西川美和★永い言い訳

20170201

永い言い訳



「可愛いというか、まあねえ。とにかく居てやらないと、立ち行かないってだけなんだけど」

 津村ははじめて女の子に告白されたことを仲間に打ち明ける中学生みたいに頬を赤らめた。
 
 一体何だろうか。この突発的に現れた庇護欲と使命感と、そして充足感は。父性を飛び越して、母性に走ったか。

「色々やって分かったけど、育児の大変さに比べれば、仕事なんてたかが知れてると思ったね。とにかく彼らは生きてるんだもん」


 いかにも、冷房の効いた部屋の机の上でしか仕事をしてないやつの言いそうなことだ。せめて
「仕事」の前に「ぼくの」とつけるべきだ。



★永い言い訳|西川美和|文藝春秋|2015年2月|ISBNコード:9784163902142 |○


 『永い言い訳』は、西川美和の小説であり、著者自らが監督した映画(2016年公開)である。

 作家・津村啓(衣笠幸夫)の妻・夏子は友人とともにバス旅行に出かけ事故死する。作家は夏子の友人の夫・トラック運転手の陽一と出会い、その二人の子どもの世話をかってでる。上掲は編集者が見た作家の姿。

 小説の中の気になるフレーズをいくつか引用する。

――「でも、人間のこころだからさ。強いけど、弱いんだよ。ぼさっと折れるときもあるんだ。大人になっても、親になっても。君らのこと、抱きしめても足らないくらい大事でも」

――俺がいつ死のうが俺の勝手だと、本気でずっと思っていたんだ。後悔してる。俺はいったい何のために、君と一緒に居たのかね。

――死は、残された者たちの人生に影をさしこませる。その死の成り立ちようが、痛ましければ痛
ましいほど、人々は深く傷つき、自らを責め、生きる意欲を奪われ、その苦しみは、また別の死の呼び水にもなり得る。

――だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちやいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。

――人間死んだら、それまでさ。俺たちはふたりとも、生きている時間というものを舐めてたね。

 『永い言い訳』は、突然家族を失った人たちはどのように人生を取り戻していくのか、という物語。映画はまだ見ていない。
 映画ではこれらのフレーズをどう表現しているのかを楽しみたい。



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最悪のとき|ウイリアム P.マッギヴァ一ン★発掘本・再会本100選

20170106

2017.01.06最悪のとき2



 深い息を吸って、いきどおりがしずまるのを待った。

 新しい、熱っぽい、衝動的ないきどおりで、5年間、心のうちに閉じこめられていた、凍てついた、生命のないいきどおりとは、まったく別物だった。
 レトニックは、その新しいいきどおりを抑えつけて、自分の計画のなかの、それに相応した場所にくくりつけておくことができた。

 古いいきどおりが、それとは別のなにものかになってふたたび頭をもたげた。
 
そのいきどおりは、みずからの生命をもち、彼の意志とか欲求とかからは独立して生きていた。


マッチをかたわらにはじきとばすと、レトニックは上町のほうに向かって歩き、貧民街のほうに曲った。



★最悪のとき|ウィリアム P.マッギヴァーン|井上勇:訳|東京創元新社|1960年4月|◎=おすすめ

 ――ふたりは会ってから6カ月そこそこたった夏に結婚した。それからほんのしばらくして、クリスマスにあとひと月という日、レトニックは殺人罪に問われて刑務所にはいった。(本書)

 それから5年、雪が降って、ひっきりなしに吹きつける強風のなか、スチーヴ・レトニックがシンシン刑務所から釈放される。冤罪を晴れすため真犯人を見つけなければならない。

 訪ね歩くニューヨーク第31番街警察署のかつての同僚や上司にも、世話になった神父にも、警察入りの際の保証人にも、そして妻にも、レトニックは心を開くことができず、ますますいきどおりを強めていく。妻のマーシャは言う。「あなたが憎んでるのは、わたしだけじゃないのね。だれかれみんなを憎んでいるのね。自分が殺されるまで憎みつづけるんでしょう」

