林真理子/壇蜜 ◆男と女の理不尽な愉しみ …………☆壇蜜さんは、本を買ってくれる人だけに本当の情報を教えるんだ。

20180621

2018.06.21男と女の理不尽な愉しみ


 テレビではそんな話はしませんし、ブログにも書きませんが、本には書いちゃいますね。自分の本をお金を払って読んでくれる人には、そういう情報を提供することにしてるんです。

 雑誌の連載もありますけど、そちらは読者が私だけにお金を払ってるわけじゃありませんよね。だから、本ほどは書きません。

提供する情報のヒミツ度は、ブログ、テレビ、ラジオ、雑誌連載、自分の本という順番で高くするように仕分けしてます。 〔…〕

 壇蜜さんは、本を買ってくれる人だけに本当の情報を教えるんだ。

壇 はい。「昨日、抱かれた」とか書いてますから。

林 わーお。テレビでは、そのあたりははぐらかすのね。

壇 そうですね。「とりあえず今日は処女です」とか言っておきます。


◆男と女の理不尽な愉しみ |林真理子/壇蜜|2017年11月|集英社新書|ISBN: 9784087210095|△

テレビの美味しい店紹介といった番組で、女子アナやお笑いタレントの決まり文句がある。「さっぱりしていますね。あっさりしていて美味しいです」である。「さっぱり」「あっさり」はこの場合最高の褒め言葉である。

 あるとき美術品紹介番組で見た壇蜜が、それであった。「さっぱり」しているのだった。たしか淫靡な隠花植物のイメージでグラビアモデルとして登場した壇蜜。当方の印象は「きもち悪い女」だった。

 だが林真理子・壇蜜の対談集の本書を読むと、「それにひきかえ私は本当にふつうのおばさんだと思った」と林が書くように、壇は“腹に一物”(いい意味での)をもった女性であることが分かる。

 ――もし私が「この世には男と女しかいない」などと言おうものなら、さあ大変。たちまちネットニュースにて「アイツ、こんなこと言った‼」と報道され、ニュース欄のコメントやスレッド内にて「心と体の性が不一致の人だっているんですよ‼」とか「セクシャルマイノリティを差別する発言なんじゃないんですかー⁈」などと言われ、取り消しと謝罪を求められるだろう。 

 その後は「差別女」「炎上ビジネス」などと揶揄される未来が待っている。自意識過剰なんかではない。本当にそういう時代になったのだ
。 (本書「あとがき」)

壇がそこまで発言するのは、テレビではなく本だからだろう。
ほんとうにいやな時代になってしまった。新聞に代替するネット・ジャーナリズムの浅薄さ。堂々と登場したフェイクニュース。ユーザーの差別と偏見の“煽り”書き込み。ファクトチェックが必要な軽率な政治家の発言。1億総コメンテーター時代に、自衛手段はないものか、と思う。

と言っても、本書は“男女に世知辛い”世の中を俎上に載せたおしゃべりであって、騒ぐほどではない。林真理子・壇蜜の二枚看板だが、林が「聞き上手のおばさん」に徹したのは正解だった。




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伊藤詩織★Black Box ブラックボックス …………安倍礼讃本『総理』の著者にレイプされた!真実を追求する。

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 ようやくベッドからぬけだした私は、パニックで頭が真っ白になったまま、部屋のあちこちに散乱していた服を拾いながら、身に引き寄せた。下着が見つからなかった。〔…〕

 すると、山口氏は、
「パンツくらいお土産にさせてよ」
 と言った。
 それを聞いた私は全身の力が抜けて崩れ落ち、ぺタンと床に座り込んだ。
〔…〕

「今まで出来る女みたいだったのに、今は困った子どもみたいで可愛いね」
 と山口氏が言った。

 一刻も早く、部屋の外へ出なければならない。パンツをようやく渡され、服を急いで身にまとった。


★Black Box ブラックボックス |伊藤詩織 |文藝春秋 |2017年10月|ISBN:9784163907826 |◎=おすすめ

  記者会見の席では「リクルートスーツを着るように」と、ベテランジャーナリストの清水潔から助言される話がでてくる。だが彼女は「絶対に着ません」と答える。

 ――ただ私は、「被害者は白いシャツを着て、ボタンを首元まで留めて、悲しそうにしている」
という、誰かが作り上げた偶像を壊したかったのだ。何を着ていようが、着ていなかろうが、責められてはいけないし、それが被害に遭った理由にされてはいけない。
 今後も、勝手に決められた「被害者」のイメージの中で生きるなんて、私は絶対に嫌だし、そんなのは間違っていると思う。
(本書)

