山崎 正和★舞台をまわす、舞台がまわる…………☆関西振興、だが京都・大阪・神戸は一つ一つ。

20171002

20171002舞台をまわす、舞台がまわる


  関西の悩みは、いつまで経っても一つにまとまらないことです。笑い話はいくらもあります。誰かが「近畿は一つ」という。すると「近畿は一つ一つ」という人が出てくる。本当にそうなんです。〔…〕

 市民感情から見れば、どうでしょうか。大阪人は京都も神戸も好きで、遊びにも行く。

 でも京都人は大阪にまったく関心がない。遊びに行く気はさらさらない。神戸に対してはちょっと違う。神戸はハイカラです。あまりにも違うから、多少の関心を持つ。

 神戸の人はどうかというと、京都にはいささかの憧れがある。何しろ古いし、自分のところにはないものがありますから。

 しかし大阪には通勤するだけ。みんな急いで帰っていく。



★舞台をまわす、舞台がまわる――山崎正和オーラルヒストリー |山崎 正和/編集:御厨貴・阿川尚之・苅部直・牧原出|中央公論新社|2017年3月|ISBN:9784120048838 |〇

 山崎正和。1934年生れの劇作家、評論家。当方、劇作家として、また官邸の知恵袋としての山崎は知らない。が、1970年代に丸谷才一、司馬遼太郎との対談集や「おんりい・いえすたでい'60s」の読者として親しんだ。

 現代を代表する知識人としての多彩な活動の中で、当方が興味のあったのは、「関西圏に根を下ろす」「サントリー文化財団設立の頃」といった章の1970年代の“関西の復権”に関してのみ。上掲のように“三都物語”がおもしろい。

 飛鳥・奈良の時代から日本史上、京都・大阪をつなぐ路線をつくった支配者は一人もいないという。淀川という水路があるじゃないかと思ったが、ほとんど利用されなかったらしい。豊臣秀吉が唯一、淀城や伏見城によってつなごうとしたが、秀吉没後はさびれてしまう。

 京都・大阪間が結ばれたのは、明治になって国鉄、京阪電鉄、阪急電鉄の開通によってだという。それはそうだが、では飛鳥・奈良以降、鉄道以外に京都・大阪をつなぐどんな方法があったのだろう。

 以下、山崎による“三都物語”。

 ――古代都市を奈良とすると、中世都市が京都、近世都市が大坂、そして近代都市が神戸でしょう。性格がまったく異なります。それぞれ頑張っている。

 ――実は明治時代に、政府が第三高等学校を大阪につくるというアイディアを出しました。大阪はそれを断りました。「商人の子に学問は要らん」。それで三高は京都につくられた。

 ――唯一、京都が誘致した近代産業は京都大学です。これは誇張でも何でもありません。大変な投資です。京都大学と同志社・立命館という二大私学が京都に集中したおかげで、京都は生き延びた。そうでなかったら、いま頃、あそこは奈良のように鹿が遊んでいるでしょう。
(本書)

 たしか万博は1970年だったが、山崎はこれに関与せず、73年ころから大阪商工会議所主催の関西復興会議にかかわり始め、74年のサントリー文化財団設立に関与する。

  ――一番情けないのは政治です。〔…〕自治体は惨憺たるもので、ろくな知事がいない。ときどき市長にいい人も出てくるんだけれど、官僚機構が大きくて労働組合が強い。ということで結局、民間と学界が車の両輪になって大阪復興の運動を起こしました。 (本書)

 梅棹忠夫、小松左京、黒川紀章(国立文楽劇場設計)、司馬遼太郎、開高健など、“綺羅星のごとく人を集めた大会議”を準備する。これが伏線となり、佐治敬三によってサントリー文化財団がつくられる。

 ところでこのオーラルヒストリーは、2006年3月から2007年12月までの間に1年半、1回2時間程、合計12回行われたもの。したがって現在の大阪の地方政治の情況が語られていない。

 橋下徹が大阪府知事に2008年2月就任、2011年12月には自らが掲げる大阪都構想を実現するとして大阪市長に転身。府立国際児童文学館の廃止、大阪文化の象徴である文楽へのいじめ、大々的に校長を公募し、その不祥事多発など、大阪の文化、教育を破壊した。

