吉田修一◆泣きたくなるような青空 …………☆観光で来日している外国人で日本語ができる人はほとんどいない。なのに彼らは日本観光を楽しんでいる。だから、……。

20180201

2018.02.01泣きたくなるような青空


 それでも海外旅行への興味はあり、あちらこちらに計画を立てるたびに付け焼き刃で勉強し、なんとか飛行機篇、ホテル篇、買い物篇くらいの英語は話せるようになっていた。ここで本腰を入れればよかっだのだろうが、

「よし、本気で英語をやろう」と思うのは、海外旅行から戻った直後だけで、

一週間もすればその熱意も冷めている。


 継続は力なりというが、「そろそろやろう」と思う気持ちだけは三十年も続いているのだから、そこをなんとか継続としてカウントしてもらえないだろうかと常々思う。

――「苦節三十年」


◆泣きたくなるような青空 |吉田修一 |2017年10月|木楽舎|ISBN: 9784863241190|○

 書棚を整理していたら古いパスポートが5冊出てきた。もっとも最近のものでも昨年末に切れている。とたんに朔太郎の「旅上」が浮かんだ。有名な「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」の一節。せめての気ままな旅は、こう続く。

   汽車が山道をゆくとき
  みづいろの窓によりかかりて
  われひとりうれしきことをおもはむ
   五月の朝のしののめ
   うら若草のもえいづる心まかせに

  当方の旅は国内にシフトし、東北ひとり旅やミュージアム88か所めぐりをしている。朔太郎の詩は、新緑の頃の盛岡、酒田、象潟を思いださせる。

 海外へは30代後半から十数回でかけているが、心残りはオランダである。チューリップ畑を見て何が楽しいねんとノーマークだったが、じつはレンブラント、フェルメール、ゴッホの国である。アムステルダムの国立美術館、ゴッホ美術館、オッテルローのクレラー・ミュラー美術館、デン・ハーグのマウリッツハウス王立美術館を訪れたい。ついでにレンタ・サイクルで(ペダルの足が届かないかも)、運河にかかる橋の数々を渡りたい。

2018.02.01英語が喋れないチャリおじさんの旅

 オランダを自転車でという本を探したら、四方順次『英語が喋れないチヤリおっちゃんの旅――70日間にわたる抱腹絶倒ヨーロッパ8カ国4,000km』(2013)が見つかった。まさに当方が望んでいる旅である。

 著者は当時64歳。そのGPSを頼りの自転車旅、……。
 まずオランダ・スキポール空港着。アムステルダム中央駅まで電車で行こうと、自動券売機の前に立つが使い方が分からない。後ろの人に早くせよと肩をポンポン。窓口で買おうとすると、整理券で順番待ち。プラットホームで電車の乗るが、30分待っても動かない。その後いろいろ騒動があり、というのが初日。

 その後、ベルギー、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、フィンランドと70日の旅。自転車を盗まれたり、パスポートや財布を盗まれたりするが、ご本人は「楽しい自転車一人旅だった」と。

 何より魅かれたのは、以下の記述である。当方はもちろん英語ができない。

 ――言葉が全くできないことは、よくよく考えると日本に観光で来日している外国人で日本語ができる人はほとんどいない。また外国人から英語で話しかけられたら、しっかり答えることが出来る日本人は、そんなに多くはない。なのに彼らは日本観光を楽しんでいる。
 私が海外に旅したら、旅人の私と日本に旅している外国人は結局、同じではないかと。
(同書)

 ちなみにしばしば海外旅行をする吉田修一は、「なんとか飛行機篇、ホテル篇、買い物篇くらいの英語は話せるようになっていた」が、あるフライトでまったく英語が理解できない体験を綴ったのが上掲の「苦節三十年」。最近はもっぱら中国語の勉強だそうだ。

 というわけで、最近読んでいる旅のエッセイ本は、JAL機内誌『SKYWARD』に連載の浅田次郎「つばさよつばさ」シリーズ。もう一つは上掲のANN『翼の王国』に連載の吉田修一「空の冒険」シリーズである。

 吉田修一『泣きたくなるような青空』は、『最後に手にしたいもの』と2冊同時、しかも 紙書籍、電子書籍、audible(本を耳で楽しむオーディオブック)の3媒体同時発売である。

 旅慣れている吉田は……。スイス・ベルンの旧市街地を囲むように蛇行して流れているアーレ川で、人が溺れているのに驚き、しかしよくよく見ると、人やゴールデンレトリバーが気持ちよさそうに流れているのだ。そこで吉田修一も、靴と靴下を脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、自らも川に流れるのである。
 
 当方もベルンに行ったことがあるが、アーレ川付近を散歩し、大聖堂尖塔のらせん階段を上り美しい瓦屋根の旧市街を眺めただけである。それはさておき、「空の冒険」シリーズの楽しみは、旅だけでなく、さりげないフレーズが散りばめられているところにある。例えば……。

 ――人とのつながりというのは、50年のうちでどれくらい会ったかではなく、どれくらい会いたいと思ったか、なのだと。 (本書)

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発掘本・再会本100選★京都の平熱――哲学者の都市案内 |鷲田清一 …………☆“京都生活者”による市バス206番にそった京都ガイドという最強の京都論