 本書「THE DARKEST HOUR」(1955)が創元推理文庫の1冊として出たのは、1960年。当方が手にしたのは、福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩』(1963)という最強のミステリガイドの次の一文によってだった。

 ――「最悪のとき」が面白いのは、作者のどうしても言いたい主題がわざとらしくなく附け足されている点だ。とにかくこの作者は何かしら訴えたいもの、ぶち蒔けたいものを持っているらしく、彼が小説を書く動機の中には遊びだけでは済まされないものがある、との印象を受けた。(福永武彦)

当方の好きなフレーズ。

 ――「どんなことがあったか、お話ししたいのよ。長くもなし、おもしろい話でもないけれど。べつにごまかしもないし、意外なこともないわ」

 ――選択は善いことと悪いことの間にはなくて、悪いことと、より悪いことのあいだにある。

 ――「僕は君を傷つけようと思ったことはないんだよ」とレトニックは呼ばわったが、そのときはすでにその言葉をさえぎるように、ドアがすばやく閉まりかけていた。

 ――マーシアは電話のそばで待っていたのだ、とレトニックは考えた。苦痛よりも、なお鋭い希望が、身のうちを走りすぎた。


 それにしてもクラブでピアノを弾くマーシア28歳の魅力的なことよ。本書はマーシアで成り立っている作品だ。もっとも悪役だって、単なるこわもてではない。

敵対するニック・アマートという波止場のボスは、荷箱製造工、検査員、トラック運転手、ウィンチ係、労働者など500人の人間から口銭を受け取っている非情の男。だが、じつは自宅では台所だけが足腰がのばせる場所で、ほかの部屋はすべて妻が愚にもつかぬ重々しい家具や、ナポリにいる縁者たちの写真でいっぱいにしている。しかも部下の愛人にコンプレックスをもつ男として描かれる。また、その部下のジョー・ライは、血の色をした夢に毎夜悩まされている。

 本書の植草甚一の解説によれば、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーは私立探偵を主人公にしていたが、1950年代に入って本書のウィリアム・P・マッギヴァーンをはじめとして新しい作家たちは、平凡な警官を、さらに悪徳警官を主人公に選び、リアリズムの方向へむかう作品を生みだすようになった、という。 

 当方、最初に読んだのは、まだ20代前半のころ。灰皿を吸殻の山にし、ウイスキーを片手に、自らを制御できないかたくなな日々、その鬱屈した気分を解きほぐすために、創元推理文庫や早川ポッケトミステリを乱読していた。いきどおりの男、スティーヴ・レトニックに共感した所以である。



 

 

青山文平■つまをめとらば

20161212

20161212つまをめとらば


「一度は、爺二人でずっと暮らしていこうと思った未練だ。せっかく踏ん切ったのに、また、ず
るずると尾を引きそうな気がする」
「そうかもしれん」
「おまえはどうする」
「さあ、どうするかな」〔…〕
 齢を重ねるにつれて、分かったことが増えたが、分からないことも増えた。分かっていたことが、分からなくなったりもする。
 
でも、それがわるいとは思わないし、いやでもない。


――「つまをめとらば」


■つまをめとらば|青山文平|文藝春秋|2015年7月|ISBN: 9784163902920|◎=おすすめ

 表題作ほか6篇をおさめる時代小説短編集。当方、図書館でやっと手にとれたのが2016年12月。読まれているらしい。ぱらぱらとページを繰っているうちに魅入られた。文体、時代背景の取り入れ方、会話の言葉遣い、どれをとってもぴったりとくる。

 時代小説といえば、山本周五郎、藤沢周平。その藤沢以降、十数人の時代小説作家が直木賞を得たが、当方にはぴったりこなかった。が、この青山文平という作家、肌に合う。青山文平(1948~)は、2011年「白樫の樹の下で」で登場。67歳時に本書で直木賞受賞。生きている大衆魚、銀色の鯵を書きたいと語った。その後大腸がんを克服。