 このきりりとした毅然たる姿勢のシーンこそ彼女そのものである。そのピュアなところが、同時に危うさでもある。

 彼女はジャーナリストとして海外で働く場を探しており、そのあっせんをエサに薬を入れ酒を飲ませホテルへ連れ込みレイプに及んだ上掲の山口氏とは……。当時TBSワシントン支局長の山口敬之。著書に安倍晋三礼讃本『総理』(肩書はジャーナリスト)、『暗闘』(肩書はフリージャーナリスト・アメリカシンクタンク客員研究員)がある。

 自分の中で真実と向き合えないのならジャーナリストになる資格はない、“私が私であるために”決断し、レイプ被害を警察に届け出る。ながい紆余曲折があり、やがて高輪署捜査員A氏から、山口氏がアメリカから帰国するので成田空港で逮捕します、との連絡が入る。だが、逮捕されることはなかった。

 中村格警視庁刑事部長からストップがかかる。のちに彼女は「なぜ逮捕を取り止めたのか」を訊くため中村氏を訪ねる。

 ――出勤途中の中村氏に対し、「お話をさせて下さい」と声をかけようとしたところ、彼は凄い勢いで逃げた。人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった。(本書)

 また山口氏は「北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。伊藤の件です」というメールを誤って「週刊新潮」編集部へ送る。北村とは北村滋内閣情報調査室内閣情報官である。本書には、「官邸重用の警視庁刑事部長、昭恵夫人、北村氏と、山口氏の周囲に総理周辺の名ばかり挙がるのは偶然だろうか」とある。

 山口敬之『総理』を読んでいないが、成毛眞『この自伝・評伝がすごい!』で紹介されており、当方の感想をブログで書いている。

 彼女が本書を書いた主旨は、“魂の殺人”であるレイプについての法制度、警察・検察、医療機関の対応の不備を指摘するとともに、「司法がこれを裁けないなら、何かを変えなければならない」と以下のことを伝えたいのだ。

 「この国には「レイプ」についてオープンに語ることをタブー視する人たちがいる。そういう人たちは、誰から、何を守ろうと言うのだろうか」と意識の改革を訴え、「隠れなければいけないのは被害者ではない」として……。

 ――今まで想像もできなかった苦しみを知り、またこの苦しみが想像以上に多くの人の心の中に存在していることを知った。同じ体験をした方、目の前で苦しむ大切な人を支えている方に、あなたは一人ではないと伝えたい。(あとがき)

成毛眞★この自伝・評伝がすごい!…………☆山口敬之『総理』や安倍を褒めようとしたが、できなかった(成毛)

上間陽子★裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち …………☆家族や恋人や知らない男から暴力を受け、逃げて、居場所をつくるまで

20171012

20171012裸足で逃げる


 彼女たちは、家族や恋人や男たちから暴力を受けて、生きのびるためにその場所から逃げようとします。

 オレンジ色の基地特有の光が照らす、米軍基地のフェンスによって分断された無数の街は、彼女たちが見た街です。

どこからも助けはやってこない。
彼女たちは裸足でそこから逃げるのです。



★裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち |上間陽子 |太田出版|2017年2月|ISBN:9784778315603 |◎=おすすめ

 著者は暴力の被害を受ける少女たちを支援する“当事者”であり、その少女たちが本書の“最初の読み手”であるという異色のノンフィクションである。

 著者の住む沖縄で、キャバクラなど風俗店で働く女の子が、家族や恋人や知らない男たちから暴力を受け、そこから逃げて、自分の“居場所”をつくりあげていくドキュメントである。

著者は、暴力を受けるということ、また被害者を支援することの意味を、つぎのように書く。

 ――私たちは生まれたときから、身体を清潔にされ、なでられ、いたわられることで成長する。だから身体は、そのひとの存在が祝福された記憶をとどめている。その身体が、おさえつけられ、なぐられ、懇願しても泣き叫んでもそれがやまぬ状況、それが、暴力が行使されるときだ。

 そのため暴力を受けるということは、そのひとが自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。

 それでも多くのひとは、膝ががくがくと震えるような気持ちでそこから逃げ出したひとの気持ちがわからない。そして、そこからはじまる自分を否定する日々がわからない。だからこそ私たちは、暴力を受けたひとのそばに立たなくてはならない。
(本書)

 たとえば鈴乃の場合――。
 鈴乃は16歳で子どもを産む。相手は同級生。男は化粧を禁じ、髪型に干渉し、ケータイをチェックし、行動を制限し、やがて暴力を振るようになる。生まれた子は、914グラム、ただちに保育器にいれられ、新生児特定集中治療室(NICU)で治療を受ける。

