三浦英之□南三陸日記
01/ジャーナリスト魂・編集者萌え - 2013年12月06日 (金)

仮設店舗のオープン後、陳列する商品は大きく変わった。作った野菜を置いてほしい、と最初に店を訪れたのは、町内の農家だった。直販所やスーパーが流され、作物を売る場所が消えていた。
売れ筋も変化した。震災前は弁当やドリンクが主力だった。青空店舗では栄養ドリンクやビタミン剤がよく売れた。
今は仮設住宅の仏壇に供える線香と花だ。線香は1日100セットも売れる。
爪切りや食器洗いのスポンジなど、家にあるのが当たり前のものも頻繁に売れていく。レジに立つと、生活のすべてを押し流した津波の冷酷さが見える。
店長の隆さんは以前、コンビニは単に商品を売る店だと思っていた。
でも、今は遭う。地域の人とつながりあって、確かに復興の足がかりにもなっている。
――「コンビニって何だろう」
□南三陸日記 │三浦英之│朝日新聞出版│ISBN:9784022509697│2012年03月│評価=◎おすすめ
〈キャッチコピー〉
震災後に宮城県南三陸町に赴任し、被災地に住みついた記者が、そこで感じた日常の変化や人々の心の揺れなどを細やかに描く。秀逸な写真とのコラボレーションが胸を打つ。朝日新聞南三陸駐在記者の人気連載コラム「南三陸日記」を単行本化。
〈ノート〉
著者は、1974年生まれの朝日新聞記者。2011年3月10日、宮城県南三陸町へ駐在員として単身赴任する。そして1年間、週1回、「南三陸日記」という短いコラムを連載する。それは出来事を「報道」するのではなく、日常の変化や人々の心の揺れなどを「報告」するものだった。
本書は見開き2ページに短いコラムがあり、たとえば、少年野球の練習にユニホームを持っていこうとする息子を「ほかの子を着ていないでしょ」と叱る母親(「無事で申し訳ありません」)、「機動隊員はね、(遺体が)オヤジやオフクロだと思ってやってますよ」という県警幹部(「遺体捜索」)、被災者向けの無料メーキャップサービスを受け「早く帰って、仏壇の前できれいな姿を見せてあげたい」という夫を亡くした30代の女性(「きれいになるということ」)といったエピソードが綴られている。
そんな空想上の物語のようなあたたかいコラムの次のページには、見開きでその情景写真が掲載されており、たちまち現実にもどるという構成。「南三陸日記」というより「南三陸アルバム」と名づけたいくらい写真が卓抜。
2011.3.11からちょうど1000日が過ぎた。メディアは復興がいっこうに進まない状況を伝える。1995.1.17を経験したものから見ても、あまりにも歩みが遅い。当方が考えるその理由……。①岩手、宮城、福島の3県の広域にまたがり、しかも弱小市町村が多数をしめること。②津波対策を根底においた新たな町づくりに住民のコンセンサスを得にくいこと。③地震・津波と原発事故の複合災害であること、④民主党政権の行政運営へのノウハウの無さや役所以上に役所的な東京電力をコントロールできないこと、等々。
それはともかく、仮設トイレの隣りから嗚咽する男の声を聞き、著者はこう書く。
――いつからこんなに鈍感になってしまったのだろう、と私は思った。がれきの町で話を聞く度に、被災者の多くは「大丈夫です」とほほ笑んでくれる。〔…〕私はどこかで、被災地の「優しさ」に心の安住を求めていなかったか。
〈読後の一言〉
被災地の悲惨な生活の中で「家族の風景」の“陽だまりのような出来事”を取材し紡いでゆく。そこには失っていないものがいっぱいある。
〈キーワード〉
3.11 仮設店舗 コンビニ 売れ筋
〈リンク〉
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