 1994年開設のサントリーミュージアム[天保山]は2010年に廃止。また大阪市立新美術館は構想から30年、まだ設置に至っていない。

 他方、この“コスモポリタン都市”へ中国、韓国など外国人旅行客は急増し、また大阪駅周辺一極集中のまちづくりも進み、大阪万博、カジノ誘致も図っている。松井大阪府知事は国政政党の代表も務め、地方政治は一変し、“活気ある暴走”が続いている。
  山崎がどのような眼で現在の大阪をみているか知りたいところである。

京都はつねに“全国的視線”のなかで矜持を保っている。当方の好きな神戸は震災復興を成し遂げたが最近のまちづくりの発想は貧困の極みである。




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江 弘毅・津村記久子★大阪的  …………☆私大阪の人間やけど、だんじりの話聞いてても、外国の話みたいですよ(笑)。

20170627

2017.06.27大阪的


 大阪以外の地方は、〔…〕。もっと粛々としている。

 これ以上発展はしませんがべつに、とか、歴史はありますからべつに、とか、身の丈をきれいに保つことに専心するシンプルさだとか、成長の余地を残したまま、静かにたたずんでいる。

 わたしはときどき、地方都市の駅前から宿までてけてけ歩きながら、このぐらいのおばちゃんでなさが楽でいいなあ、と思う〔…〕

 でももう、大阪という場所は見るからに老獪なのである。

老獪さを隠そうともしてないというか、終始、「そらおばちゃんかて商売やからあんたらにうるさく売り込むで」という態度なのだ。

具体的にどこが? と言われたら、街並みそのものが、としか答えようがないのもなんだか手の施しようがない感じがする。



★大阪的 |江 弘毅・津村記久子 |ミシマ社|2017年3月|ISBN:9784903908922|△

 コーヒータイムに読み切ることができる薄っぺらい100ページ前後の「コーヒーと1冊」シリーズの1冊。
 
 “当世大阪文化”を取り仕切る何人かの一人江 弘毅と大阪生れの小説家津村記久子の対談集。20歳も年上なので江が上から目線になるのは当然だとしても、本書を読むのは大部分が津村ファンなので、「この偉そうなおっちゃん、誰?」となるだろう。知らんけど。

 その対談よりも、津村による「大阪のあかんところだとか、東京でない場所で感じる大阪っぽさ」について書かれた「大阪から来ました」という前説というか巻頭エッセイは、まことに秀逸な大阪論である。以下、引用……。

 ――大阪の人間は、人数の割にまったくニュートラルさを持ち合わせておらず偏っている、というのは、大阪からあまり出たことがなくてもなんとなくわかる。

 ――こんなにうるさいし街全体が厚化粧だし、住んでいる人もくどいのに、意外と個性がないな。

 ――大阪が厚化粧のスナックのおばちゃんだとすると、増床とメニューの拡張のみがビジネスの拡大の手段だと思い込んでいる様子だが、彼女の着手するどれもにだいたい既視感がある、というような感じだ。

 ――長女へのコンプレックスを持つ次女。自分は姉より美人だと言い聞かせながらも、どこかで姉の影響を振り切ることができない。姉のことをさしてかまわないという態度をとりつつ、わたしお姉ちゃんに似てる? とときどき誰かにたずねている。

 ――大阪は、自分で思っているほど美人でもないし、個性もないし、ましてや自由ではない。

 ――大阪はおばちゃんであることから逃れられない。化粧はいくらでも濃くすることができるけど、老獪さを消し去ることはできない。そしてこれまでに覚えた手練手管を、そう簡単に捨てることはできないのだ。 

 当方がもっとも強烈なパンチだと思うのは、対談の最後にかつての岸和田だんじりの“若頭”江に放った津村の一言である。
 
 ――私大阪の人間やけど、だんじりの話聞いてても、外国の話みたいですよ(笑)。

 津村の大阪論各論が読みたい。江の大阪論は、10年古い。10年同じことをしゃべっている。知らんけど。

ジェームス三木★片道の人生 …………☆憲法改正は、できちゃった婚である

20170625

2017.06.25片道の人生


 アメリカに原爆を投下されると、時の政府は敗戦を終戦と言い、〔一億総懺悔〕と責任を転嫁した。何やら今の〔一億総活躍〕と似ている。

 日本国憲法は第9条で〔戦争の放棄〕と〔陸海空軍の不保持〕を宣言したはずだが、いつのまにか警察予備隊が保安隊になり、20万人を超える自衛隊になった。外国では自衛隊を、アーミーといっている。安保条約はアメリカとの軍事同盟であり、集団的自衛権は、条件つきだが戦争を可能にした。〔…〕