 ――医師はのちに、暴行を受けるなどの強いストレスを受け続ける日々のなかで、子宮の収縮が起こり、子宮口が突然開いてしまったことが出産の原因だろうと話している。(本書)

 男の暴力はやまず、鈴乃は殺されると思い、何度も警察に駆け込むが、入籍していないカップルの暴行は保護の対象ではない、と追い返される。
 だが子どもの入院する病院の看護師たちは、何かあったら逃げておいでと励まし、「泣きたいときは、いっぱい泣いたらいいよ、鈴乃ちゃん。泣くとなんだか元気になれる」と手紙をくれる。鈴乃は重い脳性まひのある子を抱っこひもを使って胸に抱き、吸引器と吸入器を背負い、家を出る。鈴乃はシェルターに、子どもは別の病院に、別れて暮らす。

 こうして鈴乃は、また高校に戻り、そこを卒業して看護専門学校に通い、その間もずっと、生活のためにキャバクラで働き続けてきた。そして鈴乃は看護師になる。
 学校に通っているとき、鈴乃のカバンには夜にキャバクラで働くドレスが入っていた。いま鈴乃のカバンには、看護師の制服と子に会いにいくため洗濯したての子の服が入っている。

 本書は、著者がスーパーバイザーとしてかかわり、また直接の支援や介入を行った――鈴乃、春菜、優歌、翼、京香、亜矢たち多くのケースが紹介されている。

 著者は、聞き取りをICレコーダーで録音し、子どものころ、仕事、家族やパートナーとの関係など“生活史”を文字のデータにしトランスクリプトを作成する。その後ふたたび会って内容を確認し、さらに完成した原稿を彼女たちの前で音読し、その意見や感想をもとに、原稿を完成させる。

 こうした作業によって、悲惨な日々を振り返り、それが“懐かしく”感じられる状況になっているかを確認する。彼女たちは著者たちとかかわることで、救われ、癒され、自立心を喚起される。そしてこの“生活史”が、これからの生きる糧となる。……ということで、稀有のノンフィクションである。
 なお巻末に彼女たちの近況が短く報告されている。
 
 「私は言葉の力を信じています」という著者上間陽子は、1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学部研究科教授。

柚木麻子★BUTTER …………☆みだらに悩ましく濃厚に綴られたグルメ小説

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「バター醤油ご飯を作りなさい」〔…〕

「炊きたでのご飯をバターと醤油でいただくものです。料理をしないあなたにもそれくらいは作れるでしょう。バターの素晴らしさが一番よくわかる食べ方よ」〔…〕

「バターは冷蔵庫から出したて、冷たいままよ。本当に美味しいバターは、冷たいまま硬いまま、その歯ごたえや香りを味わうべきなの。ご飯の熱ですぐに溶けるから、絶対に溶ける前に口に運ぶのよ。

冷たいバターと温かいご飯。まずはその違いを楽しむ。

そして、あなたの口の中で、その二つが溶けて、混じり合い、それは黄金色の泉になるわ。


ええ、見えなくても黄金だとわかる、そんを味なのよ。バターの絡まったお米の一粒一粒がはっきりとその存在を主張して、まるで炒めたような香ばしさがふっと喉から鼻に抜ける。濃いミルクの甘さが舌にからみついていく……」


★BUTTER |柚木麻子 |新潮社|2017年4月|ISBN:9784103355328 〇

  ――梶井真奈子はここ数年世間を騒がせている、首都圏連続不審死事件の被告人である。婚活サイトを介して次々に男達から金を奪い、三人を殺した罪に問われている。〔…〕現在、彼女は東京拘置所に勾留中だ。(本書)

  とあるから、これは2007年から2009年にかけての連続不審死事件木嶋佳苗をモデルにしたものであることは明らかだ(育った地を北海道から新潟に変えたり、細部は異なる)。2004年から2009年にかけての上田美由紀による鳥取連続不審死事件とともに、“肥満体の30代女による結婚詐欺連続殺人事件”である。

  木嶋佳苗事件では、佐野眞一『別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(2012)が、また上田美由紀事件では、青木理『誘蛾灯――鳥取連続不審死事件』(2013)というノンフィクションがある。

