たかはたゆきこ◆おでかけは最高のリハビリ!――要介護5の母とウィーンを旅する …………☆ノンフィクション賞にノミネートすべき介護ものの“快作”

20180510

2018.05.10おでかけは最高のリハビリ


 客観的にみて我が家の経済状況は旅行なんかしてる場合じゃないし、母の体を飛行機に乗せることは難しい。 

 でも、だからなんだというのだろう?
 難しいからあきらめて、お金がもったいないからあきらめて、チャレンジすることをあきらめて。その後の人生を
「ああウィーンに行きたかったなあ」
「もうなんにもできないなあ」
と嘆くだけで終わらせてしまうのか。そんな人生はきっと楽しくなんかない。

 客観的がなんだ。無駄遣いがなんだ。誰がどう言おうと、何と思われようと、将来どうなろうと、今の私たちにはウィーンへ行く理由があり、必要がある。

 それは「生きることをあきらめないため」だ。
〔…〕

 夢であってはいけないんだ。心底それを望んでいるのなら、夢ではなく計画を立てなくてはいけない。可能性を見極め、情報を集め、綿密に立てたプランを一つずつ実行していく。
 私はそれをしようと思った。


◆おでかけは最高のリハビリ!――要介護5の母とウィーンを旅する |たかはたゆきこ|2018年2月雷鳥社|ISBN:9784844137351|◎おすすめ

 母は1947年生まれ。近所の子どもたちにピアノとバイオリンを教えていた。2013年、車を運転中に倒れる。脳出血だった。

 その後遺症。左半身麻痺。そして高次脳機能障害、これが厄介ですと医師が言う。

 ――人の見分けがつかない。家族の顔もわからない。文字を読むこともできない。数を数えることができない。今の季節も、自分がどこにいるのかもわからない。何より妄想がものすごくてほとんどファンタジーの世界に生きている。
 ついこのあいだまでスーパーマンのようにバリバリ働き、情熱的にバイオリンを弾き、障害児の介護をしていた元気な母は、あっという間に認知症のお年寄りになってしまった。
(本書)

 「おでかけこそ最高のリハビリだ。人生を楽しもう!」」という母の口癖を思い、前へ進む楽しみとして、「音楽の都ウイーンへ行こう」。このため、手すりを持って50秒間立てるようになる、トイレを使えるようになる、百万円貯めるなど目標を設定し、同時に旅の情報収集に努める。

 母が倒れたとき著者は38歳。要介護5の母と重度障害者の妹の介護のため仕事を辞める。その怒涛の日々を、著者はブログで鍛えた切れのある文章で綴る。

 旅の周到な準備と確実なリハビリ、そして12時間のフライト。音楽の都ウイーン。シュテファン大聖堂、観光馬車、美術史美術館、日曜ミサ、カフェ、モーツァルトハウス、ベルヴェデーレ宮殿、そして夢だった楽友協会ホールでのコンサート。旅先での日々が楽しく過ごせますようにと、読者はハラハラドキドキで見守ることになる。

 母と娘の生きる姿勢とまわりの支援の大切さを教えてくれた一書。ノンフィクション賞にノミネートすべき称賛の1冊。介護ものの“快作”。著者は母のこの一言に涙する。

 ――母はゆったりと言った。
「あんたは若いんだから、もうー度来られるよ。また来たら、きっといろいろ思い出すよ」
(本書)

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山折哲雄・上野千鶴子◆おひとりさまvs.ひとりの哲学 …………☆骨、土に、やがて芽吹くと思ふかな

20180416

2018.04.16おひとりさまvsひとりの哲学


  死後の世界をそれほど信じていない自分にとって、究極的に骨はどういう意味かっていうことを改めて問いかけていくと、結局それはゴミだなと思った。生ゴミだなと。〔…〕

 魂でもない、あの世でもない、何かがどこかに行くなと。そのときに例の、「土に還る」「自然に還る」という言葉がふっと自然に浮かびました。

 自然に還るということは、いったんは白骨になるんだけれども、それがやがて粉末になり分解されて土に還る。

 土のなかで新しい生命、つまり植物、樹木、草、花、そういうものになっていく。


 変化して。その栄養分になって、新しい生命のもとになっていく。そういう意味での輪廻、転生。そういうところにふっと気がついて、〔…〕。それで気持ちが非常に落ち着いたんです。(山折哲雄) 


◆おひとりさまvs.ひとりの哲学 |山折哲雄・上野千鶴子|2018年1月|朝日新聞出版|ISBN:9784022737519|△

 宗教学者・山折哲雄(1931~)と社会学者・上野千鶴子(1948~)の“死に方”をめぐる対談である。

 上野は「まえがき」で1990年前後に日文研で顔を合わせていた頃の山折のことを「ただ気さくというだけではない、場を超越した侵しがたい気品があって」と畏敬をこめて書いているが、それ以外は山折を「ニセおひとりさま」と呼び、無遠慮な発言を繰り返す。

