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2017. 09. 25  
20170925終わった人


「え、そうか。声かけてくれればよかったのに」
「ちょっとかけられなかった」
「何で……」

「スーツ姿だったけど、スーツが息をしてなかったから」
「息を……?」
「仕事を離れて、スーツにふさわしい息をしていない男には、スーツは似合わなくなるのよ」


 スーツが死んで、息をしなくなるということか。
 このママに見栄を張ってもお見通しだなという気になった。これも、今は仕事があるという余裕がなせる業かもしれない。

「あの頃、俺、どん底だったんだよ」
「そう見えたわ。でもね、昔の部下と店に来ないだけ、田代さんは骨があるわ」


★終わった人 |内館牧子 |講談社|2015年9月|ISBN:9784062197359 |〇

 田代壮介63歳。大手銀行で役員寸前のところで子会社に出向、そのまま定年を迎える。

 仕事一途だった男は、あすからはたっぷりとある時間を妻といっしょにいよう、旅や映画や食事を楽しもうと思う。が、あっさり妻に断られる。“孫が命”にはなれないし、囲碁将棋、競馬競輪など一人でやれる趣味もない。図書館もカルチャー教室も老人大学も、年寄りばかりでいやだ。ついにスポーツジムに行くことに。しかしジムで老人仲間に入る気はない。駅前の喫茶店で、買ってきたばかりの石川啄木『悲しき玩具』を広げる。

 と、まあ、小説が始まるのだが、当方、いちばん身に沁みたのは上掲の「スーツが息をしていない」という、かつての行きつけの店のママの台詞である。たしかに同期の集まりに行っても、みんなスーツが似合わなくなっているし、またスーツを着る機会がなくなっている。

 親会社から子会社へ、正社員から嘱託へ、というのは突然『終わった人』にはさせないソフトランディングなのだ、と本書にある。そういえば本社の後輩たちから指示が来るという経験は、軟着陸への第一歩だったかもしれない。そして職域から地域へのソフトランディングが難関だ。当方も、地域活動のためのNPO設立、自治会役員など行ったが、“定時制住民”だった壁は厚く、“難着陸”に終わった。

 ――年齢と共に、それまで当たり前に持っていたものが失われて行く。世の常だ。親、伴侶、友人知人、仕事、体力、運動能力、記憶力、性欲、食欲、出世欲、そして男として女としてのアピールカ……。〔…〕
 だが、60代は空腹が許せない。理不尽だ。まだまだなのだ。まだまだ、まだまだ終わってはいないのだ。
(本書)

 そして結局、主人公は「思い出と戦っても勝てない」(あとがきによれば、これはプロレスラーの武藤敬司の名言)と、宮沢賢治のイーハトヴ(理想郷)、石川啄木「やまひある獣(けもの)のごときわがこころふるさとのこと聞けばおとなし」の生まれ故郷の盛岡へ、妻を残して、高齢の母や幼なじみの元へ帰る。“卒婚”である。

 ――「故郷は遠くにあって、遠くから思うからいいってことを、だよ。パパの得意な石川啄木が最初にそう言ったんじゃなかったっけ? パパ、故郷になんか住んでごらんって。〔…〕戻ってくれば自分たちと同じだもの、誰も特別扱いなんかしてくれないよ」(本書)

 と、娘。さて、軟着陸か難着陸か? 娘は両親の間に入って、検察、弁護、裁判官の役割をする。

 盛岡といえば、数年前ひとり旅で市内の北上川、雫石川、中津川を自転車でわたり、丸一日遊んだ楽しい記憶がある。そのとき「もう忘れ去られようとしている賢治と啄木」での町づくりは、大丈夫かとひそかに思った。しかし本書を読めば岩手の人は、いまも賢治と啄木とに癒され励まされているのだと分かる。

 そして著者はあとがきで「品格のある衰退」(政治学者坂本義和)という言葉が脳裏から離れなかったと書く。

内館牧子□十二単衣を着た悪魔――源氏物語異聞


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