 本書でモデルとして扱われた木嶋は、法廷で“セックス自慢”など、“性”で評判になった。本書でもこんな記述がある。

  ――私の体型が世間で揶揄されていることは知っています。男を喜ばすことが好きなくせに、外見だけは彼らのニーズに反しているなんておかしい、と指摘されたこともあります。私に言わせれば、そうした発言をする人間こそ、男が女に惚れるメカニズムをわかっていません。きっと貧しい性生活しか送っていないのでしょうね。同情します。
  男を赦し、包み、肯定し、安心させ、決して凌駕しないこと。
  たったこれだけのことでいいのです。
(本書)

 しかし本書では、“性”よりも“食”が、みだらに悩ましく濃厚に綴られる。

  某評論家が「文藝春秋」2017年10月号で「殺人事件を扱ったノンフィクション・ノベルの名著として歴史に名を残すことに間違いない」と書いていたので、当方はこれを手に取った。だが、これは木嶋をモデルにしているものの、犯罪小説でもなく、ノンフィクション・ノベルでもなかった。「グルメ本の名著」とすればよかった。
  いかにもグルメな評論家が舌舐めずりして読んだグルメ本であり、料理本である。書店の棚では料理本のコーナーに並べられても不思議ではない。

  ところで本書が刊行されてすぐ木嶋は自らのブログでこう書いている(「木嶋佳苗の拘置所日記」2017年05月13日)。

  ――私も家族も弁護士も知らないユズキアサコという人が書いた本「BUTTER」。
 この本の主人公は、木嶋佳苗ではありません。私は、柚木を知りませんが、柚木も私を知りません。
書籍広告に私の氏名を載せることはやめてください。迷惑だ!
〔…〕

 法律よりも表現の自由が保障されねばならないと言うのか?柚木。
北原みのりが創作した木嶋佳苗像をトレースしているだけだろ?柚木。
拘置所の面会室でレシピの話をする女がいると思ってるのか?柚木。


木嶋は事件の渦中にある2008年頃から「かなえキッチン」という“食”のブログを掲載していたという。本書の著者はここから多くのヒントを得ていたように思われる。

  ――私は本物がわかる人としかおつきあいしたくありません。それにあれはビーフシチューじゃない。フランス料理のブフ・ブルギニョンよ。法廷でも何度も訂正したはずです。あなた達が食に対して無知であきれかえります。(本書)

 本書の感想を書くには当方の手に余る。せいぜい上掲の「バター醤油ご飯」を食べてみたい。

 ――「バターはエシレというブランドの有塩タイプを使いなさい。〔…〕美味しいバターを食べると、私、なにかこう、落ちる感じがするの」
「落ちる?」
「そう。ふわりと、舞い上がるのではなく、落ちる。エレベーターですっと一階下に落ちる感じ。舌先から身体が深く沈んでいくの」
(本書)


佐野眞一■別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
青木理■誘蛾灯――鳥取連続不審死事件




青山文平★遠縁の女 …………☆“1ストーリー・1テーマ”ではない“破片”の残る作品群

20170911

2017.09.11遠縁の女


 武家が武家以外の身分と異なる処は、ただ一点しかない。死を呑んでいるということである。
死を当然と見なし、むしろ、死に焦がれる。

武家以外の者に、生きる力が備わっているように、
武家には死ぬ力が備わっている。


 そして、死ぬ力を解き放つ場を、常に求めている。その手がかりこそが、強さなのである。死は、強さを好む。太平の世の剣士だからこそ、どこにあるのか分からぬ死に場処を求めて、ひたすら強くなろうとする。

 百姓も、武家も、追うものは、同じ強さだ。しかし、求めるものはちがう。一方は、生、そして、一方は、死、だ。

――「遠縁の女」


★遠縁の女  |青山文平 |文藝春秋|2017年4月|ISBN:9784163906225 |△

 片倉隆明は、徒士頭を務める父から武者修行を命じられる。諸藩は、武断から文治に切り替え、能吏を育てようという時代である。武者修行にふさわしい器量ではないと断る隆明に、父は言う。

 ――なんらかの寄合で、それぞれに持ち寄った策が合わなかったとしよう。はっきりと優劣が見えているならともあれ、そうでなければ、最後には腕の立つ者の策が通る。それもまた、剣なのだ。いや、それこそが、剣と言ってもいい。物言わずとも技倆が伝わって、知らずに気圧される。(本書)

 隆明には菊池誠二郎という友人がいた。下士だが、藩校では首席で、「能ある鷹の爪を見せつける」男である。やがて右筆を務める市川政孝の娘伸江(この艶めいたひとが隆明の“遠縁の女”である)を娶り、藩政改革に挑む。

