発掘本・再会本100選◆句集 水の家 (前)|中作清臣…………☆生ゴミも洗濯物もない寒さ――神戸・1995年。web復刻版

20180227

01水の家


印南野に住み、
神戸で働き、
古都に遊ぶ。

大震災は年を経るごとに心に鬆(す)が立つように残り、「かろやかな感覚」の神戸っ子のライフスタイルを変えてしまったような気がする。もともと新書判のような軽い街。句も軽くかるくありたい。それにしては老境めいた句が多いのは、死語を意識していたせいか、句作の一〇年がわが五〇代と重なっているためか。(あとがき)

 2001年に本句集を編んで以来17年が経ち、当方ただいま“終活”の真最中である。手元の本は、贈るか、売るか、捨てるかの作業中で、本書も“捨てる”に分類している。その過程で本書がamazonや楽天の古書で定価の10倍の値札がついていると知った。もちろん何かの冗談である。

ここにweb版として掲載するが、それは「神戸・一九九五」への感傷のためである。だが「網塵とブログを訳し万愚節」と以前詠んだとおり、これは“ネット上の塵”である。役目を果たした衛星のように、ただ宇宙を漂うだけである。

 
◆句集 水の家 |中作清臣 |2001年1月|ふらんす堂|ISBN:4894023814

02タイトル1風さわぐ

風さわぐ

春風やヴィーナス生れさうな沖
くにうみの島へ祝ひの春の雷
春暁やシンプルライフ イズ ベスト
春宵の北野町ジャズ スウィンギング
卒業の青き斜面に樹を植うる

日に二度の遮断機の下り遅日かな
わが骨の散けるごとく霾れり
疲労といふコートはおりて春の坂
平成といふ憂色に花菜雨
会葬のおうなの列は雛のごと

まどろみの男を剥げば春の泥
男哭く酒場ありけり春の月
新樹風騒ぎをり夢急ぎをり
パンの香や新樹の坂を図書館へ
脱ぎ捨てて風の生まるゝ五月かな

水族の群の速さよ夏来る
初打席夏空仰ぎ終りけり
蝉の森夏の第九といふごとく
襟章の裏返りたる鬱五月
六月の晴れ間に捨つる転職誌

荒梅雨の底に横たふ昏き河
青梅雨や樹下に柩の列長く
夏鬱々江戸町京町浪花町
店仕舞して夏痩の貌あらは
原爆忌空へと抛る麦藁帽

黙祷の背に汗球場正午(まひる)なり
花すすき宰相右に傾ぎけり
われ思ふ故に八月一五日
蚊は蚊の音涼しく思ふと考察す
先頭に瞬時の迷ひ蟻の列

ダリア抱きB級映画の主役死す
こほろぎのやうな電話を鞄に飼ふ
胸底の秋の蛍や飼ふを秘す
蟷螂の叛かんとして透きとほる
蜉蝣やわれの屍もありぬべし

露ほどに縮まりても許されざる
閉づるべきものもう何もない寒さ
惚けつつあるもおのれが冬構へ
雑炊と喪中につきのはがき束
持ち越せし憂ひ現はる四日かな


幻 都03タイトル2幻都


湯の町に緋の傘のひと春の雪
おぼろ夜や橋に北詰南詰
早春の橋より橋へ水速し
花に冷え寺町海へ下り坂
春の爐の美しき人酔ふを待つ

きさらぎに夕顔蒔かうと言伝てぬ
花あしび散れば阿修羅にであふ刻
含羞の眉初々し桃の花
木屋町の厨は狭し黄水仙
観音の腰撓ひけり湖の春

かくれん坊いつまで隠れ桃の花
尼寺やうしろのしやうめん春の闇
急坂や全山の花沸騰す
壬生菜摘む老婦も借景たりしかな
花街を団体さんが行く遅日

春の夜のつひに縁なき祇園かな
緑なす明日香や時空へ入らんか
たんぽぽや明日香の皇子星好きで
木下闇抜けて一絃琴の寺
万緑の中に的あり一の射手

蝉しぐれ伎藝天の頬豊かなる
能楽の火入れ終るも蝉しぐれ