20171225

2017.12.25京都の平熱


京都人がかつて「着倒れ」と呼ばれたのは、ひとつには、リミットが明確だったからである。

  一方に飾りの極みともいうべき舞妓さんの衣裳があり、他方にあらゆる飾りを削ぎ落とした貧相の極みともいうべき修行僧の出で立ちがある。〔…〕

  この両極は、それを裏返してゆく過程で深まる。「貧相」はアートとしての「わび」へと変成し、「豪奢」は余所のひとが顔をしかめる京都人の「うわべのつくろい」と紙一重である。


  が、いずれにしても中途半端ではない。そしてそれが京都人のファッションの感受性の振幅を極大にしてきた。

  京都という街は、服にかぎらず、人間も学問も建築も、「極端」がいろんなところに設置されてきたので、そのぶん、心おきなく顰蹙もののやんちゃや冒険ができた。


★京都の平熱――哲学者の都市案内 |鷲田清一 |講談社 | 2007年3月|ISBN: 9784062138123 /講談社学術文庫版:2013年4月|ISBN:9784062921671|◎=おすすめ

  著者鷲田清一氏(1949~)には、1990年代前半、毎月一度神戸までおいでいただいて、仕事でたいへんお世話になった。当時関西大学におられ、そして大阪大学へ移られたころである。その後あっという間に阪大総長になられた。先年、東北一人旅で仙台へ行った際立ち寄った「せんだいメディアテーク(図書館など)」の館長に鷲田氏の名があり驚いた。その人柄、その知性から、地元京都だけでなく全国でひっぱりだこのようだ。

  氏は、生まれ育った家から200メートルの距離に西本願寺があり、その前の大通りで野球をして遊んだという“京都生活者”である。その氏が、京都市バス206番にそって京都をガイドするというとびっきりの発想による他の追随を許さない最強の京都論である。手元の「京歩きマップ」に路線を赤鉛筆で書き込み、本書を再読した。

  この206番というバス路線は、両本願寺、八坂神社、北野天満宮など〈聖〉、宮川町、祇園、五番町、島原など〈性〉、京大はじめ約10の大学など学問所の〈学〉、歌舞練場、南座、映画館など〈遊〉が「入れ子になって、都市の記憶をたっぷり溜めこんでいる路線」なのだ。京都育ちであるゆえに、洋食屋、ラーメン屋、映画館、書店など固有名詞がたっぷりと。そのディテールが貴重。

  以下、いくつかの京都を紹介。

  ひっそりとした町家のあいだに、ぽつりぽつりと仕出し屋と和菓子屋があるが、これには特別な理由があるという。時の支配者はいつ変わるか分からないので、自治の文化をつくった日本最初の近代都市であると、氏はいう。

 ――(町衆たちは)大事なことはきちんと相談して決める。〔…〕寄り合いには場所が要る。身をすこしは開いて語りあうには酒や食事も要る。相談に訪ねるには手みやげも要る。だから、である。町内には最低一軒、仕出し屋が、そして菓子屋が必要になる。  (本書)

 京都は工業都市である。
 京都を代表する企業は、京セラ、オムロン、村田製作所、堀場製作所、島津製作所、任天堂、ワコール。三つの共通点があるという。
 第1にヴェンチャー企業であること。第2に伝統工業の技術を転移するかたちで、だれも予測しなかったような製品を編みだしたこと。第3にどれも精密工業であるということ。

 そういえば氏にお世話になっていた当時、当方の職場のメンバーは、出生地、現住地が京都・大阪・神戸がほぼ1/3ずつだった。このうち京都者は、デザインよりも技術に関心があり、進取の気風に富んでいるという共通点があった。

 その“三都物語”にしても、互いに「いけず」をいうのではなく、氏には温かな視線がある。
 
 京都人の立場から、大阪の安くて旨い食事、いいコンサート、神戸のエキゾチックな料理や洋服、空気もおだやかな海、山がすぐそばにある地形を褒める。そして、……。

  ――京都人と大阪人とは、「お上」に媚びを売らず、じぶんたち民衆の自治能力を信じている点で、隠れた共感をいたきあう。そのカと共感を怖れてか、明治政府は廃藩置県のときに、東は高槻(摂津富田)から西は芦屋の西(摂津本山) にまで広がり、堂島という「天下の台所」と船場という商いのまちを抱えた摂津の国を、大阪府と兵庫県に分割し、摂津の力を殺いだのであった。(本書)

  2000年、京都市は「京都市基本構想」を発表したが、氏がそのとりまとめ役。
  京都市民による京都市民への呼びかけであるこの提言では、京都人がこれまで「得意わざ」とひそかに自負してきたものを列挙し、これらをあらためてきちんと身につけることで、京都にやってくるひとたちをびびらせようというのである、と氏は書く。なるほど、これが京都人かと納得させられる。その6つとは、……。

〈めきき〉――本物を見抜く批評眼
〈たくみ〉――ものづくりの精緻な技巧
〈きわめ〉――何ごとも極限にまで研ぎ澄ますこと
〈こころみ〉――冒険的な進取の精神
〈もてなし〉――来訪者を温かく迎える心
〈しまつ〉――節度と倹約を旨とするくらしの態度