 職場でまことに優秀な“独身女性”社員を多く見てきたが、その“きゃんきゃん”と騒がしく論理で追い詰めるのに、当方は辟易したものだ。上野はもう60代のはずなに相変わらず“きゃんきゃん”と無遠慮に騒がしい。山折も「あとがき」で「ときには脅かされ、それで動悸パクパク、といった場面が」と書いている。
 
 途中で投げ出そうかと思ったが、山折の「上野さんは、なんと人間に対する考え方が柔軟で、そして優しいかと思いますよ」との発言から、やや上野の風向きが変わり、なんとか最後まで読み通せた。

 本書は『おひとりさまの老後』(2007)の上野と、『「ひとり」の哲学』(2016)の山折とによる老いや死や看取りについての対談である。上野はリアリティから語り、山折はスピリチュアリティから語る。

 大きなテーマは「人は宗教の支えなしに死んでいけるか」である。“知の巨人”である加藤周一や中井久夫が晩年にカトリックに入信した。上野はその中井に「信仰ってなんですか?」と訊ね「便利なもん、だね」との意外な答えを得る。そしてプロテスタントのクリスチャンだった父を語る。

 ――母が亡くなった後、納骨とかにいっさい行かないんです。墓参りもしない。なぜかっていうと、「ママはそんなとこにいない」と言うんです。それがまあ、自分の死の直前になってから「お母さんとおなじ墓に入れてくれ」と言いだし、さらに「墓参りにも来てくれ」と言いだした。やっぱりそれって、浄土真宗のDNAなんですかね? なんなんだ、あれは(笑)。 (本書)

上野 いえ。わたしは、生きてる間によりよく生きたい。それがわたしのモチベーションです。
山折 それはそれでいい。死後を信じない人に無理して死後を信じさせようとするほど無駄なことはない(笑)。
上野 もちろんそうです。いまお話ししてるのは、そういうふうに思っていた人たちでも、死の直前に変わるのはなぜだろうなということです。

 山折は上野に「血縁からは脱却できるけれども、遺伝子からもはたして脱却できるのかな」と“呪い”の言葉をかける。

 さて、当方は、上掲の山折の死生観が気に入った。これなら小さな孫にも話せる。死んだらただのゴミと思っていたが、土に還って、樹木、草、花といった新しい生命になる。そこで一句……。

  骨、土に、やがて芽吹くと思ふかな




池内 紀◆すごいトシヨリBOOK――トシをとると楽しみがふえる…………☆「楽しく老いる秘訣」とあるが、“秘訣”と言いつつ“自慢話”本である。知らんけど。

20180319

2018.03.19すごいトシヨリBOOK02


カテゴリ1では、忘れたということを忘れている「忘却忘却症」が現れます。〔…〕

 何をしようとしてるのか、一時的な記憶脱落じゃなくて、もう何をしようとしていたのかも思い出せないという、そういう状態で、カテゴリ1になると非常に単純化されます。

 記憶というのは人間には重荷ですから、それが脱落していくというのは、周囲とか当人の問題は別として、

それ自体は一種の恵みだと思います。


 思い出すことは、だいたい自分がミスしたり、人に迷惑をかけたり、辛かったことなど、否定的なことが多い。そういうものも忘れるわけだから、カテゴリ1の状態は、当人にとっては必ずしも不幸ではないはずです。


◆すごいトシヨリBOOK――トシをとると楽しみがふえる |池内紀|2017年8月|毎日新聞出版|ISBN:9784620324586|△

 著者池内紀(1940年~)が70歳になったとき、老いるという“未知の経験”を「これぞ年寄りの特徴」とか、気がついたことを記録する「自分の観察手帳」を作ったという。

2018.03.19すごいトシヨリBOOK3

 その「老化早見表」が、左の図。さて当方も著者と同年齢、ぱっと思いつきで1時間ほどで作ってみた。それが右の図。まず左図のカテゴリー3を見てみよう。

 ――老いの初期段階では、人の名前や固有名詞が浮かんでこない「失名症」や、人と話していると急に話を横から取っちゃって自分の話に持っていく「横取り症」が現れます。(本書)

 急がなくてもいいのにせかせか焦るのが「せかせか症」。思い当たるふしがある。これが進化すると「キレる」老人になる一因かも。だが、「同一志向症」、「整理整頓症」、自分の昔話をする時の「過去すり替え症」、電車に乗ってからどこに行くのだったか思いだせない「一時的語憶脱落症」など、未経験。

 ――「横取り症」がカテゴリ2に進むと、「ベラベラ症」になります。人の話を横取りした上に、ベラベラベラベラしゃべって、切り上げ時がわからなくなる。
「失名症」は「失語症」に進行します。「昨日食べた、あの……」って、普通名詞が出てこなくなる。ごくふつうの、日常のものなり言葉が出てこなくなります。
(本書)

