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荒井修★浅草の勘三郎――夢は叶う、平成中村座の軌跡

2015.09.01浅草の勘三郎

「五月の昼の部を何にするかで悩んでいるんだよ」
「僕だったら、『め組の喧嘩(神明恵和合取組)』にするな」
「えっ、『め組の喧嘩』? なんで? あの芝居のどこが面白いの?」〔…〕

「これはまさに江戸っ子の芝居だ。みんな喜ぶと思うよ」
「えーっ、そうかねー? 第一初役だよ、台詞を覚えられる自信がないよ」〔…〕

これまで、こんな弱気な言葉をこの男から聞いたことがなかったので、自分の耳を疑った。〔…〕「どうしたんだよ、勘三郎」という言葉より先に、私は涙が止まらなくなった。そんな自分の涙に後押しされたかのように、私はいった。

「お客を喜ばせることにあんなに努力を惜しまない役者は、勘三郎のほか二度と出ないんだよ。

あんまり俺を悲しませるなよ」



★浅草の勘三郎――夢は叶う、平成中村座の軌跡│荒井修│小学館│ISBN:9784093884150│2015年04月│評価=◎おすすめ│これが勘三郎。これが浅草。

 著者荒井修(1948~)は浅草仲見世に120年続く舞扇の老舗「荒井文扇堂」四代目店主。絵柄付けから仕立てまでこなす扇子職人として、舞踏界、歌舞伎界、落語界に大勢の名だたるご贔屓をもつ、と著者紹介にある。

 浅草育ちで歌舞伎好きの扇職人と浅草をこよなく愛する歌舞伎役者との友情物語である。著者は18代中村勘三郎の7歳年上の友人にして私的プロデューサーの役割を果たす。

 勘三郎の夢やアイデアを実現すべく、浅草公会堂での歌舞伎公演や隅田公園内に江戸時代の芝居小屋を模した平成中村座の設営に、著者は奔走する。平成中村座は間口8間、約15m(歌舞伎座は間口15間、約27m)の仮設の芝居小屋。2000年にできたことにより、「これまでは浅草といえば観音さまの周辺のみであったのが、隅田公園や猿若町などもマスコミに取り上げられるようになって、浅草がひとまわり大きい町になった」と著者は書く。

 上掲は、のちに「いままで一番好きな演目はと訊かれると『髪結新三』と答えていたけど、いまなら『め組の喧嘩』っていうだろうな」と勘三郎にいわしめた演目誕生のいたる著者“一世一代の直談判”の模様である。

 2012年12月、57歳で死去。勘三郎の本葬は築地本願寺で行われたが、自宅からゆかりの地平成中村座の建っていた隅田公園へ寄る。このとき浅草の人たちは『め組の喧嘩』にも登場させた仲見世の神輿を出し賑やかに送る。

 それにして勘三郎は天才。その心意気に応えていく著者は浅草っ子の面目躍如である。

 ところで平成中村座が息子の勘九郎たちによって復活するという。以前大阪で観たとき、勘三郎の奮闘ぶりもさることながら、いちばん驚いたのは「桜席」という幕の内側の舞台の左右に客席があることだった。サクラという隠語の語源である。

関容子■勘三郎伝説
石山俊彦■歌舞伎座五代――木挽町風雲録


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