  さて、「一見さんお断り」について、氏はこう書く。
  ――けれども仲間の紹介があれば、一見さんでも深く受け容れる風習である。友だちが一人いれば細部まで入ってゆける街、それが京都だ。(本書)

  じつは当方の孫娘が、京都で一人暮らしをし大学に通っている。このため最近京都の本を読んだりしているのだが、卒業までに京都の何を“体感”してくるのか。まず京都人の友人をつくってほしい。「一見さんお断り」にならないために。



中西進★「旅ことば」の旅…………☆万葉から現代まで詩歌の中に「旅」の意味を発見する

20171019

旅ことばの旅


 寂しいことにもう何十年も前の友人の死を、思い出していた。

 まだ若く、十二分に科学者としての将来が期待されていた彼は、ある時船旅に出たらしい。ところが船が帰港してみると、乗客ふたりの人影が消えていた、という。
 その中のひとりが彼であった。もうひとりは既婚の女性だったと聞いた。〔…〕

 航跡はあまりにも美しすぎる。この中に転生しようとする衝動は、ごくごく自然なはずだ。

 船旅自体が魂を揺らしているのだし、憂愁の心をもって旅立ってきたのだとしたら、

航跡には危険な誘惑が満ちみちている。


 彼らはこの美しい誘惑に魅せられてしまったのだと思った。
 いやこれもわたしの船旅の感傷だったのだろうか。

――「航跡」


★「旅ことば」の旅 |中西進 |ウェッジ |2017年8月|ISBN:9784863101876 |○

 万葉学者中西進(1929~)がJR新幹線グリーン車に搭載する『ひととき』に連載したものなど、見開き2ページ88篇を収録した旅のエッセイ集。旅の誘い、旅する人びと、旅の路、旅の乗り物、旅をつなぐ駅、旅愁の5章。

 上掲「航跡」は、『万葉集』の
  世間(よのなか)を何に譬へむ朝びらき漕ぎ去(い)にし船の跡なきかごと (沙弥満誓)
 がモチーフ。著者は、「すぐ航跡は消えてしまう。そのことが万事無常の世間をよく暗示している、という歌である」と説明する。
 そのうえで、以下のように書く。

 ――しいていえば、消えるというより一時を華麗に生きるもの、それでいて視界はるかな彼方では、必ず消え去っていくものが航跡だというのが、正しいだろう。
 華麗なるものとその消滅。この華やぎは、まるで人生の暗示のように寂蓼にみちた泡立ちに見える。
(「航跡」)

 いずれも詩歌、小説、絵画を引用し、自らの旅の思い出を記し、万葉の昔から現代まで、旅の意味を考える。散文詩のような珠玉の名品揃い。いくつか引用する(→はそのモチーフとなった作品)。

――単線にはどこかすこし一途すぎる、どこかすこし寂しすぎる風情がある。(「単線」)
→菊川啓子歌集『青色青光』収録の「閂(かんぬき)の扉ひらきて山桜たづねてゆかむ単線に乗り」

――車窓を外から眺めると、一つ一つに一つの顔があって、しかもみんな横顔がないているように見える。(「車窓」)
→藤原定詩集『言葉』「あの言葉」

――定住者とは、移住者のひとときの姿にすぎないのだ。
この移住者をもうひとつ人生の旅人といいかえてよければ、人生をゆだねた列車がとまる駅の風景が、わたしたちの人生を変えていくことは、ごくありふれたことなのである。
(「駅の風景」)
→林芙美子の小説『風琴と魚の町』

――駅とは生涯という長い旅路を辿る人間の、哀しい姿を湛えつづける所でもある。(「駅前広場」)
→ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』

――心定まらない漂泊の旅の中で、親しい人へ何かことばを伝えたくなる旅愁が旅だよりだとしたら、そうやすやすと旅だよりはなくなりそうもない。(「旅だより」)
→杉田久女の俳句「そののちの旅便りよし石蕗日和(つわびより)」

――地上の人間も旅人。天空にみちる生き物も過客。(「渡り鳥」)
→佐藤太清の絵画「旅途」

――故郷発見のために、人間にあたえられた装置が、旅であった。(「帰るための旅」)
→木内昇の小説『櫛挽道守』

――人生の旅とはたくさんの山やまを越えていく道程であって、いくつものとうげを越えつづけて、人生の曲折にともなう新しい風景を見つづけていくことだと思われる。
 そして人生に、とうげを幾つ越えるのかは、だれも知らない。
(「とうげ」)
→『万葉集』大伴家持「志乎路(しおじ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくい)の海朝凪ぎしたり船梶もがも」から。

森まゆみ★子規の音 …………☆好きで好きでたまらない子規をひとり占めした“子規紀行”

20170820

2017.08.20子規の音


  寝て聞けば上野は花のさはぎかな
  汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き
  幾たびも雪の深さを尋ねけり
  芋阪の団子屋寝たりけふの月

