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今村欣史★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話…………☆柳田國男『故郷七十年』はいかに生まれたか。

20171005

20171005触媒のうた

 
 柳田に嫌われたという宮崎翁。

「自伝の口述筆記というものは、ご本人が一方的にしゃべるものじゃないと思ってました。

聞き手にも質問が許され、双方の協力で進めるものだと思ってました。けど、柳田[國男]さんはそれが気に入らなかったんですね」

 宮崎翁のおっしゃるのが当然だと思うのだが、気位の高い柳翁はそれを許されなかった。〔…〕

「ご自分のプライドが少しでも傷つくようなことには敏感に反応して拒否なさいました。まあぼくも当時は生意気でしたし、未熟なそれが顔に出ていたとも思いますがね」


★触媒のうた――宮崎修二朗翁の文学史秘話 |今村欣史 |神戸新聞総合出版センター|2017年5月|ISBN: 978-4343009500 |〇

 本書は宮崎修二朗に私淑する詩人の著者が、兵庫県の文学史関連の著書数十をもつ宮崎の「自分では書きにくいこともある貴重な証言など」の秘話を聞き取り、記録しようとしたもの。

 宮崎修二朗、1922年生まれ、95歳。神戸新聞社元出版部長・編集委員。「のじぎく文庫」を企画創設、初代編集長。宮崎の師・富田砕花、著者の師・足立巻一の話もさることながら、当方は詩人・内海信之(高校のときお会いしたことがある)、詩人・多田智満子(当方20代のとき随筆を依頼したことがある)、山本周五郎の“須磨寺夫人”、啄木の妹など、その挿話に興味が尽きない。

 さて、上掲の柳田國男(1875~1962)に嫌われたというのは、柳田の『故郷七十年』をめぐる話。神戸新聞創立60周年記念として顧問の嘉治隆一(元朝日新聞論説委員)が、兵庫県出身の柳田に回顧談の掲載を依頼したもの。

 『故郷七十年』は、神戸新聞に連載後、1959年11月のじぎく文庫から刊行され、以来、2010年同新装版、1974年朝日選書版、2016 年講談社学術文庫版など、いまも柳田研究に欠かせぬ自伝の名著として読まれている。当方が読んだのは、『柳田国男の故郷七十年』というPHP研究所版で、若い読者向けに半分程度の抄録。同書には1958年神戸新聞に連載された嘉治隆一を聞き手とした談話による自伝と紹介されている。

 柳田は起筆に際し、こう書いた。
「幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。〔…〕
幸いに時が熟したので、神戸新聞の要請をいれ、ここに『故郷七十年』を連載することにした。それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」


 36歳の宮崎は、編集局長から口述筆記の役割を指名され、嘉治隆一とともに上京する。そして上掲にあるように宮崎は柳田から「キミ勉強が足りませんね!」と叱責され、担当を拒否される。その理由は三つほど挙げられているが、それは“柳田を知りすぎたゆえの秘話”である。その場に同席した柳田の秘書の鎌田久子(のち成城大学名誉教授)は、その著者『民俗的世界の探求』のなかに書いている。

 ――この仕事の中で、唯一心にかかったのは、宮崎修二朗氏のことであった。神戸新聞編集部から選ばれ、柳田先生に関することを大変よく研究して来られた氏は、その豊かな才故に柳田先生に受け入れられず、この聞き書きの相手は、企画者嘉治隆一氏自身がつとめることになってしまったのである。〔…〕宮崎氏の文学青年としての素質が、柳田先生と一脈通じるのか、それが、かえって先生を刺激なさるのか。(本書から孫引き)

 さて、のじぎく文庫は、1958年から2017年のいまも続いている地方出版の先駆け、既刊約260冊。宮崎の企画によって創設された。

 ――世の中には、まじめにこつこつといいものを書いていながら本に出来ない人が多く、これを出版するためのシステムが「のじぎく文庫」のはず。知事ほどの人なら本を出すぐらいその気になればわけないこと。わたしは素朴な疑問を翁にぶつけてみた。
「なんで最初の本を阪本知事にされたのですか?」と。
「そりゃあ、理由がありますよ。まずは県庁の多くの人たちに会員になってもらうためでした。そしてね、給料から年間1000円の会費を天引き出来るようにしたのです」
(本書)

 そののじぎく文庫の1冊が手元にある。宮崎修二朗『ひょうご四季のうた』(1992)。当方は、宮崎は“文学散歩”というイメージがある。野田宇太郎とともに、名作の故郷を訪ねるという手法の嚆矢ではないか。本書は兵庫にまつわる詩歌約200篇を紹介したもの。

  とびらに幸田露伴の「審美の霊眼を真に具へたる人にあらざるよりは、大抵自己の影を壁上の詩に推すのみ」云々と長々引いたり、あとがきに「つづまるところ、ふるさとの歌をめぐる閑談・パッチワーク。あえて雑学風な記述法を執りましたのは、ジレッタントのコンプレックス、自嘲風照れ隠し――ご明察の通りです」と書いたり、文庫創始者ゆえ自由奔放である。久しぶりに再読して、あらためてその博覧強記に圧倒された。幾多のアンソロジーなど類書の及ぶところではない。

 それにしても、2008年に「のじぎく文庫」創刊50周年を記念する催しが神戸・元町の海文堂書店で開かれたが、文庫生みの親の宮崎に案内がなかった。「すでに点鬼簿中の人間と思われたのでしょう」と本人は語った。どこが主催したか知らないが、いかにも神戸新聞らしい話である。

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見事な書評を書いて頂きまして誠にありがとうございます。
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