この短編集の面白いところ……。省略が、すごい。最近は、小説でもドラマでも細部までとことん書き込んで、想像する余地を残さない。
 登場人物が、意外な別の顔をもつのも特徴。下級武士でありながら、算学、俳諧、戯作、釣具、万年青など(だがまだ数冊だが、同じ副業。引出しは大丈夫か)。

 そして、なんといっても女がすごい。
「ひともうらやむ」では、医師の父を手伝う娘は優しく美しく女菩薩のようだが、ひともうらやむ美男美女のカップルが成立するものの、まもなく「飽きた」と離縁状をよこす女。
 もう一人は、どうにもひなびて見え、気だても樹陰に咲く小さな花のような田舎の武家育ちの女が、都へ出てきたとたん町人地の水に馴染んで、言葉づかいまで変わっり、亭主そっちのけで商売を主導する女。
 イントロとはなんの脈絡もなくストーリーが展開するのには戸惑ってしまう。この二人の女。二組の夫婦の対比を狙ったのかもしれないが、どう読んでも短編2作をくっつけた印象。

「つゆかせぎ」では、作女などの日用取をして2人の娘を喰わせているが、雨が続くとお足が入らず、春をひさぐ女。女は言う。「男親なんて誰だってかまいません。2人の娘も男親はちがいます。でも、わたしの子です。わたしの子であれば、それでいい。子は女のものです。4人だって、5人だって欲しい」

「つまをめとらば」では、省吾、貞次郎という幼なじみが久しぶりに出会うところから始まる。ふたりは56歳。ちょっと早いが隠居の身。そこに童女のような顔に、はち切れそうな体を持ち、「朝露が葉を転がる音があるとすればかくやと思える声」を持つ女が登場する。じつはこの女には二度の心中未遂の噂があり、そのうちの一人は貞次郎。

 どれも意外な結末は、女が引き受ける。男たちは女のたくましさに圧倒される。読者も……。深堀省吾、山脇貞次郎といったシニアの生き方もふっとんでしまう。だが当方としては、隠居小説を期待したい。

青山文平■鬼はもとより
青山文平■白樫の樹の下で


忍ぶ川 |三浦哲郎★発掘本・再会本100選

20161121

忍ぶ川



 私は、二つならべて敷いた蒲団の一方を、枕だけのこして手早くたたんで、

「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。

その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」


 さっさと着物と下着をぬぎすて、素裸になって蒲団へもぐった。

 志乃は、ながいことかかって、着物をたたんだ。それから、電燈をぱちんと消し、私の枕もとにしゃがんでおずおずといった。
「あたしも、寝巻を着ちゃ、いけませんの?」
「ああ、いけないさ。あんたも、もう雪国の人なんだから。」




■忍ぶ川 |三浦哲郎 |新潮社|1961年11月/文庫版:1965年6月|ISBN:9784101135014 |○

 タイトルに「川・河」がつく本を古書店で買い、散策の途中公園で読んでいる。100円で買った本書もその一つ。

 しかし「忍ぶ川」は、川ではなく、料亭の名前である。
 山の手の国電の駅近くにある本郷あたりへ通う学校の教師、会社員、それに土地の商家の楽隠居たちが常連客のちいさな料亭。そこで働く志乃と大学生の「私」との恋物語である。「私」は「忍ぶ川」近くの学生寮に住む。当方は東京に土地勘がないので、どの辺りか見当がつかない。

 冒頭ふたりは木場と洲崎を訪ねる。木場は失踪した「私」の兄が勤めていた木材会社があったところ。洲崎は志乃が生まれたところ。木場といえば東京都現代美術館がオープンした翌年1996年にアンディ・ウォーホル展を観に行ったことがある。すでに“木と運河の町”ではなかった。洲崎は川島雄三監督の『洲崎パラダイス赤信号』(1956)に、その遊郭の街の風景が記録されている。

