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筒井康隆◎老人の美学    …………☆20年ぶりに主人公渡辺儀助75歳の『敵』を読み返し、“抑制の美”と“死に方”を考えた

2019.12.20老人の美学



 やはり日本では、苦痛なしに死ぬというのは至難の業であるらしい。

 そんな楽しみがあるとしてだが、死ぬ間際の小生の楽しみとしては、まだ未体験のモルヒネを打ってもらうくらいのことか。
それが不可能であれば、

次のように嘯(うそぶ)いて自分を宥(なだ)めるしかあるまい。

「せっかく生きてきたんだから、死の苦痛というものを味わわずに死ぬのは損だ」


昔は医者もおらず、たいていの人は自分の家でもがき苦しんで死んだのであろうから、それに比べれば、苦痛を和らげる薬を貰いながら死ぬ方が、ずっとましというものではないか。

――「十一 安楽死など老人の死にかたの問題」

◎老人の美学/筒井康隆/2019年10月/新潮新書/ISBN:9784106108358/〇


 筒井康隆(1934~)。「85歳を迎えた巨匠が書き下ろす、斬新にして痛快、リアルな知恵にあふれた最強の老年論!」と惹句にある。

「老化によって、言動、言説など生活態度や見た目や立ち居振舞いがみっともなくなることを避ける、実際的な知恵」が綴ってあるという。「『敵』の主人公・渡辺儀助の美学」とか「グランパ・五代謙二の生き方と死」といった章がある。

 当方は初期のSFから、直木賞を揶揄した『大いなる助走』(1979)、パソコン通信を駆使した『朝のガスパール』(1992)、そして『腹立半分日記』(1979)などの日記形式のエッセイがとりわけ好みだった。そしてすべてを売却したり廃棄したりしたが、唯一『敵』だけは今も手元に残している。

2019.12.20敵1

『敵』は、著者63歳の作品で、元大学教授渡辺儀助75歳が主人公の“純文学”である。当方が75歳になったら読み返そうと残していた。

 本書『老人の美学』で、当時70何歳かだった作家の中村真一郎に会う機会があり、主人公を75歳に設定して書こうとしている話をして、助言を乞うた話がでてくる。その中村氏……。

 ――「あのね筒井君、人間は70を過ぎると途端にがくんと体力が落ちてしまいます。あなたはまだ60になったばかり。とても想像はつかないと思います。主人公を75歳にしたのなら、80歳の老人のつもりで書いた方がいい。いや、85歳でもいい」 (本書)

 おそらくその通りだろうと著者は思ったが、著者自身のその後の70代は健康そのもの、80代になっても大病も手術も入院もなかったという。

 『敵』は、妻を亡くした元大学教授渡辺儀助75歳の食事、酒、買物、風呂、預貯金、昼寝、友人、妻等の日常を43章にわたり記述する。その老人の美学は、「抑制の美」であり、「ひたすらリアルで理想的な老人像」を考えたという。

 「抑制の美」とは何か、読み返してみた。63歳の友人湯島定一は、家の修理や食事の誘い、中元歳暮に至るまで尽くすように接してくれる。

 ――だが儀助はこれ以上湯島に甘えてはならないと思いとどまる。もしかすると湯島の過剰な奉仕は儀助の遠慮恐縮負い目による疎遠を望んでいるためかもしれないではないか。まさかそうではあるまいと思うものの……。 (『敵』)

 昔の教え子で、いま画廊を経営している鷹司靖子は手土産を提げて訪問してきたて庭の草むしりから夕食の支度までしてくれる。

 ――いちど「遅いから泊っていきなさい」と言ってみようか、儀助は数年前からそんなことを考えはじめている。〔…〕むしろ「泊っていきなさい」と言いそうになる自分を抑えたり言おうか言うまいかに悩むことのみを生涯の楽しみにしようか。 (『敵』)

 ついには、彼女が「大きく頷きなんの躊躇いもなく『はい』ときっぱり言った」。がそれは夢の話で、著者のいう「抑制の美」なのだ。

 その年齢になって読み返し、儀助75歳の若さと性欲に驚いたが、もっと驚いたことがふたつある。

 その一つは、1998年に書かれた『敵』にパソコン通信がでてきてなんとも懐かしかったが、そういえばスマホもラインもツイッターもない。コンビニも宅配便もアマゾンもない。75歳になったときの読後感と聞かれても、まったく違う日常なのである。生き方も変わらざるを得ない。

 もう一つ。当方の老化のこと。ブログを調べなおすと、『銀齢の果て』(2006)の感想に、「筒井康隆の老人文学の金字塔といえば、『敵』でしょう。あれは傑作でした」と書いているのはいいとして、『偽文士日碌』(2013)の感想では、「筒井康隆の著書で唯一『敵』を手元に残している。著者63歳の作品。元大学教授、75歳。その年齢になったら再読しようと残している。〔…〕しかし当の筒井康隆、まもなく80歳である。『敵』の主人公渡辺儀助とはまったく対照的なギラギラした日々を今も送っている。まいった、まいった」と書いている。

 「老齢となった作家は、かつての作品を自らコピーしたような文章をだらだらと垂れ流したような本を書く」と当方が書いたのは、2016年のことである。

 ところで本書『老人の美学』のテキストが、著者の以前の小説、『敵』(1998)、『わたしのグランパ』(1999)、『愛のひだりがわ』(2002)、『銀齢の果て』(2006)である。

 これは“自然湧出、源泉かけ流し”ではなく“入浴剤を加えた浴槽内循環ろ過”ではないのか。すなわち筒井康隆老いたり、オリジナルではなくリサイクルか、と問おうとしていた。本書の山藤章二のイラストからして『銀輪の果て』の使い回しである。

 ところが驚いたことに当方の感想文が“使いまわし”、“浴槽内循環ろ過”だったのである。
当方とほぼ同年齢の友人が、じつは認知症で医療機関にかかっていると告白した。もう一人の友人は、ぼけかかっている、と冗談めかして言うが、彼はあきらかに認知症だと当方は思っている。そして、大丈夫と思っていた当方は、この“ざま”である。

 書き忘れていたが、『敵』」の儀助75歳は、金が底を尽きれば“自裁”するつもりで、長文の遺書も用意している。しかし終りの3章、「舞台」「幻聴」「春雨」で老人の美学である「抑制の美」ではなく、あっと驚く“筒井ワールド”が用意されている。

 当の筒井康隆は75歳のとき、100歳以上の行方不明者が何百人も出ているらしい、として、

 ――子供が親を捨てた姥捨ての時代とは逆に、親が自分で出て行くというのは、75歳の老人の立場から見ると、なかなか洒落ていて、いいのじゃなかろうか。
 おれも90歳とか100歳とかになって死期を悟ったら、「捜すな」と言い置いて出て行き、行方不明になるのもひとつの身の処し方であろう。
 (『偽文士日碌』2013)

 そして85歳になった本書『老人の美学』では、こう書いている。

 ――長生きは宗教的にも道徳的にも生物学的にも正しい、と言われているし、一般的にも長生きすれば老衰で死ぬことになり、その方が「まるで眠るように死んでいく」ことができるのだから、こんなありがたいことはない。

 



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