小玉 武★美酒と黄昏 …………☆小学5年村上春樹の俳句、そして作家たちの“酒”の歳時記
11/癒しの句・その他の詩歌 - 2017年12月18日 (月)

風鈴のたんざく落ちて秋ふかし 春樹
しみじみとした風情を感じさせる掲句は、村上春樹の少年時代の作である。父との思い出にまつわるエピソードとともに、この小説家の創作の“根っこ”に深くつながる意味が含まれている。〔…〕
その時、春樹は、句会の連座には入らなかったとあるけれど、暗い庵の縁側に一人座って、蝉の声を聞き、草深い庭を眺めていた時、ふと衝動におそわれている。
《死はそれまでの僕の生活にほとんど入り込んでこなかった。(中略) しかしその庵にあっては、死は確実に存在していた。……》
最晩年の芭蕉が隠棲した山の中腹の荒れ果てた「幻住庵」、そこで小学生の春樹少年が、生まれて初めて体験した決定的な「死」の予感だった。
人は、その生涯のどこかで、確実に死を予感し意識する瞬間があるのだ。
――「風鈴ー村上春樹と幻住庵」
★美酒と黄昏 |小玉 武 |幻戯書房 |2017年03月|ISBN:9784864881173|〇
「長い間、酒場はわたしの“職場”だった」という著者小玉武は、サントリーに38年務め、宣伝部、広報部で仕事をした。サントリーが文壇の一翼であったことは本書で分かる。
同時に森澄雄門下の俳人であった著者による、作家たちの酒と酒場にまつわるエピソードを、俳句を織り込み歳時記ふうに綴った28篇。そこから2篇を紹介。
*
まず、「初鏡――鈴木真砂女と稲垣きくの」。
“競吟”をとりあげてライバルである二人を素描する。
紅指して過去甦る初鏡 鈴木真砂女
女には紅さし指のありて冬 稲垣きくの
鈴木真砂女は、瀬戸内寂聴の小説「いよよ華やぐ」のモデルとしても著名な銀座の小料理屋「卯波」の女将である。著者は「卯波」へなんども出かけ女将とも話したとあるが、それ以上のことは記されていない。
稲垣きくのは歳時記でその名をときどき見かけた。師である久保田万太郎が梅原龍三郎邸で食べた赤貝の誤嚥によって命を落としたことは知られている。そのころ万太郎は一人で赤坂福吉町の稲垣きくのの持ち家に住んでいたという。そして死の3時間前、万太郎は入院中の稲垣きくのを見舞っていた。本書で初めて知った。
蛍火や女の道をふみはづし 真砂女
背信の罪軽からず冬の虹 きくの
花冷や箪笥の底の男帯 真砂女
花冷や掃いて女の塵すこし きくの
白桃に人刺すごとく刃を入れて 真砂女
目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ きくの
水鳥や別れ話は女より 真砂女
古日傘われからひとを捨てしかな きくの
当方も二人の句集から“競吟”を並べてみた。まさにライバル対決である。
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さて、つぎは上掲の「風鈴――村上春樹と幻住庵」。
幻住庵は、近江石山寺に近い。芭蕉が「奥の細道」を終えた翌年に4か月ほど住んだところ。ここでの「幻住庵記」(芭蕉生前に刊行された唯一の俳文書)には……、
先づ頼む椎の木も有り夏木立
という句で、練りに練り、なんども書き直した名文は閉じられている。
一般には、「夏木立に囲まれた幻住庵のかたわら、椎の木が何よりも頼もしく感じられる」の意。また、「旅に旅を重ねた末、私はここようやく幻住庵に安息の地を得た。庭を見ると椎の木が立っている。まずはこの椎の木陰を頼んで、くつろぐとしよう」とも解され、本書では、「まことに『幻の栖』同様の人の世にあって、まずともかくも頼む栖がこの椎の巨木のしたにある草庵なのだ、という安堵と諦観を詠んだ」としている。
上掲の≪その庵にあっては、死は確実に存在していた。≫云々は、「八月の庵――僕の『方丈記』体験」(1981年雑誌『太陽』に掲載)のもの。単行本未収録なので全文は分からないが、こう続く。
―― しかしその庵にあっては、死は確実に存在していた。それはひとつの匂いとなり影となり、夏の太陽となり蟬の声となって、僕にその存在を訴えかけていた。死は存在する、しかし恐れることない、死とは変形された生に過ぎないのだ、と。(「八月の庵」)
小学5年の春樹は、国語教師だった父とその教え子の中学生たちの幻住庵への吟行に参加していた。彼が見た幻住庵は、
――四畳半ばかりの部屋がひとつと縁側、そして小さな便所、その他には何もない。部屋の中には長いあいだの暗闇の名残りのように、饐えた匂いが微かに漂っていた。〔…〕夏の太陽が部屋の四分の一ばかりのところに光の境界線をしっかりと刻み、蝉の声だけがあたりに響いていた。 句会が行われているあいだ僕は一人で縁側に座り、薮蚊を叩きながらぼんやりと外の景色を眺めていた。(同上)
幻住庵にいて、5年生の春樹が“死の予感”というのは、「方丈記」を読み返さないと、当方にはちょっと理解しがたい。が、こういう会話は分かる。
――「芭蕉って貧乏だったの?」帰りの電車の中で僕は父親にそう訊ねてみた。〔…〕 「でも、あんな山の中に住まなきやいけないくらい貧乏だったんだ」 「貧乏だったから山の中に住んだというわけじゃないんだ」と父親は言った。「自分で希望して寂しいところに住んだんだよ」 父親はそれ以上の説明はしてくれなかったけれど、僕はそれなりに納得した。(同上)
ところで本書では“酒・酒場”がテーマでもあるので、以下を引用。著者が、「国分寺駅南口のビルの地下に近ごろ開店したジャズ喫茶があるんですよ」と仕事仲間に誘われ、「ピーターキャット」へ出向いたのは、1974年のこと。
――夕方からはバーになった。店主(マスター)は、むろん、まだ無名の若者だったけれど、店の奥で目立たぬようにレコードをかけていた。(本書)
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