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100歳という生き方、そして播州弁のこと

 滋味 中島

 

住んでいる播磨の版ではなく神戸版を入れてもらう条件で、わが家は朝日新聞を永年購読している。仕事をやめた今はその必要はないのだが、そのままだ。地域の情報はもっぱら神戸新聞Web Newsに頼っている。

新聞のWeb版は、asahi.comにしてもYomiuri On-Lineにしても、印刷された紙面よりもニュースが早い(典型的な例はnikkansports.comのタイガースの試合速報。詳報である)。神戸新聞は遅く、その日の朝刊の紙面であるが、しかし地域版が読めるのである。神戸、明石、東播、姫路など兵庫県内が1 2の地域に分かれていて、クリックすればその地域の話題を知ることができる。

 

200449日の東播版に、こんな見出しがあった。

――秘けつは「夢追うこと」万葉研究家・中嶋さん100

リード部分にこうある。

――万葉研究で知られる国文学者で歌人の中嶋信太郎さん=稲美町北山=が、九日で満百歳を迎えた。万葉集に「印南野」と詠まれた故郷をこよなく愛し、地域文化の発展に尽力してきた四十年。現在も月数回、歌会に出席するなど普及と指導に情熱を注ぐ日々。「百歳は通過点。欲を持ち続けてまだまだ頑張りたい」と、かくしゃくとした笑顔を見せる。

 

中嶋先生のことは、畏友・永利氏から、「まもなく百歳なのにほんとうにお元気です。体はさすがにすこし弱っておられるが、惚けがまったくない」とよく聞かされていた。

じつは、中嶋先生は、永利氏(私の1年後輩)や私が高校生のときの教頭先生であった。役目がらいつも沸騰したやかんのような怒り顔でおられたような記憶がある。厳しい校風で、登校時の校門前での服装検査で、無帽の私は追い返されたことがある。冬に寒稽古があり、授業前に、男子は柔道か剣道、女子はランニングが課せられた。そのことよりも朝が明けていない暗闇の中の登校がつらかった。

中嶋先生には高校卒業以来数十年お会いしていないが、本誌『印南野文華』をとおして知っている。

 

2001911日に米国で同時多発テロにより世界貿易センタービルおよび国防総省が破壊された。これに対するブッシュ大統領の軍事力によるテロ撲滅の報復戦争に関し、中嶋先生は「恩怨の弁」と題して、孔子、老子を引く。ある人曰く、徳を以て怨に報いば如何と。子曰く、何を以て徳に報いん。直を以て怨に報い、徳を以て徳に報いんと。(孔子「論語」)

孔子は、怨みに対して復讐し報復すべきではない、自らは正しい道、天下の法に任せるべきだ、という。良識に従う。対症療法である。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。(老子「道徳経五千言」)

怨むべきことには恩徳(恩恵)を施すことでお返しする。老子は根本療法である。

どうも引用、要約が下手で申し訳ないが、結論はこうである。アメリカが報復の戦いを実行したのは、国連が十分成熟していない現状からやむをえないが、できるだけ早く、怨みに報ゆるに徳を以てする道に軌道修正せよ。

事件から2か月後に書かれたゆるぎのない論調である。

 

論陣をはるだけではない。先生の歌集に『海に立つ霧』(武蔵野書院)というのがある。タイトルは万葉集の、

――君が行く海辺の宿に霧立たばあが立ち嘆く息と知りませ――からとっている。遠い異国へ旅立つ夫への妻の歌である。で、先生は、海の歌の多くは旅の歌→旅の歌は旅先にあって家を思い妻を恋う歌→思いを募らせるのは宿、と続けて、「さらにまた海辺に立つ霧は互いに思う嘆きの息として哀切の思いをそそる」

と書く。その万葉人を思い浮かべて西日本各地を歩いた歌集は、80歳のとき上梓されたもの。遊女伝説の室津での一首。

――道の辺に咲けるカンナの赤きさへ室津は悲し古き伝へに

 

神戸新聞の記事の最後にこうある。

――一世紀の歩みを振り返っては「長かったですねえ」。酒、たばこは一切せず、規則正しい生活を送る。長寿の最大の秘けつは「絶えず夢を追いかけること」ときっぱり。「今は、百歳を記念した歌集を出したい」と感慨深げに語った。

それにしても、この記事の、

「と、かくしゃくとした笑顔を見せる」

「と、意欲を燃やす」

「ときっぱり」

「と感慨深げに語った」

といった新聞特有の紋切り型の文章を、先生はうんざりしながら読まれたことだろう。もし記者が教え子なら添削されたに違いない。

 

それはともかく、中嶋先生のやりたいことが次々あって、それをやりとげるための柔らかい生き方がうらやましい。私たち、60代で老いたとか金だ病いだストレスだと一喜一憂するかつての教え子たちに、100歳の生き方を身をもって示しておられる。

いま思えば100歳でなおも第一線でご活躍の中嶋信太郎先生の授業を当時受ける機会がなかったのは不運だった。それから40年後、私は中嶋先生のお世話になっているのである。

 

『俳句α (アルファ)』は毎日新聞社から出ている隔月刊誌。そこに「俳句ちょっといい話」というコラムが連載されていて、筆者は森英介という人(最近、実業之日本社から『優日雅・夏目雅子ふたたび』を上梓された)。マルチメディア関連の会社の専務をされているが、もともと毎日新聞の記者。「駆け出し」のころ5年ほど神戸支局におられて、神戸は今でも最も好きな街の一つだとおっしゃる。電話やメールのやりとりで、「死語にこだわる」(200223月号) というタイトルで私が登場するコラムを書いていただいた。その終わりの部分。