 ――「これが、洲崎橋。」
 志乃は、焔になめられたあとが黒い縞になってのこっている石の欄干を、なつかしそうに手のひらでぴたぴたたたき、それから、橋のむこうの空をよぎっている高いアーチを、めずらしそうに仰いで、そこに書いてある、夜はネオンになるのだろう、豆電球にふちどられている文字を、
「洲・崎・パ・ラ・ダ・イ・ス。」とひくく読んだ。
(「忍ぶ川」)

 掘割洲崎川は1982年に埋め立てられ、洲崎川緑道公園となり、「洲崎橋跡地」の碑がある。「忍ぶ川」は、1972年熊井啓監督で映画化された。栗原小巻、加藤剛主演の上掲の“素裸で寝る”場面で有名で、当方も「忍ぶ川」といえば栗原小巻のまぶしい裸身を思い浮かべる。

 久しぶりに「忍ぶ川」を読むと、上掲の場面もさることながら、その前後がすばらしい。東北の「私」の実家で、二人と、父、母、姉の5人だけの結婚式で、「高砂なんと、歌いやんしょうかな」と父が歌い始める場面が、切ない。また、上掲のあとの場面。

――言葉がとぎれると、雪国の夜は地の底のような静けさであった。その静けさの果てから、さえた鈴の音がきこえ、それがゆっくりと高まってきた。
「なんの鈴?」志乃は訊いた。
「馬橇の鈴。」私は答えた。
「馬橇って、なに?」
「馬がひく橇のことだよ。在のお百姓が、町へ出て、焼酎を飲みすぎて、いまごろ村へ帰るのだろう。」
「あたし、見たいわ。」と志乃がいった。
 二人、裸のまま、一枚の丹前にくるまって、部屋をぬけ出た。
(「忍ぶ川」)

 作者29歳の芥川賞受賞作。1961年刊。手元にある新潮文庫版は、連作の「初夜」「帰郷」も収録され、1965年5月発行、2000年9月、80刷とある。いまも読まれ続けているようだ。


三浦哲郎◎おふくろの夜回り




06男と女と嘘│T版 2016年1月~3月★野口和恵★ドリアン助川

20160408

06男と女と嘘
★野口和恵│日本とフィリピンを生きる子どもたち


思春期にさしかかったJFCが決まって口にするのが、「ヒンディ・アコ・コンプリート(自分は完成していない)」という表現だ。

認知を得て、初めて自分という人間が完成するのだという。逆に父親と信じてきた男性から「自分の子どもではない」といわれれば、存在意義そのものがつき崩されてしまう。


★野口和恵│日本とフィリピンを生きる子どもたち――ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン│△2015.10


**
 10万人とも20万人ともいわれているジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)は、その多くはバブル全盛期に出稼ぎのフィリピン人女性が母、また商用や観光でフィリピンを訪ねる日本人男性が父。
 日本人の父親が連絡を絶ち、養育放棄された子どもが続出し、1990年代に社会問題化した。
 野口和恵『日本とフィリピンを生きる子どもたち』は、ハロハロ(混ぜこぜ)文化の国フィリッピンと「違い」に寛容になれない日本のはざまで国籍や貧困に悩むJFCをルポする。





★ドリアン助川│あなたという国

世界は、戦死を免れた者たちの子孫で創られている。死んでしまった者たちは、続くはずだった無数の命を等しく失うのだ。愛する者を一人失えば、それはもう別の世界だ。なんという世界の連続なのだろう。

★ドリアン助川│あなたという国――ニューヨーク・サン・ソウル│○2016.01


**
 9.11ニューヨーク。マンハッタンで初ライブを行う日、異様なものが視界に入った気がして拓人は外へ出る――。
 ドリアン助川『あなたという国』は、ミュージシャン志望の日本人青年の物語。
 「ユナがいないのなら、ユナを思い続けた自分もいないのではないだろうか」。

