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図書館閑話 1999~2001

 

 

歳時記

 

「愛読書は?」と訊ねられなくなって久しい。まあ、きかれても困るが…。しかし図書館に勤めることになって、「通勤電車の中でいつも広げているのは歳時記です」ということばを用意した。が、当然のことながらきく人はいない。だいたいが図書館に勤める人は、本が好きでも本を読まない、と知っているのだ。

  もう十年も前に、古本屋で虚子編の「季寄せ」を見つけ、買った。そのころ、岩波文庫で童謡集、唱歌集、わらべうたを読んでいて、その歌詞が「死語累々」であったことに興味をおぼえていたせいである。歳時記もまた死語の宝庫である。

たとえば夏の季語で、卯の花腐し、端居、浮いて来い、竹婦人など、歳時記で初めて知った言葉だし、はつたい、蝿取紙、誘蛾灯など、既視感のある人は少ないのではないか。蚊帳、行水、竹牀几、麦藁・麦笛・麦飯など、時空をかけるように懐かしい。歳時記は、自然現象、日常生活、動植物へのみごとなネーミングのコレクションである。

  さて、本に関係する季語は、わずかしかない。その一つは、読初(よみぞめ)であり、たとえば、

読初や読まねばならぬものばかり  久保田万太郎

がある。二つめは、曝書(ばくしょ)であり、

曝しゐる書のみなわれを培ひし   岡本欣也

その三に、紙魚(しみ)がある。

   無用の書紙魚食ひあきて死ぬらむ  高浜虚子

そういえば、本紙のタイトルである「書燈」は、「灯火親しむ」から連想すれば秋の季語にふさわしいが、残念ながら書檠も書燈も季語ではない。

   かもめ来よ天金の書をひらくたび  三橋敏雄

晩夏晩年角川文庫蝿叩き         坪内稔典

天金も蝿叩きももはや死語ですね。季語ではないが、図書館を詠んだ句がわずかながら見つかって、

   

木犀匂ふ辞書が重たい図書館に    鷹羽狩行

がその一つ。そこで私も、一句。

   麺麭の香や新樹の坂を図書館へ

これは新しい職場への決意表明であって、生活の糧としてのパンではないことに留意されたい。ついでに書けば、当館でも曝書はすでに死語であって、蔵書点検といい、これでは句にならない。

 

 

 

不易と不作為  

 

私は20代前半の数年、三宮・大倉山間を市電に乗り、図書館へ月に一、二度通ったことがある。本を借りたり調べものをするわけではない。当時、私は教育委員会で広報誌の編集者をしており、執筆者である志智嘉九郎館長にお会いするためだった。もっぱら館長室での雑談で、氏が広隆寺の弥勒菩薩について語ると、私は生意気にも興福寺の阿修羅像がいちばんと答えたりした。

『三叉路の赤いポスト』(63)という氏の随筆集をみると、とびらの裏に「あきの風吹きていたれば遠かたのすゝきのなかに曼珠沙華赤し」と茂吉の歌が万年筆の達筆な字で書かれ、中作君、志智嘉、と署名がある。その頃「レファレンス歳時記」というコラムを司書諸氏に毎月執筆してもらったこともある。氏は64年に図書館長を定年で去られた。私もその年職場を替わった。上司から「かれが公務員らしい仕事もきちんとできるように、仕事を換えてあげなさい」と館長から話があったとのちに聞いた。

退職されてからも著書をいただき、会して議せず、議して決せず、決して行わず、という名言をなつかしんだが、お会いする機会はついになかった。ずっとのち、仕事で関西棋院のT八段と話す機会があり、囲碁をたしなまない私は話題に困り、棋院の事務局長は志智さんではときいたら、志智先生は私の仲人ですよ、と急に話がはずんだことがある。次に氏の名を見たのは訃報であった。95年、震災で自宅が倒壊、京都に転居されていて死去されたという。

いま私ははからずも氏の末裔として館長室に坐している。志智館長を知る者は数名で孫の世代の司書に代わっている。しかし69年発行の氏の『空論集』の図書館に関するエッセイを読み返してみると、実に30年、図書館界は当時とすこしも変わっていない。図書館法の制定・改正、無料・有料論議、司書職の確立、館長は司書であるべき云々が相も変わらず議論されている。図書館の外側の急激な変化にかかわらず内側へ内側へスパイラル降下しているように見える。私の胸には不易という言葉と不作為という言葉とが交錯している。 

志智氏は16年間、館長として図書館と市民との距離を縮めてこられた。とくにレファレンス・サービスでは、最先端の図書館であった。その氏にして退職された翌年に書かれたエッセイの最後の一行はこう結んである。「こんなことでいいのかね」。氏の鬱々たる肉声がきこえてくる。

 

 

 

 

ミスマッチ

 

2次リスト集計」というペーパーが回ってくる。選書委員会で議論する購入・非購入書籍リストである。田勢康弘の『次は女に生まれたい』(00年・中央公論新社)は、どの館も手をあげていない。配本(現物)もあり山本容子の装丁も見ているはずだが、選書委員たちは著者名に気づかなかったのだろう。タイトルが悪いと損をする例である。

 日本経済新聞の月曜日朝刊の2面に「風見鶏」というコラムがある。十数年来、ここに田勢康弘の署名があるときは熟読している。その一部は『政治ジャーナリズムの罪と罰』(94年・新潮社→新潮文庫)などにまとめられている。この人は政治部記者(現在は論説副主幹)でありながら、新聞・テレビなどメディアが政治をだめにしている、と鋭く書く。

黒河小太郎名義で、雑誌に自社連立政権を予言した小説を書き、永田町・霞ヶ関を戦慄させ、当時、黒河とは何者? と驚かせた(『総理執務室の空耳』94年・中央公論社)