 これも納得。だが、「整理整頓」と「同一志向」が発展しての「指図分裂症」や「過去すり替え症」が進行して「過去捏造症」はぴんと来ない。

 右図を見てみよう。

当方の経験と知人たちへの観察から、60代は「症状」とも言えないから「癖」、70代は明らかに「症状」、80代は未経験だから「状態」とした。

 還暦で定年退職すると、ついつい「肩書誇示癖」、わが一所懸命の半生は「間違いではなかった癖」がでる。これが本書の「過去すり替え症」「過去捏造症」のことかもしれない。

 同年代が集まると、重い病気ほど誇る「病気自慢癖」、陶芸、ゴルフ、ダンス、カラオケなど趣味や特技での「多忙自慢癖」、四国巡礼ならぬ野天風呂めぐり、バイクで岬めぐり、景観保存地区めぐり、ミュージアムめぐりなど、テーマの限定の「巡礼癖」。そのうち、ちょっと出かけるときに、ハンカチ、鍵、ケータイなど、必ずと言っていいほど「何か一つ忘れ癖」が出る。

 70代になると明らかに「症状」が現れる。本書の「横取り症」→「ベラベラ症」を当方は「すれ違い対話症」と名づける。同年代数人で居酒屋に集まったりするが、それぞれ勝手に言いたいことを言うだけで、対話、会話が成立しない。

「好嫌二分症」は、要するに嫌いなものは嫌いという当方の顕著な症状。枚挙にいとまがないが、例えば、NHK「ニュースウオッチ9」。大越健介+井上あさひはキャスターと呼ぶにふさわしい発言をしていて、お気に入りの番組だった。それが河野憲治+鈴木奈穂子になると河野の意味のないコメント、ニュースとニュースの間の単なる接続詞的発言に終始し、うんざり(鈴木はいま「ニュース7」で生き生きしている)。さらに有馬嘉男+桑子真帆になると、ニュースを報道するという「キリリ」とした雰囲気がなくなり、報道の選択や順位に疑問が多く(やたらに安倍の場面が長い)。で、見なくなった。テレビで嫌いなタレント、芸人が出てくればチャンネルを変えるが、これが増える一方である。

 同様に「権力嫌悪症」がある。姑息な安倍夫婦、菅隠蔽長官、悪だくみの官邸官僚など言うに及ばず。例えば、八角理事長、白鵬の大相撲協会の大きな身体で姑息な言動(当方は貴ノ花を応援しているわけではない)。大スポンサーの東芝を不法、不正、粉飾と言わず、「不適切な会計」と報じ続けたマスコミなど、嫌悪の例をあげればきりがない。

 80代の「日向ぼこ状態」は、当方の願望である。「末期高齢」が近づき、エンディング・ノートも完成近く、あとは椅子にすわりお日さんを浴びながら、目を細め、何を言われても頷くばかり、そいういう老人に(80代まで生きていれば)なりたい。そして通りすがりの人が気づけば、当人は息をしていない。

 それが本書では上掲のカテゴリー1「忘却忘却症」なのかもしれない。

 本書は、自分なりの「楽しく老いる秘訣」です、とあるが、当然のことながら老齢の著者も「ベラベラ症」であり、“秘訣”と言いつつ“自慢話”満載本である。知らんけど……。



中島義道◆七〇歳の絶望 …………☆著者にとって夫人は、ボケ防止の最良の薬である“残酷な仲間”なのか、絶対的孤独を避けるための“わずかでも心の通じ合える人”なのか?

20180308

2018.03.08七〇歳の絶望


権力や快楽を追い求める人生や、虚飾に満ちた人生や、エゴイズムを貫き通す人生が「死を前にすると」厳しく絶望的であるというお話ばかり耳にしますが、

じつのところ、いかに趣味豊かな人生でも、いかに虚飾から遠い人生でも、いかに人の役に立った人生でも、いかに周囲の人を幸せにした人生でも、

いかにみんなから愛された人生でも、いかに清貧に徹した人生でも、いかに悟った人生でも、

やはり「死を前にすると」虚しいのです。



◆七〇歳の絶望 |中島義道 |2017年11月|KADOKAWA|新書|ISBN:9784040820033|△

 久しぶりにこの哲学者の本を手にしたが、69冊目の著書だそうである。10年程前には、そのタイトルに魅かれてずいぶん読んだ。『醜い日本の私』『差別感情の哲学』『人生に生きる価値はない』『私の嫌いな10の人びと』『女の好きな10の言葉』『人生、しょせん気晴らし』……。本書は「老境にさしかかった最近の心境を日記風に」書いたもので、担当編集者の提案によって魅力的な『七〇歳の絶望』というタイトルにしたという。

 当方がもっとも愛読したのは、排他的なウィーンでの人々との確執を描いた30代の留学記『ウィーン愛憎――ヨーロッパ精神との格闘』(1990)、その10年後の古きウィーンの消滅や家族との確執を綴った『続ウィーン愛憎――ヨーロッパ、家族、そして私』(2004)。その27年前の『ウィーン愛憎』が10年ぶりに増刷されたと本書に書かれている。

 ところで著者がいまも行き来している“愛憎”ウィーン時代をかつて小説化している。妻、息子との確執を描いた『ウィーン家族』(2009)がそれである。こんな記述がある。

