田崎健太■球童 伊良部秀輝伝
08/メディア的日常 - 2014年08月26日 (火)

若くして財産を作り仕事を辞めて、温暖なロサンゼルスで悠々自適の生活を送っている人間も少なくない。
彼らはゴルフをして毎日を過ごしていますよと星野[太志]が話を振った。自分はそんな生活はできないと伊良部は首を振った。
「人生のチャプター・ツー(第2章)がある人は羨ましいですよ」
伊良部は野球のなくなった「第2章」の頁(ページ)をうまく開けず戸惑っているようだった。
「いずれ日本に帰るんで。それは頭の中で決めています。ここに永住する気はないんで」
■球童 伊良部秀輝伝 │田崎健太│講談社│ISBN:9784062188944│2014年05月│評価=○
〈キャッチコピー〉
伊良部秀輝。享年42。多くの人とぶつかり、誤解されながらも、野球を深く愛し、活躍の場、自分を認めてくれる場を求め続けた伊良部秀輝の長い旅路を描き切った人物ノンフィクション!
〈ノート〉
タイガースの野球中継で、元タイガースの金本知憲(1968~)、矢野燿大(1968~)、下柳剛(1968~)のトリオが解説することがある。元同僚と顔を会わせるのが楽しくてしようがないという雰囲気。現役時代お立ち台に立っても無口だった下柳も無口ながら解説役を楽しんでいる。
メジャーリーグで活躍した伊良部が2003年にタイガースに入ったとき、日ハム下柳、広島金本もトレードで阪神入りした。この年、優勝。伊良部と下柳は、投手仲間として投球フォームを話し合ったり、いっしょに酒を飲んだりカラオケで歌ったりした。あるとき下柳の携帯がしきりに鳴った。伊良部が泥酔しガールズバーを壊したことを知った友人たちから一緒じゃなかったかとの心配の電話だった。
伊良部秀輝。1969~2011。沖縄生まれ、尼崎育ち。香川の尽誠学園から1988年ドラフト1位でロッテオリオンズへ。1997年ニューヨークヤンキース。2003年日本に復帰しタイガースへ。2年で退団。NPB、11年、72 勝69敗、防御率3.55。MLB、6年、34 勝35敗、防御率5.15。数字だけ見れば大したことはないが、孤高の超速球投手だった。
2011年7月、伊良部秀輝はロサンゼルスの自宅で自ら命を絶った。
著者は書く。取材開始前……。
――ずば抜けた才能を持ちながら、どこか子どもじみている。バランスが悪く、世の中を上手く渡っていけない――同年代として気になる男だった。
取材後……。
――伊良部は柔らかな関西弁の、繊細で知的な男だった。ただ、その裏側に自分の感情を抑えられない粗暴さを隠しているようだった。(本書)
離婚問題、野球での再起不能、ロスアンゼルスの店の経営問題、酒への逃避、引きこもりなど、複合的な理由で発作的に自死を選んだのだろうが、当方がもっとも気になるのは、「まだ40になっていないのに、定年の人の生活送っている」という発言である。
「ミッドライフクライシスになっちゃった。なんていうのかな、虚無感。心に穴が空いたみたいな。それが最近つらいですね。何もしないで、ぼうっとしているでしょ。何もしない自分に罪悪感を感じる。何もしないと世の中から取り残されていってしまうみたいな」(本書)
なお、メジャーリーグ移籍を巡っての伊良部サイドと重光昭夫ロッテオーナー代行との権謀術数を尽くしての“闘い”は本書の圧巻。
〈読後の一言〉
野球技術では理論派だが、いつもふてくされた顔をしてけんか腰で取材陣に対応するイメージから、コーチとしても解説者としても声がかからなかった。当方60歳を過ぎて職域から地域へのソフトランディングに失敗した経験があるが、40代前半で現役を終えるプロのアスリートたちの人生第2章はほんとうに難しい。
〈キーワード〉
プロ野球 人生第2章 ミッドライフクライシス
〈リンク〉
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