寂庵のけふは門閉ぢ茄子の花
祇女舞つて嵯峨に新樹の匂ふ寺
鵜篝の消えて川音高まりぬ

鮎跳ねて水面弾けるやうに逢ふ
夏木立夫人半跏坐片眠
首白き僧大門を閉づる夏
暑おすなあ畳百枚おくれやす
酒蔵にジャズの漏れくる祭かな

夏帯のひとひとの妻墨匂ふ
ひとのひと奪ゐし夢や髪洗ふ
羽蟻翅失ふ恋の翅あまた
金魚にも醜聞艶聞ありにけり
短夜の川はネオンの鏡文字

鱧食うてお初天神裏そぞろ
白日傘法起法輪法隆寺
今井千軒風鈴のなき真昼
残る暑さ女人ばかりの大師道
粥煮るに潮汲むならひ須磨の月

とんぼうのとうせんぼする国境
石佛の肩の小石の蝶の秋
里はみな松尾姓にて柚子熟るゝ
保津峡を跨ぎし駅の夜寒かな
柿食ふや村にかなしき踊唄

星飛ぶや湖の底なる一村落
峡に棲みひとコスモスになつてしまふ
嵐峡の闇より舟の花火売り
長き夜の僧悪食に嵌りけり
遠花火二階の闇のないしょないしょ

天に月森に蠢くものあまた
深霧やこころまるごと繭のなか
そのかみの町衆出でよ花桔梗
夕色の秋を紡ぎてひとの耐ふ
立稽古素足に冬日纏ひけり

冬を舞ふひとに刹那の修羅棲めり
肩掛の緋に滾つもの秘して出づ
山脈の海へと落ちて寒椿
初春の凧寝そべってゐる渚
須磨車御神事勤方冴ゆる

能面をとれば春待つ農夫かな
厄除や茶髪の巫女の里かぐら
大根引くたび稜線を見失ふ
冬山や軒に一座のビラ褪せて
小春日や秘佛といふもあどけなき

飛火野のしぐれて茶粥ゆるゆると
初芝居はねて道頓堀に酔ふ
人形の右顧左眄する近松忌
発端といふ悔恨や葱洗ふ
訣別は媚態となるも耳の冷ゆ

禅寺の甍夢倦む寒鴉
含羞の紡錘形や鮫の恋

游 日04タイトル3游日


炎昼やビル身勝手に林立す
スコールやダイヤまがひの耳飾
二階バス二階の窓にハイビスカス
偽りの正面といふ街陽炎
月を恋ふ象ゐて上海雑技団

のぢぎくを指輪に仕立て露天商
汗ばみて眼の尖んがるも少年兵
雲の峰民と痩牛たゆたふべし
渋滞の旱路渡る僧一群
大夕立夜店鰐のごと蠢けり

メコンといふ酒真夏日の渋滞
バイク駆く女そろひてサングラス
尼僧五人列の乱るゝ暑さかな
夏時間女優の小皺浮き出でて
ルネサンス大全飽きてレモネード

ビールビアビルラビエール旅半ば
六月のピカソも蛙も青を塗る
八月のピカソも酒もルージュかな
デュフィの絵を抜けて午睡の人となる
夏帽やふはふは機上の人となる

七月の橋の下には坂の町
小走りに小走りに祭準備かな
遊船やワインラベルの熊笑ふ
頂のポスト職場に夏見舞
アルプスの雪水割に短き夜

白シャツの教師歓喜のタクトかな
エビアンを飲むエビアンの夏館
グラスとは氷なりけり朱夏の卓
警備する女の暑しパウルの絵
風鈴を買ひて終りぬ小休暇

添乗員氷菓のやうに溶け始む
秋冷や槐の路は西域へ
ゴビ灘の永久の乾きや海市立つ
陽関の風抜けていく葡萄棚
火の酒を酌めば王維の詩爽やか

ほんたうに月と砂漠と駱駝かな
楊氏またレプリカならんそぞろ寒
いなびかり貴妃も武后も壊すひと
くるみ売りざくろ売りゐて秋意
胡桃割る音に秋知る貴妃の街

印南野05タイトル4印南野


神創り給ひし村に揚雲雀
立春の斜面蕾をこぼしをり
表札の包みをとけば百千鳥
辛夷咲くたもとのポストに祝ひ便
宙仰ぐ子をまんなかに青き踏む

春光のこぼるゝ吾子女歯生え初む
たんぽぽの絮廃駅の辺りまで
たらの芽や旧き篠山商家群
いつせいに芽吹く母解き放たるゝ
母歩め扉開くれば梅が香ぞ

独り居の母折りあぐみ紙雛
母病めば母をめがけて散るさくら