 といった何気な生活詠が好きだ。上手下手ではない。

根岸で病んで、七年も寝付いていた人の暮らしが偲ばれる。

そうしてその暮らしは、町で長らく聞いてきた古老の明治大正の話や、私の子供のころの東京と連続しているのであった。
〔…〕

 私は子規が好きでたまらない。俳句、短歌のみならず、随筆も書簡も好き、字もなんとなく好き、絵も好きである。〔…〕

 最後の何年かがどれほど苦しかったとしても、この人が明治の日本にいてよかった。


★子規の音 |森まゆみ |新潮社|2017年4月|ISBN:9784104100040|△

  正岡子規(1867~1902)は、1893(明治26)年、芭蕉を慕って東北を旅行し、「はて知らずの記」を書く。その一節。

 ――とにかく二百余年の昔、芭蕉翁のさまよひしあと慕ひ行けば、いづこか名所故跡ならざらん。其の足は此の道を踏みけん、其の目は此の景をもながめけんと思ふさへたゞ其の代の事のみ忍ばれて、俤(おもかげ)は眼の前に彷彿たり。
    その人の足あとふめば風薫る


 芭蕉へのリスペクトあふれる文章である。

 その子規を愛してやまない著者森まゆみは、その「はて知らずの記」を元に、仙台、山形、最上川、秋田を「現地踏査」の旅をする。ここでは山形県内を追ってみる。

 明治26年8月6日から9日までの子規の4日間。東根→楯岡(泊)→大石田(泊)→最上川下り=烏川、本合海、古口(泊)→最上川下り=仙人堂、白糸の滝、清川→酒田。

 これに対し、森の「現地踏査」は、大石田・歴史民俗資料館→大石山乗船寺・句碑「ずんずんと夏を流すや最上川」→最上川に沿って国道47号線を車→本合海・芭蕉曾良銅像→鶴岡→湯田川温泉(泊)→酒田というコース。「はて知らずの記」の現代語訳と若干の解説、そして自らの旅の足取りをはさむ。

 ――我々も船を追って国道47号線を車を走らせる。いまは大石田から酒田まで船で下る人はいない、
遊覧船の短いコースがいくつかあるだけだ。〔…〕本合海はいまは新庄市内、芭蕉と曾良が乗船した場所として二人の銅像があった。
 「日暮れなんとして古口に着く」。ここで上陸して、子規はむさ苦しい宿に泊まった。現在は「奥の細道最上川ライン」という愛称をもつIR陸羽西線が走っており、地元で芭蕉は有名だが子規のことを知る人はいない。
(本書)

 著者は子規を追って最上川に行きながら“遊覧船の短いコース”があるのに、その舟に乗っていない。子規の「ずんずんと夏を流すや最上川」、「蜻蛉や追ひつきかぬる下り船」、「朝霧や四十八瀧下り船」を、また芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」を体感するチャンスをみすみす逃している。まことに残念な“五感の旅”である。

 じつは当方、2014年に「奥の細道」仙台・山寺・山形・羽黒山・最上川・鶴岡・酒田・象潟を一人旅した。
最上峡芭蕉ラインは古口港から草薙港まで約1時間。しかし当日は山背風のため、古口港から上り下りの巡回コース。流れは「速し」である。その「速し」を体感した。水に勢いがあり、水底はさらに流れが速いとのこと。昼は船の中で竹かご弁当(みそおにぎり・菜めし・竹の子・ふき・玉こんにゃくなど)。船頭は「最上川舟唄」の英語バージョンまで歌ってくれた。

 その古口の乗船口に子規の「朝霧や船頭うたふ最上川」の句碑があった。著者は「地元で芭蕉は有名だが子規のことを知る人はいない」と書いているが、そんなことはない。

 「神戸病院から須磨保養院」の章で、著者は当方の地元神戸を訪ねているが、博物館、図書館に寄り、須磨を神戸の知人に案内してもらいながら、「楽天的な子規は思いもかけず、命を拾ったうえ、源氏物語や源平の戦いの故地、芭蕉の足跡もある歌枕の地に来て喜んだのかもしれない」と書き、以下、まるで“文学散歩”のような記述に終始している。

 もっとも碧梧桐に「保養院に在る約1ケ月〔…〕、子規の生涯の中で、最も悠々自適した閑日月であったようだ」(『子規を語る』)とあるから、これでいいのかもしれない。だが「踏査」の旅は急ぎ過ぎて、文章まで“書き急ぎ”である。

 「子規を書きたいと思ったのは、この人に一番、親愛と共感が深いからである。自分に似た人のようにも感じている」と著者は書いている。が、“五感の旅”も“子規の音”も著者だけのもので、当方には届いてこない。母・八重も妹・律も、友人・漱石も、弟子・虚子や碧梧桐も、誰も立ち上がってこない。

 評伝というよりも“子規紀行”。好きで好きでたまらない子規のたどった地を訪ね、子規を“ひとり占め”するのが著者の狙いだったかもしれない。

伊集院静■ノボさん――小説正岡子規と夏目漱石
司馬遼太郎●坂の上の雲(一)


09旅ゆけば│T版 2015年12月

20151231

09旅ゆけば
★乃南アサ『美麗島紀行

私が出会った八十代になる男性は、植民地の子として暮らさなければならなかった少年時代を振り返って、
「懐かしくて懐かしくて、悔しくて悔しくて」
と遠くを見る表情で瞳を潤ませた。


