尾崎真理子★ひみつの王国――評伝石井桃子
02/作家という病気 - 2015年06月05日 (金)

石井の方も、広い交際範囲のわりには、いくつになっても人見知り、人嫌いのところが残っていた。
自宅への来客は、相手が長年の親しい友人であっても、石井にとって非常に負担の大きいことだったと「かつら文庫」の関係者たちは証言する。
来客がある日は朝から玄関にスリッパが人数分、揃えられていたから、その緊張ぶりが一目で伝わった。そんな日には階段の上り下りを繰り返し、無事に面会が済んだ後も、リラックスするまで何日間もかかったりした。〔…〕
「石井桃子は子ども好きだっただろうか?」。
私は石井にゆかりの人々に取材するたびにこの質問を繰り返した。すると、ほぼ全ての人々から「ノー」に近い答えが返ってきた。
石井は子どもだからと言って、特別に関心は持たなかった。
*
石井桃子の評伝、101歳の生涯を500ページを超える大冊に綴ったもの。
戦後まもなく、作家の中野重治は、子どもの本の世界について、「児童文学者たちは、悪出版社、悪官吏、悪軍人にこきつかわれ」、「夢想の羽ばたきが消え、冒険物語が消え、ユーモアと腕白とが消えて、小市民的に上品な、必ずしも下品ではないという程度のひよわな芸術が残ることになった」と酷評していた。
これに対し、石井はまわりの後輩たちに叩き込んだ原則……。
「世界の児童文学の古典を正しく伝えて、現代各国の児童文学の新鮮な傑作を紹介して、在来の日 本の翻訳児童書にあった杜撰さを改めて、正確で美しい日本語の決定訳を作ること」。
そして、「子どもの本は、目に見えるように書かな ければなりません。そして児童文学は書くんじゃなくて、子どもに語るものだ」と語っていた。
ところでゴシップ好きの当方が記録しておきたい話題。
井伏鱒二が太宰治が亡くなった翌年に書いた随筆「をんなごころ」で石井桃子に太宰が「相当あこがれていました」という話をしたら、「あたしだったら、太宰さんを死なせなかつたでせうよ」と答えたとある。
このことを石井本人は、「私なら、太宰さん殺しませんよ。」といったと書き遺している。しかし本書では……。
直接、石井から聞かされた太宰評は、この随筆のトーンとはまた違う、これも石井らしい、容赦ないものだった。「だって、太宰さんの訛りはひどくて、何を言ってらっしゃるのか、よくわからなかったから。あれじゃあ、愛は語れないわね」
――石井は若い頃から編集者、翻訳者、出版者、戦争中は秘書、戦後は農場経営、それから児童文学者、家庭文庫の主宰者と、さまざまな肩書を付けられてきたが、最終的には「作家と呼ばれたかった」と少々、皮相な見方をする人もいる(本書)。
とあるが、いくつもの顔をもつ多彩な101歳の人生である。当方は、戦後のべストセラー小説『ノンちゃん雲に乗る』も、本書で語られる翻訳秘話の『熊のプーさん』も読まず、児童文学とは縁のない子ども時代を送ったが、児童文学に限らず戦後の出版社の内情や多彩な人脈にまつわるエピソードがまことに興味深かった。
著者はこう綴る。
――人間が、この世に生きて在ることの価値を肯定する、大人になっても何度も読み返し、そのたび に不思議の世界へ連れて行って何かを与えてくれる、そして永遠にその王国は滅びない――そんな ファンタジーを石井は夢見続けていたのではないか。
当方、新聞記者の文章は長文には向かず嫌いだが、この著者の文章は文学的でも抽象的でもないが、具体的にかつ資料的価値を丁寧に伝えようという意思が働いていて好ましい。そのうえ上掲のような「石井桃子は子ども好きだっただろうか?」と投げかけるなど、第一級の評伝である。
★ひみつの王国――評伝石井桃子|尾崎真理子|新潮社|ISBN:9784103358510|2014年06月評価=◎おすすめ|児童文学の範疇に収まらない多彩な石井桃子、昭和・平成101年の生涯。
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