私が驚いたのは、この人が『島倉千代子という人生』(99年・新潮社)というノンフィクションを書いたことである。政治ジャーナリストと島倉千代子というミスマッチ。これを読んで私は「芸能生活45周年記念・島倉千代子大全集」というCD5枚をいそいで通信販売で買いましたよ。

新刊の『次は女に生まれたい』では、「小太郎」は田勢家の飼い猫の名だと書き、小渕首相から「政治に失望したから、島倉千代子を書いたんだろう」と言われたことを明かしている。田勢康弘の著書8冊のうち、わが図書館にあるのは、この本を除く7冊である。

 あるとき、法の華・福永法源の本を並べているのは公共図書館としていかがなものか、という投書があった。匿名なので返事を出せないが、その館は参考までにと「図書館の自由に関する宣言」をつけてきた。また、リクエストがあれば購入するというのであれば、「今週のベストセラー」に名のあがる宗教団体の本は全冊揃えなければならなくなる。そういう開き直る問題ではなく、選書の知識、経験、センスの問題ではないか。

 図書館に関する書架に『図書館があぶない』(86年・教育史料出版会)2冊ある。ふつうベストセラーでもないのに、同じ本を2冊並べることはない。わが館の次々と替わる館長への司書たちの無言の示威なのかもしれない(もう知っている職員は少ないだろうが、この本に神戸の館長「通達」問題のレポートが収録されている)。

 たとえば行政で大事な「予算」と「人事」。人事はやり直しがきかないが、選書はどちらかといえば予算の方である。選書は、司書の専管事項であるだけに、館としてのコンセプトと市民からのリクエストとのバランスを、たとえ文庫本一冊にしても、司書はたえず意識しなければならない。

その日ごろの緊張が、「図書館の自由に関する宣言」に結びつくのである。

 

 

 

 

時ニ之ヲ習フ

 

新書判ブームだが、新書判の内容をふくめたその軽快さが好きである。そのルーツをたどっていくと、私の場合、伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(当時、一三。65年・ポケット文春→文春文庫)に行き着く。「婦人雑誌の広告に、ほら、「実用記事満載!」というのがあるでしょう。わたくしの意図もまたこの一語に尽きるのであります」。それ以来、新書判は実用的でなければならない、と思い込んでいる。

たとえば、松葉一清『パリの奇跡―メディアとしての建築』(90年・講談社現代新書→朝日文庫)。これは歴史の街パリが未来都市へと変貌を遂げていく、その都市再生のドラマである。そして私にとってはパリを歩くためのガイドブックである。この実用的な本のおかげで94年夏のパリ、その3日間はほんとうに忙しく楽しかった。

また、図書館を日常利用している立場からの辻由美『図書館であそぼう―知的発見のすすめ』(99年・講談社現代新書)も利用のノウハウを公開した実用的な本である。この二著に、パリのポンピドーセンターとラ・ビレットが紹介されている。私にとってパリ使用前と使用後の2冊である。

あるとき地域図書館の館長が集まる会議で、『図書館であそぼう』を材料に議論したいので、次回までに読んでおくように、と依頼した。じつは情報の共有化による業務改革への刺激、つまり早いはなしが職場内研修のつもりである。

意図を伝えなかったせいかもしれないが、当日の結果は惨たんたるものであった。いや意図を察知され、専門職のわれわれを試すのか、といっせいに横を向いたのかもしれないが…。

ある研修会の講師にその辻氏をお願いしたらと提案したら、外部講師をお招きする予算はありません、と即座に断られた。

依頼した講師は、ある市立図書館の館長で、意欲的な実践で知られた人であった。熱弁で時間が足りなくなってきた。いや、時間が足りなくてよかった、と私は内心思っていた。

たとえば、広域利用の問題。「あなたの地域ではやらないのか?」という質問に、その講師は「行政のトップダウンで話がきている。図書館同士の話ではないので、ペンディングにしている」と答えた。館長である私がイエスと言わない限り、首長の指示といえども、という姿勢であった。

広域利用の是非はここでは議論しないが、上下関係ではなく視野の問題である。首長の政策よりも図書館の論理を優先するこの館長を講師にしたことは、その講師が優れた実践家であるだけに、受講する若い図書館職員に他の行政分野との整合性を無視する考えを拡大再生産することになりかねない。

研修でうちわの講師によるうちわの論理の刷り込みは、「実用記事満載!」という内容に限りますねえ。学びて時にこれを習う、であります。

 

 

 

 

ラストダンス

 

スチーヴン・キングといえば、フランク・ダラボン監督の映画「グリーン・マイル」を観たが、長すぎましたねえ。疲れた。同じ作者、同じ監督、同じく刑務所を舞台にした「ショーシャンクの空に」はおもしろかったが…(そういえばわが館にこのビデオはあるのに、この作品が収録された本がないのはどういうことか)。そのスチーヴン・キングは『グリーン・マイル』(97年・新潮文庫)を分冊方式で出版し話題になったが、こんどはアマゾン・ドット・コムと組み、ネットの書籍配信、それも11ドルの連載小説を開始したという。本があぶなくなってきた。

書店もあぶない。八百屋、酒屋、洋品店と同様に地域から消えていく。私は地元優先だから近くの小型店で文庫本は買うが、なにしろ雑誌・文庫本・漫画本しかない。取次店が配本しないのだ。ベストセラーも峠を越えた頃に並ぶ。近くの中型店はがんばっている。出版社のフェアとは別に、独自のテーマ別コーナーや地元作家コーナーを設けてたりしている。大型店は、単に量を誇る店と質に留意した店と二種類あって、しかし店員のマナーの悪さ、無愛想さがいやで、できれば避けたい。

