最相葉月★れるられる
08/メディア的日常 - 2015年03月20日 (金)

羊水検査がまだ日本に上陸していなかった時代に生まれた私は幸せだったのかもしれない。自分は生まれてきていいのだと無条件に認められていたのだから。
ところが染色体が一本余分にあることがわかる技術が開発されて以降、ダウン症をもつ子どもは生まれてきては困る人とみなされるようになった。
それまで等しくあった命が、等しくなくなった。
この先も技術が進めば少しずつ、生まれてきては困る人が増えていくのだろうか。
糖尿病をもつ人は困る、精神疾患をもつ人は困る、肌が黒い人は困る、髪が縮れている人は困る、太っている人は困る……というように。
いや、私たちはもうずっと前から切り捨ててきたのではないか。女では困る、男では困る、といって。
――第1章 生む・生まれる
*
生む・生まれる、支える・支えられる、狂う・狂わされる、絶つ・絶たれる、聞く・聞かれる、愛する・愛される、という六つの人生の受動と能動が転換する、その境目を描いたエッセイ。
ダイアログ・イン・ザ・ダークが紹介されている。
――「目で見ない展覧会」。展覧会場はまったく光が差し込まない暗闇である。〔…〕何も見えないということは、天井の高さも壁までの距離も奥行きも何もわからないということ。自分の位置がわからない不安に襲われる。〔…〕まわりからいろんな音が聞こえてくることである。〔…〕聴覚だけではない。触覚や臭覚も鋭さが増す。〔…〕ふだん自分がどれだけ視覚に気をとられていたか。眠っていた他の感覚が次々と目を覚まし、活性化していくようだった。(本書)
これと似た経験をしたことがある。直島の家プロジェクト「南寺(みなみでら)」である。安藤忠雄設計の小さな建物に、ジェームズ・タレルのインスタレーション「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」を展示。スタッフに誘導され、壁伝いになんどか折れ曲がりながら中に入る。真っ暗闇、どこにも光がない、という初めての闇の体験。暗闇の恐怖に目が慣れ、うっすらとスクリーンが見えるまで10分以上かかる。
実体験でもある。「暗闇はコミュニケーションするためのメディアです」などと言っておれない。本書でいう境目を越えたのである。
当方、目が弱点。飛蚊症は子どもの頃からだし、最近は月に二度ほど閃輝暗点に悩まされている。そしてあるとき散策の途中で、左目が突然、カメラのシャッターが下りたようになった。見える右目を閉じると、真っ暗闇になった。どっと冷や汗が出た、あの恐怖の5分間は忘れられない。翌日脳外科を受診した。一過性黒内症。
著者の父は、舌と喉にできた悪性腫瘍のため、発声に関わる器官と舌をすべて切除したため、亡くなるまでの9年間一言も声を発することができなかったという。
――そんな父がある日、メモにこう書いた。
「声も嗅覚も味覚も失って初めて、視覚を失うことが一番つらいとわかったよ」(本書)
スマホに呪縛され、ラインだとか、ツイッタ―だとか、メールだとか、文字情報だけでコミュニケーションを図っている若い人たちに薦めたい。
――言い淀んでいるのか、ため息まじりなのか、はずんでいるのか。微笑みながらなのか、しかめっ面なのか、あせっているのか、怒っているのか。相づちや沈黙、日の表情もまた。その人の存在そのものがコミュニケーションである。(本書)
★れるられる │最相葉月│岩波書店│ISBN:9784000287296│2015年01月│評価=◎おすすめ│こちらとあちらは紙一重。支える・支えられる、狂う・狂わされる、絶つ・絶たれる……。
最相葉月■セラピスト
最相葉月■最相葉月 仕事の手帳
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