船橋洋一■原発敗戦――危機のリーダーシップとは
08/メディア的日常 - 2014年08月29日 (金)

船橋 結局、第一の2号機が危機的な状況になって15日朝には、第一から約650人が第二に避難してきます。増田さんの方に、「第一から避難していくから受け入れ態勢を頼む」という指示が来たのはいつですか。
増田 いや、そういう指示を受けた記憶はないんです。
テレビ会議のなかで、私が
「第一の人間来ても大丈夫なような準備が終わったからいつでもどうぞ」と発言しているんです
が、これは事前にそういう指示を受けて「できました」と報告しているのではなくて、既に爆発の映像を見た12日の段階で、収容場所をつくるよう指示して、13日の段階で受け入れの準備も終えていたんです。
――第2章 「紙一重だった」増田尚宏(福島第二原発前所長)
■原発敗戦――危機のリーダーシップとは│船橋洋一│文藝春秋│新書│ISBN:9784166609567│2014年02月│評価=△
〈キャッチコピー〉
フクシマでは「あの戦争」の失敗を繰り返した。全体の最適解を見出せないリーダー、不明瞭な指揮系統、タコツボ化した組織、「最悪のシナリオ」の不在…。福島原発事故と「あの戦争」の失敗の原因は驚くほど酷似している。日本を代表するジャーナリストが二つの戦史を徹底検証し、危機下にあるべきガバナンスとリーダーシップを探る。
〈ノート〉
朝日新聞が「福島第一吉田所長調書入手。原発所員命令違反し撤退。9割が福島第二に」と報じた。
――東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。(2014年5月20日付け)
周到なことに英語版まで用意し、フクシマ第1原発の所員は所長命令に背いて9割が逃亡したと、世界に向けて拡散させた。その記者を記録にとどめておこう。宮崎知己、木村英昭である。
産経新聞は、2014年8月17日、吉田調書を入手したとして、朝日記事に対し、「ところが実際に調書を読むと、〔…〕「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない」などと反論した。
朝日新聞は、市民運動家出身の菅直人、“脱原発”の菅内閣を擁護し支援を続けた。また朝日記者のフクシマ本、木村英昭『官邸の100時間――検証福島原発事故』(2012)、大鹿靖明『メルトダウン──ドキュメント福島第一原発事故』(2012)は、菅直人と官邸スタッフの証言中心の“官邸御用達本”である。
上掲の第二の増田尚宏所長は、第一吉田所長の3年後輩。吉田は発電畑、増田は建設畑出身、「情の吉田、理の増田」、また「第一は吉田というリーダー、第二は増田というチーム」といわれた。3.11の前日、二人は用事があったわけではなく、「久し振りに飯でも食いますか」と会った仲間である。
さて上掲、船橋の質問に増田はテレビ会議で受け入れ準備が整ったと発言しているところから、第一の部課長級は退避するなら当然第二にと認識していたに相違ない。
第一原発の構内で全面マスクをかぶりバスの中で“待機”は考えられない。待機とは、準備をととのえ時機のくるのを待つことであり、いったい何を待つのか。“撤退”とは、軍隊などが陣地などを取り払って退くことである。そして“退避”とは、一時的にその場所から離れて危険をさけることである(いずれも「大辞林」による)。
第二原発では、テレビ会議で増田所長が呼びかけたように、「もしかすると、これから第一から怪我人が大量にくるかもしれない」と考え、怪我人のためにベッドと看護士を配置し、体育館を開放し食事の準備もしていたという。さらに「緊急時対策室にテレビ会議システムがあったので、向こうからどんな部隊がきてもいいように、そこは使えるようにしておきました」(本書)。
吉田所長の退避命令に伝言上の齟齬があったとはいえ、防護服に全面マスク、靴にビニールカバーをつけ、650人が順番にバスに乗るのである。免震重要棟の前にバスは何台、運転士は何人用意されたか不明だが、どう考えてもこれは規律を伴った組織的行動であり、朝日のいう“逃避”、“大量離脱”とはほど遠い光景ではないか。
ところで木村記者は前記の自著で、「論評や推断を排する」と見得を切っていたが……。同書では「地震発生時、第一原発には6415人がいた。その内訳は、下請けの協力会社の作業員5660人、東電社員は755人だった」と記している。社員はバスやマイカーで第二へ行ったとして、協力会社の作業員6000人超はいったいどうしていたのだろう。
政府の事故調査・検証委員会(ほかに国会、民間、東電の事故調がある)は、菅内閣時に設置され、野田内閣時に最終報告書が出た。「吉田調書」はおそらく菅官邸のスタッフから密かに朝日にもたらされ、3か月後安倍官邸のスタッフから産経(およびNHK)に意図的に流されたと思われる。
「吉田調書」は、時間の経過に伴う記憶の薄れ、記憶の混同等によって、事実の誤認の恐れ、また聴取時の心理状態や雰囲気、前後の文脈等をふまえないと誤解を生む、と危惧した本人の上申により非公開とされてきた。しかし朝日、産経等への流失によって本人の懸念どおりに。このため政府は2014年9月に全面公開することとした。
〈読後の一言〉
“反原発”の朝日にとって、福島第1原発の所長が“ヒーロー”であることに我慢できなかったのだろう。このところの朝日の“暴走ぶり”は、新聞というメディアの終わりの始まりかもしれない。
〈キーワード〉
「吉田調書」 待機・撤退・退避 福島第二増田尚宏 朝日・産経
〈リンク〉
船橋洋一 □カウントダウン・メルトダウン
門田隆将□死の淵を見た男――吉田昌郎と福島第一原発の500日
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