 ストーリーは最終章に至って“絶唱”となる。
**

◎06男と女と嘘│T版 2015年4月~11月

20151120

06男と女と嘘
★乙川優三郎『太陽は気を失う』


「画家は哀愁や美しい感情を絵の具に込められませんか」

「できます〔…〕ただ、それにはどうしても技術以上のものが必要になります、人格形成に関わる経験であったり、時代や社会や自然を見る独自の観察眼といったものでしょうか」
(「悲しみがたくさん」)

★乙川優三郎『太陽は気を失う』〇2015



 乙川優三郎『太陽は気を失う』は14の短編。
 定年を迎えた夫婦の齟齬を描いた『日曜に戻るから』。定年後休むことに疲れ始めた男の『まだ夜は長い』。
 上掲「悲しみがたくさん」は高齢の舞台女優ときりりとした生をを描いたもの。かつて藤沢周平が暗く救いがたい生を描いた初期から後に軽快な作風に変わったように、乙川優三郎も軽やかで芳醇な作風に進んでいるようだ。




★山田和夫『妻が遺した一枚のレシピ』


 いま思うに和子は、自分の死期が追っていることを予感し、「私が死んだら」を「私が治ったら」に置き替えて僕を悲しませないようにして後片付けを託し、終い支度を始めたのではないだろうか。
★山田和夫『妻が遺した一枚のレシピ』〇2015



自宅で「こんがりパンや」を開いていた妻が57歳、すい臓がんで亡くなり、残されたのは大きな業務用オーブンとB51枚のパンのレシピ。
やがて自らもパン焼きに挑戦。週一度ホームレスの人々のためにパンを焼き、また隔週一度の夕方に「子ども食堂」を開き、……。
死に直面した妻の日々とボランティアに目覚めた60代の日々を綴る。




★本橋信宏『迷宮の花街渋谷円山町』


 料亭が建ち並ぶ古い街だった渋谷円山町も、時代とともに過去を脱ぎ捨て、ラブホテルの街となり、いまではクラブ、シアター、ライブハウスが進出する若者の街になりつつある。
 街は油断しているとまったく別の姿になっている。

★本橋信宏『迷宮の花街渋谷円山町』〇2015



 東京の盛り場は、開高健『ずばり東京』が1964年東京五輪前後を残し、鹿島茂『平成ジャングル探検』が世紀末前後の盛り場をルポした。
 2020年の五輪には東京は風貌を一新するだろうが、本橋信宏の異界シリーズはやがて消えゆくB面の東京を記録して貴重である。
 当方は『迷宮の花街渋谷円山町』といってもあの「東電OL事件」しか知らないが……。





★工藤美代子『恋づくし-宇野千代伝』


 女の人生なんて、どこが終着駅かわからない。尾崎との別離の後で、死ぬほど未練に苦しめられ、青児とは憎しみあう結末しかなかった。
 ところが、もう四十歳を過ぎて、こんなにすべてが揃っている男が待っていた。才能も容姿も性格も、どれを取っても北原は完璧ではないか。
★工藤美代子『恋づくし-宇野千代伝』△2015



 工藤美代子は、皇室、昭和史がらみの評伝を得意とするノンフィクション作家。
 鬱にもめげず、性やお化けやとウイングを広げ、『恋づくし-宇野千代伝』はポルノ風小説。
 宇野千代は、尾崎士郎、東郷青児、北原武夫などを夫とし、恋愛歴を重ね男と寝た最後は78歳の時、そして享年98。




★橋口幸子『いちべついらい――田村和子さんのこと』


ねじめ正一さんの『荒地の恋』が出たあと、和子さんは少し興奮気味だった。ある日、ぽつりといった。
「あの本のなかのわたしは嫌だな。わたしがすれっからしの女に書かれている。わたし、あんな女じゃないわ」