 政府は四苦八苦して、9条を都合よく解釈してきたが、とうとう行き詰まって、憲法の改正を公言した。

こどもができたから入籍する〔できちゃった結婚〕と同じである。 




★片道の人生 |ジェームス三木 |新日本出版社|2016年11月|ISBN:9784406060691 |○

脚本家ジェームス三木の「エッセイというか、回顧録というか、好き勝手なことを、思うがままに書いてきた」という短い132項目のコラム形式の半自伝である。NHK大河ドラマでは「独眼竜政宗」「八代将軍吉宗」「葵徳川三代」の3本を手がけた大家であり、テレビ界の裏話など笑わせながら読ませる。

 また「結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、そして再婚は記憶力の欠如による」と劇作家アーサー・ゴッドフリーの格言を引きながら、前妻とのはちゃめちゃ離婚のいきさつ、だじゃれ好きの後妻との海外旅行をあけすけに語る。

 もちろん脚本家なので、言葉には厳しい。

 ――昔の人なら今のテレビをどう名づけるか。私なりの想像だが〔世相窓〕〔遠絵巻〕あるいは〔玉手箱〕。ケータイやスマホなら〔猫の手〕〔小手先〕〔如意棒〕〔ちょこざい〕でどうか。
 舶来のスポーツは、野球、蹴球、卓球、籠球と訳されたが、ゴルフだけは訳語がない。私の案は〔接待球〕である。


 ――最近多用される慣用句は〔○○は○○と考えても、いいのではないかなーと、いうふうに思っておりますけれども〕
 自分の意思を述べているのだから〔思っております〕は当たり前でくどい。他人ごとのようにいうのは、責任逃れに等しく卑屈である。〔けれども〕はそれまでいってきたことを、全否定している。あるいは結論の先延ばしである。〔かなー〕はガキ言葉の疑問形で、敬意ゼロ。


 だが1935年生まれ、旧満州奉天で生まれ育ち、敗戦で引き揚げた少年。国民学校、忠君愛国、空襲警報、玉音放送、略奪暴行、戦争難民、強制送還、焼け跡闇市など、コラムのタイトルが示すように昭和史と重なる。

 最近の世の中の動きについても、「文を以て武に報いる」(儒学者雨森芳洲)を座右の銘とする著者らしく、辛辣な警句を発する。

 ――押しつけだから改正するという主張には真っ向から反対する。憲法が押しつけなら、民主主義も基本的人権も押しつけなのだ。

 ――秘密にはこだわる政府が、何かといえば有識者の第三者委員会を設置して、意見を求めるのはなぜだろう。大臣や国会議員は、有識者ではないのか。

 ちなみに安倍のお友だちの加計学園獣医学部新設問題で国家戦略特区諮問会議の委員たちは「首相から要請もなく、一点の曇りもない明確な議論だった」とうそぶく。

 ――もっと危険なのは、政府が〔集団的自衛権〕とか〔抑止力〕とか、あるいは〔安全保障政策〕とかの名目で、周辺諸国を刺激し、緊張関係を生み出すことだ。
 どこの国でも同じで、時の政府が政権を維持する奥の手は、外敵を設定して国民に被害者意識を植えつけるにかぎる。


ちなみに 安倍晋三首相は、参院外交防衛委員会(2017/4/13)で、北朝鮮の弾道ミサイル技術に関し「サリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と根拠なく不安を煽った。

 ――そこで私は、世界中のマスコミに注文をつけたい。ここ百年の間に戦争を起こした国々が、外国人を何人殺したかを突き止めて、ワーストテンを発表したらどうか。軍事大国はドキリとし、いくらかは反省の色を、示さざるを得まい。

 軽い口調で、重い心を語るが、その結論。

 ――百パーセント信じてきた〔民主主義〕に、実は重大な欠陥が、ありはしないかということだ。









08メディア的日常│T版 2015年12月

20151231

08メディア的日常
★金慶珠・香山リカ『叩かれ女の正論』

自分と意見が違う者は「敵」と認定し、排除するという「敵-味方」の二分法的な対立構図にもとづいて行動をしている〔人たち〕。

それが香山さんの言葉だと「(日本人の)劣化」、私の言葉だと「究極の内向き思考」にあたるのでしょう。
(金慶珠)

★金慶珠・香山リカ『叩かれ女の正論』△2015


  『叩かれ女の正論』は白か黒か二分法、分かりやすいという「軽さ」、排外主義と日本ステキ論、……ネットに登場する極論と忖度の論理のテレビ批判の対談集。
  金慶珠、テレビでなんだか憎らしい台詞を口にする厚化粧の女性。香山リカに言わせると繊細でピュアでチャーミングな女性。どっちが本当?




