思い出、特に少年時代の神戸の記述が目立つ。



★高橋三千綱|ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病


人生は短い、しかし……(ひとりで生きるには永すぎる)

★高橋三千綱|ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病|○2016.01

**

 高橋三千綱『ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病』。もとはといえばアルコール依存症。糖尿病→アルコール肝炎→肝硬変→食道静脈瘤→食道癌→胃癌、ついにリビングウィルを書くに至る。
 しかし作家であるからには執筆をつづけ、生きがである競馬馬を育て、ゴルフもやり、犬をかわいがり、そして酒から離れることができず、“病いこそエネルギー”とした壮絶にして切なさただよう作品。



02作家という病気│T版 2015年12月

20151231

02作家という病気
★長谷川智恵子『鴨居玲 死を見つめる男』

鴨居の場合は違った。個展の作品が出来上がった時、満足のいく作品が仕上がった時に自殺願望が湧き上がった。

おそらく、鴨居は「自分の人生はこれでいい、ここで終わりにしたほうが格好いい」と思ったのかもしれない。

★長谷川智恵子『鴨居玲 死を見つめる男』〇2015.05


『鴨居玲 死を見つめる男』は、鴨居と著者夫妻の画家と画商を超えた日々を綴る。暗鬱と格好よさの両面を持つ画家。「1982年 私」の自画像を残し3年後57歳で自死。司馬遼太郎は「かれの作品にいのちのよろこびを見出す」と追悼した。構想だけで終わった鴨居版「最後の晩餐」を見たかった。



★長谷川智恵子『鴨居 玲 死を見つめる男』

鴨居玲遺言――私の葬式は、無宗教で行う事。お経等をあげてくれる人があれば、それはその人の気持ちの通りにする事。(種類を問いません故、音楽を流す事)。香典はいただかぬ事。焼香のかわりに、花を使用する事。

酒を飲み、にぎやかに雑談をしていただく事。戒名不要。墓不要。骨は粉にして海に捨てる事。

★長谷川智恵子『鴨居 玲 死を見つめる男』〇2015


長谷川智恵子『鴨居玲 死を見つめる男』を読んだばかりだったので、伊丹市立美術館『没後30年 鴨居玲 踊り候え』展を見てきた。10代から晩年までの自画像、いとしきスペインの老人たち、入り口も窓もない教会など100点。「蛾」のデッサン(1967年)が気に入った。鴨居玲は1985年9月7日に亡くなったが、遺言はほぼ1か月前に書いていた。

02作家という病気│T版 2015年9月~11月

20151204

02作家という病気
★宮田毬栄『忘れられた詩人の伝記――父・大木惇夫の軌跡』

詩人の父はおそらく一生の間、万年筆か煙草か盃より重たいものを持ちたくはなかったのではないだろうか。
晩年になっても、長い指の手だけは別の生きもののように老いなかった。


★宮田毬栄『忘れられた詩人の伝記――父・大木惇夫の軌跡』◎2015


 『忘れられた詩人の伝記――父・大木惇夫の軌跡』は、カンカータ「土の歌」また東海林太郎の「国境の町」の作詞で名を残す大木淳夫の生涯をその娘が渾身の力でつづった評伝。
 大木は“戦争詩集”のために戦後消されたのか、定型文語体のスタイルゆえ忘れ去られたのか。“戦争詩”の受容をはじめ、“火宅の人”状態のため年譜もなかった詩人、ここに復権なるか。




★鵜飼哲夫『芥川賞の謎を解く――全選評完全読破』

選評とは、単なる作品の批評ではない。
作家が自らの文学観と読みの力をかけて、他の委員である作家と議論し、真剣勝負した戦いの報告でもある。


★鵜飼哲夫『芥川賞の謎を解く――全選評完全読破』〇2015


 書くことが表だとすれば読むことは裏、表裏一体で初めて小説だと後藤明生の「千円札小説論」。
 『芥川賞の謎を解く』は太宰治の落選騒動から急いで追加した又吉直樹の受賞まで、芥川賞80年の選評から作家気質、文学観を探った好読物。「新しい文学」を求めての賞なのだが、消えた“候補”作家の死屍累々。