 以前、テナントに書店をと思い、ある大型店の経営者と話したとき、人口3万ではペイしないときいた。購入者÷来店者の率の低さ、客単価の低さ(それに万引き率の高さ)など。ビデオ店の方が儲かるが、先行きは暗いし、と。別の経営者は、進出はしたいが、取次店がリサーチして絶対にだめだといわれた、と。

 書店も対策を講じている。ネット注文・書店渡し(コンビニ渡しに負けそう)、書店で印鑑販売をという取次店の動き(取次ぎが考えることかよ)、中古書店の併設、営業時間の繰り下げ(午後10時まで営業)、「坐り読み」のための椅子・机、喫茶コーナーの設置など。

 しかし他方で、コンビニの侵蝕、新古書店の増加、電子メールやファックスでの24時間注文受けつけ、先に書いたキングの例のように電子本のネット販売、著作権切れ小説のネットでの無料公開、小説の朗読のネット配信、メールマガジンの興隆、古書のネット通販、オンデマンド出版など。

ついに本が売れないのは図書館のせいだ、と出版社や書店が言い出している。たしかにベストセラーや文庫本をどんどん貸し出す図書館、読書人口をひろげる地道な活動を怠っている図書館への反省もしなければならない。だが、ながながと書店の話を書いたのではない。書店の部分を図書館と読みかえれば、「書店の努力、図書館の怠惰」という図式もあるのではないか。

ところで、エド・マクベイン『ノクターン』(00年・早川書房)のあとがきに2000年はマクベインの年だと書いてある。読み終ったらたちまち次作の『ビッグ・バッド・シティ』(00年・同)が出た。87分署シリーズは50作に達したという。第1作の『警官嫌い』(56年・ポケミス→早川ミステリ文庫)から半世紀近い。架空都市アイソラの刑事たちの物語。細部にこだわった無くてもよかったような饒舌な会話。あのマクベイン調は映画やテレビでは表現できない。

さて、第1作から読んでみたいとすればどうするか。ハヤカワ・ミステリを置く書店はほとんどないのだ。たしかこのシリーズが好きだという司書がいたはず、と思い念のため調べると、そのせいかわが図書館でももちろん全部読めます。

マクベインのシリーズ未訳の第50作は、「The Last Dance」。近作のタイトルを並べてみると、なにやら図書館や書店を暗示しているようでもある。

 

 

 

私文庫

 

 山田敏代のファンである。誰も知らないだろうが、プロレスラーである。ケーブルテレビでコスチューム姿の試合しか見たことはないが、女子レスラーのなかで唯一あるいは一番ジーンズの似合うレスラーではないか。

 有馬頼義の本を大事にもっている。探偵小説が推理小説とよばれるようになったころ、松本清張と並び称せられた作家である。三宮から新開地までの古書店で集めた約70冊が手元にある。

 この二つの共通点は何か。マイナー。マニアック。ちょっと違う。強くひかれる。かたく信じて疑わない。すなわち、思い込み、ですねえ。

 図書館職員は、本を寄贈されるのが嫌いである。迷惑がっている。ある議員から部屋をうずめている本を寄贈したいという申し入れがあった。知りあいのスナックのママから、本を寄贈したのに何の挨拶もない、と電話があった。前者は現物を見せていただいたうえ丁重にお断りをし、後者ははがき一枚をだした。

寄贈受け入れの決裁がまわってくる。著者から、発行者から、そして読み終わった本を市民からと、その数は月平均1000冊をこえる。その決裁である。信じられないことに、そこに寄贈していただいた方の名前が記されていない(匿名のことではない)。寄贈者軽視を端的にしめしている。

なぜ寄贈本を嫌がるか。それは、寄贈者のコレクションへの思い入れと館側のコンセプトとのミスマッチのせいである。全部まとめて○○文庫としてほしい。亡父の貴重な蔵書である。わがライフワークの自費出版である。寄贈したのになぜ書架にないのか。寄贈したのでVIPあつかいにせよ。

私の提案は、現在の2段階(特別コレクションと礼状一枚)との間に、個人コレクションという段階を設けようというもの。すなわち「私(わたくし)文庫」ですね。たとえば、個人・団体から100冊とまとまった寄贈があり、蔵書にはないものが含まれているなど評価できるものがあれば(もちろんなくてもいいが)、①「○○氏私文庫」という特製ラベルを貼る。②1週間、ロビーに展示する。③館長名の感謝状を贈る。ただし、これが大事なのだが、④寄贈本はまとめて保管せず、中央館、地域館、学校図書館、市民図書室、リサイクル本に分けて配置する。この了解を得るというもの。

 図書館はリサイクル処理場ではない、との意見もあるだろう。が、市民からの寄贈は、適切な言葉が見つからないが、いわば「市民参加」の一形態である。貴重本ではないが「読み終わったから」といつも継続して寄贈していただく方がある。読書週間に館長名で感謝状を贈りたいと思う。しかし躊躇しているのは、図書館職員に「感謝」のきもちがないと、そのプロセスが事務的になり、相手に失礼だと思うからである。

 ところで、なぜこんな雑誌を図書館に並べているのかと、ときに苦情があるものに『噂の真相』という月刊誌がある。じつは私は、79年4月の創刊号から現在までの250冊あまりをもっている(5冊欠落している)。メディア批判とスキャンダル史を研究するとき不可欠である。

捨てるに捨てられない。これは、思い込み、それとも、貴重本?