★岸政彦『断片的なものの社会学』

不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。

だれか他のひとを大切にしようと思ったときに、私たちはまず何をするかというと、そっとしておく、はほておく、距離を取る、ということをしてしまいます。


★岸政彦『断片的なものの社会学』◎2015


 岸政彦『断片的なものの社会学』は、“分析も解釈もできない”聞き取りの会話、その“無意味な断片”をそのまま載せるなど、謎を読者に放り投げる。「とらえどころもなく、はっきりとした答えもない、あやふやな本」と著者。妙に魅かれ、繰り返し読みたくなる一書。
**
  「居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、手に入れられないかのどちらかのときで、だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない」

  「私たちは、他の誰かと肌を合わせてセックスしているときでも、相手の快感を感じることはできない。抱き合っているときでさえ、私たちは、ただそれぞれの感覚を感じているだけである」。

  肉体労働をやってみて思ったのは、これは体というよりも感覚を、あるいは時間を売る仕事だな、ということだった。決められた時間に現場に入り、単純な重労働を我慢してやっていれば、そのうち五時になって一日の仕事は終わる。その間、八時間なら八時間のあいだずっと、私という意識は、暑いという感覚、重いという感覚、疲れたという感覚を感じ続けることになる。

  〔…〕基本的には、仕事時間のあいだずっと、重い、とか、寒い、とか、幸い、という感覚を感じ続けるのである。
こうした「身体的な感覚を、一定時間のあいだ中ずっと感じ続けること」が、日雇いの肉体労働の本質だな、と、自分でやってみて思った。脳のなかで、意識のなかでずっと重い、寒い、痛い、幸いと感じ続けることが仕事なのだ。それを誰か他人に押し付けることはできない。そのかわりに金をもらうのである。

 以上、本書から。




★岡映里『境界の町で』

「ここで写真なんか撮っても放射能は写らねえからな。お前、単に20キロ圏にハマってるだけだろう?ここはシャブと同じぐらい、ハマるとやばいぞ」
★岡映里『境界の町で』◎2015


  『境界の町で』は、検問の設置された福島県楢葉町。週末とりつかれたようにこの町に通った著者の私小説的ノンフィクション。やがて東京に居場所がなく、福島でも所詮よそ者。
  3度目の3.11の春、躁うつ病(双極性障害)を発症する。
  しかし原発作業員派遣業の元ヤクザ、衆院選挙に出馬するその父親、寝たきりの母を抱え警戒区域に住む女性などを記録したい思いは、ヒューマンな喜劇として映像がそのまま立ち上がってくるような見事な作品となって結実する。



08/メディア的日常│T版 2015年4月~8月

20150918

08/メディア的日常│T版 2015年4月~8月

08メディア的日常


**2015.04.10
★養老孟司・隅研吾『日本人はどう死ぬべきか?』

養老/年寄りは万事にあまり固着しない方がいいんじゃないか。芭蕉や西行は、若い人たちの邪魔をすることなく晩年までうろうろしていたじゃないですか。あんな感じがいいなあと思っています。★養老孟司・隅研吾『日本人はどう死ぬべきか?』△2014
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どういう死に方がいいかと聞かれたら、ラオスに昆虫採集に行って、飛行機が落っこちるのが一番いいかな。死を怖がるのは、痛かったりつらかったりするから。末期癌なんかはヤク中にしてしまってもいいんです。……と養老孟司、隅研吾を相手に暴走。『日本人はどう死ぬべきか?』は、どう生きるべきかの書。




**2015.04.21
★古市憲寿『だから日本はズレている』

どうせ何か言ったところで、グーグルが日本撤退をちらつかせれば、社会は大混乱するだろう。僕たちは今、日本という「国家」とグーグルという「企業」の、どちらが強いかわからない時代を生きているのである。★古市憲寿『だから日本はズレている』△2014
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1985年生まれの古市憲寿による迷走する「おじさん」と、それに割を食う「若者」の『だから日本はズレている』。クールジャパン、スマート家電、ソーシャル活用などのズレた発想を俎上に載せる斬新さに比し、じゃあどうするか、その結語の平凡なこと。しかし大胆にも「2040年の日本」はこうなると近未来を予測してみせる。