★浦田憲治『未完の平成文学史――文芸記者が見た文壇30年』

難解で高級なのが純文学で、面白いが通俗的なのがエンターテインメントだとはいえなくなった。
しかし、私は文学とエンターテインメントには本質的な違いがあると考える。


★浦田憲治『未完の平成文学史』◎2015


 『未完の平成文学史』は著者が新聞記者でニュースを追うことから文学賞受賞に話題が偏りがちだが、しかし同時に授賞時のインタビューなど旬の作家の肉声が多く収録されており、功成り遂げて評価の定まった作家を並べた文学史とは趣きを異にする。
  平成時代の文学を見事に俯瞰したまことに便利で魅力的なガイドブックである。




★北方謙三『十字路が見える』

十字路を曲がったら、さまざまなものに出会った。それは唖然とするほどだった。

君は、曲がるということを、考えたことはあるか。曲がった先は、暗いよ。暗黒というふうにさえ感じられる。
しかし、一点の光は見えるな。闇の中でも、構わず疾走すればだが。


★北方謙三『十字路が見える』△2015


 『十字路が見える』は週刊新潮連載の自伝的エッセイ。
 当方は冒険小説ブーム時の北方ファン。その後10年以上の空白を経て、北方版『三国志』『水滸伝』を愉しんだ。
純文学、ハードボイルド、時代小説、中国史物と作家は何度も十字路を曲がってきたが、作家生活40年にはずっと併走した山田裕樹という編集者がおり、支えられてきたという。




★野上孝子『山崎豊子先生の素顔』

私は日頃から密かに先生を「不死鳥」と呼んでいた。

世間で「国民的作家」、「社会派作家」と評価されていた先生だが、そうした賛辞に勝るとも劣らぬ非難、中傷に晒されてきた。作家的生命を奪われてもおかしくないほどの事態に追い込まれたこともある。


★野上孝子『山崎豊子先生の素顔』〇2015


 『山崎豊子先生の素顔』は52年間支えた秘書による作家の“素顔”。
 『華麗なる一族』。小の銀行が大の銀行を飲み込む方法を「選りすぐりのエリートの方々なら、答案は直ぐに書けるでしょう」と、野上秘書は某銀行企画部員に執拗に問う。野上秘書は原稿を清書するだけにしおらしい秘書ではないこともわかる。
そして作家の素顔を隠すことも、秘書の重要な仕事かもしれない。
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★津村記久子『二度寝とは、遠くにありて想うもの』

どうにかして、仰向けに寝転んだ状態で字が書けないものかと考え始めて、早一年が過ぎた。(「仰向けの試行錯誤」)

★津村記久子『二度寝とは、遠くにありて想うもの』△2015


 本を読むのはいつも仰向けだが、書くのにそんな方法があれば、当方も知りたい。結局、A4のクリップボードに挟んだ紙にボールペンで手書きとか、iPod touchらしい。『二度寝とは、遠くにありて想うもの』は『やりたいことは二度寝だけ』から3年、会社を辞めたが二度寝の機会はまだない、と。
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★山口恵以子『おばちゃん街道』

私は親子・夫婦・兄弟・恋人・友人を問わず、人間関係というのはすべて「ご縁で始まり相性で続く」ものだと考えています。

相性が悪かった、あるいはご縁がなかったと思って、付き合いを断つ……それが無理なら出来る限り疎遠になるのが、お互いにとつて最も望ましい解決法だと思います。


★山口恵以子『おばちゃん街道』〇2015


 『おばちゃん街道』は1958年生まれ、“食堂のおばちゃん”ブレイクした作家の1週間で書き上げたというパワー全開のエッセイ集。
 「小説家の何が素晴らしいって、人生を丸ごとネタに出来るところです。つまり、小説家には人生に失敗はないんです」。




★大沢在昌『鮫言』

29冊目の本、『新宿鮫』は、私の人生を一変させた。

演歌の世界ではよく、下積みの長かった歌手が、一曲のヒットで人生をかえるという。私の身にも、それとまったく同じことが起きたのだ。


★大沢在昌『鮫言』△2015


 「永久初版作家」を自虐ネタにしていた大沢在昌は、1990年に『新宿鮫』でブレイクした。
 鮫島警部というキャラクターでシリーズも10作、1曲のヒットで懐メロ番組に登場する歌手のように、今も“鮫”頼み。『鮫言』はエッセイ集だが、うち8割は20年前の『陽のあたるオヤジ』の再録。









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1冊の本の中で「気になるフレーズ」を見つけることが“書評”である、と。



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