 ――もうすぐ50歳だ。あと、20年しか生きられない。
 いや、もっと短いかもしれない。そのあとは、どうなるのだろう? 
 まったくの無なのか、それとも何かあるのか? 7歳のころから考えてきた。人生において、このことだけが重要な問題だと確信してきた。この確信は、この歳に至るまでただの一度も揺らいだことはない。

 その後、まったくの無だとすると、なんで俺は生まれてきたのか? この地上に数十年だけ生きていたことは、何の意味があるのか? 
 何の意味もないことはわかっていた。だが、この問いを放棄することはできない。その後の人生で、康司はこの問いにしがみついて生きてきた。
(『ウィーン家族』)

 ところで本書『七〇歳の絶望』には、……。

 ――考えてみれば、どんなに豊かな人生でも「死ぬ限り」絶望的であることは7歳のときから知っていた。だから、70歳になったからといって、とくに絶望的であるわけではないことも腹の底から知っている。 (本書)

 たしかに70歳を越えても、ずっと「この問いにしがみついて生きてきた」ようだ。本書のあとがきにも、こう書いている。

 ――あとは死ぬだけなのに、こうして自分の興味を引くこと(のみ)に全力で取り組んでいる「充実」して見える老後も、無限に虚しく、絶望的なのです。

 そして“定番”の駅の騒音、照明への苦情に加えて、新たに電車内で化粧をしている女性を目の前で怒鳴るという「気晴らし」も始まっている。相変わらず夫人との対立もある。

 ――基本的には妻は私が「哲学塾」を開いていることや、人生論(?)を書いていることが気にくわない。こうした手段によって、私はソクラテスのように、若者を堕落させていると確信している。弱い不幸な人々を「餌」にして自分の欲望を満たしているところがあると言う。そう言われれば否定はできない。何にせよ、哲学によって「メシを食っている」のだから、不純なことがあって当然である。 (本書)

 別の著書で、「ボケ防止の最良の薬は『残酷な仲間』をもつことです」とか「わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる」とか書いていたが、さて著者にとって夫人はどちらの存在だろうか。

内館牧子★終わった人…………☆職場と墓場の間で、失ったものを取り戻したい“空腹”の60代

20170925

20170925終わった人


「え、そうか。声かけてくれればよかったのに」
「ちょっとかけられなかった」
「何で……」

「スーツ姿だったけど、スーツが息をしてなかったから」
「息を……?」
「仕事を離れて、スーツにふさわしい息をしていない男には、スーツは似合わなくなるのよ」


 スーツが死んで、息をしなくなるということか。
 このママに見栄を張ってもお見通しだなという気になった。これも、今は仕事があるという余裕がなせる業かもしれない。

「あの頃、俺、どん底だったんだよ」
「そう見えたわ。でもね、昔の部下と店に来ないだけ、田代さんは骨があるわ」


★終わった人 |内館牧子 |講談社|2015年9月|ISBN:9784062197359 |〇

 田代壮介63歳。大手銀行で役員寸前のところで子会社に出向、そのまま定年を迎える。

 仕事一途だった男は、あすからはたっぷりとある時間を妻といっしょにいよう、旅や映画や食事を楽しもうと思う。が、あっさり妻に断られる。“孫が命”にはなれないし、囲碁将棋、競馬競輪など一人でやれる趣味もない。図書館もカルチャー教室も老人大学も、年寄りばかりでいやだ。ついにスポーツジムに行くことに。しかしジムで老人仲間に入る気はない。駅前の喫茶店で、買ってきたばかりの石川啄木『悲しき玩具』を広げる。

 と、まあ、小説が始まるのだが、当方、いちばん身に沁みたのは上掲の「スーツが息をしていない」という、かつての行きつけの店のママの台詞である。たしかに同期の集まりに行っても、みんなスーツが似合わなくなっているし、またスーツを着る機会がなくなっている。

 親会社から子会社へ、正社員から嘱託へ、というのは突然『終わった人』にはさせないソフトランディングなのだ、と本書にある。そういえば本社の後輩たちから指示が来るという経験は、軟着陸への第一歩だったかもしれない。そして職域から地域へのソフトランディングが難関だ。当方も、地域活動のためのNPO設立、自治会役員など行ったが、“定時制住民”だった壁は厚く、“難着陸”に終わった。

 ――年齢と共に、それまで当たり前に持っていたものが失われて行く。世の常だ。親、伴侶、友人知人、仕事、体力、運動能力、記憶力、性欲、食欲、出世欲、そして男として女としてのアピールカ……。〔…〕
 だが、60代は空腹が許せない。理不尽だ。まだまだなのだ。まだまだ、まだまだ終わってはいないのだ。
(本書)

 そして結局、主人公は「思い出と戦っても勝てない」(あとがきによれば、これはプロレスラーの武藤敬司の名言)と、宮沢賢治のイーハトヴ(理想郷)、石川啄木「やまひある獣(けもの)のごときわがこころふるさとのこと聞けばおとなし」の生まれ故郷の盛岡へ、妻を残して、高齢の母や幼なじみの元へ帰る。“卒婚”である。

