fc2ブログ
l>
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

宮下洋一◆安楽死を遂げるまで  …………☆エンディング・ノートに記したことを見直してみたいと思った「生」と「死」をめぐるノンフィクション

2018.08.13安楽死を遂げるまで


「あなたはなぜ、ここにやって来たのですか」
「昨年、癌が見つかりました。私はこの先、検査と薬漬けの生活を望んでいません」

「検査を望まないのは、あなたがこれまで人生を精一杯生きてきたからですか」
「ええ、私の人生は最高でした。望み通りの人生を過ごしてきたわ。思い通りに生きられなくなったら、その時が私にとっての節目だって考えてきましたから」

「私はあなたに点滴の針を入れ、ストッパーのロールを手首に着けました。あなたがそのロールを開くことで、何が起こるか分かっていますか」

「はい、私は死ぬのです」


「ドリス、心の用意ができたら、いつ開けても構いませんよ」


◆安楽死を遂げるまで |宮下洋一|2017年12月|小学館|ISBN: 9784093897754|◎おすすめ

 上掲は、2016年1月、スイス北西部バーゼルのある小さなアパートで、女医プライシック58歳による英国人老婦ドリス81歳の自殺幇助の場面。著者宮下洋一は、3メートルほど離れたソファに腰掛け、その一部始終を見届ける。

 ――わずか1時間足らずの自殺幇助。初めて現場を目にした私は、あまりにもあっけない他人の死に呆然としていた。 (本書)

 女医プライシックは、スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」代表。彼女は、2016年だけで、80人の患者に自殺幇助を施した。だが、申請者の数は200人を超え、待機リストに連なる人たちの予約で一杯だという。

 本書での安楽死の定義は……。
安楽死=(患者本人の自発的意思に基づく要求で)意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為。

⑴ 積極的安楽死
 医師が薬物を授与し、患者を死に至らせる行為。
⑵ 自殺幇助
 医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為。
⑶ 消極的安楽死
 延命治療(措置) の手控え、または中止の行為。
 多くの国々で臨床上見受けられる。日本でも老衰患者の胃瘻処置や、末期癌患者の延命措置などで、これに該当する行為が取られる。ただし、これらを規定する法律はない。
⑷ セデーション 終末期の患者に投与した緩和ケア用の薬物が、結果的に生命を短縮する行為。
 たとえば末期癌患者に薬を投与し、意識レベルを下げることで苦痛から解放するとともに、水分・栄養の補給を行わず死に向かわせる医療措置など。通常は緩和ケアの一環として行われ、大半は「安楽死」と結びつかない

 宮下洋一41歳。アメリカをはじめ海外生活23年、現在はスペインに在住するジャーナリスト。見たままの光景にただ言葉を失うしかなかった著者は、さらにスイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、そして日本を訪ねる。

 胸を締めつけられるケースがいくつも紹介されている。

  スペインで、幼年期から神経変性疾患、脊髄小脳変性症(SCD)を患う少女12歳が母の強い願いからセデーションによって絶命するケース。

 ベルギーでは、「耐えられない痛み」を持ち、「回復の見込みがない」と診断された精神疾患の49歳の男性。安楽死が許可された後は別人のように笑みが絶えなかったという。安楽死は精神疾患者にとって、ある種の「予防策」か。

  医師の勧めで「生」を選んだ人もいる。55歳で癌が見つかったアメリカの女性。知的障害を持つ兄の自殺があり、老人ホームにいる認知症の母に言う。「私はもうお母さんの世話をする余裕がなくなったわ」。だが、「私はお前が子供の頃から、ずっと世話をしてきたんだよ」の言葉に、自らを恥じる。医師の励ましで、尊厳死ではなく、癌治療を選ぶ。いま、71歳。医師はいう。「人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死を選ぶのではなく、これ以上生きてもしょうがないという、別の理由から死を選ぶ傾向のほうが強い」。

 冒頭のスイスの女医プライシックはいう。「私はよく、『人は自らの死を選び、他人は人の死とともに生きる』と説明します」

  ――その台詞こそが、私の考える死生観と異なるのだと、彼女に言いたかった。
「死は個人のものなのか」、それとも、「死は集団や社会のものなのか」という問いがあるとする。1 8歳まで日本で育った私は、後者――いわば、一人の人間の「死」には家族や恋人、そして地域など様々な要素が結びついていると思って生きてきた。
 欧米生活を始めてから、死ぬ権利は個人の権利だという考えを「頭では」理解するようになっていた。しかし、安楽死取材を通じて、欧米の考え方に対し、違和感を持たずにはいられなかった。
 (本書)

 ――欧米人は、自己決定や個人の死を、どうしてこうも易々と肯定するのだろうか。安楽死に対する葛藤や、心の叫びが、私に聞こえてこないのはなぜなのか。 (本書)

 そして著者は日本に向かう。「植物状態」の患者に筋弛緩剤を投与した行為を巡り、2002年に殺人罪で起訴され、有罪判決をうけた医師に会うために。
 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。家族や友人と悲しみやつらささえも分かち合う国民性の日本で、安楽死は容認されるのか、を考えるために。

 「生」と「死」をめぐるこのノンフィクションは、日ごろの生き方まで問う。
 当方は、エンディングノートに、延命措置は望まない、「セデーション」に類した行為を望むという意味のことを記しているが、もう少し意図をていねいに、言葉を正確に書き直したほうがよさそうだ。



関連記事
スポンサーサイト



トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

検索フォーム

最新記事

カテゴリ

リンク

平成引用句辞典2013.02~

RSSリンクの表示

QRコード

QR