――生まれは神戸の西隣の播州。定年を機にまとめた句集『水の家』を出版してからは、故郷に目が向き、最近は「方言俳句」に挑む。絶滅寸前の方言という死語を何とか句の中に残したい。十七音の中に季語とともに盛り込むのは難しいが、自分にとっては当然の帰着という。

 

そのころ、方言俳句こそわが道と思っていて、そうしゃべったらしい。現在は中断しているが、あきらめてはいない。この方言俳句の参考書が、

中嶋信太郎『播磨加古郡北部方言記録』昭和47915日武蔵野書院

松本多喜雄『播磨方言拾撥(しゅうてつ)』昭和581210日太陽出版である。

この中嶋信太郎とあるのが中嶋先生で、お世話になったとはこの著書のことである。凡例に「播磨国加古郡北部とは、現在の兵庫県加古郡稲美町のこと」、そして「かつての天満村北山部落」で採集した、とある。念のため書くと、加古郡はもともと加古川市や高砂市の大部分、明石市の一部を含むが、現在は稲美町と播磨町の2町からなる。北部の稲美町は天満村、母里村、加古新村が合併したもの。

南部の瀬戸内海に面する播磨町はかつて阿閇村といい兵庫県で一番最後の村だった。わが故郷である。凡例には「採集は主として昭和6年から18年ごろに行ったもの」とある。とすると、中嶋先生が40代に集め、68歳出版された本ということになる。

この本を参考につくった拙句。私の祖母は天満村金守出身で、以下の方言は祖母が実際に使っていた。

 

注達飾る西ら東らうちねえも

屠蘇重ねもうだんだいでだんだいで

雛の日のばあちゃんの膝めげてまう

かんかんを蹴れば夕立もうのんの

よう照った西瓜かげらの午睡かな

端居しておかん土偶になっとうど

夕暮れはさえらの焼けるかだがする

おとどいで夜さり微熱の野分立つ

虫籠やおおけなおっつきさん出とってや

風邪の子のみっきーやんぴどっちやね

早稲一反刈っておおけな空でける

ごっとはんしいな祭りに遅れっろ

てぼ打って日記の夏のおしまいど

ファウルの球てくさりを折ってもた

おとんぼのませでよわみそ兜虫

 

西ら=西隣りの家。うちねえ=わが家。だんだい=差し障りがない。大事ない。かんかん=空き缶。のんの=帰るの幼児語。照る=熟れる。かげら=陰。さえら=さんま。かだ=匂い。おとどい=兄弟姉妹。夜さり=夜間。おっつきさん=お月様。みっきー=たんま。やんぴ=止める。おおけな大きな。でける=出来る。ごっとはん=ごちそうさま。しいな=しなさい。遅れっろ=遅れるぞ。てぼ=点。

~ど=~だ。てくさり=彼岸花。おとんぼ=末子。ませ=早熟。よわみそ=弱虫。

 

息子が幼稚園へ行き始めて、わが家で忘れられていた播州弁をおぼえてきて、懐かしい思いをした記憶がある。それから30年後のいま、孫娘が保育園に行き始めても、そういうことはない。孫の世代では大部分の播州弁が消えてしまうのだろう。

 

20022月に姫路のNPO法人コムサロン21・播州弁研究会が『播州弁句集』を発行したと知り、姫路駅前のじばさんビルまで買いに行った。同法人はその前年に、名所・名物と播州弁をおりこんだ「播州弁かるた」を作成しており(見ていないが)、その応募1500句から700句を選んで編んだのがこの句集。結論をいえば、しろうとの川柳を集めてスタッフがはしゃいでいる、という印象。優秀作品ベスト10というのがあって、

せんどぶりついほとばしる播州弁

さぶい旅西行・芭蕉・山頭火

飯を炊くのは女とちゃうで炊飯器

といった句が並べられている。

「播州弁かるた」48枚のうちベストテンという記述もある。すぐれた句ではなく、方言らしい方言という意味のベストテンらしい。

せんどぶり(久しぶり)、だてこく(着飾る)、べっちょない(大丈夫)、まくれる(落ちる)、どっさり(沢山)、はたえる(暴れる)、たいてやない(大変ですね)、ぜっぺ(是非)、おんまく(力一杯)、ごっとはん(御馳走さん)と並ぶ。筆者はおそらく姫路以西の方でかなりご年配ではないか。私は半分しか知らない。

 

ところで2004年に神戸新聞の「播州弁ってなんどい」という連載企画で、「好きな播州弁」600票のうち、ベストテンは以下のとおり。

べっちょない(だいじょうぶ)、ぎょうさん(たくさん)、だんない(だいじょうぶ)、~たった(しておられた)、ごうわく(腹が立つ)、まは、だは(~しましょう)、いぬ(帰る)、だっちもない(取るに足りない)、でえしょん(どうしてるの)、らく(だいじょうぶ)

方言が話題のなるのは、姫路の例では「ふるさと自慢」「まちおこし」のためである。しかし、と考えてみて、これはいま流行の「スローライフ」の一つではないか、と思うに至った。

 

しかし私にとっての効用は、内心播州弁で毒づくことでストレスを解消することにあります。

なんかしとんねん。なんどい、ごうわくな。だっちょもないごじゃいいやがって。それがどないしたいうねん。せえらあていうとけ。なにしとんどい。ぶちましたろか。けったくそわるいな。どくしょいめにあわっそ。

 

といったことで、ぼちぼちと播州弁俳句をつくっている。方言も時代とともに変化するし、いやそれ以前に消えつつある。中島信太郎「播磨加古郡北部方言記録』を復刻したり、新たに平成版「播磨加古郡北部方言」を採集するのも、印南野半どんの会の大事な仕事かもしれない。

 

(印南野文華47号 2005130日)

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