 ――「故郷は遠くにあって、遠くから思うからいいってことを、だよ。パパの得意な石川啄木が最初にそう言ったんじゃなかったっけ? パパ、故郷になんか住んでごらんって。〔…〕戻ってくれば自分たちと同じだもの、誰も特別扱いなんかしてくれないよ」(本書)

 と、娘。さて、軟着陸か難着陸か? 娘は両親の間に入って、検察、弁護、裁判官の役割をする。

 盛岡といえば、数年前ひとり旅で市内の北上川、雫石川、中津川を自転車でわたり、丸一日遊んだ楽しい記憶がある。そのとき「もう忘れ去られようとしている賢治と啄木」での町づくりは、大丈夫かとひそかに思った。しかし本書を読めば岩手の人は、いまも賢治と啄木とに癒され励まされているのだと分かる。

 そして著者はあとがきで「品格のある衰退」(政治学者坂本義和)という言葉が脳裏から離れなかったと書く。

内館牧子□十二単衣を着た悪魔――源氏物語異聞


新郷由起★絶望老人…………☆単に年を重ねただけで誰もが“人生の達人”になれる訳ではない。

20170822

2017.08.22絶望老人


 客にはサバを読んでいるが、実際には「70(歳)を超えている」と内緒で打ち明けてくれた、このスナックのママがカラカラと笑いながら説く。〔…〕

「仕事人間だった男ほど、退職してからやることを見つけるのは難しいのよね。
だって、長い間ずっとそういう風に生きてきたんだもの。〔…〕

 仕事がなくなって、エロや色恋も抜け落ちた無趣味の連中は、途端に生気が抜けた廃人のようになっちゃって、街には“生ゴミ”のようにしてくすぶっているジイサンがごまんといるでしょう?〔…〕

金持ちでも貧乏人でも、年を取ったら自分でやること、やれることを見つけて、自分の中で筋を通していける人が一番幸せなんだと思うな。

カツコいいよ、そういう風に生きてる人はさ。


 でも少ないわね、そっちのほうが。
だから、ほとんどの人が、とりあえず毎日のウサを晴らすだけで1日を過ごしちゃう。何かはわからないけど、何かをごまかしてるんだろうなぁ……って気持ちはあって、モヤモヤした感じはあるんだけど、でも、どうしていいかわかんないし、どうしようもないの。だって、みんな年寄りだから!」

 アハハハ、と肩をすくめておどけるように笑った後で、実感を込めてこう言うのだった。
「老いていくってさあ、大変なことなのよぉ」


★絶望老人 |新郷由起 |宝島社|2017年3月|ISBN: 9784800249548|◎おすすめ

 孤独を癒すのは詐欺師の詐欺話、老後破産は“強欲血縁者”とともに、「生かされるだけ」の高級老人ホーム、居場所は激安居酒屋、最後はアル中、同居は地獄、施設は天国という現実、行き場なく「パチンコ依存」全財産破綻――。

 と本書のオビは、センセーショナルである。たしかにそういう事例が扱われているが、読者を煽る本ではない。だが、高齢男性には厳しい。上掲のスナックのママの言もそうだが、婚活市場では「三大“ない”」の男が多いとの話を記録する。曰く、「お金がない、気が利かない、会話もつまらない」だ。当方も思わず頷いてしまう。

 ――多くの勤め人にとって、老いて第一線を退いた後は一時的に心と体の行き場を失う。

 ――“モノ”が家の中を占拠している理由は三つで、①年を重ねた歴史の分だけ物品が増えていること、②無料で持ち帰ったものや新たに買い込んだ品をストックし続けていること。③それらを捨てずにいること、に尽きる。

 こういった著者の分析をはさみながら、詐欺被害に遭った高齢女性、居酒屋に集う高齢男性、元介護ヘルパーの経験談などインタビューにもとづくドキュメント、それにさまざまな情報を詰め込んだルポ、著者の考えを織り込んだコラムで構成される。

 たとえば、「終活」の落とし穴のこんな事例……。70代夫婦、「体が元気なうちに」と二人で生前整理を決意し、200冊ほどあったアルバムは「ベストセレクション」の1冊にまとめて他をすべて処分する。ところが、直後にご主人が病に倒れ、寝たきり状態、一緒に旅行に行けるどころか会話すらやっとの状態になる。

 ――「なぜ思い出の品をあんなに捨ててしまったのか。どうして写真をネガごと捨ててしまったのか。これからずっと家の中にいて二人で過ごすのに、思い出を懐かしむのに、あれはど大事なものはなかったのに。200冊のアルバムがあれば、それこそどんな本や映画よりも主人の慰めになった。これからどうやって二人の思い出を振り返ればいいのか」(本書)