**2015.04.29
★『人生案内 出久根達郎が答える366の悩み』

他人の悩みを他人事でなく捉え、わが事のように真剣に解決法を探る読者がいるから、「人生案内」は人気なのだと納得した。これは喜ばしい話であって、世の中は健全だという証明である。★『人生案内 出久根達郎が答える366の悩み』○2015
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読売新聞の身の上相談は1914年から100年。著者は2001年から回答者。ちなみに70歳以上男性から、妻が出かけると寂しい、半世紀ぶりに恋人と再会、無作法な友人、年金生活で趣味楽しめず、嫁との融和努力むなしく……、悩みの種は尽きまじ。平成の世相を記録する貴重なノンフィクションかも。



**20105.05.26
★池上彰ほか『ジャーナリズムは甦るか』

「かつてはインターネットが充実したら、誰でもニュースを発信でき、情報空間も活性化して、よりよい民主主義に到達できると。しかし、むしろインターネットの経路や検索エンジンを作る人間がメディアを支配するという話になってきた」駒村圭吾★池上彰ほか『ジャーナリズムは甦るか』○2015
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池上彰ほか『ジャーナリズムは甦るか』は、「ジャーナリズムの不作為」である朝日新聞の吉田調書“誤報”問題を、単に研究対象として観察するだけでは「研究者の不作為」になってしまうと、池上彰との公開対論、慶応大教授たちの座談会によって、二極化する報道の現状や、新聞の先行きを議論したもの。






08/メディア的日常│T版 2015年1月~3月

20150512

08/メディア的日常

08メディア的日常

■気になるフレーズ @koberandom 1月14日
★柳澤健『1964年のジャイアント馬場』

日本では神のような存在である力道山が、アメリカではまったく無名のレスラーであることもよくわかった。〔…〕いつまでもカ道山の支配に甘んじる必要はない。そう考える馬場の胸の内を、力道山は誰よりも深く理解していた。

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『1976年のアントニオ猪木』は、格闘技の神髄に迫った傑作だった。この★柳澤健『1964年のジャイアント馬場』2014.11は、馬場の評伝でありながらも、一種の日米プロレス史。猪木贔屓の著者が、意地悪い視線で馬場を調べるうちにだんだん馬場を気に入ってくるプロセスが面白い。

神戸の全日興行で馬場を見かけたことがある。巨漢は入口にジャージ姿で腰かけ、客を迎える。晩年の馬場は“見世物”としての馬場を自覚していた。馬場プロレスは米国標準。「プロレスラーに必要な能力とは、ケンカに強いことではなく、客を呼ぶ能力なのだ」。



■気になるフレーズ @koberandom 1月19日
★森達也『たったひとつの「真実」なんてない』

時おり僕は、人類は何で滅ぶのだろうかと考える。①宇宙人の襲来②隕石の落下③氷河期。〔…〕わからないけれど、僕は時々、人類は進化しすぎたメディアによって滅ぶのじゃないかと考えている。★森達也『たったひとつの「真実」なんてない』2014

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2015年1月フランスの週刊紙シャルリー・エブド襲撃テロ事件は、表現の自由かイスラム教徒への冒涜かで、世界を二分した。まさにメディアによって世界が滅ぶ前兆かもしれない。 本書は中高校生向きのメディア・リテラシー解説書。メディアはツールに過ぎないが、しかし取扱い要注意。



■気になるフレーズ @koberandom 1月21日
★高木徹『国際メディア情報戦』

最終的には「自分たちの方が敵よりも倫理的に勝っている」ということをいかに世界に説得するかという勝負である。国際メディア情報戦の時代には、弱肉強食で軍事的に力が勝るものが勝つというのは古い考え方。★高木徹『国際メディア情報戦』2014

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積極的平和主義の安倍首相は、イスラム国によって十字軍の一員とされ、2億ドルの身代金を要求された。本書は、オバマ、ビンラディンなどの情報戦略を解説。世界世論は、欧米先進国がつくる。その元はメディアがつくる。したがってメディアに倫理的優位性を広めた方が、その情報戦に勝つという。