 

 

 

 

古典的な職場 

 

「日経ビジネス」(日経BP社)は週刊化される前から読んでいる。「会社の寿命は30年」とか「軽・薄・短・小」とかのキャッチコピーを生み出した雑誌である。視野がせまくなりがちな私にとって、経済の動きを知り、時代のトレンドを知り、企業からヒントを得るための必読誌である。ある号(990517)に、ある食品スーパーの社長のインタビュー記事がある。

「重視している経営指標は何ですか」という編集長の問いにこう答えている。「私がいちばんうるさく言っているのは投資回転率(売上高を投資額で割った比率。高いほど投資した資本を有効に使ったことになる)です。3回転以下になる投資は絶対にするな、とね」

これをヒントにポピュラー本の選書の「打率」を考えてみる。チーム(地域館)打率および選手(個々の本)打率を出す。つまり、書籍定価()×(その本の配架から1年間の)貸出件数÷年間書籍購入費(定価合計)、ですね。たとえば、書籍Aが年12回貸出しされたら、選手打率12.0です。またそれを積み上げ書籍トータル(定価の合計)が500万円で、チーム打率6.5の場合、3、250万円の効果があったことになる(本当はそこから人件費など諸経費を差し引きたい)。投資回転率が意味を持つのは、この投資効果であり、一点一点の打率リストである。

 この私のアイデアはもちろんポピュラー本に限っての話であるが、職員は嫌がるだろう。それはたとえば打率が3以下の本が、年間購入冊数の3割をしめるといったデータは、その館の選書基準や司書の「選書眼」がダメという評価にもなりうるからだ。

 ポピュラー本が「投資回転率」なら、専門書など発行部数の少なく単価の高い本の整備は何を基準にするか。考えられるのは、年間に出版されたタイトル数と図書館で購入したタイトル数との比較である。分野別に購入率を出し、「分野別タイトル指標」にもとづき中核的図書館としての基本資料をチェックしていく、あるいは得意分野を持つ図書館へシフトしていくという方法がある。

購入された資料が適正・適切であったかどうか、その評価の基準、評価の方法をもっと模索しなければならない。経験やカンによってうすうす気づいてはいても、数字的根拠がないと説得力をもたない。

この夏、登録者数などを基にして、各館の「1次利用圏域」を出した。これによって「1区1図書館」という行政区単位の「公平」な資料整備が、じつはいかにアンバランスであるかが明らかになった。たとえば、A区は人口10万人で、A館は蔵書数7.3万冊。市民1人あたり1冊を目標とすると、充足率は73%である。しかしA館の1次利用圏の人口は、実際には4万人にすぎず、充足率は180%である。B館は、1次利用圏がB区の行政区域と一致。充足率は37%である。5倍の差がある。これではA館・B館とも蔵書数や職員数を同じにしょうとはならないだろう。

私の仮説に「古典的な職場ほど、研修・表彰・統計の制度が完備している」というのがある。たとえば、税務事務・戸籍事務・統計事務などである。図書館事務もこれに並ぶように思う。そして同様に研修・表彰・統計が硬直化している。

蔵書数、貸出し数、司書数といった「図書館年鑑」にあるような古典的統計は、つねに量であり、質が見えない。館独自の生きた指標がほしいとしきりに思う。

「日経ビジネス」最近号(001009)に、企業が隠したがる部分をむしろオープンにするある電機メーカーの社長がこう言っている。「江崎玲於奈さんの『コントロールド・ケイオス(意図した混沌)』という理論ですね。池の水は何もしないと濁ってしまうから、つねに小さな石を投げこんで波立たせておきなさい」。これぞこのコラムの主旨だが、ま、しかし、小波も立たない。

 

 

 

 

「捨てる!」詐術

 

「『捨てる!』技術」(辰巳渚・00年・宝島社)100万部をこえたという。書店で目次だけ見てみたが、目新しいアイデアはなく、要は決断だけを説いているようにみえる。従来のペダンチックな書斎の整理法などでなく日常生活全般にわたるところが受けているのだろう。しかし「技術」とはおこがましい。

わたしは震災以降、捨てる派に転向した。最近もわが「冬支度」の手始めに、本を捨てた。郊外型の新古書店が引き取ってくれるというのでとりあえず2000冊ほど1万3千円で(ピアノは5万円で引き取ってくれたのに…)。お金の問題でなく、本を捨てることは思い出を捨てるのですね。これはつらい。ロバート・マキャモン『少年時代』(95年・文藝春秋→文春文庫)の「老人が一人死ぬということは、図書館が一つ消失することだ」というフレーズを思いだした。

ところで図書館にも「捨てる」派と「捨てない」派がある。例の「読ませたい本より読みたい本を」というベストセラー派と「読みたい本より読ませたい本を」という良書派ですね。すなわち、捨てる本派と捨てない本派である。この論争は、一冊の本ができるくらいそれぞれに論拠があるらしく、一方が「無料の貸本屋」と揶揄すれば、他方は「だれも買わない古道具屋」と反論。エンドレスの議論にうかつに加われない。そこで元同僚に登場してもらう。

昼休みに近くの図書館を利用する友人A。ベストセラーは買うのはばからしいが、話題に加わりたい。だからベストセラーを待たずに読めるよう何十冊も備えてほしい。どうせゴミになるから図書館の本をみんなで回し読みすればいい(と単純明快)。

ここ10年図書館を利用したことがない友人B。「多くの市民が利用する図書館がいい図書館」、これは議論の余地がないけれど、「貸出し数の多い図書館はいい図書館」、「蔵書は利用者の要望を最優先する」って問題ですね。それって耳ざわりがいいけど、そういうの「バラマキ福祉」というのじゃないんですか。ポストの数ほど○○を、という手垢によごれたフレーズがいまだに通用しているなんて。  

他方、たとえば継続性を重視するあまり、もはや存在理由を失った雑誌を(内心で廃刊を願いながら)購入している資料マニアともいうべき「捨てない」派がありますが(と、わたし)。うすぐらい帳場に坐り、売りたくない本ばかり集めている古書店主のような孤高のイメージですねえ。 「定点観測」だけでは時代の雰囲気を、ドッグイヤーの動きを、つまりは利用者の気持ちをとらえられないでしようね。

