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高山文彦★宿命の子――笹川一族の神話

2015.02.25宿命の子

 「私の仕事…‥人生の根幹を突き動かしているのは、差別にたいする怒りです。私にとって、その原点とはなにか。それは父笹川良一をめぐってのことなんですよ。〔…〕

 戦後最大の被差別者はだれだと思いますか? ……私にとって、それは笹川良一をおいてほかにありません。

 40歳からの私の人生は、彼がうけたいわれなき途方もない差別、その汚名を晴らすためにあったんです


 このときも彼は、「笹川良一」というところに力をこめた。どちらの場合も声の底には深くはげしい感情が渦を巻いており、

 笹川良一こそ戦後最大の被差別者だとする、おそらくこれまでだれひとり思い浮かべもしなかった特異な見解を吐き出してみせるのだ。



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 まず興味深いエピソードのうち、いくつかを紹介。

 1977年バングラデシュのダッカ空港での日本赤軍による日航機ハイジャック事件。福田赴夫首相は、「人の生命は地球より重い」と、身代金600万ドルの支払い、超法規的措置として獄中メンバーを解放する。激怒した笹川良一は、ハイジャック機に福田が助けねばならない乗客がいたに違いないと調査。福田が米国大統領から友人の銀行家が乗っているので助けてくれと依頼された事実をつかむ。

 児玉誉士夫と笹川良一は同列で論じられるが、児玉は笹川の前ではつねに軍隊式の気をつけの姿勢だったという。児玉に対して、君は何億もロッキード社から貰い、秘書のせいにするなんて、世間には通用せんぞ、と叱ったという。

 創価学会の池田大作から笹川父子が料理屋に招待されたとき、池田は「陽平先生は立派になられて」と褒めた。「こいつを先生なんて呼ばんでくれ。まだまだ修行中の身だ」と一喝、二度と池田に会うことがなかったという。

 さて、曽野綾子が日本財団会長になって、これまでジャーナリズムがさかんに流布してきた言説「右手で汚れたテラ銭を集め左手で浄財として配る」をメディアは二度と口にしなくなる。財団幹部たちは曽野会長になっても基本的なことは変わっていないのに、ジャーナリズムの変貌ぶりに、悔し涙を流したという。

 なお、曽野綾子は自伝で、財団時代を詳述している。曽野が会長に就任した当時、モーターボートレースの総売上げの3.3%(現在は2.5%)が日本財団の事業費に充てられ、海運・造船関係と文化・福祉関係に補助金として分配される。その額800億円。

 そして笹川陽平のライフワーク……。

「ハンセン病はいまではブラジル一国を残して制圧された状態になりましたが、ブラジルもあと数年で制圧できると思います。〔…〕そして、これが最大の課題なんですが、ハンセン病者や回復者にたいする差別を全世界でなくし、回復者の社会復帰を実現する。ハンセン病は旧約聖書よりも古くからあって、忌み嫌われ差別されてきた病気ですからね。これを実現するにはあと100年はかかると思いますが、自分が動けるうちにその道筋をしっかりとつくっておきたい」

 著者は、広報係にならないぞとの意地で日本財団笹川陽平の取材を始めて、5年。陽平の無私の旅に同行しつつ、ここに“紙の記念碑”としてこの笹川陽平伝を上梓。父の悪名をはらす子の物語、ハンセン病制圧の闘い、戦後日本の裏面史として興味津々のエピソードが綴られている。

★宿命の子――笹川一族の神話│高山文彦│小学館│ISBN:9784093798631│2014年12月│評価=◎おすすめ│「日本のドン」の汚名を背負った笹川良一、ハンセン病制圧を担う笹川陽平の父と子の物語。

曽野綾子□この世に恋して――曽野綾子自伝

高山文彦▼どん底――部落差別自作自演事件

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