 隆明は修行に出、百姓が剣に励む“野の稽古場”で、若い修行者沢村松之助に出会う。

 ……といった風にストーリーは展開する。

 この作品は、最初、一種の教養小説、青年の自己形成物語かと思った。父に諭され、武者修行の旅に出、やがて戻って藩政改革に従事する、とか。しかし友人菊池誠二郎とともに改革に取り組むことない。百姓たちが剣に励む“野の稽古場”で沢村松之助という若い修行者に出会うも、剣を競いあうこともない。読者は肩透かしをくらう。なぜ松之助という人物が登場したかも疑問である。

 当方は青山ファンで、これまでの全作品を読んでいる。が、ひとつ違和感がある。それは長篇でも短篇でも前半、後半でテーマが変わってしまい、登場人物は同じでも二つの作品をつなぎ合わせたような作品が多いこと。“意外な展開”といわれればその通りだが、当方は浅い読みしかできないからそれは“破綻”におもえる。

 あるいは、上掲に部分の前に……。

  ――野の稽古場に集う百姓たちもまた、ほんとうに強い。あらかたの武家を圧倒するほどに強い。しかし、その強さは、武家の強さとは異なるものだ。彼らの強さは、生きるための強さなのである。
 彼らは、あわよくば収奪を図ろうとする藩から、国を、郡を、村を、家を護るために強くあろうとする。生き抜くために木刀を手に取り、強くなろうとする。そこには常に、生きる、という軸がある。

武家はそうではない。彼らは断じて、生きるために強くなろうとはしていない。逆、だ。彼らは死ぬために、強くなろうとしている。そこがどんな場処なのかは分からぬが、しかし、彼らは、躯の内を流れる血を通して、強くなるほどに、死に場処が近くなることを識っている。私はそれを、旅の途上で出会った幾多の、剣にのめり込む武家の修行者との交わりのなかで識った。
(本書)

  本筋を彩るための挿話であれば、もっとさらりと記述するはずが、“全力投球”なのである。とくに短篇は“1ストーリー・1テーマ”だと思うが、本書の「機織る武家」、「沼尻新田」にしても途中でテーマが変わるようにしかみえない。このため読者である当方に“破片”のようなものが残り、さわやかな読後感とはいえない。

 父の急逝で、武者修行を5年で切り上げて国元に帰るのだが、そこから先は紹介できないが、思いもしない展開になる。タイトルが「遠縁の女」じゃないかといわれれはそれまでである。表紙絵に寺松国太郎「櫛」を用いたことから、一筋縄ではいかないと覚悟していたが……。

■つまをめとらば|青山文平


西川美和★永い言い訳

20170201

永い言い訳



「可愛いというか、まあねえ。とにかく居てやらないと、立ち行かないってだけなんだけど」

 津村ははじめて女の子に告白されたことを仲間に打ち明ける中学生みたいに頬を赤らめた。
 
 一体何だろうか。この突発的に現れた庇護欲と使命感と、そして充足感は。父性を飛び越して、母性に走ったか。

「色々やって分かったけど、育児の大変さに比べれば、仕事なんてたかが知れてると思ったね。とにかく彼らは生きてるんだもん」


 いかにも、冷房の効いた部屋の机の上でしか仕事をしてないやつの言いそうなことだ。せめて
「仕事」の前に「ぼくの」とつけるべきだ。



★永い言い訳|西川美和|文藝春秋|2015年2月|ISBNコード:9784163902142 |○


 『永い言い訳』は、西川美和の小説であり、著者自らが監督した映画(2016年公開)である。

 作家・津村啓(衣笠幸夫)の妻・夏子は友人とともにバス旅行に出かけ事故死する。作家は夏子の友人の夫・トラック運転手の陽一と出会い、その二人の子どもの世話をかってでる。上掲は編集者が見た作家の姿。

 小説の中の気になるフレーズをいくつか引用する。

――「でも、人間のこころだからさ。強いけど、弱いんだよ。ぼさっと折れるときもあるんだ。大人になっても、親になっても。君らのこと、抱きしめても足らないくらい大事でも」

――俺がいつ死のうが俺の勝手だと、本気でずっと思っていたんだ。後悔してる。俺はいったい何のために、君と一緒に居たのかね。

――死は、残された者たちの人生に影をさしこませる。その死の成り立ちようが、痛ましければ痛
ましいほど、人々は深く傷つき、自らを責め、生きる意欲を奪われ、その苦しみは、また別の死の呼び水にもなり得る。

――だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちやいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。

――人間死んだら、それまでさ。俺たちはふたりとも、生きている時間というものを舐めてたね。

 『永い言い訳』は、突然家族を失った人たちはどのように人生を取り戻していくのか、という物語。映画はまだ見ていない。
 映画ではこれらのフレーズをどう表現しているのかを楽しみたい。



