中西進★「旅ことば」の旅…………☆万葉から現代まで詩歌の中に「旅」の意味を発見する

20171019

旅ことばの旅


 寂しいことにもう何十年も前の友人の死を、思い出していた。

 まだ若く、十二分に科学者としての将来が期待されていた彼は、ある時船旅に出たらしい。ところが船が帰港してみると、乗客ふたりの人影が消えていた、という。
 その中のひとりが彼であった。もうひとりは既婚の女性だったと聞いた。〔…〕

 航跡はあまりにも美しすぎる。この中に転生しようとする衝動は、ごくごく自然なはずだ。

 船旅自体が魂を揺らしているのだし、憂愁の心をもって旅立ってきたのだとしたら、

航跡には危険な誘惑が満ちみちている。


 彼らはこの美しい誘惑に魅せられてしまったのだと思った。
 いやこれもわたしの船旅の感傷だったのだろうか。

――「航跡」


★「旅ことば」の旅 |中西進 |ウェッジ |2017年8月|ISBN:9784863101876 |○

 万葉学者中西進(1929~)がJR新幹線グリーン車に搭載する『ひととき』に連載したものなど、見開き2ページ88篇を収録した旅のエッセイ集。旅の誘い、旅する人びと、旅の路、旅の乗り物、旅をつなぐ駅、旅愁の5章。

 上掲「航跡」は、『万葉集』の
  世間(よのなか)を何に譬へむ朝びらき漕ぎ去(い)にし船の跡なきかごと (沙弥満誓)
 がモチーフ。著者は、「すぐ航跡は消えてしまう。そのことが万事無常の世間をよく暗示している、という歌である」と説明する。
 そのうえで、以下のように書く。

 ――しいていえば、消えるというより一時を華麗に生きるもの、それでいて視界はるかな彼方では、必ず消え去っていくものが航跡だというのが、正しいだろう。
 華麗なるものとその消滅。この華やぎは、まるで人生の暗示のように寂蓼にみちた泡立ちに見える。
(「航跡」)

 いずれも詩歌、小説、絵画を引用し、自らの旅の思い出を記し、万葉の昔から現代まで、旅の意味を考える。散文詩のような珠玉の名品揃い。いくつか引用する(→はそのモチーフとなった作品)。

――単線にはどこかすこし一途すぎる、どこかすこし寂しすぎる風情がある。(「単線」)
→菊川啓子歌集『青色青光』収録の「閂(かんぬき)の扉ひらきて山桜たづねてゆかむ単線に乗り」

――車窓を外から眺めると、一つ一つに一つの顔があって、しかもみんな横顔がないているように見える。(「車窓」)
→藤原定詩集『言葉』「あの言葉」

――定住者とは、移住者のひとときの姿にすぎないのだ。
この移住者をもうひとつ人生の旅人といいかえてよければ、人生をゆだねた列車がとまる駅の風景が、わたしたちの人生を変えていくことは、ごくありふれたことなのである。
(「駅の風景」)
→林芙美子の小説『風琴と魚の町』

――駅とは生涯という長い旅路を辿る人間の、哀しい姿を湛えつづける所でもある。(「駅前広場」)
→ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』

――心定まらない漂泊の旅の中で、親しい人へ何かことばを伝えたくなる旅愁が旅だよりだとしたら、そうやすやすと旅だよりはなくなりそうもない。(「旅だより」)
→杉田久女の俳句「そののちの旅便りよし石蕗日和(つわびより)」

――地上の人間も旅人。天空にみちる生き物も過客。(「渡り鳥」)
→佐藤太清の絵画「旅途」

――故郷発見のために、人間にあたえられた装置が、旅であった。(「帰るための旅」)
→木内昇の小説『櫛挽道守』

――人生の旅とはたくさんの山やまを越えていく道程であって、いくつものとうげを越えつづけて、人生の曲折にともなう新しい風景を見つづけていくことだと思われる。
 そして人生に、とうげを幾つ越えるのかは、だれも知らない。
(「とうげ」)
→『万葉集』大伴家持「志乎路(しおじ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくい)の海朝凪ぎしたり船梶もがも」から。

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