★乃南アサ『美麗島紀行』△2015


 台湾という島は「かつて一度として一個の独立国家であったことがない」が、1895年から1945年まで50年間は日本の植民地だった。その批判がほとんどない。
 『美麗島紀行』は日本台湾文化経済交流機構の協力を得たものだから、“親日”台湾となるのはやむを得ないが、いきなり21歳で散った零戦の兵曹長が神様として祀られる台南郊外にある飛虎将軍廟の話題には驚く。




★吉田修一『作家と一日』

酒を飲むことが究極の暇つぶしであるならば、気持ちよく暇をつぶせるということは気持ちよく生きているということなのだ。

★吉田修一『作家と一日』△2015


 吉田修一『作家と一日』はANA機内誌『翼の王国』連載エッセイの3冊目。
 パリの路地裏の小さなカフェでシャンパン。池袋の古いアパートの物干し台でビール。スコットランドのアイラ島のバーで黒ビール。六本木のホテルのバーで「ルイ13世」。さらに「フライト中にちびりちびりと飲む酒もまた格別に美味い」。




石田千★唄めぐり

20150921

2015.09.21唄めぐり

 民謡の生命力は、草花の種のようにかろやかだった。

 海の唄、山の唄、祭りの唄。奄美の作業歌には、苦しみのなかに生まれた恋が歌われていた。

 こころに、唄を抱く。

そのときに湧く土地への誇りが、天災や戦のなかもひとを支えた。


 旅のあいだは、いつも八百万(やおよろず)のいのちと縁に呼ばれて歩いている気がした。

 ひとの声は風になり、波になり、光となった。全身に浴びた。



★唄めぐり│石田千│新潮社│ISBN:9784103034537│2015年04月│評価=○│民謡とその歌い手たちを訪ねて歌い飲んだ紀行エッセイ。

 最近パソコンでNHKFMを聴いている。あるとき昔聴いた懐かしい曲が流れだした。「ひるのいこい」。これは子どものころラジオから流れていた。昔のわが家の風景が広がりだした。なんという長寿番組。調べると番組は1952年にスタートし、テーマ曲は古関祐而。農作業の合間に耳を傾けるというイメージは今も続いている。

 そういえば「民謡をたずねて」という番組もあったなと調べると、これも続いている。9月19日の放送では、山形県の「最上川舟唄」など。

石田千『唄めぐり』は、民謡好きの作家が、北の「江差追分」から南の「安里屋ゆんた」まで唄とその歌い手たちを訪ね、その地で歌を聴き地酒を飲んだ紀行エッセイ。「芸術新潮」連載の25篇。

 たとえば当方がことし一人旅した山形県。最上川芭蕉ラインは古口港から草薙港まで約1時間。しかし当日は山背風のため、古口港から上り下りの巡回コース。山背風は昨年三陸で経験したが、ここでも……。山背風川下り舟上りけり。
本書では「雪の細道舟下り」という章で「最上川舟唄」をとりあげている。なんと舟唄に山背が歌われていた。

〈本唄〉
 山背風だよ あきらめしゃんせ
 ヨイトヨラサノセー
 おれをうらむな風うらめ
〈はやし〉
 あの女ためだ なんばとっても足らんこたんだ(「最上川舟唄」三番)
 
 「三番は、山背に乗って帆を張る上りの出舟の場面。風を待つうち懇ろとなり、ひきとめる酒田のへな(注:方言で女性)に、俺を恨むな風恨め。色っぽい別れせりふの一方で、離し詞では本音をぼやく。いのち引き換えの船頭は金になる仕事だけど、あの女のためには、なんば稼いでも足りないことだよ」(本書)

 当方、酒田でもし相馬楼に寄っていれば、酒田舞娘の踊りと賑やかな「酒田甚句」が聴けたのにと、本書を読みながら悔しがった。

 それにしても本書は付録にCDがついていればよかったのに。

佐々木幹郎■東北を聴く――民謡の原点を訪ねて



09/旅ゆけば│T版 2015年1月~7月

20150818

09/旅ゆけば│T版 2015年1月~7月

09旅ゆけば

■気になるフレーズ @koberandom3月24日
★廣川まさき『私の名はナルヴァルック』

エスキモーたちの捕鯨は、何度もいうように命がけの漁である。しかも、鯨以外に食料の乏しい極地の暮らしが、そこにはある。一頭の鯨が、エスキモーたちの一年の命をつなぐといっても過言ではない。★廣川まさき『私の名はナルヴァルック』2010
**
廣川まさき『私の名はナルヴァルック』は、氷に閉ざされる極寒の地アラスカの小さな村の滞在記。だがそこにはアメリカ政府に騙され続けた核実験問題があり、シロクマが引越しする温暖化問題があり、グローバル化する村の問題があり、よって“主張するノンフィクション”が誕生。