(以下、要約すると)この論争は、市民の立場といいながら、利用者個人ばかりを問題にして、コミュニティという視点がない。たとえば、図書館も書店もない山間の村が、図書館を作らず書店を経営することを選んだ、というコミュニティの(苦渋の選択の)知恵がない。地域性を無視した論争である。

もう一つ、行政の公平性とは何かという面も欠けている。図書館利用派に迎合し、図書館を利用しない派をますます遠ざけてしまう。「喜ばれたから、いい仕事をしている」、そんな短絡的なものではないでしょ。一人が100冊の本を利用するより、一人ひとりがちがう一冊の本を利用できる図書館であってほしい。一年に一度しか利用しないが(そんな利用者を)満足させる図書館。その実人数をどれだけ増やせるかでしようね(と利用しない派のBは続ける)。

この論争がエンドレスなのには理由がある。いくら主張しても、資料費が潤沢でないので、主張を具現化できないのである。まあ、それにしても予算がほしい、と嘆いて、論争はイーブン。とりあえずつぎのゴングがなるまで休息に入るのである。

その友人Bが初めて図書館へ行った。あのー、テレビで、幼児が母親に頼まれて買い物にとか父親に忘れ物を届けるとか、初めてのおつかいって番組があるでしょう。あれをやってください(と、わたし)。

そしてBの初めてのおつかい図書館編。そうね、結論からいえば、職員はだれもが親切でした。いろいろ調べてくれて丁寧に教えてもらいましたよ。でもね、よそから取り寄せられますが、じゃあしようがない。図書館って、こんなに本が少ないところとは…。それに第一、あの図書館カードの文章は何ですか。ふりがなを振ればいいってもんじゃないでしょ(以下、延々と続くので省略)。

 

 

 

 

プレッシャー・グループ

 

 「本の雑誌」のバックナンバーは、もっとも古い12号だけを残し、捨ててしまった。地方・小出版社流通センター扱いに、また隔月刊になった号で(実際は年4、5冊しか出なかったが)、志を同じくする者たちの同人誌という色彩がつよい。発行人・目黒考二が北上次郎と同一人物と知られていなかったし、編集長・椎名誠が昭和軽薄体という文体で最初の本『さらば国分寺書店のオババ』(79年・情報センター出版局)を出すのは、この半年後である。新入社員の木原ひろみと紹介されているのは、のちの群ようこである。

 私も参加させてもらっていたパソコン・ネットのある句会で、有志が俳句結社をつくった。絵本作家、医師、学生、主婦など平均年齢30歳くらい。私は「本の雑誌」のメンバーのようにやがてメジャーになるだろうと予言した。そして俳句の分野ではないが、同人の俳号・木星さんは芥川賞作家となり、青花さんはファンタジーノベル大賞を受

賞した。この結社は今も続いているのだろうか。

同人誌とはまったく異なるが、「図書館雑誌」というのがある。社団法人日本図書館協会の「機関誌」である。タブーがいくつかあって、その一つが、意見は文献をずらりと並べた論文調で書かなければならない、という「結社」である(もちろん冗談である)。図書館を語るのになぜ市民に分かるような言葉で書かないのか不思議だが、どうも学会志向の雰囲気がある。

協会の発行する『図書館年鑑1999』は3センチもある分厚い本だが、最初の「概況総説」をみると、結論部分に「図書館員の専門性に疑問を投げかけるような動きもあるが、図書館に司書がいることがサービスの質を保障すること、図書館の効率的運営、図書館政策の策定に果たす司書の役割を明らかにし、広く国民の合意と支援を得られるよう努めなければならない」とある。 何十年繰り返されているような空疎な文章である。これじゃ文部省の課長に「図書館は国立国会図書館1つあればいい」と言われてもしようがない。圧力団体の時代ではないが、パワーがないのである。

医療や福祉の新しい専門職種が国家試験なのに、なぜ司書・学芸員は専門職として確立され、国家試験にならないのか。公式には司書を「専門的職員」とよぶならわしのようで、「専門職員」と認知されず、「的」がつく。的とは何か。…の方面での。…のような。…らしい。…にかなう。さてどれだろう。

「的」と呼ばれる不運の理由をいくつかあげてみる。

① スペシャリスト、プロフェッショナル、エキスパートという言葉は、ある分野を「深く(結果として、狭く)」精通しているイメージであるが、司書は逆に、大学図書館や専門図書館は知らないが、「広く(結果として、浅く)」が求められている実態がある。

 ② 司書のほとんどが公務員である。なにしろ司書の守秘義務にしても奉仕者としての立場にしても、それ以前に公務員としての職務なのである。司書という専門職だからというしばりではない。

③ たとえば医師、建築家などは医療や建築の現場で多様な専門職と共同作業を行い切磋琢磨する世界である。司書にはパートナーがいないため、内側の司書だけの世界にのめりこんでしまう傾向がある。

 ①に関連していえば、「反専門」のイメージをくつがえす実績が見えてこない。②では、そのことが司書は司書と公務員とをたくみに使い分けていないか、という疑問につながる。あるときは専門職であるといい、利用者の多い土日は公務員であることを優先するといった…。③では、ネットのホームページで図書館員の(上司や利用者を揶揄する)日記がいくつかあり、孤立した職種のイメージがある。同人誌の結社のように、司書だけの集団で団結すればいいが、支部ブロックの役員のなり手がないので分かるようにまとまりがない。これでは司書に局長級・部長級があって当然なのに、生まれないだろう。

