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與島瑗得★遥かなるブラジル――昭和移民日記抄   …………☆蝉啼いて耳からも来る暑さかな 

20170818

2017.08.18遥かなるブラジル


〔1980年〕11月11日

 ブラブラしながら広場に行くと、日本で言う井戸端会議だ。人が集まると、

もう長いこと話題はスリ、カッパライ、ひったくり、泥棒、強盗、ギャング、そして殺人の話だ。殺伐としているが、話題といえばそんなものしかないo

次がインフレ、不景気。


 もうちょっとマシな話題はないもんかと思うが、いい話なんかまったく出てこない。それでもこの国は息苦しい日本と違ってなんとなく俺には住みやすいから不思議なものである。


★遥かなるブラジル――昭和移民日記抄 |與島瑗得 (著) 畑中雅子 (編) |国書刊行会|2017年5月|ISBN: 9784336061591|○

輿島瑗得 (よじま・みつのり)
1936年、千葉県生まれ。1957年、ブラジルに渡航。農業を手始めに宝石販売・輸出・採掘業などを手がける。当地に定住し、以降一度も帰国せず。1991年、住居のあるミナス・ゼライス州テオフロ・オトニ市にて死去。享年54歳。

 ブラジル、サンパウロから北に1000キロ、テオフロ・オト二まで、兄瑗得に会うため妹雅子は1991年に旅立つ。34年ぶりの再会は、腹部を3回も手術した兄に、母の手紙を持参し、日本への帰国を促すためだった。兄は、使い古したようなノートを何冊か見せ、「俺は日本には帰らない。そのかわり、この日記を持って帰ってくれ」と。その日記の1990年には、「日本からまた手紙が来た。おふくろさんの写真が一枚入っていた」とある。

 ――あのとき持ち帰った兄の日記を、私は読むこともなく段ボール箱に詰めて封をした。身一つで海
外に飛び出し、苦労したであろう兄の現実に、正面から向き合う勇気がなかったのだ。
 だが、それから20年という年月が過ぎた今、これらをすべて読むことが、これを託した兄の意志に応えることだとようやく思えるようになった。
(本書)

 日記は1978年から1990年まで(85・86年欠)。ブラジルでは軍政が民政に移管され、またインフレの拡大によりブラジル経済が悪化していた時代である。陽気で人懐こく周囲に溶け込んでいる男の姿が、そこにはあった。そしてときに感傷的な歌や句が書かれていた。

 ――故郷(くに)を想う心あせれどこの不遇 話すあてなし雨空の下
*
「1978年3月7日 今日は久しぶりに太陽が出た。暑くも寒くもなく、ここは住みよいところだ。人間を除けば!」
 と書き始める。過去の思い出ばなしの記述もある。一緒に移住して来た男と共同でミナスで土地を借りて仕事をしていたが、1968年にその男はサンパウルへ転出してしまう。

  ――俺はと言えば無一文、行くあてもなく、汗水たらして働いた結果農薬中毒となった身一つで放出される形になったわけだ。仕方なくブラジルでは最下層の生活者と見なされている川漁師と一緒になって魚を捕り、無為な3年間を過ごすことになった。

◇強烈なハイパー・インフレの日々……。
 このところのインフレは110パーセントだ。生活費は60~80パーセントの上昇率だという、1981年1月の記述。「つまり値上がり率の低い物を商っている人間は食えなくなるではないか」とある。何年にもわたってずっとインフレが続いている。
 1990年5月には、日本からの送金が届いていた。2,200ドル。「一緒に届いた姉さんの手紙にはもう日本に帰って来いとあるが、今の俺には決心がつかん」とある。

1989年12月21日
 やはり年の瀬にインフレは凄まじいことになってきた。今月のインフレ率は52、3パーセントで、今年のインフレ率は1,700パーセントになるという。この16日から1月の15日までのインフレは政府予想で約67パーセントぐらいになるとのことだ。しかし、これでもまだハイ・パーインフレーションではないと言い張っている。


◇治安悪化の日々……。
 リオデジャネイロでは今日6か所の銀行が襲われた、と1990年10月10日にあり、同月30日には、今日はまたリオだけで7か所の銀行が襲われた。殺人事件は毎日で、もう話題にもならない、とある。銀行強盗より誘拐身代金のほうが高額なので、金持ちの子供が誘拐される事件が多発しているとも。

1989年2月9日
 今日もおかしな事件が山盛りだ。ぺルナンブーコ州では三人組の強盗に襲われた人が警察に被害届を出しに行くと、その強盗3人組がいた。警察官3人が強盗だったのである。


◇夢のような光景を見る日々……。
 ブラジル移民の話といえば、その過酷な日々を振り返ることが多く、本書もそうだが、しかし著者の陽気な性格からそれでもなんだか楽しい日々だったように思えてくる。

1980年12月25日
 近頃は町でもすっかり有名人になってしまったようだ。町なかでドイツ系のかわい子ちゃんに、家の遊びに来いと誘われた。〔…〕おまけに街の有名人に会うと、みんなどうも四角四面の挨拶をしてくる。なんだかおかしいと思ったら、どうも友人たちが俺のことをもの凄いインテリだと宣伝しているらしい。プレイボーイに見えたり、インテリに見えたりする良い顔に産んでくれた親に感謝しなければならんな。


1982年10月16日
 テオフロからゴベルナドールパラダレースへ行く間に広い湿地帯がある。縦横数十キロにわたるような広大な湿地帯だ。そこをバスで通過したのだが、まさに蛍の海だった。俺はあんなにすばらしい蛍の乱舞を見たことがない。バスの周りは、地面と言わず、空中と言わず、ピカピカ、ピカピカ、スイスイ、スイスイと光が交錯する。たしかにこれは海だ。蛍の海だった。いや、海から飛び出し、宇宙を飛ぶバスのようだった。


 本書の編者畑中雅子は、「兄は、雄飛したブラジルの大地で、貧しくも楽しく、そして正しく生き抜いたと思います」と記す。

 葬儀の折の牧師の言葉――我々は、ブラジル人である。なぜなら、ここに生まれたから。そしてヨシマは我々の兄弟である。なぜならば、ブラジルを選び、この国で生き、死んでいったのだから。

 さて、この春、某句会の吟行で神戸移住センターへ行った。1928年に開設された神戸移住センター(国立移民収容所)は、1971年に閉鎖されるまで、南米を中心に多くの移住者を海外に送り出した基地。 現在は「神戸市立海外移住と文化の交流センター」としてミュージアム機能を持つ。館内の展示を見ていたら、たちまち「春暑し」という季語が浮かんだ。

 本書を読んで当方の感想は、瑗得の日記にあるこの句……。
  蝉啼いて耳からも来る暑さかな 
 当方は、瑗得に以下の句を贈りたい。
   春暑し蒼茫の地にイぺの花



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