最悪のとき|ウイリアム P.マッギヴァ一ン★発掘本・再会本100選

20170106

2017.01.06最悪のとき2



 深い息を吸って、いきどおりがしずまるのを待った。

 新しい、熱っぽい、衝動的ないきどおりで、5年間、心のうちに閉じこめられていた、凍てついた、生命のないいきどおりとは、まったく別物だった。
 レトニックは、その新しいいきどおりを抑えつけて、自分の計画のなかの、それに相応した場所にくくりつけておくことができた。

 古いいきどおりが、それとは別のなにものかになってふたたび頭をもたげた。
 
そのいきどおりは、みずからの生命をもち、彼の意志とか欲求とかからは独立して生きていた。


マッチをかたわらにはじきとばすと、レトニックは上町のほうに向かって歩き、貧民街のほうに曲った。



★最悪のとき|ウィリアム P.マッギヴァーン|井上勇:訳|東京創元新社|1960年4月|◎=おすすめ

 ――ふたりは会ってから6カ月そこそこたった夏に結婚した。それからほんのしばらくして、クリスマスにあとひと月という日、レトニックは殺人罪に問われて刑務所にはいった。(本書)

 それから5年、雪が降って、ひっきりなしに吹きつける強風のなか、スチーヴ・レトニックがシンシン刑務所から釈放される。冤罪を晴れすため真犯人を見つけなければならない。

 訪ね歩くニューヨーク第31番街警察署のかつての同僚や上司にも、世話になった神父にも、警察入りの際の保証人にも、そして妻にも、レトニックは心を開くことができず、ますますいきどおりを強めていく。妻のマーシャは言う。「あなたが憎んでるのは、わたしだけじゃないのね。だれかれみんなを憎んでいるのね。自分が殺されるまで憎みつづけるんでしょう」

 本書「THE DARKEST HOUR」(1955)が創元推理文庫の1冊として出たのは、1960年。当方が手にしたのは、福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩』(1963)という最強のミステリガイドの次の一文によってだった。

 ――「最悪のとき」が面白いのは、作者のどうしても言いたい主題がわざとらしくなく附け足されている点だ。とにかくこの作者は何かしら訴えたいもの、ぶち蒔けたいものを持っているらしく、彼が小説を書く動機の中には遊びだけでは済まされないものがある、との印象を受けた。(福永武彦)

当方の好きなフレーズ。

 ――「どんなことがあったか、お話ししたいのよ。長くもなし、おもしろい話でもないけれど。べつにごまかしもないし、意外なこともないわ」

 ――選択は善いことと悪いことの間にはなくて、悪いことと、より悪いことのあいだにある。

 ――「僕は君を傷つけようと思ったことはないんだよ」とレトニックは呼ばわったが、そのときはすでにその言葉をさえぎるように、ドアがすばやく閉まりかけていた。

 ――マーシアは電話のそばで待っていたのだ、とレトニックは考えた。苦痛よりも、なお鋭い希望が、身のうちを走りすぎた。


 それにしてもクラブでピアノを弾くマーシア28歳の魅力的なことよ。本書はマーシアで成り立っている作品だ。もっとも悪役だって、単なるこわもてではない。

敵対するニック・アマートという波止場のボスは、荷箱製造工、検査員、トラック運転手、ウィンチ係、労働者など500人の人間から口銭を受け取っている非情の男。だが、じつは自宅では台所だけが足腰がのばせる場所で、ほかの部屋はすべて妻が愚にもつかぬ重々しい家具や、ナポリにいる縁者たちの写真でいっぱいにしている。しかも部下の愛人にコンプレックスをもつ男として描かれる。また、その部下のジョー・ライは、血の色をした夢に毎夜悩まされている。

 本書の植草甚一の解説によれば、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーは私立探偵を主人公にしていたが、1950年代に入って本書のウィリアム・P・マッギヴァーンをはじめとして新しい作家たちは、平凡な警官を、さらに悪徳警官を主人公に選び、リアリズムの方向へむかう作品を生みだすようになった、という。 

 当方、最初に読んだのは、まだ20代前半のころ。灰皿を吸殻の山にし、ウイスキーを片手に、自らを制御できないかたくなな日々、その鬱屈した気分を解きほぐすために、創元推理文庫や早川ポッケトミステリを乱読していた。いきどおりの男、スティーヴ・レトニックに共感した所以である。



 

 