 そして著者は言う。
 ――高齢者にとって、あまりにも行き過ぎた身辺整理は心の活力を失い、記憶の扉をも閉ざしかねない。
持ち物が減れば身軽にはなるが、物欲を欠くのは生きる意欲の枯渇にも通じる。
 人により、心を満たすものが“モノ”である限り、物を得るのが喜びであり、幸福感をもたらす以上は、その楽しみさえも奪って「余計なものを増やさずにおとなしく老い続けろ」と強いるのも甚だ酷な話である。
 どうあっても、モノは本人の死と同時に大量の不用品となるのだ。
(本書)

 以下、著者の見事な問題意識。  

――貧富の差にかかわらず、単に年を重ねただけで誰もが“人生の達人”になれる訳ではないのだ。

――人は、生きてきた通りに老いる。歩みのままにしか老いない。

――自立も自活も叶わずとも生き続けられる社会システムは、それまでの「何となく生きて、ほどほどで死ねる」時代から、「限界まで生きて、仕方なく死ぬ」時代をつくり出した。

――長寿とは、死までの道のりが長く、ゆっくりになったということ。急がずに済むようになった反面、ゴールも見当がつかなくなった。

 過去の栄光や成功談を鼻にかけた自慢話、「昔はよかった」で始まる回顧録、そして人へ何かを教えるふりをして、上から目線で語る説教。その「三大話」をループ(繰り返し)とワープ(本筋の内容から、本人の思考が繋がった話題へいきなり飛ぶ)を我慢しながら、いったん肯定し、頃合いを見て取材を掘り下げる。この根気のいるインタビューによって、本書は成立する。

 本書は傑作ノンフィクション。ノンフィクションの範囲を越えて、金、無縁、独居という高齢期の課題について、いかに生きるかのヒントを提示し、まだ間にあう“絶望”しないためのチェック本に見事に仕上げた。



勢古浩爾★ひとりぼっちの辞典…………☆「ひとり」の自立? やかましいわ。知らんけど……。

20170730

2017.07.30ひとりぼっちの辞典


友だち ①いたほうがいいが、いなくても十分生きていける。②心理的負担になるような者は、友だちでもなんでもない。③水増しして「友だち」の数を増やしても無意味。〔…〕

 友人関係をつづけるために、無理や我慢をするつもりもない。男であれ女であれ、何事かがあれば(世間的にはつまらないことでも)、わたしはいつでも関係を切ることができる。

 喜んでそうするわけではない。その結果、極端に友たちの少ない人間になってしまった。しかしそのことを「悲惨」だとは思わない。

 人は友だちがいなくても当然、生きていける。

友だちはいらないというのではない。いなくてもかまわない。
〔…〕

 時折、わたしは“友だち甲斐”のない偏狭なやつかもしれないと思うことがある。


★ひとりぼっちの辞典|勢古浩爾|清流出版|2017年5月|ISBN:9784860294625|○

 著者勢古浩爾は、1947年生れ。34年間のサラリーマン生活ののち、執筆業。

「ひとりぼっち」をテーマとした辞書形式のエッセイ。「本書は『ひとり』の自立に関する本である。しかし『ひとり』であることを勧めているわけではない」とある。

 当方、年齢が近いので、共感できるところが多い。たとえば、……。

公園 ①定年になったひとり者は、気に入った静かな公園をひとつは確保したいもの。②河岸、散歩道、寺などでもいいが、べンチはあったほうがいい。③もしそこで話し相手ができそうになったら、別の場所を探す。

 定年後にほぼ毎日通っていた公園で、「話し相手もなく、ここ以外に行くところもないんだろうな」と思ったのか、話しかけてくる人ができた。ありがた迷惑とはこのことだ、とその公園に行かなくなったと。
 じつは当方も遺跡公園、博物館広場、であい公園、北公園と約200メートル続く地に毎朝行っている。公園まで往復1時間、ベンチで読書1時間という日課である。ところがときどき話しかけてくる人がいる。たいていは見知らぬ当方に、自慢話をひとしきりする高齢者である。迷惑千万。

 また著者は公園について「前は全然平気だった夏の陽射しがきつく、冬の寒さも身に堪えるようになった」とも書いていて、「いまの生活のなかで、一番愉しいことはなにか。わたしの場合、一番は、ない。ないことにしている。二番目は、客の少ない広い喫茶店で」云々と記す。


趣味 ①人生は暇つぶしだということを証拠立てる極私的な暇つぶしの行為。②「なにもしたくない病」と自嘲するが、ほんとうをいえば、それはそれで愉しい。

 毎年、同期が30人近く集まる。参加しなければ半生を否定することになる、死ぬまで参加、と決めていた集まり。だが、昨年たまたま体調を崩していたせいで、話題についていけなかった。
 同期の顔を思い浮かべながら、その日常を記すと、ジョギング、マラソン、ゴルフ、釣り、ダンス、カメラ、家庭菜園、陶芸、油絵、海外旅行、支援学校や図書館のボランティア、民生委員、会社役員など。

 みんながそれを話題に“忙しい”と自慢するのである。60代の“病気自慢”が70代では“多忙自慢”になった。著者と同じく当方は「いまでは、なにもしたくないからなにもしないという一番いい状態なのである」。「だらっとしています」は蔑視されるので、今年から参加をやめた。

