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本間健彦□60年代新宿アナザー・ストーリー

20131111

20131111-60年代新宿アナザー

『新宿プレイマップ』の創刊される前月に、3か月余にわたり毎週末になると新宿西口駅地下広場で繰り広げられていたフォーク集会が機動隊の出動で駆逐され、「広場」という表示が「通路」に書き換えられる事件が起きていた。

この事件は、『新宿プレイマップ』編集者の私たちにも衝撃だった。〔…〕

私たちは、せめても、「〈誌上広場〉を創ろう!」と決意した。そのような街の雑誌を作ることが、新宿の効果的なイメージ・アップにも繋がると思ったからだった。〔…〕

私たちは、「新宿プレイマップ」の発行元だった新都心新宿PR委員会が、自らの名称を〈副都心新宿〉ではなく、〈新都心新宿〉とすり替えているように、

〈街のPR誌〉を〈タウン誌〉と呼び替えることで、ジャーナリズムの未開拓領域のニューメディアとして世間にアピールしようという魂胆だった。


――「3 アナーキーな風に吹かれて」


□60年代新宿アナザー・ストーリー――タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート…│本間健彦│社会評論社│ISBN:9784784509997│2013年06月│評価=◎おすすめ

〈キャッチコピー〉
新宿の街から「広場」が消えた1969年から72年まで「誌上広場」をめざして、若者に圧倒的な支持を得て発行された伝説のタウン誌・元編集長がコラージュの手法で描く、この時代と時代の表現者たちの群像。

〈ノート〉
『新宿プレイマップ』というミニコミ誌があったことは知っていた。たぶん『話の特集』に載っていた交換広告で知っていたのだと思う。現物を見たことはない。

バックナンバーの文章やイラストや写真を引用するというコラージュの手法で本書を構成している。「このような様式こそが、『新宿プレイマップ』というタウン誌の魅力や精髄、60年代という時代の特性や雰囲気の一端が的確に伝えられる……と」(あとがき)。

それにしてもなんと『話の特集』に似ていることだろう。その付録だと『新宿プレイマップ』が間違えられたのも無理はない。

1969年6月創刊の目玉記事は、新進作家野坂昭如と『話の特集』編集長矢崎泰久の「焼け跡派の“じゆゅく”望郷」という対談記事。こんな裏話が綴られている。

――この対談には、新都心新宿PR委員会の委員の一人だった某氏から「挨拶も兼ねて見学したい」という要望があり、同席してもらったのだったが、対談が始まって10分も経たないうちに彼は憤然とした面持ちで席を立つと、私を別室へ呼び出し、「あんな酷い話を雑誌に載せるのか。話題を換えさせなさい」と激怒してそう言い残し帰ってしまったのだった。

そんな一件も、焼跡闇市派作家の態度を一層硬化させ、「おれは新宿のPRなんぞには乗らないぞ」という姿勢を頑なに表明するような過激な発言の連発を招いた要因だったのである。(本書)

当時の新宿西口は、高層ビル街の第1号、京王プラザホテルの建設が着工さればかり。いつでもクビを斬られる覚悟でPR誌からは程遠いタウン誌を続け、「予期に反して2年10か月、通巻34号まで編集者を務めることができたのは僥倖だった」という。

新宿PR誌としての役割を終え、雑誌名を『プレイマップ』に替え、2号だけ発行している。横尾忠則の表紙の1972年6月号が最終号。このマドラ社の経営実権を持っていた大手印刷会社社長Ⅹ氏が「情報ページだけのタウン誌だったら存続させる」といわれ、著者たち編集者は退社する。

――「2年後の1974年に『ぴあ』という情報誌が出現して、若者たちの評判になっているというニュースに接した時、私は一瞬「おっ」と思った」(本書)。

〈読後の一言〉
著者は回想録でもドキュメンタリーでもないと書いている。しかしコラージュ方式によりミニコミ誌全盛時代の『新宿プレイマップ』の創刊から廃刊まで、そして60年代末から70年代初頭という時代を記録したものであり、雑誌とその時代の雰囲気をみごとに再現している。

〈キーワード〉
「新宿プレイマップ」「話の特集」「ぴあ」 野坂昭如

〈リンク〉
矢崎泰久★「話の特集」と仲間たち

野坂昭如★文壇

掛尾良夫▼『ぴあ』の時代



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