青山文平■つまをめとらば

20161212

20161212つまをめとらば


「一度は、爺二人でずっと暮らしていこうと思った未練だ。せっかく踏ん切ったのに、また、ず
るずると尾を引きそうな気がする」
「そうかもしれん」
「おまえはどうする」
「さあ、どうするかな」〔…〕
 齢を重ねるにつれて、分かったことが増えたが、分からないことも増えた。分かっていたことが、分からなくなったりもする。
 
でも、それがわるいとは思わないし、いやでもない。


――「つまをめとらば」


■つまをめとらば|青山文平|文藝春秋|2015年7月|ISBN: 9784163902920|◎=おすすめ

 表題作ほか6篇をおさめる時代小説短編集。当方、図書館でやっと手にとれたのが2016年12月。読まれているらしい。ぱらぱらとページを繰っているうちに魅入られた。文体、時代背景の取り入れ方、会話の言葉遣い、どれをとってもぴったりとくる。

 時代小説といえば、山本周五郎、藤沢周平。その藤沢以降、十数人の時代小説作家が直木賞を得たが、当方にはぴったりこなかった。が、この青山文平という作家、肌に合う。青山文平(1948~)は、2011年「白樫の樹の下で」で登場。67歳時に本書で直木賞受賞。生きている大衆魚、銀色の鯵を書きたいと語った。その後大腸がんを克服。

この短編集の面白いところ……。省略が、すごい。最近は、小説でもドラマでも細部までとことん書き込んで、想像する余地を残さない。
 登場人物が、意外な別の顔をもつのも特徴。下級武士でありながら、算学、俳諧、戯作、釣具、万年青など(だがまだ数冊だが、同じ副業。引出しは大丈夫か)。

 そして、なんといっても女がすごい。
「ひともうらやむ」では、医師の父を手伝う娘は優しく美しく女菩薩のようだが、ひともうらやむ美男美女のカップルが成立するものの、まもなく「飽きた」と離縁状をよこす女。
 もう一人は、どうにもひなびて見え、気だても樹陰に咲く小さな花のような田舎の武家育ちの女が、都へ出てきたとたん町人地の水に馴染んで、言葉づかいまで変わっり、亭主そっちのけで商売を主導する女。
 イントロとはなんの脈絡もなくストーリーが展開するのには戸惑ってしまう。この二人の女。二組の夫婦の対比を狙ったのかもしれないが、どう読んでも短編2作をくっつけた印象。

「つゆかせぎ」では、作女などの日用取をして2人の娘を喰わせているが、雨が続くとお足が入らず、春をひさぐ女。女は言う。「男親なんて誰だってかまいません。2人の娘も男親はちがいます。でも、わたしの子です。わたしの子であれば、それでいい。子は女のものです。4人だって、5人だって欲しい」

「つまをめとらば」では、省吾、貞次郎という幼なじみが久しぶりに出会うところから始まる。ふたりは56歳。ちょっと早いが隠居の身。そこに童女のような顔に、はち切れそうな体を持ち、「朝露が葉を転がる音があるとすればかくやと思える声」を持つ女が登場する。じつはこの女には二度の心中未遂の噂があり、そのうちの一人は貞次郎。

 どれも意外な結末は、女が引き受ける。男たちは女のたくましさに圧倒される。読者も……。深堀省吾、山脇貞次郎といったシニアの生き方もふっとんでしまう。だが当方としては、隠居小説を期待したい。

青山文平■鬼はもとより
青山文平■白樫の樹の下で


忍ぶ川 |三浦哲郎★発掘本・再会本100選

20161121

忍ぶ川



 私は、二つならべて敷いた蒲団の一方を、枕だけのこして手早くたたんで、

「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。

その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」


 さっさと着物と下着をぬぎすて、素裸になって蒲団へもぐった。

 志乃は、ながいことかかって、着物をたたんだ。それから、電燈をぱちんと消し、私の枕もとにしゃがんでおずおずといった。
「あたしも、寝巻を着ちゃ、いけませんの?」
「ああ、いけないさ。あんたも、もう雪国の人なんだから。」




■忍ぶ川 |三浦哲郎 |新潮社|1961年11月/文庫版:1965年6月|ISBN:9784101135014 |○

 タイトルに「川・河」がつく本を古書店で買い、散策の途中公園で読んでいる。100円で買った本書もその一つ。

 しかし「忍ぶ川」は、川ではなく、料亭の名前である。
 山の手の国電の駅近くにある本郷あたりへ通う学校の教師、会社員、それに土地の商家の楽隠居たちが常連客のちいさな料亭。そこで働く志乃と大学生の「私」との恋物語である。「私」は「忍ぶ川」近くの学生寮に住む。当方は東京に土地勘がないので、どの辺りか見当がつかない。