**2015.04.07
★湊かなえ『絶唱』

子どもたちが輝かない場所に、作物は実らない、人は集まらない、町はできない。どんなに絶望的な出来事が起きても、子どもたちが輝いている限り、そこに未来は必ず訪れる。★湊かなえ『絶唱』
**
湊かなえ『絶唱』は、南の島トンガにやってきた女4人のそれぞれの葛藤を描いた連作。「途上国の発展に尽力したいという理由でやってきた子がえらくて、何かから逃避するためにやってきた子がダメだと言ってるんじゃない。重要なのは、ここで何をするかでしょ?」。阪神大震災から20年後、2015.1.17が発行日の鎮魂の書。




**2015.05.12
★椎名誠『アイスランド 絶景と幸福の国へ』

軍隊はなく、原発もない。しかし税金は高く、物価も高いが、政府によるその高い税金の還元が目で見えるかたちでなされているからなのだろう、多くの国民は、おだやかでシアワセそうな顔をしている。★椎名誠『アイスランド 絶景と幸福の国へ』△2015
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人口33万人のオーロラの国。『アイスランド 絶景と幸福の国へ』は通訳兼ガイド氏同行の「はるかな北の国瞥見記」。ナショナルジオグラフィックの写真との“品行方正”なコラボ本。人々はどんな人に対してもここちいい笑顔で応対。警察はあるが銃を保持せず。天地の恵みは「世界の泉」だ。全編アイスランド褒めまくり本。



**2015.06.28
★栗山さやか『なんにもないけどやってみた』

いくら援助のためにボランティアで来ているって言っても、そんなことは関係なしに、自分たちと比べてみたら恵まれていて、金を持っている人、ただそれだけとして見られて襲われる対象になったり。★栗山さやか『なんにもないけどやってみた-プラ子のアフリカボランティア日記』2011
**
1980年生まれの著者は、渋谷l09の元ショップ店員。貧乏旅行で受けた親切に恩返ししたいと、エチオピアのアディスで1000人が入所する病院のような施設でボランティア。人口8千万のこの国、コンドームを使うとエイズになるとの噂があり、HIVが蔓延している。それにしても著者の無類のやさしさはどこからくるのか。



**2015.07.28
★沢木耕太郎『キャパへの追走』

私はキャパの写真と同じアングルで写真を撮ると、再びシャンゼリゼ通りを渡り、かつて私が住んでいた部屋のある建物に向かって歩きかけて、危うく思い止まった。旅はなぞってはいけない。私が旅を重ねる中で、心に深く刻まれるようになった教訓が、それだったからだ。★沢木耕太郎『キャパへの追走』

『キャパの十字架』で、「崩れ落ちる兵士」はキャパが撮影したのではないかと疑問符を投げた沢木耕太郎。『キャパへの追走』は、キャパの生涯をたどり、残した写真の撮影場所を探し歩き、その現在の光景を撮影する。短い文章に必ず盛り上がるエピソードやオチをつける、その凄腕にうなる。旅はなぞってはいけない、は名セリフ。




**2015.07.30
★吉田類『酒場詩人の流儀』

僕の旅に欠かせないアイテムは、酒と俳句だ。ほろ酔うて胸襟を開けば、人の縁の輪が 広がる。そこで本音の挨拶句を心中へ秘めおく。許されるなら酒肴に一句を披露するのも一興。酒を百薬の長と心得るのは常だが、深酒による失態も無くはない。酔いの勢いも手伝って、締めの酒をジンや泡盛のような蒸留酒(スピリッツ)で咽る癖がある。蒸留酒は、火酒と綴って「かしゅ」とも読む。「火酒過ぎて亡者の船に揺られたる」★吉田類『酒場詩人の流儀』

BSで著者の全国各地の呑み屋を訪ねる「酒場放浪記」という番組があるが、”放浪”ではなく”訪問”でした。本書は「新潟日報」「北海道新聞」に連載されたものなので、その地や故郷高知の話題が中心。「日本列島への愛着は深まるばかり」と書いており、確かにそうだろうが、一期一会で媚を売っているようにも見え、芭蕉も山頭火も「放浪稼業」ってたいへんだったんだなと思う。いくつか著者の俳句が収録されていて、「汝も酔はばおぼろ月夜のタイタニック」という句の語調が気に入りました。

沢木耕太郎★波の音が消えるまで

20150319

2015.03.19波の音が消えるまで

「それに、たとえ起死回生の一発勝負に勝ったとしでも同じだったろう。一度でも一発勝負をしたことのある奴は、もうあとに戻ることができないものなんだ」

 僕には劉さんの言っていることの意味がよくわからなかった。劉さんはそれを察してくれたのか、噛み砕くように続けた。

ワン・ショット、一発勝負、一か八かの怖さは、それに中毒するということだ。

こつこつと時を刻むような人生を送っていても、それは一発勝負をするためのプロセスにすぎなくなる。


すべてを賭けることの恐怖と、それを乗り越えたときの解放感と、当たったときの快感。それを忘れることなど誰にもできないからだ」



*

 上掲は、こう続く。

「しかし、一度で終われる奴はいない。〔…〕そして、その二度目は、限りなく敗北に近づく。一発勝負をしようとしている奴を見たら、そいつの賭けている目は避けるべきなんだ。一発勝負は基本的に敗れることになっている」

 1997年、航平は香港返還の前日に偶然立ち寄ったマカオで、バカラにはまる。バカラの勝負に偶然ではなく必然を見出そうする。そして謎の老人が残した「波の音が消えるまで」という言葉……。