★橋口幸子『いちべついらい――田村和子さんのこと』△2015

 北村太郎にセンチメンタル・ジャーニーという連作詩があって「一人旅、行き着くところは、どこでもいいさ。仕事があって、夢があって、それに大きくも小さくもない幻滅のあるところだ」といったフレーズを20代のころ好んだ。
 その北村太郎が田村隆一の4番目の妻と愛人関係にあったという『荒地の恋』を読んだ時は衝撃だった。本書の和子という女性がその人である。彼女と同じ屋根の下で暮らした著者による思い出の記録である。
 世間から少しずれた位置にある男と女(「荒地」の二詩人と彫刻の高田博厚の娘)の修羅場の日々をパステルで描いた童画のように著者は綴る。







水木しげる/原作・柳田国男★水木しげるの遠野物語

20150513

2012.10水木しげるの遠野物語

水木遠野1

水木遠野2

 昨年、岩手・秋田の一人旅では、どうしても遠野に行けなかったが、「遠野物語」にもしばしば登場する閉伊川に沿って国道106号で宮古まで行った。

 しかし「遠野物語」では何と言っても第99話の大津波で妻と子を亡くした福二の話がせつない。上掲はその一部分。3.11でも同様の出来事があったのではないかと思われる。

 本書は妖怪の水木しげるが、カッパ、ザシキワラシ、オシラサマなどを描いた。

★水木しげるの遠野物語│水木しげる/原作・柳田国男│小学館│ISBN:9784091828798│2010年01月│評価=○│2010年は『遠野物語』発刊100周年、その記念事業の一つとして刊行。

柳田国男 ★遠野物語

長尾宇迦■幽霊記――小説『遠野物語』

三好京三★遠野夢詩人――佐々木喜善と柳田国男

木瀬公二■100年目の「遠野物語」119のはなし




06/男と女と嘘│T版 2015年1月~3月

20150506

06/男と女と嘘06男と女と嘘


■気になるフレーズ @koberandom 2月16日
★岸政彦『街の人生』

性同一性障害っていう新しい分野が確立したときに、そこは精神の病のひとつに入れられてるのね。〔…〕「病気やから仕方がない」っていう感覚で認められてることに、私は「病気じゃないのよ」って。(ニューハーフ・りか)★岸政彦『街の人生』2014

**

岸政彦『街の人生』は、日系南米人のゲイ、ニューハーフ、摂食障害、シングルマザーの風俗嬢、元ホームレスの5人のインタビュー集。読みやすく変えたり、短く編集したりせず、元の会話をそのまま残す。いわば素材のまま放り出されているので、まことに読み辛い。そのぶん、リアルで刺激的。



■気になるフレーズ @koberandom 2月17日
★内田洋子『どうしようもないのに、好き』

疑似恋愛だからこそ燃え上がる、という関係もあるだろう。〔…〕シャンパンの泡と似ている。軽やかで喉越しが良く、ぴりっと弾けて刺激的だが、やがて気が抜ける。飲んでしまえば、それでおしまい。★内田洋子『どうしようもないのに、好き』2014

**

内田洋子のイタリアを舞台のエッセイ。ハッピーエンドとならない15の恋物語。イタリア式恋愛術――それは永久に見つからない探し物。「ミラノではあっという間にカップルが生まれ、瞬く間に別れてしまう。昨日までは夫の友人だった男と、さっそく今日から新たな人生を始めてしまう妻がいたりする」。



■気になるフレーズ @koberandom 3月3日
★浅丘ルリ子『咲きつづける』

結婚してよかったです。結婚がいかに大変かということもわかりました。私は女優を続けていければいいんです。他のことは二の次だということも結婚と離婚を通して改めてわかりました。★浅丘ルリ子『咲きつづける』2013

**

浅丘ルリ子自伝『咲きつづける』は、1955年のデビューからスター女優であり続けて、公式コメントだけで本心を明かさない。彼女の代表作は?渡り鳥シリーズの旭の恋人、寅さんシリーズのリリー、仮面の女優そのままの「博士の愛した数式」、70歳にしてメイクなしの役を演じた最終作「デンデラ」?