図書館協会は、司書の集まりとしてスタートしたときいたことがある。協会は、個人会員に自由な発言を保障しているのに、組織を動かすときは司書でなく図書館という公的なものでしか動かない。司書が集団として自立していないのである。情報の世紀にこのまま司書の弱体化が進めば、図書館ではなく情報センターと名のつく施設ができ、司書とは別の「情報士」を配置する時代がくるかもしれない。

司書は視野が狭い、と館長や当の司書がよく口にする。断言するが、決してそんなことはない。それは自立できない者が言い訳に使っているにすぎない。司書に求められるのは「みんなで黙れば怖くない」という受身の体質を改めることであろう。そして専門性を生かした攻めの仕事を序々に増やしていかなければならない。利用者という圧倒的多数の応援団がいるのだから。

 

 

 

 

カフェ・ビブリオ

 

 ニュータウンとよばれた地域がオールドタウンと化している。ここを第2のふるさととして移り住み、小さな子どもたちとマイホームを築いた夫婦たちは、いま成人した子どもたちが離れていき、年に何度か子や孫が帰ってくるのを楽しみにしている。まちづくりのリーダーたちも高齢化し、地域のテーマは高齢者同士どう支えあっていくか、である。

ピーク時の3割程度になったとはいえ、小学生・中学生はいる。少子化で子どもたちは大切に育てられているはずと、コミュニティ施策は高齢対策にシフトした。しかし子どもたちは、町のイメージは「白色」と答え、町に一番ほしいものは「自販機」だという。

この町に生まれた子どもたちが、わが町をわがふるさとと誇りをもっていえるようなコトやモノの思い出のつくられる町にしたい。コミュニティの育成・支援とはこういう仕事である。コミュニティに密着した図書館はこの文脈で考えなければならない。

図書館は、カルチャー、コミュニティ、そしてコミュニケーションという空間・時間・人間関係の場でありたい。

高い天井の下、雑誌の低い棚に囲まれて、6人がまわりを囲めるテーブルが10卓あり、人は思い思いの時間を過ごす。朝から子育て奮戦中の主婦たちの情報交換、午後は宿題をする小学生たち、夜はビジネスマンのボランティア・グループの打ち合わせなど。テーブルごとに賑やかなざわめきがある。大声はだめだが、静かさにこだわらない。受験生たちはヘッドフォーンをつけ音を遮断している。もちろん一人で雑誌を見ている人もいる。カウンター式厨房からとりよせたコーヒーを飲みながら。

 開架式書庫がある。書庫の本はここで「買う」ことができ、「借りる」ことができる。またわが町の歴史や現在進行形のまちづくり資料などがそろっている。

一人用のブースがある。パソコンはインターネットはもちろんのこと、辞書類がインスツールされている。ここで営業活動をやる人も、原稿執筆している人も、DVDを見ている人もいる。

伝言板がある。個人の伝言もあれば地域や学校の行事案内もある。アタッシュケースほどの大きさの月ぎめ貸しロッカーがある(私書箱ですね)。作業中のノートやフロッピーを保管する。

 幼児コーナーも必要ですね(ここに子どもを預け買い物に行く主婦がいる。ま、いいか)。営業は9時から9時。もちろん土・日・祝日も開館です。司書は本好きである前に人好きである。館内管理はウエイター役もふくめサラリーマンOBたち(蝶ネクタイ・ワイシャツ姿を義務づけたい)。非営利法人が運営する。たとえば北須磨地域名谷駅前には、こんな図書館がほしい。ここに来て孫たちにこの町の昔話をきかせてやる人も、やがて現れるだろう。

 これは図書館ではない、という人に反問したい。貸し出すという機能に特化された図書館は図書館といえるのだろうか。居心地のいい空間は自宅の書斎で実現すればいいのだが、人は本を求めるがコミュニケーションも求めているのである。図書館は人恋しい場でなければならない。

さて、初夢はこれくらいにして…。工藤美代子のエッセイに「誘惑の場所」というのがある(990623・日経夕)。外国で、まずまちがいなく「安全な」男性から声をかけられる「安全な」場所があって、それはその町の図書館や公文書館だという。(日本ではもてないのに)キャンベラやトロントで上品な紳士や大学院生に食事を誘われたりした例を示し、男が近づいてこなかったためしがないと。「これは本当に不思議なことだ」と書いている。うーん。これも理想の図書館?

 

 

 

 

述べて作らず

 

こんな噂をきいた。神戸在住の作家・陳舜臣氏がその蔵書を市に寄贈しようとしたら、図書館はスペースがないからと謝絶したというのである。念のために過去10年の間の館長・課長全員にたずねたところ、そんな話はきいたことがないという。当然だろう。もし事実とすればだれもが飛びつく夢のようなありがたい話である。

 以下のことは私的なことなので秘しておくつもりだったが、この噂に関連し、私の一つの夢とその挫折の話を書き留めておきたい。

昭和38年、私は山本通に下宿していた。休日に東へ北野町あたりまで散歩すると、小松益喜画伯が異人館を描いているのに出会ったりした(後に氏の異人館作品群は市に寄贈された)。人通りの少ない閑静な住宅地で、魅力的な町並みであった。洋館でなく異人館という呼称を知ったのは、多分、昭和37年に市教委から出た文化財報告シリーズの「神戸の異人館―居留地建築と木造洋館」だと思う。それとも陳舜臣氏の初期のミステリ、名探偵・陶展文のシリーズだったか。陶展文

は北野町の住人で(陳氏も当時北野町に住んでおられた)、海岸通りの中華料理店「桃源亭」主人である。昭和36年に処女作「枯草の根」(江戸川乱歩賞)で登場し、翌37年、「三色の家」、「割れる」でも活躍する。うろおぼえであるが「弓の部屋」は異人館が舞台ではなかったか。陳氏はたちまち躍り出たという印象であった。ついでに書けば、NHKドラマ「風見鶏」で北野・異人館が観光ブームとなるのは、ずっと後の昭和52年以降である。

