元少年A★絶歌
15/ミステリアスにつき - 2015年07月06日 (月)

――なぜ人を殺してはいけないのか?――〔…〕
大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。
もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」〔…〕
これが、少年院を出て以来11年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。
*
1997年に神戸須磨で起きた児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の加害者の男性(当時中学3年生)が、事件にいたる経緯、犯行後の社会復帰にいたる過程を綴った手記が出版された。当方は当時若干のかかわりがあり、すぐさま購入した。
本書は、第1部は幼少期からの出来事、事件を起し、逮捕、家裁での少年審判終了まで。第2部は2004年、6年余りの少年院生活を終えてからの2012年ごろまでの生活を綴る。第1部と第2部とは著しく文体が異なり、別人が書いたような印象をもつ。書かれた時期が1部と2部とで10年近く差があり、その間に“成長”したのだと思いたい。
印象に残る記述がいくつかある。少年院に入って2年目、被害者の母、被害者の父が出版した2冊の手記を読むことになる。
――その日の夜から、僕はほとんど眠れなくなった。布団に入ると、犯行時の様子が繰り返し繰り返しフラッシュバックした。〔…〕僕は次第に精神に変調をきたし、睡眠薬、向精神薬を投与され、一日中パジャマ姿で、独房から出られない日が続いた。自分が壊れていくのがわかった。
恐らくこの2冊の手記を読むことによって、「人間が『生きる』ということは、決して無色無臭の『言葉』や『記号』などでは」ないことに気づく契機になったのではないか。
毎年命日に合わせ、被害者の親に手紙を出す。そして親はメディアにコメントを発表する。手紙の動機は、贖罪だが、もう一つ……。
――もうひとつは、「この一年間は、手を抜かずにしっかり生き切ることができただろうか?」と、自分に問いかけ、〔…〕もし被害者の方に気持ちが伝わらなければ、自分はこの1年間、無駄に生きたことになる。何も考えなかったことになる。
1997年の事件の年から翌年にかけて、被害者の母の『彩花へ』、被害者の父の『淳』、ノンフィクション作家高山文彦の『地獄の季節』、朝日新聞大阪社会部の『暗い森』、加害者の両親の『「少年A」この子を生んで…』などが、2000年以降も少年Aの中学校長、事件を扱った家裁判事の著書などが刊行された。
今回、元少年Aの本書に関しては、著者及び出版元に対し批判が続出した。遺族の一人は、出版の中止と本の回収を求め、もう一人の遺族は書店での販売自粛や不買の動きに感謝のコメントを発表した。匿名での出版への批判、遺族の事前了解を得るべきだとの批判も。「サムの息子」法を導入すべきとの意見もあった。
地元の神戸市立図書館は、遺族の心情、人権擁護、「神戸市犯罪被害者等支援条例」の趣旨に基づき所蔵しないと決定した。当方は、出版を制限すべきでなく、販売は書店の裁量、図書館は閲覧制限をしても資料としては当然所蔵すべきだと考える。上掲の関係者の著書をいずれも所蔵しながら、本書のみ“出版されなかった”こととすることに疑問を感じる。事件当時から少年Aに多大の“被害”をうけた地元住民の知る権利を保障するのは、地元図書館の責務であるように思う。
本書では最後の部分にこう書いている。
――自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
★絶歌│元少年A│太田出版│ISBN:9784778314507│2015年06月│評価=○
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