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2018. 03. 05  
2018.03.05★戦後秘史2


  吉田・アイゼンハワー会談がホワイト・ハウスで行なわれたのは、〔昭和29(1954)年〕11月9日の朝であった。〔…〕

  中庭テラスの渡り廊下から、4、5メートルの距離を隔てて、すぐ目の前に、ガラス張りの大統領執務室のなかがまる見えだったのだ。ガラス越しに日米頂上会談の実況が目撃されたのである。サイレント映画を見る思いであった。〔…〕

 吉田はステッキの銀の握りに両手と顎を当てたまま、こっくり、こっくりうなずき、終始、ニコニコ笑っていた。吉田側が語っている光景はほとんど見られなかった。

 十のうち八、九までがアイゼンハワー側のぺロレーション(長広舌)であった。そしてあっという間に歴史的な日米首脳会談の幕が閉じたのであった。


〔…〕「おや、もう終わったのかね」と、アメリカ人のカメラマンがあきれた顔で溜息をついたが、これでは、いったい吉田はなにをアイゼンハワーに訴えたのか、いやしくも中国問題などもちだす
チャンスは皆無ではなかったかと、怒りの感情がこみあげ、筆者は深い失望感にとらわれてしまった。


◆戦後秘史10・大宰相の虚像|大森実 |1976年11月|講談社|文庫版ISBN:9784061341609|◎おすすめ

 まず、上掲の「わずか30分で終わった日米首脳の頂上会談」を説明をする。

  毎日新聞記者の大森実は、カメラを首から吊るしてホワイト・ハウスに出かけた。ハガティ報道官は、カメラマン・グループだけを中庭のテラスに入れた。その中に大森はまぎれこむ。吉田・アイゼンハワー会談の同席者は井口駐米大使、アリソン駐日大使とロバートソン国務次官補。

 この会談前の10月29日ロンドンで朝日新聞の吉武信特派員が吉田首相に単独会見し、その全文が朝日に掲載されていた。その一部……。

問 いよいよ米国ですね。交渉の腹づもりを聞かせて下さい。

答 ハッハッハッ、金をくれといいますよ。日本をいまのように無力にしたのは米国ですからね。もう少しはもとに返してもらわないと困る。

 第一、米国はいつも日本をかりたてた。ところがいざやってみたらこれは大変だと気がついた。あまり大変だと思いこんだものだから、今度は占領と同時に労働法規の改正だ、財閥の解体だ、教育の民主化だ、中央集権の廃止だ、と日本を無力化することに一生懸命になった。いい分は結構だが、結果はよくない。共産党を解放したことなどは全くそのとおりです。

 ある責任者としましょう、日本にやってきて私に再軍備をしろという。私はいってやった。再軍備せよといったってできないようにしたのはあなたたちじゃないか。夫や子供を失った人々が戦争に反対するのはこれは当りまえです。共産党がこれを悪用する。国民投票をやったらどうなるか分りませんよ。国民投票で勝つ自信がないなら、憲法改正はできない。再軍備はできないでしょう。ハハハ……。これから米国に渡ろうというのに、これ以上手のうちは見せられん。
(本書)

  そう豪語した吉田首相は、アイゼンハワー大統領が右手の拳を振りあげて熱弁を振るっている前でほとんどしゃべらずニコニコとしているだけの30分。じつはこの会談で、小麦、大麦、大豆など余剰農産物の購入問題の決着のほかに、米国側から憲法改正要求、日本側から台湾問題の処理が議題にあがると観測されていた。しかし共同声明の全文には余剰農産物の具体的数字はなく、憲法改正も中国問題もいっさい触れられなかった。

 ――好意的に吉田を見るとき、米政府は吉田に重い荷物を背負わすことを意識的に避けたと見るべきであろう。もし悪意をもって見るとき、米政府は、崩壊寸前の吉田政権に、話をすべき中身ある議題をもたなかったといえよう。(本書)

2018.03.05★戦後秘史

  この昭和29(1954)年とは、どういう政治状況だったか。

 1月から強制捜査が始まった「造船疑獄」では、4月に犬養健法務大臣は検事総長に指揮権を発動し、佐藤栄作自由党幹事長の収賄罪逮捕を延期させた。吉田自身が国会から証人喚問を要求されたが公務多忙や病気を理由に出頭せず。
 6月、警察庁及び道府県警察を設置する警察法全面改正では、堤康次郎議長に議院警察権を発動させて国会に警官隊を初めて投入。
 7月、保安庁と保安隊を防衛庁と自衛隊に改組し、自衛隊発足。
 12月、解散か総辞職かと党内抗争の末、吉田内閣総辞職。そして鳩山内閣発足。

  ――渋面の吉田が、自動車で大磯に去ったときの写真が印象的であった。新聞はこの写真に「みぢめな最後」という説明を添えていた。“引退の花道”を飾れなかった吉田の最後は、たしかにみじめであった。戦後時代の“最後の大宰相”は、みじめな姿で政権の座から引きずりおろされたのだ。『白雲一片悠々去』という色紙が吉田から後日になって池田、佐藤らに与えられたというが、けっして吉田は一片の白雲のごとく去ったのではなかった。(本書)

  この人物中心の『戦後秘史』は、1(崩壊の歯車) 2 (天皇と原子爆弾) 3 (祖国革命工作) 4 (赤旗とGHQ) 5 (マッカーサーの憲法) 6 (禁じられた政治) 7 (謀略と冷戦の十字路) 8 (朝鮮の戦火) 9 (講和の代償) 10 (大宰相の虚像) の全10巻。大森実のライフワークの一つである。

 大森実(1922~2010)は、元毎日新聞記者。1965年、毎日新聞外信部長としてベトナム戦争を取材し、『泥と炎のインドシナ』として刊行。取材内容をライシャワー駐日アメリカ大使から批判され、対応した毎日新聞に抗議し、辞職。以後、フリージャーナリストとして活躍。

  なお大森実の『わが闘争わが闘病』(2003)では新聞社の後輩だった山崎豊子が大森をモデルに小説を書きたいと要請があり、なぜ断ったかが山崎の小説作法とともに詳しく綴られている。当方の好きな作品は、ベトナム戦争、カンボジア内戦取材中に死去した部下の鎮魂の書とした書かれた『虫に書く──ある若きジャーナリストの死』(1972。のちに『虫よ、釘よ、中島よ』と改題)である。

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