 本書でいちばん気になったのは上掲の「友だち」の項。当方も“友だち甲斐”のない偏狭なやつ、なのだと思う。

 数少ない友人が、幼なじみも、級友も、職場の同僚も、いまはめったに会わないその“親友”たちが、どんどん死んでいく。もっと会っておけばよかった、と思う。今も会いたい。
 生涯の友と思っていた男が亡くなったとき、その遺族から知らせがなく、偶然死を知って通夜に行ったが、そこにいた数人の顔ぶれを見てなぜ当方には知らせがなかったのかと強いショックを受けた。
 当方はエンディング・ノートに「家族葬」と記すつもりだが、友人にはどう知らすべきか悩ましい。

 もう一つ、本書から。

やかましいわ ①相手の余計な一言を半分は受け入れながらも、冗句めかしてはねつける言葉の一撃。②「なんでやねん」「どないやねん」「知らんがな」と並ぶ、他に類例のない関西弁秀逸語のひとつ。

 この言葉の説明に、孤独死、老後破綻、無縁社会、下流老人、老人漂流社会などをあげ、「全部余計で、やかましい言葉ばかり」と書いている。ちょっと違うのではないか、著者は大阪人ではないな、と思っていたら、そのあとで、「やかましいわ」の次元が違っていた、「忘れてください」と書いている。その通りである。「やかましいわ」は、当方の隣町出身の芸人陣内智則の口癖だが、例にあげるとすれば、本書の以下の部分である。

哀愁 ①人生の悲しみに耐えている「ひとり」の男(「ひとり」の女)の現実の姿に、滲みでる悲しみの幻像が二重に映る。②薄暮。叶わぬ恋。人間は悲しい、と思う瞬間。ヨーロッパの石造りの街に降る雨。困ったような笑み。寡黙。薄暗い電球。深く刻まれた顔のシワ。農家の縁側に無言のまま座る老人。

 この饒舌が、やかましいわ。
「やかましいわ」のあとに「知らんけど……」とぼそっと呟くのが、いい使い方。

07老人たちの賛歌│T版 2015年12月

20151231

07老人たちの讃歌
★海老坂武『自由に老いる――おひとりさまのあした』

ほんとにいい死に方は『楢山節考』のおりんばあさんのような孤独死だ。冬山に行けば一夜で眠り込みながら死ねる。でもあれは家族の協力が必要だからなあ。

★海老坂武『自由に老いる――おひとりさまのあした』△2015


 『自由に老いる』の海老坂武は1934年生まれ。68年に『シングル・ライフ』、00年に『新・シングルライフ』とずっとシングルを謳歌している著者にして、上掲の「家族の協力が必要」には笑ってしまった。
 老いのスタイルには、隠居型、老年賛美型、引きこもり型、社会参加型があると書く。アラカサや相合傘であと十年。著者の川柳、アラカサとは?


07老人たちの賛歌│T版 2015年9月~11月

20151209

07老人たちの讃歌
★山田太一『夕暮れの時間に』

 このところ日本の科学や医学は随分老人を長生きにしてくれたけれど、早くもその成果をもて余しているのではないだろうか。

 なんとか表面だけでもヒューマニズムを維持しながら、実は老人の数を調節できないかと考えてやしないだろうか。


★山田太一『夕暮れの時間に』〇2015


 山田太一は1934年生まれ。『夕暮れの時間に』は70代のエッセイ集。
 上掲のあとがきは「老人に長命に見合うほどの取得が見つからないのだ。経済や適応力や健康や効率や美醜で計れば、老人はなるべく早くいなくなってくれれば助かるという存在にしかならない。しかし社会は現在と未来だけでは不足で、過去を生きた人たちを失えば、その分人間の現実を見失ってしまう、というようなことを思うのだが……」と続く。
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 こんな記述もある。「実に驚くべきほど、私は山田洋次さんと間違えられるのだ。『あなたのドラマは大好きです。中でも寅さんが一番です』などといわれるのは、ちっともめずらしいことではない。「黄色いハンカチもよかったろう」などとなりすましてしまおうかと思うくらいである」
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 「あえていえば、時代の流れが激しく太くなった時にはとるに足りないものになって行く小さな本当、小さな矛盾、小さな誤解、小さな深淵、小さな善悪、小さな夢、小さな物語は、まだ日本では書く余地があると思うから(ないのかな?)、急いで未来に適応しないで、アナクロニズムを生きるのも積極的なことなのではないか、などと思っている。(「このごろの話-「文芸別冊総特集山田太一」はしがき」)
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 こんな引用も……。
「私たちは若さのなんたるかを知ることなく少年時代を去り、結婚の意味を知らずに結婚し、老境に入るときですら、自分が何に向かって歩んでいるかを知らない。つまり、老人はおのれの老齢に無知な子供なのだ。この意味で、人間の世界は未熟な惑星である」(ミラン・クンデラ『小説の精神』金井裕・浅野敏夫訳)




