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2017. 08. 20  
2017.08.20子規の音


  寝て聞けば上野は花のさはぎかな
  汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き
  幾たびも雪の深さを尋ねけり
  芋阪の団子屋寝たりけふの月

 といった何気な生活詠が好きだ。上手下手ではない。

根岸で病んで、七年も寝付いていた人の暮らしが偲ばれる。

そうしてその暮らしは、町で長らく聞いてきた古老の明治大正の話や、私の子供のころの東京と連続しているのであった。
〔…〕

 私は子規が好きでたまらない。俳句、短歌のみならず、随筆も書簡も好き、字もなんとなく好き、絵も好きである。〔…〕

 最後の何年かがどれほど苦しかったとしても、この人が明治の日本にいてよかった。


★子規の音 |森まゆみ |新潮社|2017年4月|ISBN:9784104100040|△

  正岡子規(1867~1902)は、1893(明治26)年、芭蕉を慕って東北を旅行し、「はて知らずの記」を書く。その一節。

 ――とにかく二百余年の昔、芭蕉翁のさまよひしあと慕ひ行けば、いづこか名所故跡ならざらん。其の足は此の道を踏みけん、其の目は此の景をもながめけんと思ふさへたゞ其の代の事のみ忍ばれて、俤(おもかげ)は眼の前に彷彿たり。
    その人の足あとふめば風薫る


 芭蕉へのリスペクトあふれる文章である。

 その子規を愛してやまない著者森まゆみは、その「はて知らずの記」を元に、仙台、山形、最上川、秋田を「現地踏査」の旅をする。ここでは山形県内を追ってみる。

 明治26年8月6日から9日までの子規の4日間。東根→楯岡(泊)→大石田(泊)→最上川下り=烏川、本合海、古口(泊)→最上川下り=仙人堂、白糸の滝、清川→酒田。

 これに対し、森の「現地踏査」は、大石田・歴史民俗資料館→大石山乗船寺・句碑「ずんずんと夏を流すや最上川」→最上川に沿って国道47号線を車→本合海・芭蕉曾良銅像→鶴岡→湯田川温泉(泊)→酒田というコース。「はて知らずの記」の現代語訳と若干の解説、そして自らの旅の足取りをはさむ。

 ――我々も船を追って国道47号線を車を走らせる。いまは大石田から酒田まで船で下る人はいない、
遊覧船の短いコースがいくつかあるだけだ。〔…〕本合海はいまは新庄市内、芭蕉と曾良が乗船した場所として二人の銅像があった。
 「日暮れなんとして古口に着く」。ここで上陸して、子規はむさ苦しい宿に泊まった。現在は「奥の細道最上川ライン」という愛称をもつIR陸羽西線が走っており、地元で芭蕉は有名だが子規のことを知る人はいない。
(本書)

 著者は子規を追って最上川に行きながら“遊覧船の短いコース”があるのに、その舟に乗っていない。子規の「ずんずんと夏を流すや最上川」、「蜻蛉や追ひつきかぬる下り船」、「朝霧や四十八瀧下り船」を、また芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」を体感するチャンスをみすみす逃している。まことに残念な“五感の旅”である。

 じつは当方、2014年に「奥の細道」仙台・山寺・山形・羽黒山・最上川・鶴岡・酒田・象潟を一人旅した。
最上峡芭蕉ラインは古口港から草薙港まで約1時間。しかし当日は山背風のため、古口港から上り下りの巡回コース。流れは「速し」である。その「速し」を体感した。水に勢いがあり、水底はさらに流れが速いとのこと。昼は船の中で竹かご弁当(みそおにぎり・菜めし・竹の子・ふき・玉こんにゃくなど)。船頭は「最上川舟唄」の英語バージョンまで歌ってくれた。

 その古口の乗船口に子規の「朝霧や船頭うたふ最上川」の句碑があった。著者は「地元で芭蕉は有名だが子規のことを知る人はいない」と書いているが、そんなことはない。

 「神戸病院から須磨保養院」の章で、著者は当方の地元神戸を訪ねているが、博物館、図書館に寄り、須磨を神戸の知人に案内してもらいながら、「楽天的な子規は思いもかけず、命を拾ったうえ、源氏物語や源平の戦いの故地、芭蕉の足跡もある歌枕の地に来て喜んだのかもしれない」と書き、以下、まるで“文学散歩”のような記述に終始している。

 もっとも碧梧桐に「保養院に在る約1ケ月〔…〕、子規の生涯の中で、最も悠々自適した閑日月であったようだ」(『子規を語る』)とあるから、これでいいのかもしれない。だが「踏査」の旅は急ぎ過ぎて、文章まで“書き急ぎ”である。

 「子規を書きたいと思ったのは、この人に一番、親愛と共感が深いからである。自分に似た人のようにも感じている」と著者は書いている。が、“五感の旅”も“子規の音”も著者だけのもので、当方には届いてこない。母・八重も妹・律も、友人・漱石も、弟子・虚子や碧梧桐も、誰も立ち上がってこない。

 評伝というよりも“子規紀行”。好きで好きでたまらない子規のたどった地を訪ね、子規を“ひとり占め”するのが著者の狙いだったかもしれない。

伊集院静■ノボさん――小説正岡子規と夏目漱石
司馬遼太郎●坂の上の雲(一)


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