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広原盛明★神戸百年の大計と未来 ……☆市役所一家の呪縛から逃れられない“残念な本”

20171107

20171107神戸百年の大計と未来


 人口縮小にともなう都市の様相や市民のライフスタイルの変化は、すでに神戸でも随所にあらわれている。〔…〕

 整然とした街並みを誇った都市景観が観光客の眼には画一的と映り、却って都市の魅力を失う引き金になっている。

 成長の時代には神戸を「輝ける都市」に押し上げた成功要因が、縮小の時代には逆にマイナス要因へと急速に転化しつつあるのである。〔…〕

問題なのは数々の政策が提案されてきたにもかかわらず、神戸市政にとってはそれらが単なる「アイデア」の段階に止まり、本格的な政策転換の課題として認識されてこなかったことである。

 云い換えれば従来からの成長型コンセプトを基本的に維持したまま、新しいアイデアを考えるという小手先の「改良レベル」の対応が、本格的な政策転換を阻んできたのである。

――序章 神戸開港150年を迎えて 広原盛明


★神戸百年の大計と未来  |広原盛明ほか|晃洋書房|2017年8月|ISBN:9784771029149 |△

 神戸は元気がない、と全国をツアーするミュージシャンが言う。「神戸へ行ったらこれを食べようというご当地グルメがない。仙台の牛タンや名古屋の味噌カツのように、和食の店でもレストランでも、“神戸ステーキ丼”をメニューに入れたらいいのに」。
そういえば灘の生一本の飲み比べをしながら、神戸牛のステーキやすきやきを食べられるという気楽な居酒屋を紹介したいが、当方もそんな店は知らない。

 さて、神戸は戦前・戦中・戦後を通して一貫して高度成長を目指した急進都市であった、という。その神戸が、元気がない。次の時代に立ち向かう「神戸百年の大計」が求められている、として本書が編まれた。まえがきに、「本書は、神戸市民や市関係者と共にいま神戸市政が直面する課題を分析し、その打開方策を見出そうとする1つのささやかな試みである」云々とある。

 著者広原盛明といえば、神戸市政批判の急先鋒の人というイメージがある。しかし本書は「神戸再生の書」であって「神戸批判の書」ではない、と繰り返し述べられている。

 第1部では、神戸が直面する3大プロジェクトの課題として、
1 神戸医療産業都市構想の推移、その背景(川島龍一)
2 神戸空港は再び離陸できるか(高田富三)
3 新長田南再開発に未来はあるか(出口俊一)
 が、俎上に載せられる。たしかにこの三つは1995年の大震災以降の最大の課題である。

 当方の率直な考えをいえば、医療産業都市への一点集中投資により、福祉、文化、その他の市民生活への意欲的な施策が組まれなかった。
 また理化学研究所のSTAP細胞騒動、医療産業都市構想全般にかかわった笹井芳樹氏の死去、国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)による生体肝移植事故など、医療産業都市戦略が一挙にイメージダウンした。
 神戸空港は、3空港の機能分担としてLCC格安航空専用に特化することによって飛躍すべきだった。
 新長田南再開発は、地域を平凡な高層住宅群にしてしまい、アジアの“職”と“食”を拠点としたまちづくりのチャンスをのがし、長田の下町気質も地下鉄海岸線も生かすことができなかった。

 さて、本書の眼目は最終章「人口縮小時代、神戸再生への視点」(広原盛明)にある。神戸が今なすべきことは、神戸再生のための新たな座標軸すなわち「ポストモダン都市=現代都市」の方向性を見極めることである、とする。

 「神戸らしさ」とは、神戸が発祥の地となった「ハイカラ文化=洋風の生活文化=都会文化」であり、「都会っ子=神戸っ子=生粋の神戸市民」によって体現されている都会風のライフスタイルのことだという。そして、
「グローバル時代の神戸文化=ハイカラ文化十郊外モダニズム」という図式の中に解決のヒントがある、とする。

 都市づくりの方向としては、郊外住宅地の良好な環境を維持しながら、中心市街地や既成市街地の多様な「まちなか文化」の再生を目指すというもの。
 もう一つは、都会の中にあっても郊外的なライフスタイルを可能にする「新まちなか住宅」を計画するとか、郊外であっても都会生活を楽しめる「新郊外モダニズム区域」を開発して都会と郊外の交流を活発化させるという方向。
これに加えてもう1つ、これまでの西欧型ハイカラ文化を発展させて、神戸が「多文化共生都市」をつくり出すというもの。

 この結論は大枠過ぎて、具体的なイメージもわかないし、何も提案していないのと同じある。

 ――思えば1989年11月に笹山市政がスタート以来、長らく「宮崎ロス=宮崎なき宮崎イズム」の時代が続いてきたが、いま漸く「ポスト宮崎」時代への動きが始まってきたように思える。(本書)

 海上都市ポートアイランドでのポートピア81博覧会は宮崎辰雄市政(1969~1989)の、いや神戸という都市の絶頂期であった。そして1995年の大震災。それから20年を経て、ようやく復興をなしとげた段階である。復興の息切れで、次なる明確な目標が見えてこない状態が続いている。
 本書では大阪がしばしば引用されているが、その大阪は考える前に暴走でもなんでもとにかく走るのに比べ、神戸は2017年久元市長の公約で分かるが、相変わらず市役所一家による市役所的発想から抜けでない。

 著者が書いているように本書で紹介された「これらの神戸再生のアイデアは、これまでも多くの識者から指摘されていたことであって特に目新しいものではない」し、また、結びの言葉が、「神戸の新しい潮流をになう(市役所の)中堅管理職員の台頭に期待したい」では……。なるほど「まえがき」のある「市民」はつけたしで、「市関係者」向けの本であったのか。

 市役所一家による役所的発想から抜けでよ、そして若い商工業者、企業家、NPO、学生を鼓舞する提言が「神戸再生の書」の役割ではないのか。市役所一家の呪縛から逃れきれないなんとも残念な本である。

 神戸は元気がない、と全国をツアーするミュージシャンが言う。「最近、BE KOBEという誰から誰へのメッセージかわからないキャッチコピーが使われ、港にBE KOBEという立体文字が据え付けらています。アムステルダム名物の「I am・sterdam」の立体文字のパクリじゃないでしょうね」。

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