■気になるフレーズ @koberandom 2月5日
★岡嶋裕史『ビッグデータの罠』

現代において、個人情報の漏洩とは、すでに自分の人格が漏洩することであり、近い将来において、個人情報の乗っ取りとは、自分の精神や身体が乗っ取られることを意味することになるだろう。★岡嶋裕史『ビッグデータの罠』2014

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情報学本といえばハウツーものしか読まなかったが、この岡嶋裕史本は個人情報の処理技術の“今”を知る教養書。無料、便利と引き換えに個人が侵食される時代に警鐘を鳴らす。アマゾンの特許「予測発送」。客が注文していないのに直近ブランチへ商品を発送する!確かに「同意する」クリックで、いいの?



■気になるフレーズ @koberandom 3月19日
★最相葉月『れるられる』

この先も技術が進めば少しずつ、生まれてきては困る人が増えていくのだろうか。糖尿病をもつ人は困る、精神疾患をもつ人は困る、肌が黒い人は困る。〔…〕いや、私たちはもうずっと前から切り捨ててきたのではないか。女では困る、男では困る、といって。★最相葉月『れるられる』2015

**

生と死、正気と狂気、強者と弱者、こちらとあちらは紙一重。こちら側に立っていたはずが、実はあちら側に落ちていた。最相葉月『れるられる』は、生む・生まれる、支える・支えられる、狂う・狂わされる、絶つ・絶たれる、その境目を綴る。




■気になるフレーズ @koberandom 3月22日
★赤川次郎『三毛猫ホームズの遠眼鏡』

(大学生たちが)人間として成長し、成熟するために必要な「学ぶ」という感覚が失われていることに愕然とした。感動することを知らずに育つことは恐ろしい。★赤川次郎『三毛猫ホームズの遠眼鏡』2015

**

赤川次郎が硬派の時評をする作家だと知り、『三毛猫ホームズの遠眼鏡』を手にした。映画、音楽などをイントロに、舌鋒鋭く“奥深さ”のない安倍晋三首相、橋下徹大阪市長を批判する。遠眼鏡、虫眼鏡を使い分け、現代社会の「知の欠如」を嘆く。


赤川次郎★三毛猫ホームズの遠眼鏡

20150323

2015.03.23三毛猫ホームズの遠眼鏡

  最近インタビューに来た大学生たちに、「若い内にいい芸術に触れてね」と話すと、「でも、コンサートとか高いから。五千円あったら、好きな歌手のライブに行く」という答えだった。

 人間として成長し、成熟するために必要な「学ぶ」という感覚が失われていることに愕然とした。

感動することを知らずに育つことは恐ろしい。


 ヘイトスピーチのデモなどに熱狂する人々を見ていると、「興奮」を「感動」ととり違えているとしか思えない。

  周囲と互いに興奮をあおり立てることは、自己の内面に湧き出す感動とは全く別のものだ。

  ――「知性が人を人間にする」


*

 先日読んだ重松清『この人たちについての14万字ちょっと』は、第一線で活躍する9名のインタビューをメインにした人物論。そのなかで赤川次郎が硬派の評論をなす作家として取り上げられていた。

  当方、赤川次郎といえば新書版の似合う軽めの若者向き小説を書く作家だとばかり思っていた。本書が出たので、さっそく読んでみた。一種の社会時評である。『図書』に2012年~2014年に連載されたエッセイをまとめたもの。

  「フクシマの壁」では、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の映画に描かれた国境に言及し、転じてフクシマの「避難区域」という国境線が生じたこと、転じて反原発、そして一度は反原発のポーズを見せた橋下大阪市長を批判し、アンゲロプロス監督にもどり、妥協を許さない頑固さと橋下市長の独善とは、その志の高さはまったく違うと論じる。

 上掲の「知性が人を人間にする」では、『アンネの日記』が破られる事件から、大学生の4割以上が「読書時間ゼロ」という知への無関心にふれ、アムステルダムのアンネの家、映画や舞台の「アンネの日記」に言及し、日本では権力をかさに着た様々な暴力が広がりつつあり、「止めなければならない」と書く。

 作家の好きな映画、音楽などをイントロに、舌鋒鋭く“奥深さ”のない安倍晋三首相、橋下徹大阪市長を批判する。

★三毛猫ホームズの遠眼鏡 │赤川次郎│岩波書店│文庫│ISBN:9784006022570│2015年01月│評価=△│遠眼鏡、虫眼鏡を使い分け、現代社会の「知の欠如」を嘆く。