★沖藤典子『老妻だって介護はつらいよ』

 しみじみ、“生活習慣病”というのは、“人生破壊病”だと思った。家庭の経済を破壊し、国の医療費も破壊し、何よりも本人の人生を破壊する。

 その危機感のないままに、健康を過信し、妻の忠告を無視して酒を飲み、タバコを吸った。

★沖藤典子『老妻だって介護はつらいよ』△2015


 『老妻だって介護はつらいよ』の著者は、介護問題の専門家で理論編は得意だが実践編は不得手。
 閉塞性動脈硬化症の夫の入院約500日、在宅介護22日の記録。自分には甘いが、医療や介護の従事者には辛らつだ。
 私憤を公憤に塗り替え、全国の夫の介護に苦しむ妻たちが“老妻ハラスメント”を受けていると糾弾する。






07/老人たちの賛歌│T版 2015年4月~8月

20150916

07/老人たちの賛歌│T版 2015年4月~8月

07老人たちの讃歌

**2015.04.01
★近藤富枝『92歳まだまだやりたいことばかり』

この歳になると、毎日努力しないと生きていけません。私は毎日、自分に課していることがいろいろあって、朝起きてから寝るまで、本当に一生懸命やっているんです。★近藤富枝『92歳まだまだやりたいことばかり』△2015
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『本郷菊富士ホテル』の名著をもつ近藤富枝。瀬戸内寂聴に『源氏物語』に出てくる服装について知りたいから代わりに読んでと頼まれ、以来源氏に熱中。「源氏が盛んに読まれるようになる時というのは、いつも日本が危急存亡の時。人間は頼るべきものがなくなった時には、文化に頼るしかなくなる」
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近藤富枝『92歳まだまだやりたいことばかり』。夫の認知症と徘徊にもめげず作家活動を続ける秘密。「いつも若い時以上にきちんとすることを考えていないと新鮮な発想がわかないものです。歳を取ったから楽にやろうなんていうことだと、その部分から老化がどんどん広がってしまうんです」




**2015.04.09
★岡野雄一『ペコロスの母の玉手箱』

「そうそうみつえさんが手紙を書いておられましたよ。ひまごさんへのお返事らしいですよ」。それはやはり解読不能(笑)。童女同士の暗号のように思えた。★岡野雄一『ペコロスの母の玉手箱』△2014
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岡野雄一のまんが『ペコロスの母に会いに行く』がベストセラーになり、映画化もされ、本書はその2冊目。91歳の認知症の母が「今」と「過去」を行き来戻りつする姿が、“昭和の母親”として郷愁をかきたて、見守る息子の切なさが共感を呼ぶ。


**2015.05.19
★大島一洋『介護はつらいよ』

認知症の母の口癖は「ああ、倒れそうや」「頭がふらふらする」「はよ、死にたいわ」などですが、たまに面白い表現をします。たとえば、「なんか、おかしいなあ、頭んなかに、ぽーんと花が咲いたみたいや」「むかしは、体がぴゅっとなっとったもんやけど、いまはもう、だらーじゃ」★大島一洋『介護はつらいよ』△2014
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嵐山光三郎『ぼくの交遊録的読書術』で取り上げた20冊の書評で、唯一知らない著者の大島一洋『介護はつらいよ』。嵐山の絶賛は元編集者同士の仲間褒めだった感あり。故郷の中津川に帰り、高齢の両親の介護の日々を綴ったもの。“同病相哀れむ”向きへの実用書なのか、他人に見せる還暦古希日記なのか、子や孫に残す記録なのか。深刻話の明るく話すエッセイとしては秀逸。



**2015.05.22
★野村進『解放老人 認知症の豊かな体験世界』

ベッドで横になっている敏江さんのところに、松香さんが夜間用の紙オムツを小脇にはさんで持っていった。〔…〕ところが、それはなんと使用済みのものなのである。松香さんは、自分の紙オムツをはずして、敏江さんに届けようとしていた。★野村進『解放老人 認知症の豊かな体験世界』◎2015
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『解放老人 認知症の豊かな体験世界』◎2015は、山形県にある精神病院の重度認知症治療病棟の患者を、長期にわたって取材したノンフィクション。著者は人生の先達たちが患った認知症の中に「救済が内包されている」と見るのだ。当方は、認知症の世界は、現世ではなく既に“あの世”なのだと気づいた。



**2015.08.25
★新郷由起『老人たちの裏社会』

ところが、帰属集団を失うことで抑制機能がなくなってしまう。ネクタイがなくなるのは犬の首輪が外れた状態にも等しく、人によってはタガが外れてしまうのです。(心理学者・冨田隆)★新郷由起『老人たちの裏社会』○2015
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「会社で億単位のカネを動かしてきても、目玉焼き一つ満足に作れない自分が情けなかった」と妻を亡くした男。老人=円熟、ではなかった。時間がありすぎるが、他人から必要とされず、しかも”枯れない”老人たち。万引き、ストーカー、暴行・DV、売春、ホームレス、孤立死、……他人事ではないのだ。





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