なつぎぬや竜野は町もうすくちで
濃紫冴え剣道部花菖蒲
子燕の孵る日までの空曇

軽鳧の子の羽撃ちて水の汚れなき
みちのくや夏草淡きゆえに坐す
葛切を食いて別れし会津かな
万緑のなか嫁ぐ子とたけくらべ
はまひるがほ少年無為の刻あるべし

なかぬやうほうけていまふ杜鵑
母きのふけふを覚えず百日紅
短夜の海も苺も母を恋ふ
父の日の父余しをり斧と釜
蝉鳴けば鎮守の森の伸び縮み

のぢぎくの群れる辺りに渡御ありぬ
締込みの子らシデ棒を秋天に
三代の背筋正しう御旅所に
浜砂利を踏むやたちまち荒神輿
様式のありて練りあふ荒神輿

祭獅子脱げばやさしき国訛
祭果て海の匂ひを残しけり
海崖の直にあらねば月貧し
一島の橋桁となり夜々の月
秋の風抜けて古家に卯建かな

柳散る彼のオデオン座休館中
薄き青塗りたる秋や明治館
訪ふひと隣家の木槿に一呼吸
残りたる柱の疵や菊薫る
一輪車宙返りてコスモス乱る

朝顔や父十代の偽日記
漁り唄採譜す夜の濁酒
夢の世の葱下げていく無月かな
秋に火の火に人のあり淋しさよ
母若き農婦でありし鰯鮓

母ことば失ふ日々の水澄めり
旧師ゐてジャックベティと冬日浴ぶ
敬老の日の姥シャネル グレ ハナエ
鵙鳴くや胸に纏はる計器の線
喪の家に露分け入りて急ぎけり

通夜終へて次なる訃報寒の雨
冬の欅倒るごとくと付け加ふ
うたた寝や妻埋火のやうにゐて
寒紅や母妻の耳借り始む
小春日を賜り母の傘寿かな

襁褓する母も初湯のめでたさよ
そのかどに豆腐屋もあり去年今年
あらたまの錐揉み降下する齢
うちうみそとうみ平ら年立ちぬ
播磨にも富士といふ山初鏡

印南野は無為にて候筆初
印南野に初日百あり百の池
鳥獣の星の淑気や播磨灘
平らかやスーパーストアへ若菜摘


神戸・一九九五06タイトル5神戸・1995


神の戸を開くるや人の冬ざるゝ
悴みつなほ水といふ甘きもの
瓦一枚詫び状となしみぞれけり
小雪舞ふ紙震ふ「この地妻逝く」
俯せの町仰向けの町霙る

作業靴踏みしは二階雛乱る
凍雲や兵士の休息短かかり
冬の廊下疲れしまゝの軍手百
ぺしやんこになつてしもたわ日向ぼこ
家も職も何もないねん着膨るゝ

しやあないやん笑ひ崩れて白マスク
かなしみの果てのしはぶき懐手
煮凝や隣家へだてし幕一つ
生ごみも洗濯物もない寒さ
病院の跡は冷たき地べたなる

モノクロの冬夕焼の底に街
市庁舎の眠られずいる春霙
凍解や市長の背中大きくて
春泥や東京発の絵空事
闇汁や官邸はるかなる装置

冬空にパラソル開く荒地かな
手つかずの路地ものの芽の追ひかけて
パワーショベル冬の倉庫を掴みけり
突堤に冬鴎乱る粉塵舞ふ
寒明や床屋の欲しき湯屋の昼

裏町の消えておぼろの行き止り
リュック背の自転車の乱春霞
水仙の匂ふ女将の背にリュック
仮店舗仮の家族に春隣
スクランブル交差点花商ひけり

詐欺師くる手品師もくる四温かな
春塵や見物の人帰つてね
街もわれも焦茶色なる春一番
泥ぬぐひ埃はらいて春へ出づ
不通区間あるも「潮干狩特急」

縄文も過ぎて弥生の神戸かな
折り紙の家は原色春の風邪
春節祭大あくびの子粥食ふ子
初めてのひもじといふこと卒業歌
花の下笑顔まつさらと言ひ切る

あぢさゐの藍にじみけり水の家
存へばあぢさゐの街美しとぞ
テント閉づラヂオはラヂオ体操に
夏雲よ怒りよ黙し膝を折れ
蜻蛉の乱舞す店閉づ工場閉づ

口中に凩ありてオフィス出づ
業務用ファックス末尾しぐるゝと
光浴ぶひとの溢れて聖夜かな
注連飾一筆書きのやうな家