最相葉月★れるられる

20150320

2015.03.20れるられる

 羊水検査がまだ日本に上陸していなかった時代に生まれた私は幸せだったのかもしれない。自分は生まれてきていいのだと無条件に認められていたのだから。

 ところが染色体が一本余分にあることがわかる技術が開発されて以降、ダウン症をもつ子どもは生まれてきては困る人とみなされるようになった。

 それまで等しくあった命が、等しくなくなった。

この先も技術が進めば少しずつ、生まれてきては困る人が増えていくのだろうか。

 
 糖尿病をもつ人は困る、精神疾患をもつ人は困る、肌が黒い人は困る、髪が縮れている人は困る、太っている人は困る……というように。

 いや、私たちはもうずっと前から切り捨ててきたのではないか。女では困る、男では困る、といって。

――第1章 生む・生まれる



*
 生む・生まれる、支える・支えられる、狂う・狂わされる、絶つ・絶たれる、聞く・聞かれる、愛する・愛される、という六つの人生の受動と能動が転換する、その境目を描いたエッセイ。

 ダイアログ・イン・ザ・ダークが紹介されている。
 ――「目で見ない展覧会」。展覧会場はまったく光が差し込まない暗闇である。〔…〕何も見えないということは、天井の高さも壁までの距離も奥行きも何もわからないということ。自分の位置がわからない不安に襲われる。〔…〕まわりからいろんな音が聞こえてくることである。〔…〕聴覚だけではない。触覚や臭覚も鋭さが増す。〔…〕ふだん自分がどれだけ視覚に気をとられていたか。眠っていた他の感覚が次々と目を覚まし、活性化していくようだった。(本書)

 これと似た経験をしたことがある。直島の家プロジェクト「南寺(みなみでら)」である。安藤忠雄設計の小さな建物に、ジェームズ・タレルのインスタレーション「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」を展示。スタッフに誘導され、壁伝いになんどか折れ曲がりながら中に入る。真っ暗闇、どこにも光がない、という初めての闇の体験。暗闇の恐怖に目が慣れ、うっすらとスクリーンが見えるまで10分以上かかる。

 実体験でもある。「暗闇はコミュニケーションするためのメディアです」などと言っておれない。本書でいう境目を越えたのである。

 当方、目が弱点。飛蚊症は子どもの頃からだし、最近は月に二度ほど閃輝暗点に悩まされている。そしてあるとき散策の途中で、左目が突然、カメラのシャッターが下りたようになった。見える右目を閉じると、真っ暗闇になった。どっと冷や汗が出た、あの恐怖の5分間は忘れられない。翌日脳外科を受診した。一過性黒内症。

 著者の父は、舌と喉にできた悪性腫瘍のため、発声に関わる器官と舌をすべて切除したため、亡くなるまでの9年間一言も声を発することができなかったという。

 ――そんな父がある日、メモにこう書いた。
「声も嗅覚も味覚も失って初めて、視覚を失うことが一番つらいとわかったよ」(本書)

 スマホに呪縛され、ラインだとか、ツイッタ―だとか、メールだとか、文字情報だけでコミュニケーションを図っている若い人たちに薦めたい。

 ――言い淀んでいるのか、ため息まじりなのか、はずんでいるのか。微笑みながらなのか、しかめっ面なのか、あせっているのか、怒っているのか。相づちや沈黙、日の表情もまた。その人の存在そのものがコミュニケーションである。(本書)

★れるられる │最相葉月│岩波書店│ISBN:9784000287296│2015年01月│評価=◎おすすめ│こちらとあちらは紙一重。支える・支えられる、狂う・狂わされる、絶つ・絶たれる……。

最相葉月■セラピスト


最相葉月■最相葉月 仕事の手帳



内田樹★内田樹の大市民講座

20150219

 2015.02.19大市民講座

 ネット上の炎上対策は通常の消火法と同じである。酸素を供給しない。

「酸素」とは反論のことである。


 先方は反論を求めている。だからわざと隙をつくり、論理が破綻し、事実誤認を含んだ批判を書き送ってくる。これが「餌」なのである。「何をバカな」と反応することを先方は手ぐすね引いて待ちかまえている。〔…〕

