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真並恭介★牛と土――福島、3.11その後。


牛と土

「おれは最後まで牛飼いとして生きていきたい。経済的価値は消えちまったけど、牛を見棄てたり、見殺しにしたりはしない。〔…〕

 牛も被曝したし、おれも被曝した。しかし、牛飼いの心は折れていない。

 第一原発の排気筒が見えるこの牧場は、被曝のメモリアルポイント、歴史遺産のような場所ですよ。

 ここで牛を飼いながら、自分が体験したこと、浪江町で実際に起きたことを、生の声で伝えていくことが、おれの残り20年の人生だと思っている


吉沢は国の殺処分に抗して牛が生きる意味、牛を生かす理由をはっきりと見いだした。それは自らが牛と共に被曝の生き証人となること、語り部となることだ。



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 3.11の2か月後、警戒区域内の家畜は、所有者の同意を得て苦痛を与えない方法で処分すること、という指示が出た。4年後の現在、牛約3500頭のうち安楽死処分1747頭、処分に不同意の所有者による飼育継続が550頭。餓死・事故死、原発事故後の誕生もあり、詳細な数字は不明。

 上掲の吉沢正巳は、希望の牧場・ふくしま代表で、被ばく牛の保護・飼育や農家の支援などを行っている。

 警戒区域に生存する牛は、家畜でなく、野生動物でなく、ペットでなく、実験動物でなく、展示動物でなく、どれにも属さず前途も断たれている。家畜で産業動物は経済的価値がなくなれば存在理由はないとされる。

 同じ浪江町の渡部典一は研究プロジェクトのメンバーとして、被爆地に牛が生きる意味を見出そうとする。農地の荒れ地化を防ぐ除草と保全の役割を牛が雑草を食べつくすことで担う。農地保全は害虫の発生を防ぎ生態系を乱さないという役目も。そして放射性物質が土→草→牛→糞という循環を経て、土から次第に除かれるという仕組みで、土地を除染する可能性を追う。

 その渡部は、立ち入りが禁止された時点で「生きられるなら自分で生きていってほしい」と牛舎の牛20頭を放牧場に放った。そのなかに2010年7月生まれの双子の兄弟「安糸丸」と「安糸丸二号」がいた。3年弱で肉牛として一生を全うするところが、汚染された大地で生きつづけている。2頭は野生に還るのか、兄弟で同一行動をとるのか、元の飼い主を憶えているのか。牛との愛情物語が展開されるが、兄弟牛の前途は見えない。

 ――原発事故は、土とその上に生きるものたちの運命を変えた。動植物を育み、生態系の基盤であった土は、汚染された邪魔物となってしまった。廃棄されざる廃棄物となったのだ。(本書)

 著者が少し感傷的になっているときの記述もいい。例えば……。

 ――荒れ果てた田畑や家々が夕闇につつまれても、ノウゼシカズラの花は電飾のように華やかに、合歓の花は燭光のようにかそけく、しばし光をとどめている。牛が死んだ日などは、花々は死を悼むかのように暮れ残り、避難区域を出ようと車を走らせている私を引き留めるように揺れるのだった。(終章 牛と大地の時間)

 汚染された大地と牛たちを蘇らせる牛飼いと研究者たちの矜持を著者は鮮やかに描き、3.11によって失われたものの大切さを問う。

★牛と土――福島、3.11その後。│真並恭介│集英社│ISBN:9784087815672│2015年03月│評価=◎おすすめ│福島で“廃棄物”となった「牛と土」を蘇らせようとする牛飼いや研究者たちを追う傑作ノンフィクション。


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