 冒頭ふたりは木場と洲崎を訪ねる。木場は失踪した「私」の兄が勤めていた木材会社があったところ。洲崎は志乃が生まれたところ。木場といえば東京都現代美術館がオープンした翌年1996年にアンディ・ウォーホル展を観に行ったことがある。すでに“木と運河の町”ではなかった。洲崎は川島雄三監督の『洲崎パラダイス赤信号』(1956)に、その遊郭の街の風景が記録されている。

 ――「これが、洲崎橋。」
 志乃は、焔になめられたあとが黒い縞になってのこっている石の欄干を、なつかしそうに手のひらでぴたぴたたたき、それから、橋のむこうの空をよぎっている高いアーチを、めずらしそうに仰いで、そこに書いてある、夜はネオンになるのだろう、豆電球にふちどられている文字を、
「洲・崎・パ・ラ・ダ・イ・ス。」とひくく読んだ。
(「忍ぶ川」)

 掘割洲崎川は1982年に埋め立てられ、洲崎川緑道公園となり、「洲崎橋跡地」の碑がある。「忍ぶ川」は、1972年熊井啓監督で映画化された。栗原小巻、加藤剛主演の上掲の“素裸で寝る”場面で有名で、当方も「忍ぶ川」といえば栗原小巻のまぶしい裸身を思い浮かべる。

 久しぶりに「忍ぶ川」を読むと、上掲の場面もさることながら、その前後がすばらしい。東北の「私」の実家で、二人と、父、母、姉の5人だけの結婚式で、「高砂なんと、歌いやんしょうかな」と父が歌い始める場面が、切ない。また、上掲のあとの場面。

――言葉がとぎれると、雪国の夜は地の底のような静けさであった。その静けさの果てから、さえた鈴の音がきこえ、それがゆっくりと高まってきた。
「なんの鈴?」志乃は訊いた。
「馬橇の鈴。」私は答えた。
「馬橇って、なに?」
「馬がひく橇のことだよ。在のお百姓が、町へ出て、焼酎を飲みすぎて、いまごろ村へ帰るのだろう。」
「あたし、見たいわ。」と志乃がいった。
 二人、裸のまま、一枚の丹前にくるまって、部屋をぬけ出た。
(「忍ぶ川」)

 作者29歳の芥川賞受賞作。1961年刊。手元にある新潮文庫版は、連作の「初夜」「帰郷」も収録され、1965年5月発行、2000年9月、80刷とある。いまも読まれ続けているようだ。


三浦哲郎◎おふくろの夜回り




06男と女と嘘│T版 2016年1月~3月★野口和恵★ドリアン助川

20160408

06男と女と嘘
★野口和恵│日本とフィリピンを生きる子どもたち


思春期にさしかかったJFCが決まって口にするのが、「ヒンディ・アコ・コンプリート(自分は完成していない)」という表現だ。

認知を得て、初めて自分という人間が完成するのだという。逆に父親と信じてきた男性から「自分の子どもではない」といわれれば、存在意義そのものがつき崩されてしまう。


★野口和恵│日本とフィリピンを生きる子どもたち――ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン│△2015.10


**
 10万人とも20万人ともいわれているジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)は、その多くはバブル全盛期に出稼ぎのフィリピン人女性が母、また商用や観光でフィリピンを訪ねる日本人男性が父。
 日本人の父親が連絡を絶ち、養育放棄された子どもが続出し、1990年代に社会問題化した。
 野口和恵『日本とフィリピンを生きる子どもたち』は、ハロハロ(混ぜこぜ)文化の国フィリッピンと「違い」に寛容になれない日本のはざまで国籍や貧困に悩むJFCをルポする。





★ドリアン助川│あなたという国

世界は、戦死を免れた者たちの子孫で創られている。死んでしまった者たちは、続くはずだった無数の命を等しく失うのだ。愛する者を一人失えば、それはもう別の世界だ。なんという世界の連続なのだろう。

★ドリアン助川│あなたという国――ニューヨーク・サン・ソウル│○2016.01


**
 9.11ニューヨーク。マンハッタンで初ライブを行う日、異様なものが視界に入った気がして拓人は外へ出る――。
 ドリアン助川『あなたという国』は、ミュージシャン志望の日本人青年の物語。
 「ユナがいないのなら、ユナを思い続けた自分もいないのではないだろうか」。

 ストーリーは最終章に至って“絶唱”となる。
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