その頃私が愛読したのは「神戸というまち」(昭和40年・至誠堂)である。いまわが書棚から取り出してみると、裏表紙に司馬遼太郎氏が、陳氏のことを「この感受性と学殖のゆたかな畏友について語るには、こういう短文はふさわしくない」としたうえで、「神戸という、日本でもっとも都会的な町の、その町しか生みようのない生活感覚のもちぬし」と紹介している。

いちばん身近な都会というだけで神戸市に勤めはじめた私は、この本で神戸というまちの魅力を知ったのである。「神戸ものがたり」と改題された改訂版が出ている(昭和56年・平凡社→平成10年・平凡社ライブラリー)。市に採用された若い職員はまずこれを読み、神戸を好きになってほしいと思う。

たとえば、この本で「(旧居留地の)消えた建物のなかで、最も壮麗だったのは、南方ふうのあかるい香港上海銀行と、ルネッサンス様式のオリエンタルホテル」ということを知った。

 私の知っているオリエンタルホテルは、このルネッサンス様式のものでも、のちに大震災で壊滅したものでなく、戦後再建されたもので、昭和30年代に審議会の会場などでよく利用した。神戸の香港上海銀行の建物は知らない。この銀行の建物といえば、香港のそれはランドマークになるほど目立った現代建築だ。上海にある旧香港上海銀行は「偽りの正面」という外灘の西洋建築群のなかでも圧倒されるような新ギリシャ様式の巨大な建築である。神戸の海岸通りにある郵船三井ビルは、私のもっとも好きな建物だが、同じ旧居留地といってもスケールが違うのである。

私は陳氏の熱心な読者ではないし、当然お会いしたこともない。しかし、神戸で生まれ育ち、ときに神戸のことをエッセイなどに書かれ、神戸に拠点をおいたまま中国史を材々にした著作活動を続けておられる氏は、神戸の誇りである。泰然、悠揚という氏のイメージが神戸を豊かなものにしている。

その氏が、神戸市文化賞を受けられたのは昭和49年である。直木賞から5年後、中国古典シリーズともいうべき作品群の執筆が始まった頃である。その前後に、私はひとつのアイデアを思いついた。

陳舜臣記念館をつくろう。北野の異人館、たとえば萌黄の館を利用する。ここに陳氏の全著作を揃える。著作と神戸と海外とのかかわりを展示する。陳氏の著作を媒介とした交流の場としたい。そして氏の名を冠した国際交流賞と文化賞を設ける。ひろく産業界や学会をもふくめ本業での活躍により、結果として神戸のステータスを高めた人を顕彰する、といったもの。当時、行政は環境から福祉へ、福祉から文化へという流れがあったのである。

 職員が政策のアイデアをもったとき、インフォーマルな方法は別にして、それを実現するにはどうすればいいか。職員提案という制度が古くからあるが、これは提案されたアイデアを所管局が膨らませるというしくみになっていない。ではどうするか。自分がそのアイデアを具体化できるポストにつくことである。係長になれば5人分の、課長になれば20人分の領域に仕事がひろがる。だが実際に管理職になってみると、他の局にかかわることはアイデアといえども自主規制してしまうのである。   

平成元年10月の広報こうべに「神戸ふるさと文庫。来年4月、中央図書館に誕生します」という記事がある。陳氏が「市民の意見を貰って、丁寧に資料を集めてほしいですね」というコメントを寄せられておられる(当時の館長がふるさと文庫創設に際し、陳氏宅にご挨拶に伺い、コメントを依頼したという経緯があったようだ)。いま中央図書館のすぐ南に雑草のはえた更地があり、毎日その前を通っているが、当時そこは市医師会館検査センターであった。公的な立場の私の頭の中には、ここは仮称・看護交流センターの、そして私的な夢の中では、陳舜臣記念館の候補地であった。なにしろバブル経済下、行政施策を進める上でまず土地の確保が先決であった。北野町も土地が高騰、異人館を壊し店舗やマンションにとの噂があったのである。この内に秘めた夢は依然として夢のままであった。

そして、平成11年春、私は図書館勤務となった。古い夢がよみがえってきた。夢の端緒はできるかもしれない。陳氏の著作は図書館に多数収蔵されているが、まず欠落している著作を古書店にも声をかけ収集しなければならない。そこから始めようと思った。市立図書館100周年の平成23年には「陳舜臣文庫」となっているかもしれない。

それから間もないある日、朝刊で集英社の広告をみた。陳舜臣中国ライブラリー(全30巻)の刊行を開始するというもの。そこに早稲田大学に陳舜臣ライブラリーが設置されると記されていた。すぐ調べてみた。

 「早稲田大学図書館では、このほど作家・陳舜臣氏より、ご所蔵書籍・資料等ならびに自筆原稿・書画・文房具等の寄贈・寄託のお申し出を受け、これを「陳舜臣資料」として整理し保存することを決定しました。陳氏は直接には早稲田とのゆかりはありませんが、(中略)かつて、阪神大震災に遭遇し、身辺に資料をおくことの危険さを知った陳氏は、たいせつな資料を託すことのできる相手として、早稲田大学図書館を選んだのです」(同大学ホームページ)。