 とにかく長い。バカラの場面が何度も延々と続いたり(それがテーマなのだが)、ハワイでのサーフィン修行や東京でのカメラマン助手生活など、過去のシーンとして数ページに端折ればいいのに、と思いながら読み続ける。

 ただ本筋とは外れるが、女とバカラの比較、バカラとルーレット、ブラックジャックの比較、文学、絵画、音楽と写真の比較が、面白かった。

 なにしろ沢木耕太郎が書いた小説であり、ついついノンフィクションの読み方をしてしまう。作家は、登場人物を創造し、動かすことを楽しんでいるようでもあるし、実は四苦八苦しているようでもある。父と巨匠の関係、林康龍という便利な黒幕など、ご都合主義でストーリーが進む。

 ところで名作『深夜特急』の第1便黄金宮殿が出たのは、1986年。そのなかの香港・廟街やマカオ・リスボアの大小に魅入られ、当方が友人たちと訪ねたのは1990年。

 香港返還が1997年で、その前日から1998年にかけてのマカオが本書の舞台。

 マカオ返還は2000年。カジノ経営権が広く開放されたのが、2002年。現在は年5兆円の売り上げ。先日のNHK『変貌するマカオ』は、大型IR(統合型リゾート)「シティオブドリームズ」を経営するローレンス・ホーCEOを追っていた。ラスベガスを超えようとするマカオは、理工学院にギャンブル研究センタを設置され、カジノ経営からギャンブル依存症のケアまで研究している。

 本書は返還前のマカオが舞台なので、当方が行ったときと街の雰囲気が似ている。フェリー乗り場近くのホテルからリスボアの円形の建物まで歩き、カジノでの大小やホテルのショー、現地ガイドに紹介してもらった小さな食堂での火鍋、夜のドック・レースなど、なつかしく思い出した。

★波の音が消えるまで(上・下)│沢木耕太郎│新潮社│ISBN:9784103275176│ ISBN:9784103275183│2014年11月│評価=△│遺されたノートに謎の「波の音が消えるまで」という一行。




川内有緒■バウルを探して――地球の片隅に伝わる秘密の歌

20141107

2014.11.07バウルを探して

 グルは、弟子に合図してウクレレはどの小さな弦楽器を奥から持ってこさせ、おもむろに弾き始めた。一人の弟子が、それに合わせて鈴の音をリズミカルに鳴らし始める。〔…〕

  鳥籠の中、見知らぬ鳥は、どうやって往き来する?
  つかまえたら、「心の枷」を その足にはめたのに。
  八つの部屋は九つの扉で鎖され
  中をときたま閃光がよぎる、
  その上には、母屋がある――
  そしてそこには、鏡の間。

 今まで聞いた話、考えたことが星座のようにつながった。

 そう、バウルの話は、いつでも同じところに帰結する。

 自分のココロを採れと。自分の中にある聖なる場所を探し求めよと。すべての偏見や束縛から自由であれと。自由になって、自分自身を見つけろと。
〔…〕

 自分はいったい誰なのか、と問う。
 それはもっと自由で、寛容で、しなやかな自分に近づいていく終わりのないプロセス。それが、バウルの修行なのだ。


■バウルを探して――地球の片隅に伝わる秘密の歌 │川内有緒│幻冬舎│ISBN:9784344023307│2013年02月│評価=◎おすすめ

〈キャッチコピー〉
 18世紀終わりに生を享けた伝説の男ラロン・フォキル。彼が作った千以上の“バウルの歌”は、譜面に遺されることなく、脈々と口頭伝承され、今日もベンガル地方のどこかで誰かが口ずさむ。教えが暗号のように隠された詩は、何のために、数百年もの間、彼の地で歌い継がれているのか。アジア最貧国バングラデシュに飛び込み、追いかけた12日間の濃密な旅の記録。

〈ノート〉
 著者は、かつて仕事でバングラディシュを訪問したとき、ユネスコの無形文化遺産に登録されている伝統芸能の“バウルの歌”を知ってますか?と訊ねられたことがある。「おそらく聴くことは難しいでしょうな。バウルたちはいつも移動しているから、どこにいるのかぜんぜん分からない」とも。

 バウルは、バングラデシュとインドの西ベンガルの農村部に暮らす神秘的な吟遊詩人たち、村落の近くに暮らすか、村から村へと放浪する。シンプルな一弦琴のエククーラと、ドゥブキと呼ばれる太鼓を従えた歌を歌うことで生計を立てている。

 そしてカメラマン中川彰、現地のアラムさんという名通訳とともにバウルを訪ねる12日の旅を始める。まずはクシュティアの町のラロン・フォキルを祀る聖者廟をめざして。その間に読者は、バングラデシュの簡単な歴史、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との違い、バングラデシュが貧乏なのはベンガル人はショウバイの話よりもテツガクとか宗教の話が大好き、そして人びとはむやみに親切であると知る。