 私は匿名の批判には決して回答しない。罵詈や冷笑の語をできるだけ多くの読者の前に黙って置く。ブログの場合、日が経つうちに話題が変わり、書き込まれた批判が時事性を失うと同時に、書き手の焦燥と飢餓感だけが死んだ獣の骸骨のようにそこに残る。



*
 内田樹の著作を手にするのは久し振り、『日本辺境論』(2009)『最終講義』(2011)以来である。知人になにかと内田ブログにお伺いを立てるファンがいて、その影響で読んでいたが、だらだらと日記のようなブログをそのまま活字にするので、愛想が尽きた。

 本書は『AERA』に連載の900字コラムをまとめたもの。900字という限定なのでだらだらした部分が無く、いつもの内田本と異なり爽快である。

 「僕はわりとこまめに『これからこうなる』という予言をします」とまえがきにある。「どうぞ読者の方は僕の予測の当たり外れをチェックしながら読んで下さい。たぶんプロ野球の一軍選手くらいの打率には達していると思います(希望的観測)」とも。

 本書は、橋下徹大阪府知事・大阪市長に言及したコラムが結構多い。たぶん本書が2008年の橋下知事誕生時から連載が始まり、ハシゲに勢いがあったからだろう。以下は、2008年に著者がブログに書いたもの。著者の予言が当たることを望んだが……。

――このあと数ヶ月以内に、メディアは集中豪雨的に橋下知事のスキャンダルと政治的無策に対する攻撃的報道を開始するであろうし、有権者の多くはそれを期待している。〔…〕

 おそらく、それからあとの残任期間、大阪府政は長い停滞を余儀なくされるだろうが、それを代償に差し出しても、府民は「目先のスペクタクル」を選択したのである。

 著者の“ペン”は、橋下の“舌”には勝てなかった。まことに残念である。

★内田樹の大市民講座 │内田樹│朝日新聞出版│ISBN:9784022512345│2014年11月│評価=△│子孫の世代までを視野に今なすべきことは?時評的エッセイ。

内田樹●日本辺境論



岡嶋裕史★ビッグデータの罠

20150206

2015.02.06ビッグデータの罠

 突き詰めれば、人間とは情報の集合体である。人が生きて活動すること自体が、情報を生成し、処理し、破棄するプロセスであると言える。

 人という実体と、情報という何か不可視の得体のしれないものが、かっちり区分されて存在しているわけではない。情報処理技術の洗練によって、情報処理とは人そのものを処理する技術になりつつあるのだ。

 現代において、個人情報の漏洩とは、すでに自分の人格が漏洩することであり、

近い将来において、個人情報の乗っ取りとは、自分の精神や身体が乗っ取られることを意味することになるだろう。



*
 情報社会によって、利便性だけを獲得したと誤解し、その背後に情報がどのように流通し、使われているかを知らなければならない。

 たしかに「個人情報の漏洩は怖いことだ」という意識はあるが、漏洩によって具体的に何が起こるのか、どう対処するかは、よく分からない現状だ。

 本書を読めば、水と安全と同じように、プライバシーを守るためにはコストがかかる時代だとわかる。

 それにしても、情報の複製は簡単だが消去は困難ということが、われわれをいらつかせる。

 情報学本といえばハウツーものしか手にしなかったが、本書は個人情報の処理技術の“今”を知る教養書。無料、便利と引き換えに個人が侵食されていく時代に警鐘を鳴らす。アマゾンの特許「予測発送」。客が注文していないのに直近のブランチへ商品を発送する!「同意する」クリックで、ほんとにいいの?

 本書のあとがきに触れられていて知ったのだが、1996年頃にから10年ほど「セカイ系」というブームがあったという。ゲーム、アニメ、ライトノベルなど、“中抜き”の物語、つまり個人を語るのに、地域、学校、家庭という中間項の描写がない。

 ――インターネットの普及によって、こうした中間項はことごとく無効化された。個人がしでかした失敗を、両親も先生も知らないのに他国の人が知っているような社会が到来した。個人は世界と直結するようになったのである。(本書)

 この地域、家庭、学校が機能しないセカイ系が、誰でもいいから殺したかった、リセットできると思い違いした安易な殺人の多発を、現実の社会に生み出したのではないか。……と恐怖を感じた。

★ビッグデータの罠│岡嶋裕史│新潮社│ISBN:9784106037597│2014年11月│「同意する」クリックで、ほんとにいいの?│評価=○


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