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野口武彦□慶喜のカリスマ

20131217慶喜のカリスマ

慶喜に肉体的勇気が欠けていたことは事実だろう。

慶喜という政治家には、頭脳明晰、言語明瞭、音吐朗々と三拍子揃っていながら、

惜しむらくは、ただひとつ武将には不可欠な蛮勇、クソ度胸といったもののもちあわせだけがなかった。


「主君を刃にかけてでも討薩する」と息巻く主戦派家臣であれ、慶喜追討を叫んで大坂城に迫ってくる官軍であれ、現に眼の前にある強そうな相手に弱いのだ。

もしあったら「たとえ家臣の刃に斃れようとも」初志を貫徹させていたはずである。欠けていたことは自分でも「一期の不覚だった」と悔恨してもいる。それと同じ勇気の不足が、こんどは、慶喜に大坂城での徹底抗戦を回避させたのではないか。


□慶喜のカリスマ │野口武彦│講談社│ISBN:9784062181747│2013年04月│評価=○

〈キャッチコピー〉
そのとき、たしかに彼はカリスマであり、ある者は熱い希望を託し、ある者は深く警戒した。しかし、いつしかその行動は期待を大きく裏切り、あわれでなかば滑稽な結末を迎える…。それはなぜだったのか。幕末の悲喜劇と明治の沈黙の向こうに日本最大の転形期の姿を見据えた傑作評伝。

〈ノート〉
NHK大河ドラマ『八重の桜』は低視聴率のまま終わった。当方、会津を応援したいと思いほぼ毎回見たが、ドラマの視点が定まらず、とくに後半はお粗末だった。

同じ大河ドラマで司馬遼太郎『最後の将軍』を原作にした『徳川慶喜』(1998)があったという(本木雅弘主演)。が、見ていない。それ以降、『新選組!』、『篤姫』、『龍馬伝』と慶喜はいずれも悪役だったようだ。今回の『八重の桜』も会津史観だから徳川慶喜(小泉孝太郎、適役)も軽薄な人物として描かれていた。

それはともかく、この2013年は慶喜の没後百年だという。歴史上も、ドラマや小説でも評価のわかれる人物。著者はこれまで慶喜に点が辛かったが、「愛情に目を曇らせることがないだけ」で、じつは慶喜ファンだ、と書いている。上掲に続く、以下の記述……。

――政治的生涯の結末近くで冒したたった一回の戦術選択のミス――それはなるほど軍事的には決定的な誤謬だった――だけを取り上げて断罪したのでは、慶喜にたいしてあまりに酷というものではないだろうか。筆者自身の、これまで慶喜に振ってきた史論の鞭はもうとうに折れている。(本書)

慶喜は31歳で将軍職を明け渡し、77歳で死去するまで長い余生を過ごす。現存していたため、歴史的評価がしにくかったのではないか、という気がする。本書のエピローグは、俳人の高浜虚子と徳川慶喜が俳句談義をした話。蕪村の「牡丹切って気の衰へし夕べ哉」という句に慶喜の感想。「切ろう切ろうと思いながらも、切りかねていたのをついに思いきって切った。そこでがっかりしたような気の衰えを感じたという意味になるのでしょうな」。

そして著者はこう書く。
――慶喜が長いこと思いあぐねていた大政奉還を決行したときの心境でなくてなんであろうか。思い切って決行したその直後に〈気の衰え〉を感じたというのである。〔…〕〈気の衰え〉とは、慶喜の場合いったいなんだったのだろうか。盛りの花期はすぎたとはいえ、まだ繚乱と咲き誇る幕末の牡丹花をあえて切り花にした贅沢な憂愁感か。

〈読後の一言〉
著者は75歳。脳梗塞を患い、指一本だけでワープロを打ち、本書を著したという。池田長発がフランスへ鎖港談判に出かけたことに触れ、「だいたいフランス人という奴が気に食わない。いかにも人を見下したような調子で、鼻にかかった声で『高慢垂れぶう』などとぬかすではないか」云々。この『高慢垂れぶう』にComment allez-vous?と読み仮名(?)を打つ元気さである。

〈キーワード〉
蛮勇・クソ度胸  牡丹切って気の衰へし夕べ哉  コマンタレブ



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