内田洋子★どうしようもないのに、好き――イタリア15の恋愛物語

20150218

2015.02.18どうしょうもないのに、好き

 イタリア女性たちは慣れたもので、いくら言い寄られでも、そのたびに男性たちに取り合ったりはしない。むしろ、見つめられて当然。賞讃されないようでは女が廃った証拠、と思う。

 女性の気持ちを高めるのは男性としての礼儀であり、素養の一つ、と考える人もいる。

 はめて、はめられて。世辞は、日常生活の潤滑油のようなものだ。疑似恋愛だからこそ燃え上がる、という関係もあるだろう。

 瞬時の快楽。
 永遠には続かない関係。
 はかないようで、だからこそ濃厚な味わい。

 シャンパンの泡と似ている。軽やかで喉越しが良く、ぴりっと弾けて刺激的だが、やがて気が抜ける。飲んでしまえば、それでおしまい。


 適量さえ心得でいれば、二日酔いも悪酔いもしない。
 記憶に残るのは、グラスが触れ合うときの音と、ふわりとした酔い心地だけである。

――15・シャンパンの泡



*
 内田洋子のイタリアを舞台にしたエッセイ。以前こう書いた。

 ――『イタリアン・カップチーノをどうぞ』(1995)の絵はがきのようなイタリア案内、『ジーノの家』(2011)の映画の場面のような情感あふれた人々の点描、『ミラノの太陽、シチリアの月』(2012)の“市井小説”を読んでいるような感動話。そして『カテリーナの旅支度』(2013)では、ついにハッピーエンドで終わらない厳しいリアルな生活の数々が語られる。

 そのあと『皿の中に、イタリア 』(2014)では、やや軽めの食にまつわるエッセイ。そして本書では、“イタリア式恋愛術”の15のストーリーだが、ハッピーエンドはない。

 ――ミラノではあっという間にカップルが生まれ、瞬く間に別れてしまう。昨日までは夫の友人だった男と、さっそく今日から新たな人生を始めてしまう妻がいたりする。(「13・絵に描いたような幸せ」)

 15の物語を綴ったあと、著者は記す……。

――もつれるほど、気になる相手。
どうしようもないのに、好き。
だから、好き。

 それは私がイタリアに抱く気持ちと、とてもよく似ている。(あとがき)

★どうしようもないのに、好き――イタリア15の恋愛物語 │内田洋子│集英社インターナショナル│ISBN:9784797672787│2014年09月│評価=△│イタリア式恋愛術――それは永久に見つからない探し物。

内田洋子□ミラノの太陽、シチリアの月



伊藤比呂美★女の一生

20150119

2015.01.19女の一生


 おっぱいがふくらみ、おしりが広がり、もったりしてくる。女の服を着て、女の靴を履き、化粧をして、男に媚びる。たまに妊娠しておなかを大きくして歩きまわる。

 成熟するというのはおぞましいことだ。三十くらいまではそう思っていましたが、否も応もなく、自分のからだも成熟していきまして、

 必死で生きてるうちに、気がついたら、

もう育つの大きくなるの成熟するのと言わないで、老いる、というのだということに気がつきました。



 著者は、1955年生まれ。女の苦労はたいてい経験し、女の一生がテーマの人生だったと述懐し、自らの過去の著作から感動と好奇心の場面をコピペして、ここに女の一生ダイジェスト版にとして上梓。

 ――「父が気むずかしくなって困っています」という64歳の相談に、「年取った人たちの気むずかしさは、本態性です。機が熟して、からだの芯からわき上がるような、暗い気むずかしき。〔…〕ずっと男でやってきた人間が、ふと『自分が無力であることに、自分が社会や家族に何の意味も影響力も持ってないことに、気づいてしまった』ような気むずかしさです」と。

★女の一生│伊藤比呂美│岩波書店│新書│ISBN:9784004315049│2014年09月│評価=○

伊藤比呂美■父の生きる



プロフィール

koberandom

Author:koberandom

1冊の本の中で「気になるフレーズ」を見つけることが“書評”である、と。



http://koberandom.o.oo7.jp/a-kensaku/index-zen-sakuin.html

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