 ピリオドは打たれていたのである。なぜ神戸ではないのか。ひそかな夢がついえたその夏、私は友人をさそい西安と敦煌を訪れた。シルクロード入門編といった旅である。事前のテキストは陳氏の著作である。陽関で王維の詩碑を見た。君ニ勧ム更ニ尽セ一杯ノ酒。西ノ方陽関ヲ出ヅレバ故人無カラン(念のため書けば、故人は亡くなった人ではなく、古くからの友という意味である)。その夜敦煌のホテルで敦煌という地酒をのみながら、「火の酒を酌めば王維の詩爽やか」という句をつくり、長い間の夢とその挫折に訣別の乾杯をした。

 そして翌平成12年夏、冒頭に書いた噂を知ったのである。「述べて作らず」という言葉がある。氏のエッセイで知った孔子の言葉だ。事実だけを述べて、作り事はしない、という意味だろう。私は噂が市政批判の文脈のなかで語られることに不幸を感じる。名探偵・陶展文ではないので、謎を解くことはしないが。 

 

 

 

まぼろしの本

 

 昭和137月、阪神大水害。神戸高商の学生であった詩人・中桐雅夫は、大倉山の市立図書館の食堂の窓から雨を眺めていて、鉄砲水があっという間に町並みを呑むのを目撃する。それは「光る蛇のようなものが走った」感じであった。

 昭和208月、山本通りの異人館に住んでいた俳人・西東三鬼は天皇の放送をきき、泣けないことを「少しばかり恥じる」。のちに神戸を「頭蓋骨のいらない街」といっていいくらい物を考えないでいられる街だと書く。

 平成71月、行幸町の自宅が全壊し、閉じ込められた95歳の田荷軒・永田耕衣は、水こぼしを鳴らしながら居場所を合図した。のちに「枯草や住居無くんば命熱し」という句をつくる。

神戸市民であった各分野の著名人の代表的な著作を紹介する「神戸百人一著」を、図書館90周年記念としてつくろう、と提案した。一〇〇人一〇〇冊を紹介しながら、明治から震災までの神戸の街と生活を浮かびあがらせる。あわせて、神戸とのかかわりを重視した著作リストなどデータベースをつくる。職員が一人一編を担当すればいい。私は足立巻一を担当したい。ある司書によって一〇〇人のリストはできたものの、しかしこれは実現しなかった。いわく、「それは司書の仕事ではない」。おいおい、それはないだろう。

司書の専門性とは何か。たとえば、絶版後に需要の高まりそうな本を出版時に購入するには、知識と経験が必要である。だが絶版書を一冊からでも印刷するオンデマンド出版があらわれた。蔵書の書誌データは、学術情報センターや専門業者から入手できる。選書や蔵書点検を受託する業者もある。レファレンスも、情報の所在を明らかにする情報は、検索エンジンによって入手できる。まあこれらは四捨五入した話だが、しかし、では司書に残る仕事は何か。

 図書館の情報システムの高度化、「電子図書館」化の行く末に、どこでも「全国区」資料を容易に入手できるようになったとき、図書館の役割はそのブランチになることではない。自治体の図書館の役割は、これらの動きの中で対応できず、確実に欠落し埋没するだろう「地方独自の情報・資料」を蓄積し、発信することではないか。

かつて私は「常に″神戸の現在″を収集、蓄積し、時代の雰囲気と神戸の誇りを、次世代の市民に伝えたい」といった。「神戸百人一著」のねらいは「地方区」自立の実験である。本は結果であり、そのプロセスで独自のデータベースをつくり、そして司書の存在をアピールすること、それが主旨であった。

ともあれ図書館司書は、全国金太郎飴的図書館の中での自らの館の位置を気にせず、自治体の文化・教育・コミュニティ行政の中で地域に密着した機能やサービスを創造してもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

私の自由時間 (『上方芸能』136号)

震災で書棚の本が崩れ落ちて足の踏み場がなくなり、部屋をそのまま放置した。半年後、に落ちた本はもはや再読することはないと勝手に決め、すべて捨てた。そしてペーパーレスをめざし新たなパソコンを導入した。休日はその前ですごす。CDでクラシックを聴きながら。ときどき広辞苑ROM版に差し替え、言葉を探すこともある。画面はワープロである。で、一気に俳句つくる。できあがった句を、パソコン通信の句会へ投句する。

 俳句との出合いは、さらに五年前。オフィスの昼休みに古書店へ足を向けたとき、偶然「季寄せ」を見つけた。その頃、岩波文庫でわらべうた、唱歌、童謡など読んでおり、死語に興味をもっていたせいである。歳時記もまた「死語累々」であった。同じ頃、仕事でかかわりのあったある人がスピーチに立たれるとき、自作の句を引用し巧みに締めくくられるのが常で、傍目にかっこよく、挨拶下手の私はすぐさま真似ようと思った。

 そういう動機で俳句を始めたが、身近に句友、連衆がいるわけでもなく、持続させるために賀状に毎年一〇句刷り込むことを課した。そのうちパソコン通信での句会があると知り仲間に入れていただいた。

 しかし机上だけで句がつくれるわけがない。で、出かける。たとえば、京都へ。一句目は大沢池の龍頭船に白拍子が舞うイベント。

  祇女舞つて嵯峨に新樹の匂ふ寺

  寂庵のけふは門閉ぢ茄子の花

  春の夜のつひに縁なき祇園かな

たとえば、大阪へ。一句目は松竹座の新春歌舞伎ですね。

  初芝居はねて道頓堀に酔ふ

  鱧食うてお初天神裏そぞろ

  人形の右顧左眄する近松忌

パソコン・ネットによる句会。それは年齢、職業も知らず、未だにお会いしたことのない人たちとの私の自由時間である。

 大震災は年を経るごとに心に()が立つように残り、かろやかな感覚の神戸っ子のライフスタイルを変えてしまったような気がする。もともと新書判のような軽い街。句も軽くかるくありたい。そういう句ができるようになれば、わが心の震災復興と言えるだろう。

 

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