 しかしバウルの歌は難しい。メタファー(隠喩)で組み合わされている。上掲の「知らない鳥」では、知らない鳥は人間の呼吸のこと、鳥籠とは人間の体のこと、さらに知らない鳥とはもう一人の自分、つまり自分のココロのことなどと説明される。コントロールできない鳥。きままに振る舞う鳥。出たり入ったりして捕まえられないもの。それは、自分のココロ……。

――バウルの歌というコンパスはゆるぎなく一つの方角を指し示す。それは、迷いの雲を吹き飛ばしてしまう強烈な磁力。宗教のようであって、宗教ではない。歌であり、思想であり、根源的な自由を求めるエネルギーそのもの。だからこそ、現代の人々は余計にバウルに惹かれる。宗教や国境線を巡る争い、そしてエコにコマーシャリズムに清貧と相反する価値観がめまぐるしく交差する日々において。(本書)

 バウルとは、昔の言葉で「風を探す」という意味だそうだ。
 風とはつまり、呼吸のこと。
 バウルは、命の風を探す人々なのである。
(本書)

〈読後の一言〉
 国際機関に勤めていただけあって、事前の調査、その手順の見事なこと。バングラデシュ内のアクセスなど細部がきっちり書かれており、旅行記として一級品。

〈キーワード〉
ラロン・フォキル 吟遊詩人 バングラデシュ ベンガル 




池内紀■ニッポン周遊記―― 町の見つけ方・歩き方・つくり方

20141029

2014.10.29ニッポン周遊記

 檜枝岐(ひのえまた)村にはきまってアタマに「秘境」がついた。「秘境檜枝岐」である。読みにくい村名とあいまって、なにやら山深い異界の雰囲気をおびていた。〔…〕

 画家であり登山家であった上田哲農によると、ひとくちに秘境といっても、そこには条件があるそうだ。

一.どちらから入るにしても必ず峠を越えなくてはならない。
二.峠を境にして「かつ然とひらけて新しくはじまる風景」がなくてはならない。


三.古びてはいるが、がっちりした構造の大きな家が、すくなくとも数軒はたむろしていなければならない。

 これが欠かせない三条件で、ほかにもあらまほしきことがある。たとえば「透明な空気のなかのきれいに耕された斜面」である。初冬など、そこを雪が薄くいろどっている。家と家とをつないで小石の多い小道があるとなおよし。その道は里の子供たちが鬼ごっこをする場所であり、星の夜はタヌキが酒を買いにいく道、また月の晩はキッネの親子が通る道――。

 付帯条件はともかくとして、檜枝岐はまさしく条件をみたしていた。

――「秘境の発見 福島県・檜枝岐村」


■ニッポン周遊記―― 町の見つけ方・歩き方・つくり方 │池内紀│青土社│ISBN:9784791767779│2014年06月│評価=○

〈キャッチコピー〉
 旅の達人、池内紀による全国の町村探訪記。町を選ぶ基準は、経済的に自立していること、歴史など由緒があること、個性がありそうなこと。とはいえ、行ってみるまで現実は分からない。池内流の旅の極意の見本帳であると同時に、その名観察・名解説によって、日本文化の重層性を再確認する旅へと誘う紀行エッセイ。

〈ノート〉
 池内紀(いけうちおさむ)、1940年生まれ。

 上掲は、福島県南会津郡檜枝岐村。ものの本によれば、有数の豪雪地帯で、人口600人。日本一人口密度が低い村らしい。平家の落人伝説が残る。群馬県・栃木県・新潟県の三県に隣接している。まさに秘境。

 ところが、本書を読み進むと、現在はまるっきりちがうらしい。村域に入ると、尾瀬の郷交流センター、隣り合って森の温泉館「アルザ尾瀬の郷」、歴史民俗資料館、公衆浴場・駒の湯、ミニ尾瀬公園。露天風呂、温泉プール、釣り堀、スキー場、テニス場などなど、観光立村。

 著者も上田哲農の言葉を引いて、旅のオチをつけている。すなわち、「秘境とは教えられるものではなくて、その人の心が発見するもの」。

 本書は、「観光文化」という雑誌に連載中の「あの町この町」より、ここ10年の間に掲載した北は北海道森町から南は沖縄県金武町までの30編を収録したもの。

 ――旅行先を選ぶとき、「元支藩」というのを一つのヒントにしている。小さく、まとまりをもち、歴史がよく残っている、そんな味わい深い町が多いからだ。(鳥の休み場 青森県・黒石市)

 といういいヒントを得た。そういえば以前一度だけ言ったことのある町で、兵庫県・柏原町(現在丹波市)がいい印象で残っている。元柏原藩2万石。知人が古民家のイタリアンレストランを借り切りコンサートを行ったので当方も出かけたのだが、付近を歩くとなんとなく品格のある美しい町だった。そのうち「元支藩」の町を探してみよう。

 当方、まだ行ったことのない県が5つあり、はやく全県制覇したいのだが……。

〈読後の一言〉
 地方の病弊ぶりから“限界自治体”が生まれそうな昨今。著者は全国を旅していて、「甦りの手だてがないはずはない」と書いているが、決め手があるわけではない。なるたけ具体的に町の魅力を書いたというのみである。

〈キーワード〉
秘境の条件 福島県・檜枝岐村 観光立村

〈リンク〉
池内紀◆日本風景論


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