女正月夢のもつれを梳る

繕はぬまゝに一月一七日
諍ひの今朝とぎれをり初氷
呑めど呑めど胃袋に雪しんしん
底冷えの人有ルトコロ人ノ無ク
冬の地震自伝未完に戻りけり

伝ふならたとへば月も震へしこと



自註一束08タイトル自註一束

 十七音、季語という制約は、類句を招かざるを得ない。そこを潜り抜けるのが技であり芸だと思うが、遊びのつもりでまねた句もあり、意識せずに結果として似てしまった句もある。
「おぼろ夜や橋に北詰南詰」は、播州竜野の揖保川に架かった橋だが、前書きに田園調布とある安住敦の「しぐるゝや駅に西口東口」をまねたといわれた。また「六月のピカソも蛙も青を塗る」は、我鬼・芥川龍之介の「青蛙おのれもペンキぬりたてか」でしょうと。前句は同じ言葉を使っていないが、たしかに趣向をまねたもの。後句は気づかないはずと思っていたが、しかし本歌取りといわれて光栄である。
 永田耕衣に「夢の世に葱を作りて寂しさよ」という句がある。「夢の世へ葱下げていく無月かな」「秋に火の火に人のあり淋しさよ」の二句は、索引の備考欄にあるとおり、耕衣氏への弔句である。ただ二句に分解しただけだといわれたら、そうだというしかない。
 「春光のこぼるゝ吾子女歯の映ゆる」は、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」と酷似している。孫娘の満一歳が近づいたころ白い歯を見て、そのいとおしさをどうしても表現したいと思った。しかし草田男の句がある以上、歯が生えはじめた様の句はもはや誰もつくれないだろう。したがってこれは草田男の句の私流バージョンであります。
 草田男といえば「降る雪や…」に志賀芥子の「瀬祭忌明治は遠くなりにけり」という先行句があったことはよく知られている。「白日傘法起法輪法隆寺」は斑鳩の里の三寺を詠んだもので、九二年のわが年賀状に刷り込んである。ところが三年後の「俳句朝日」創刊号(九五年五月)に森澄雄の「噛りの法起法輪法隆寺」が掲載され、まったくの偶然とはいえ驚いた。
 「荒梅雨の底によこたふ昏き河」は、ずっと気になっていたが、「荒・よこたふ・河」、つまり奥の細道の「荒海や佐渡によこたふ天の河」だったのですねえ。とすると、須磨寺を詠んだ「木下闇抜けて一絃琴の寺」は「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」の芭蕉だったのだ。母を詠んだ「なかぬやうほうけてしまふ杜鴨」も困った句である。「底冷えの人有ルトコロ人ノ無ク」の中七下五は、もともとしかるべき地位に人材がいないという意味で、中国の古典にあるはずだが、たどってみたが出典は見つからなかった。浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵に「人有る中にも人無し」とあるそうだ。
 あとがきに「ことばは古きを慕ひ、こころは新しきを求め」と鎌倉時代の歌論書、藤原定家「近代秀歌」の言葉を引用したが、それはこの文章が「及ばぬ高き姿を願ひて寛平以往の歌に倣はば、おのづからよろしきこともなどか侍らざらむ」と続き、つまり「古きを慕ふ」手法として本歌取りに言及しているからでもある。まざらわしい句は掲載しなければいいのだが、まあ話題を提供という意味もあるし、先人の句に似た発想ができたことは単純に嬉しくもある。いろいろと揶揄されても困るので註を付した次第。
                    著者


句集 水の家2001年1月17日
著者――中作清臣
発行人――山岡喜美子
発行所――ふらんす堂
ISBM4-89402-381-4 C0092¥2000E

09タイトル句集

中作清臣「水の家」
新旧時代の薫りブレンド ネット句会経てデビュー


山田 六甲(俳人・「六花」主宰)

 加古郡播磨町に住む著者は、現在神戸市立中央図書館長。俳句をするきっかけは、1990年、職場の昼休みに古書店へ立ち寄り、偶然に見けた「季寄せ」であった。
 スピーチに立ったある人物が常々自作の俳句を引用して巧みに話を締めくくるのを魅力に感じて真似ようと思ったのが俳句を作る動機だったという。だが身近に俳句をする人がなく、パソコン通信の句会があることを知って参加。ネット句会をいくつか経て、10年後の99年には千句に達したという。その中から三百句に絞って収録。
 今までの俳句の世界(俳壇)にはなかったデビューの仕方である。今日までの俳句作家は結社に所属して、その句会で研鑽を積み、また結社の主宰庇護のもとに俳人が世に出て行くのが普通の形態。近年その形態を崩して、カルチャー教室で育った俳人が出現するだろうとの予測だったが、それをはるかに追い越して、インターネット句会から俳人が出現したことは、時代の急流を目の当たりにする思いである。
 さてその俳句はというと〈パンの香や新樹の坂を図書館へ〉〈ダリア抱きB級映画の主役死す〉〈先頭に瞬時の迷ひ蟻の列〉〈こほろぎのやうな電話を鞄に飼ふ〉などのようにとっても俳句的なのだ。俳句を学んだり、楽しむ手段は大きく変化しても、ソフトはやはり人間なのだ、というなんだかほっとしたような安心感を与えてくれるのである。もちろん、題材の中には現代的なものもあって、たとえば、「こほろぎ」の句のように携帯電話を詩に昇華させているのは魅力的。
 しかし一方で「ダリア」の句はIT時代とは思えない60年代の場末のにおいさえしてくるではないか。そのギャップがかえって効果的。さてインターネット句会から生まれた、珠玉の作品を探せば〈峡に棲みひとコスモスになってしまふ〉〈能面をとれば春待つ農夫かな〉〈朝顔や父十代の偽日記〉〈印南野に初日百あり百の池〉などではないだろうか。中でも「看待つ農夫」の句は著者の代表作品といってもよく、「朝顔」の句は作者の父への温かい視線と物語性が読者を微笑ます。
 なお、この句集は4章に分かれていて最終章は1995年の阪神大震災の1年を詠む。〈生ごみも洗濯物もない寒さ〉〈あじさゐの藍にじみけり水の家〉は印象的。
 付記しておくと、一句にエッセーをつけた、コラム「私鉄沿線のシンプルライフ」は読み応えのある文章。西東三鬼の小説風自伝「神戸」「続神戸」とどこかイメージが重なるのであった。ふらんす堂刊。

――2001年1月31日神戸新聞


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